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虚空の泉

満を持しての女神登場。

キレのいいとこまで、と思っていたら少々長くなってしまいました。

サービス回です。







――――母様。


幼い頃、眠りに就く前にはいつも、母は秘密の物語をしてくれた。


――――女神様は、どうして姿を隠してしまったの? どこへ隠れてしまったの?


少年はベッドに潜った小さな身体に見合わず宵っ張りのタチらしく、父譲りの黒い瞳は眠りの気配すらなくランプの炎にきらきらと輝いている。

太陽が姿を隠し、家々に点る僅かな灯りだけが闇に息をつく刻限。その頃はまだ夜は酷く長く、シーツを被ってそっと目を開けている限り無限に続くような気がしていた。幼い日のグリフにとって夜は秘めやかな、特別な時間だった。

なかなか眠らない我が子に、母は少し困ったように頭を撫でる。


――――そう、どうしてかしらね。残されているのはそこが白い花々に守られた“虚空の泉”という一文だけ。どこにいるのかさえ、私たちにはもう伝えられていないの。


母は、美しい(ひと)だった。

火影を映す白い横顔はまるで陶器のようにすべらかで、どこか血の気に乏しかった。

その横顔を、グリフはアシュと名を変えた今でも鮮明に思い出すことが出来る。

そうね、と彼女は言った。


――――そこに行けば、きっと私たちダレンシス一族が探し続けた答えのすべてがあるんでしょうね。





◇◇◇◇





頬を甘い香りが撫でる。

いつの間にか刺すような砂と冷気は消え、風はほとんど凪に近いくなっていた。

眩しさにそろそろと閉ざした目を開いたルルーは、眼下に広がるその光景に絶句した。


広間とおぼしきその空間には、虹のような光がゆらゆらとカーテン状に降り注ぐ。例の紋様は周囲をほんのり青白く照らしながら壁から天井にまで走り、壁には色も形もとりどりの輝石が嵌め込まれ、不規則に点滅する。

足元を見ればこれまた真っ白な小振りの花弁を広げる花々が、丸いビーズ上の小さな葉と共に微かな風に揺らぎながら、床目も見えなくなるほどびっしりと覆っていた。ただ、こちらは流石に手付かずという訳ではないらしく、いく筋かの通路と所々に長方形に突き出た石柱の周辺は、丁度人一人通れるくらいには整備されている。

明らかな、いやいっそ未来的とも言うべき人工物と自然の、奇妙な調和。

だが、ルルーが目を奪われたのはそんな幻想的な光景ではなかった。


「これは……水……? 」

部屋中の至るところに小指の先から、それこそ人の頭程もある水球が、ふよふよと淡く光りながら宙を漂っている。

ルルーは恐る恐る水球に手を伸ばした。

……冷たい。普通に濡れた。

見ただけならシャボン玉に似ているかもしれないが、指に触れる感触は確かに清水のそれだ。水球はフワフワと上下し、互いにくっついたり分かれたりしながら、気儘に幻想的な光景を作り上げる。

