空白の真実(上)
リース過去話。
ダイジェストにしてるつもりなんんですが、どうも長引きそうなんでいつもより短めで切っちゃいます。
チャラ男ニルアナの乳談義や湯衣にまつわる云々は需要があるようならいずれ番外編かなんか用意する予定。
暗い、暗い虚空。
船の外では余りの高速ゆえに夜空を飾るべき星々の光さえ、流れない。
音もなく、光もない。
どこか遠い新天地を求めて仲間と別れて以来続いてきた、孤独な旅。
それは故郷の星を捨て流浪の民となる道を選んだ彼女たちの宿業だった。
その昔、人がまだ空へ漕ぎ出した始めの折りには、虚空から見えた故郷はまるで青い雫のように美しい星だったと伝えられている。
伝聞調なのは生まれた頃にはもうすでに、星は発達しきった文明に蝕まれ、おおよそ生きとし生けるものは皆、データを残し永久に失ってしまわれていたからだ。
命の色を失った星はすでに朽ち、取り返しのつかないまでに腐敗していた。
毒の微粒子を含んだ鉛色の空は厚く雲で覆われ、一歩居住ドームを出ればがりがりに吸い尽くされ枯れた砂漠しかない。海も河も触れれば手が焼ける毒の海と化した。相次ぐ地震、不規則な豪雨や津波。
人々はここにきてようやく星が死に瀕しているのだと、滅びようとしているのだと自覚した。
おおよそ命の理と律を極め、生死さえもて余し、傲慢なる神のごとく振る舞ってきた人間は、かくして拠るべき地を失った。
新天地を求めて人々は船を作り、母なる星を捨てた。
彼女はその事について、別段哀しいとか、嘆かわしいと思ったことはない。
生まれたときからこうだったから、特に思い入れの仕様がなかったのだと思う。
ただ、永い船旅を迎えるため、肉体を捨て船に精神体として同化した彼女は、転た寝のような遥けき時間の中で時折、先人たちが遺した映像――――まだ宝石のようだった生まれ故郷の星の青を、眺めて過ごした。
いつか新天地に巡り会えたならこんな青く美しい星が良い、と。
◇◇◇◇◇
「………へえ、凄いな。本当に空に浮かんでるよ」
青年は額に手をかざしてざわめきの向こうにある景色に目を細めた。
「ニルアナ」
「あ、兄貴」
名を呼ばれて振り向くと日焼けした鋭い相貌がぎろりと青年を睨み付けた。
「貴様はまたふらふらと………半時(約一時間)後にはまたあれについての会議だと言っておいただろう。支度はどうした」
「でもやっぱり実物見とかなきゃ始まらないじゃん? 支度はこれからするさ。三日間ずっとあのままなんだから、これ以上何も話なんか進まないだろうし。どうせ放蕩息子の弟の意見なんざ、親父も他の長様方も求めちゃいないさ」
「………ニルアナ、お前はあれほど嘲られて、悔しくはないのか」
険しく眉間にシワを寄せるアリウスに、ニルアナは苦笑しながら首を竦めた。
「あは、悔しいとか以前に、俺は部族長なんぞの息子に生まれるべきじゃなかったんだよ。精々日銭稼ぎの旅芸人の末子くらいが身の丈に合ってたよ」
さる豪族の母より高貴な血を引く兄、アリウスには生まれながらの意思の強さがある、とニルアナは思っている。対して、踊り子の母より生まれた自分は、やはり歌い奏でるくらいしか能がない。
血も、才も、生き方をすでに定めている。兄は弱小とはいえフィロ一族を束ねるに相応しい器だ。
明らかに場違いな自分なんぞより、ずっと。
「お前はいつもそうだ。悲しいとか悔しいとか、口にせず無為にやり過ごす。悪い癖だぞ」
「えー。そう言われても、本気で思ってるんだけどなぁ。正直、俺は政だ一族の繁栄だの息苦しいこと考えるより、自由気儘に、誰かが心底美しいと思える一瞬を歌っていたいんだよねぇ」
複雑な顔をする腹違いの兄に、青年はあっけらかんとした調子で答えた。
「うん、そうだ! 親父が兄貴に位を譲るのは時間の問題だし、そうなりゃ俺は適当な理由でもつけて勘当してよ」
「………そんなことすればお前は、うるさい奴は居ないとばかりに日がな一日女を口説いて過ごすだろうが」
「あら、バレてる? んじゃ、女も萎びるような遠方に追いやってくれよ」
「そんなことすれば、お前は日がな一日、歌って暮らすだろうが!! 」
青筋を浮かべる兄。
弟は誤魔化そうと慌てて手を振る。
「いやいや、待っ……………あっ、そうだ! 歌といえば、あの変なの、さっきからずっと歌ってるよね」