ふいに、水球がピタリと止まった。そして勢いよく一点に集まると、途端ぐるぐると回転しながら融合し始めた。

ぎょっとしたルルーの背よりも高くなったところで、これまたいきなりパアッと輝きだす。


「ルルー! 大丈夫だった? 」

「えっ、アシュ!? 」


ぱちんと弾けた光の中から現れたのはアシュだった。

突然出現した青年は手にした触角とおぼしき棒をその辺に放り捨て、呆然とするルルーに駆け寄る。

「良かった。何とも無さそうだね」

「え、え、何で? 水が……」

「水? 」

「そう、さっき………あ、ほらあれっ! あれ見て!! 」


首を傾げるアシュの背後に再びぐるぐると旋回し始めた水球を、ルルーは青年の袖を引っ張り慌てて指差した。

今度の水球は二つ。例によって人型程のサイズになるとまばゆく発光し、立て続けにきょとんと目を見開くカイルとテナになった。


「あれ、テナ嬢にカイル君? てっきり次はダヴィドあたりが来るもんだと思ったんだけど」

「え? あ、うん。確かにダヴィドさんが壁に突っ込んだんだけど」「――――って、おわっ! な、なんだコレ!? 」

ふわふわと宙を漂う見慣れぬ水球に弾かれたように飛び退いたカイルが、すかさずテナの言葉を遮った。

その拍子に巨体に突き飛ばされたテナがきっとまなじりを吊り上げる。

「ちょっとカイルうるさいわよ! 」

「馬鹿おまっ、ンなもんどうでもいいだろ! それよか後ろ、自分の後ろ見ろよ!! 」

「どうでもいいって何よ! 大体あんたは…………………………って、え? え、水? 」

「な? 」


「うわあ……一体何で浮いてんのかしら? 」

「お、おい止めとけよ。何だか分かんないんだろ」

「うーん、一見水みたいだけど、そもそも光ってるしねぇ」

若干及び腰なカイルと対照的に、テナはむしろ好奇心の方が勝るらしい。興味深げに水球を突っつこうとして青い顔の幼馴染みに止められている。

はて、とアシュは顎を撫でた。

「というか君、もうこれ以上何が出てきても驚かないんじゃなかったのかい? 」

「コレを真顔で受け止めろと!? 俺のメンタルはお前と違って繊細なんだよ!! 」

「リアクションは抜群に面白いけどね」

「誰もンなもん求めてねぇ!! 」

「……まあでも、一々驚いてたら多分キリが無いよ、コレ」

アシュは切れ長の目をすっと細めて周囲を見渡した。


夕暮れ時の煙る深紺の空にも似た仄暗さの中で、蛍のように青白く浮かぶ光。

幻のような美しさと、少しの恐ろしさ。

夜からも昼からも切り離された異界。外と比べれば気温はむしろ温いくらいなのに先刻からずっと鳥肌が立っている。

「だってさ、こうなってくると彼らの言うところの叡智ってのも、いよいよ人外の代物だよ。さしもの俺でも、夢だと言われれば納得してしまいそうなくらいだしねぇ」

そっと見上げた横顔は間延びした言葉と裏腹に、鋭い。

真剣さを誤魔化す悪癖のあるアシュだが、いつもの余裕綽々とした態度すら今はどこか硬く、警戒を露にしていた。

カイルもばつが悪そうに顔をしかめた。

「そりゃそうだが……………てかお前、それ触って大丈夫なのか?熱くないのか? 」

「いや、今は普通に水の感触だよ。だけどさっきはこいつが集まって光って、そっから君らが出てきたんだよ。」

「――――それがゲートじゃよ。客人(まろうど)方」

唐突に背後から響いたたおやかな女の声に一同は振り返り、そして揃って息を飲んだ。



「………銀の、髪……」


帯で胸元で縛るばかりの、ゆったりとした不思議な光沢を持つ衣装。その背をうねりながら流れ落ちる滝のような煌めく豊かな白銀の髪。

思わず呟いたルルーに、この国の者なら誰もが神話で耳にする彼女――――月の女神リースはにっこりと微笑んだ。

「よくぞ参ったの、花の匂いのする都エローラ・サン・メルテへ。()の愛し子、オウリが裔たち」



「……女神リース……」

呆然と立ち竦む一行に、リースは苦笑した。

「よいよい、そう畏まらず楽にせよ。今の吾はもはや遠き日を憩い、女神どころかなんの力も持たぬ、過去の残滓。生者たるそなたらには在って無い水面の月のようなものよ」

リースは透けるような緩い袖を纏う手を鷹揚に振る。「それより吾はそなたらの名を知りたい。久方ぶりの客人たちがかような可愛らしい者たちとは思わぬでな」

へ、と驚きに顔をあげた途端、目が合った。ふふん、と悲劇の女神のイメージどころか茶目っ気たっぷりに片目を瞑られた。

「………失礼。まさかこんな初っ端からお目通り叶うとは思わなくて。俺の名はアシュ。かつてはギスタフ一族の名を預かっておりましたが、今は旅の薬師をしております。こちらの二人はかつてここの蟲師に教えを受けた者の縁者でカイルとテナ。……そして彼女はルルー。当代フクロウとしてアークにあった身を縁あって引き受けました」

衝撃から真っ先に回復したのはやはりアシュで、拳を胸に当てて略礼するとそれぞれの名を手短に紹介していった。

「ふむ、ルルーにテナ、カイルか。皆良い名じゃな。……しかし“嘆く者(アシュ)”とはまあ…」

(グランマム)、出迎えならば我らが。泉から離れられては駄目ですよ」

目を細めたリースが青年に顔を向けたところで、また背後から今度は困ったような、たしなめるような声が響く。振り向けばそこには水球から現れたのであろうリコが、ミーナを抱えたまま苦い顔をして立っていた。


「おや、リコにミーナか。案ずるな。今日はすこぶる調子がよいでな。しかも久方ぶりの客人となれば、この都の主たる吾がもてなすのが筋であろう」

「そ、そんな目で見たって駄目ですよっ。もう貴女のお身体はかつてのものほど純度が高くないのですから、油断は禁物です」

「そう耳元で吠えるでない。まったく、そなたはそれだからいつまで経っても………おや、ミーナ、そなた何かしたか? 印象が変わったようだが? 」

耳を押さえて舌を出していたリースは、はたと少年に抱かれた蟲に目を留めた。

ミーナはちょっとだけ恥じらうように触角を小刻みに波打たせた。

「いえ、少々毟られまして……」

「毟る? なんとまあ豪気な。一体いかなる者じゃ? さぞベタベタしたであろうに」

目を見開いて若干検討違いな意見を述べる女神にそっと傍らを見上げれば、

「…………」「ちょっ! 野郎、他人の背中に擦り付けんな! 」

カイルが吠えていた。


「一応、ちゃんと左右対称になるように抜いたんだけどね」

「どうでもいい上傍迷惑な親切心!! 」

「ほう、……そなた、なかなか出来るな」

「いえいえ、それほどでも」

先刻のシリアスな雰囲気をまるっと無視して腕を組みつつキラリと目を輝かせた彼女は多分、アシュの同類だ。なんというか、同じにおいを感じさせる。

ギスタフ家の血には、どうやら女神のろくでもない部分の性格が絶妙かつ忠実に受け継がれてしまっていたらしい。

妙に意気投合している二人に蟲師は小さく溜め息を吐いた。


「ともかく、伝承の多くが失われた彼らにはまず諸々の説明からしなければならないのです。いずれにせよ泉を使うのですから、ちゃんとお戻り下さい」

「チッ! まったく、そなたは幾度生まれ直しても相も変わらず過保護なことよの」

「貴女の夫君のご遺志ですから」

「ふん、ニルアナめ。自分は普段、楽器だけ抱えてふらふらしておったというに、死してなお愛情が重いわ」

やれやれと首を竦めて、けれどさらりと惚気る女神。

そんな主人に再びため息を吐いてから、リコは舌打ちまで含む一連のやり取りを、呆然と眺めていたルルーに向き直った。



「申し訳ありません。姫様、これより少し移動していただきます。説明はそこでまとめてしますので」

「あ、ま、待って。その前にひとついい? 」

すでにさっさと小路をスキップしていく淑女を、微妙な顔で見送りながらルルーはそろそろと手を挙げた。

「その、ダヴィドさんや他の人たちは、どうしたの? 姿が無いんだけど………」

ルルーが気にしていたのはダヴィドを始めとした、ここにいないメンバーのことだった。先程、テナの報告をカイルに遮られ、結局聞けず終いだったのである。

ああ、とリコは合点がいったと頷く。

「彼らはゲートに弾かれました。残念ながら、彼らでは血の濃さが足りません。ここは一応、かの方の中枢でもあるので“天涯の月”を持たれる方々しか入れないのです」