「歌だ? 今日という今日は誤魔化そうとしても、そうはいかんぞ」
「いやいや、話しは誤魔化したいけどこれはホント、超ホント! 俺冗談は言っても兄貴にだけは嘘吐かないもん。――――マジで歌ってんだって! 」
再び、今度は訝しげに眉をひそめたアリウスに、これだけはとニルアナは必死に首肯した。
海上に浮かぶ例の城塞のような建造物は、先刻からぴくりともしない代わりに、低く鳴いているのだ。
「俺には何も聞こえんが」
「んー………かなり低い、みたいだけど………音階を少しずらせば砦にある弦楽器でも弾けるんじゃないかな? まぁ、やってみないとわからないけど」
こんな感じ、と軽くハミングしてみせると、アリウスは暫し考え込むように顎を撫でた。
「………ニルアナ」
「ほいさ」
「その編曲はすぐに出来るのか? 」
「うん? んーまあ、そう難しい曲ではないし、少し調律の時間貰えれば今この場でも出来るよ」
「この三日間、あれが矢を射掛けようがどんな貢ぎ物を捧げようがピクリとも反応を示さなかったのは、お前はも聞いているな? 」
「………ああ」
正直言えば煮詰まった会議に飽きて転た寝してたためうろ覚えなのだが、取り敢えず真面目な顔で頷いておく。大方、叔父上方か陪臣の狸親父どもの誰かが言っていたのだろう。
「神でも悪魔でもいい。あれに意思があるならまずコンタクトが取りたい。お前、あれに向かい歌いかけてみろ」
「………へえ」
青年は思わずくすりと笑いを溢した。
「歌い交わすなら絶対美人に限るけど、一度くらいなら神様に奏上し奉るのも悪くないね」
「試すだけだ。神様に歌いたいなら神官にでもなれ。それならまだ許可するぞ」
真顔で答える兄にうへ、とニルアナは舌を出した。
「ご冗談。俺が神なんて信じてない事くらい、兄貴が一等承知だろ? 第一、神官になんてなったら酒も女も賭博もご法度じゃないか」
「………お前は少し摂生した方がいいと俺は思うがな」
「人は小さな幸せと世俗にまみれて暮らす方が分相応だよ」
妙なところでお節介な異母兄にニルアナはヘラっと眉を下げて笑った。
自由に、享楽的に。
その光の影に死が潜むというのなら、それでもいい。
何者にも囚われず、心のままに歌うことだけが、ニルアナが自分にこじつけたただひとつの存在意義だった。
人々が固唾を飲んで見守る中、一艘の小舟から不思議な調べが波を渡ってゆく。
深い海と高く澄んだ空という二つの青の狭間。
まるで一枚の絵のような光景だった。
奇妙な飛行物体は数拍沈黙すると、やがて奏者に応えるように音を重ねだした。今度は周囲の者にも聴こえる、高めの優しい音。
爪弾き、奏で、歌う。
青年はこの瞬間だけ、しがらみもすべて捨てて歌っていた。
まさしく天上の光のごとき清らかな音の連なり。
このとき、周囲の人々はこの世に言葉を失わせる美しいものがあることを知った。
◇◇◇◇
白色矮星、というものがある。
青白い星明かりは、実は赤いものより表面温度は遥かに高い。星は進化の最終段階で赤色の巨星となるが、その外層のガスを失い中心核のみが残ったのが白色矮星だ。直径は非常に小さいが、密度は非常に高い。ひたすら一点にエネルギーの集中した、高温の熱光。
冴えた光、燃える光。
一見すればへらへらと情けない優男のニルアナだが、時折見せる面影には、そういう寂しい激しさがあった。
「じゃあ、リースはずっと旅をしているわけか。羨ましいね。他の景色も見せてよ? 」
意識体を故郷の技術により生み出した現地住民たる『人間』に定着させているだけなのだが、それを説明してなおニルアナは畏まるわけでなし、それどころかまるで町娘にでもするような軽い口調で一族とリースとの交流を望んできた。
美しい青に惹かれて降りたこの星の若者、ニルアナとリースは不思議と馬があった。
リースの故郷の主要ツールであった音階(後にこの星の住民には扱う発声器官の発達が弱いことに気づいた)をファーストコンタクトで扱って見せたから、というのも大きい。
だがやはり一番は心のどこかで近しいものを感じて、期待していたからかもしれない。
「なら、これはどう?」
「おおおお!! 」
水球に手をかざすと、ふわりと虹色の波紋が広がった。
彼の脳裏には、かつて立ち寄った星の奇妙な生き物たちや、不可思議な景色が広がっているはずだ。泉の中で彼は目を閉じたまま歓声を上げた。