「ゲート? 」

「この水球のことですよ」

リコは手を広げると二言三言、何事か呟く。すると漂っていた水球がすぅっと手のひらに集まりだした。


「これが貴殿方の身体に流れる“天涯の月”の正体です。自己増殖と自己死亡をプログラムされた超高度自立型肉体補助装置…………貴殿方からすればある意味、人間の中にあって意思を反映する、独立した一つの生命体に近いかもしれません。(グランマム)やその故郷の人々が、苛酷な環境下に適応する為作り出したもので、分裂した水球個体同士ある特殊な相互交信をし、互いの位置を補足して物質を転送する(・・・・)能力を持ちます」

ルルーは先刻の光の中から現れたときの光景を思い出した。

転送、と小さく呟いてから今度はアシュが手を挙げる。

「はい。じゃあ、フクロウの髪色が突然変わるのも、その転送とやらで色素かなんか入れてんのかな? 」

「いえ、直接色素を入れるのでなく遺伝子プログラムで微細粒子群を――――う〜ん、そうですね……身体を構成する設計図を作り変える、と言った方がいいかもしれません」

「設計図? 」

「ええ。人体には髪の色や肌の色、顔かたちを決める部分があります。“天涯の月”はその設計図の部品を送り込み、作り変えているんですね。ですから染め粉などとは違い、半永久的にその人の特徴となります」

「ふぅん。………じゃあ逆に言えばルルーの髪も今は(・・)持続的なものだけど、設計図をまた元に書き(・・・・)直せば(・・・)髪色も発現しなくなるということかな? 」

「流石、飲み込みが早いですね。その通りです。……ただやはり人体にとっては異物ですし、構造を根本から作り変える訳ですから、本来なら個人に合わせた調節をしてから投与するんです」

「それが女神から(カイ)へ送られた“天涯の月”? だが歴史的にも彼以降、西の塔での監禁生活だよ。調節なんて出来ないんじゃないか? 」

「いえ、遺伝的に近い血族などであれば、肉体からの抵抗も少ないんです。恐らく彼らの血統主義ゆえに血の交流が極端に少なかったがため、ここまで残ってこれたのでしょう」

「……成る程ね。それで『血に反応』するとかなんとか言ってたわけだ。パンゲア貴族どもの排他主義と選民意識、度重なる血族婚の皮肉な賜物だな」


アシュとリコの話はヒートアップするにつれ、段々内容が分からなくなってくる。まあひとまず、この先入れるのは今のところルルーたちのみ、ということだけは分かった。

だが、ルルーはどうにも納得がいかず首を傾げた。

「うーん………でも、それならますます分からないよ。そういう発現条件なら、貴族のダヴィドさんの方が結婚とかの血統上、確率的には高くなるんじゃないの? 」

現在フクロウが発現しているルルーに、初代フクロウの子孫から派生したというギスタフ家の血を継ぐアシュ。レオニーという男についてはよく知らないが、庶子とはいえダヴィドは貴族の血を引いている。

少なくとも身分差のある庶民より、婚姻などなら格段に派生した四家の血を受け入れやすい。

浮かんだ疑問を口にすると、アシュは「あ」と思い出したように髪を掻き上げた。


「あーうん、そっか、そうだ。ルルーにはリデルさん関連の話はしてなかったね。………実はテナちゃんのお父君のリデルさんは四大公爵家の一角、カセリアの出なんだよ。継承は放棄してるから今は貴族籍にないけど、血の濃さならダヴィドより上になるんじゃないかな」

「ええっ! 」

そんな話、初耳だ。

「うん、まあ。ルルーには話してなかったしね。絶対首突っ込むと思ったし」

最後の一言に思わずむっと睨み付けると流石に悪いと感じたのか、困ったような顔で微笑む。アシュはぽりぽりと指で頬を掻きながら膝を折り、ルルーに視線を揃えた。


「ルルー、君が考える以上に貴族ってのがこの国で織り成してきた歴史は長い。老いたりとはいえ、彼らはパンゲアに君臨してきた支配者だ。今なお女神の血を最も保持する勢力だ。君にはあまり興味を持たれたくなかったんだよ」

「……それは、私をアシュの過去に関わらせたくなかったから? 」

不機嫌さで頬を膨らましながらも微かな不安を覗かせて見上げるルルーに、青年は一瞬だけ瞠目した。しかしすぐにやっと笑うと「それもあるね」と彼は一旦言葉を切った。

「君と交わした約束は君を連れ出すことだけだったし、俺の影なんかのために危険に巻き込んでしまうくらいなら、初めから視界に入れるつもりはなかった。……だけどそのうち更に、君に関わることなら絶対手加減できないなぁって、確信まで混じるようになっちゃったから」

白い歯を剥く、悪戯っ子のような笑み。

まるですべての計画の要は全部ルルーの一挙一投足にあるというような。いや、ルルーを守るためになら、計画ごと投げてしまえるかのような。

……愛の言葉なんか無くとも余程情熱的に騙しにかかってくるから、この人はタチが悪い。

「……………そういう言い方、狡いと思う」

「ふふ、何とでも」

アシュは余裕の笑みで応えるばかり。何だか知らないが、薬から目を覚まして以来、色々と吹っ切れたようだ。憎らしいくらい今までと同じ、ルルーの知る不敵な彼に戻っていた。