「やっぱり、星渡りの楼船を下らん戦の場に引っ張り出すのは間違いだね。兄貴もこの船の真髄を楽しむだけの余裕を持って貰いたいよ」
「そう? 私は別にどうでもいいけど」
濡れた髪を掻き上げ、ポツリと漏らされた呟きにリースは首を傾げた。
フィロ一族。リースの降り立った地を治める豪族はニルアナの生家らしい。帝国の脅威に常に晒される、吹けば飛ぶようなこの弱小部族の長たる彼の兄は、数年前からリースの操る船と“天涯の月”により新たに生み出された作業用合成生物――――蟲を率いて、帝国との戦に明け暮れていた。
元々文明の発達に遥かな隔たりのある最強の兵器。いかな帝国といえ羽虫に過ぎない神の威光、とアリウスは言っているらしい。
ニルアナは一族とリースの交渉役だが、保守的なニルアナと今こそ好機とばかりに周囲を煽る主戦派の兄とはここ連年は諍いが絶えない。兄が破竹の勢いで進撃するほどに、寂しげな顔をするようになっていた。
「兄貴は、変わったよ。フィロはそう大きな一族じゃないが、皆を食わせてやれるくらいで満足すべきだったんだ。覇道だかなんだか知らないけど、もう十分富んだだろうに。それでもまだまだ足りないのか………」
野心的に領土を広げることを願うアリウス。厭世的で飢えぬだけの地しか望まぬニルアナ。
今や、兄弟は少しずつ擦れ違ってしまっていた。
茜の空が美しい。
いつものように軽い別れの挨拶を述べ、蟲を繋いだ小舟に飛び乗った青年をリースはふと呼び留めた。
「のうニルアナ、吾と行くか? お前を誰も知らない地へ、吾と共に旅をしないか? 」
キョトンとした顔を上げる青年に、リースは手を伸ばした。
“天涯の月”の力を用いれば、ニルアナを自分と同じ精神体とする事くらい造作もない。
多分、リースのの流浪の心は初めて会ったときからこの男の放つ激しすぎる儚さに、震えたのだ。この男となら永遠の時さえも越えてゆける気がした。
白い指が傷ついた獣を労るように、そっと頬を撫でる。
「吾はお前が好きだ。お前と居ると楽しい。お前が辛いなら、お前だけなら、救ってやろう」
入り日の金に染まった海面は鏡のように眩く、青年の背後に輝いている。
波の音を残し、静寂が落ちる。
「………一族は、この国は……どうなる? 」
口を開きかけ、また閉じ、乾いた唇を舐めてから青年は掠れた声で問うた。
赤子のような無垢な黒い瞳は、戸惑いを含んで微かに揺れていた。
「さて、どうなるかの……帝国も近く解体されるだろうが、散り散りとなった不穏分子や諸外国を牽制せねばアリウスも危うかろうて」
「………そう、か……」
青年は目を伏せる。
リースはもう片方の手も頬に添えて顔を覗き込んだ。
「アリウスが心配か? 」
「え? 」
「お前は兄に反発しているだろう。兄が嫌いなのではないのか? 」
「まさか」
ニルアナは笑った。
「あの人がどうなろうと、アリウスは俺の兄で、ニルアナは彼の弟だ。――――たった二人きりの兄弟なんだ」
青年は残照に眩しげに目を細めた。
寂しげに。愛しげに。
しがらみの中で、この男は自由に憧れる。
それでも結局、死も悲しみも含んだ美しい景色ごと、彼はこの国を愛している。
だからリースと、宙へゆくことはない。
「………ニルアナ」
「うん? 」
「吾は長い旅をしてきた」
「うん、知ってるよ」
「腐れる肉の器を捨てて、気の遠くなるほどの歳月を一人で渡り続けてきた」
「うん」
「今のこの器も、腐れる前に意識体を転移させねば『私』は消滅する」
「……うん」
死すら、超越してきた。
生すら、欲しいままにしてきた。
「ニルアナ。吾は、お前と生きてみたい」
「……………リース」
驚きに見開かれる黒い瞳を、真っ直ぐに捉え、告げる。
「お前と共に生き、共に死ぬ。吾はただの人として、お前を愛してみたい」
「………駄目だよ。それは絶対に駄目だ」
ニルアナはくしゃりと泣き笑いのように顔を歪めた。
「共になんて、死んだら駄目だ。どちらかが死んだらその分まで生ききろう。………生きるなら、一緒に生きて欲しい。俺の一番好きなこの国の景色を、一緒に愛して欲しい」
近づく顔に、目を閉じる。
寂しくて、柔らかくて、ひどく熱い。
この一瞬のために、人は人として生きるのだろう。
そう、思った。