嬉しいことは嬉しいが、素直には喜べない。むむむむ、と押し黙ったルルーは恨みがましくこの過保護な青年を見上げた。


「……だがテナはそれでいいにしても、俺は拾われ児だからその条件じゃ当て嵌まんねえぞ」

カイルは幼少期にリデルに拾われ養子となった。直接的な血縁関係はない。

しかし蟲師の少年は顎に手をあてしばし逡巡すると、

「僕も断言は出来ませんが、カイル殿の場合は“唇”を扱えるという話ですし、蟲師の血が流れているか――――あるいは変異型かもしれません」

「変異型? 」

疑問符を浮かべるカイルに、はい、とリコは頷いた。

「所謂、先祖帰りのようなものですね。稀にいるそうです。各地に散るうち薄められた血と“天涯の月”が、何かの拍子に突然強く発現して生まれる子が」

「……そんなもんか………? 」

「もちろん砂漠から真珠を見つけ出すくらい、確率的には極めて稀なことだそうですが」

「まあまあ、ルーツなんて皆そんなもんだよ。なんかよく分からんがここに来るのが定めだった、とかくらいに捉えとけば? 」

アシュはそう言ってばしばしとカイルの肩を叩いた。


「――――うーん、でも、本当にそうなら血筋って不思議だね」

グリフはギスタフの名を厭い、アシュと改めた。

リデルはカセリアの家を捨て、テナたちの父となった。

そして今、その血ゆえに花の匂いのする都(ここ)に集う。

考えてみれば、これ程数奇な縁もそうないだろう。

小さく呟く少女に静かな青い複眼を向け、蟲は微笑むように優しく応えた。

「そうですね。正直、私たちもこれ程の大人数が都を訪うことになるとは思っていませんでしたよ。賑やかで(グランマム)も喜ばれておられるでしょう」

さあ皆様、と騒々しい一行に眩しげに見つめてから、ミーナは声をかけた。


「行きましょう。蟲と歌、月と恋人たちの始まりの泉へ。貴殿方に忘れ去られた、遠い遠い日々の物語をしましょう」







一行は花を分け、小路を歩いていく。

何分道が細いため案内役のリコとミーナを先頭に、アヒルの子よろしく並んで歩かねばならない。清涼で甘い匂いが立ち込める夜風は気色が悪いほど温い。

アシュもふわふわと漂う水球を鬱陶しげに押しやっている。

やがて、苔むした石柱に囲まれた踊り場のような所に辿り着いた。


「皆様、これを」

リコがどこからか蔓を編んだかごを持ってきて差し出した。

「この先いささか水に濡れることになりますので、どうぞこちらにお着替えください」

ぺらりと被せてあった布をよけバスケットを覗き込んだアシュとカイル、テナがひくっと顔を引き攣らせた。

「へえ………これはまあ、随分と用意がいいね……? 」

ルルーもつま先立ちで、青筋を浮かべるアシュの持つ籠の中をそっと覗き込んだ。

「………これ、湯衣? 」


妙に薄く透ける生地を用いたざっくりと短い、腰で縛るタイプの貫頭衣。

婚前の女性が肌を晒すことを厭うパンゲアでは、高貴な娘や屋外での入浴に際して、しばしば湯衣と呼ばれる下衣を纏う。余談ながら、生地は薄いものほど高価とされ、婚儀の折りには新郎から花嫁への贈り物ともされる点を考慮しても用途は推して知るべし、である。

因みに、そのカットはカイルが顔を真っ赤にしている事からも分かる通り、まさしく見えそで見えない、一見淡い緑色とシンプルながらも際どいもの。

見覚えのあるどころか忘れ難いデザインだったため、ルルーもすぐ思い出した。


「あ、ちゃんと人数分ありますよ? 」

「そこじゃねぇよ! 」

「アシュ殿やカイル殿には腰巻きを入れてますから」

「そこでもねぇ!! 」

「刺繍は吾が入れてみた」

「だからそこじゃ……って、何やってんだ女神ィィィイ!! 」

とうとうカイルが半泣きのまま頭を抱えて吠えた。

そこにはばっちり着替えを終えたリースが腰に手をあて、剥き出しの脚も眩く立っていた。

人外じみた美貌と完璧なプロポーションだが、下手な恥じらいがない分、却っていやらしさがない。

女神はルルーたちに向かいグッと親指を立てた。

「そなたたちもさっさと着替えよ。ニルアナが水浴の際はこれをと寄越したのだが、これがなかなか動きやすくての。たまに都を訪れた人間にも土産として持たせてやるのだ」

「…………………」

「…………………」

「…………………」

アシュ、カイル、テナの三者に沈黙が落ちた。






「じゃあ、私たちも着替えてくるから呼ぶまで向こう向いててね。振り向いたら吊るすから」

「はい」

「早めにお願いします」


白い腰巻き一枚で並んで三角座りする男三人。中でも死んだ魚のような目で「こんな真実知りたくなかった……」と呟く青年たちを女神が時折興味深げにつついている。

テナは見張り役のミーナに軽く手を上げてから、ルルーと石柱の陰に向かった。


「あーもう………何がどうしてこうなったのかなぁ……」

テナは衣擦れの音に僅かに頬を染めながらも、先程から男性陣がちょっと気の毒になるほどぶちぶちと不満を漏らし続けていた。

「大丈夫だよ、テナ。それすごく可愛いよ。とっても似合ってる」

「………ありがとう。ルルーちゃんだけが私の癒しだわ」

ぎゅっと抱きついてくるテナにルルーはくすぐったさに身じろぎした。

着替えを終えて触れ合う肌の面積が多い分、温もりが何だか妙にこそばゆい。

テナの腕はアシュやダヴィドのように硬くない。いい匂いがして柔らかくて、彼らとはまた違った不思議な安心感があるのだ。


「ルルーちゃんは本当にちっちゃくてお人形さんみたいよねぇ。こう、すっぽり収まりがいいとゆうか」

「えー……。私はリースさんみたいにぼーんと胸とお尻があるか、テナみたいにすらっとした手足があったらって思うよ」

すりすりと頬擦りをかまずテナにルルーは湯衣から覗く棒切れのような細っこい脚に唇を尖らした。

たわわな胸や蜂のようにくびれた腰のリースもさることながら、テナのみずみずしい健康さに満ちたしなやかで引き締まった肢体も目を奪われるものがある。

それに比べ自分の身体は、華奢と言えば聞こえは良いが胸にせよ腰にせよ薄いばかりの……要するに、痩せっぽち。肌も白過ぎるし、手足は柔らかすぎの貧弱だ。

(………ふむぅ…………)

考えれば考えるほど、不機嫌に鼻の頭にシワが寄っていく。


「おや、何を難しい顔をしておる。着替えは終わったのであろう? 」

青年たちを弄るのに飽きたのか、いつの間にやら石柱の向こうからリースが顔を覗かせていた。

女神は抱き合った二人にさっと視線を巡らせ、

「胸なら揉むと成長するそうだぞ。間の良いことに丁度そこに手持ち無沙汰な男どもも居る」

貧乳娘たちに爆弾を落とした。


「要らんわッ!! ちょっ、カイル! あんた今こっち向いたらくびるからね!! 」

両手で胸を覆い、真っ赤になって叫ぶテナ。

だがリースはそんな小娘のねめつけなどどこを吹く風、「むふふ」とたわわな胸を強調しながら意味ありげな流し目を送る。

「そうか? まあ、恥ずかしがる事はないぞ。男は自らの手で育てるのがロマンだそうだて。ニルアナも熱心に揉んでおったぞ? 」

「またかニルアナ=フィロ――――ッ!! 」



その会話を背中で聞く三角座りの男性陣は、遠い目でふよふよと浮く水球を数えながら、

「………あれってガセじゃなかったのか? 」

「さあ………ていうか、あの二人の血が体内に流れてるってすっごい微妙なんだけど………」

「……なんかすいません………」

今は亡きカイこと、ニルアナ=フィロの真実を、馬鹿正直に追い続けてきた自分の半生を走馬灯のように振り返っていた。







「――――さて、客人たちの支度も整ったかの」

再び腰に手をあてたリースがぐるりと首を巡らす。

背中を向けて整列する男性陣と、胸を押さえながら百面相している女性陣。双方色々と思うところがあるのだろう、と女神は勝手に見切りをつける。

「では、しばしそこで待っておれ」

リースはがさがさと花に分け入り、サークル状に突き出た石柱の丁度中心部にあたる位置で立ち止まった。星空のように青く瞬く天井に向かい、白い喉が大きく反らされる。


「よく見ていてください」

いつの間にかすぐ足元に来ていた白蟲が囁いた。ふわりと期待するように僅かに震える触角を広げて、ルルーを前へ促す。

「普段はあんなんですが、永劫にも等しい旅を歌と共に生きてきた方です。――――私たちの母は歌う瞬間こそ、誰よりも美しい」



静寂が、光の粒に破られた。


ぱらぱらと雨粒のように零れ、連なる銀の雫の音。

脳が遅れた情報処理の末、ようやく理解する。

――――歌っているのだ。

神代の女神が今、真っ白な花に囲われ歌っている。

千年の哀しみも、歓びも超えて彼女は歌う。

そうすることしか出来ない。

奏することでしか、生きている意味がないから。


きらきらと降り注ぐ音の光。

声もなくルルーたちはその光景に立ち尽くしていた。

本当に美しいものというのは、どうやら言葉すら奪うらしい。跪かなければならないような気がするのに、僅かな身動ぎですら躊躇われる。

やがて、リースは天に向かい迎え入れるように両腕を広げた。




次の瞬間。

ドッ、と轟音と共に中央に光の柱が――――否、煌めく水柱がルルーたち諸とも、天地を繋いだ。








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