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女神の血族

伏線につけた細かい設定が今更ながらめんどく感じてきた今日この頃。

「ていうかアレどこまで書いたっけ」が多すぎて執筆が確認作業に終わることもしばしば。自分のハードがしょぼすぎて泣けてきます。






「いやあ、何かすまんな? 」


焼け爛れた地獄の使者がごとき顔に、「やっちまったぜ」とちょっぴり照れたような色を浮かべて頭を掻く男。……なんというか、無性にイラッとくる。

スエンニより厄介事と共にレオニーがやって来たのは、丁度人が帰り支度とともに足急く街を過ぎてゆく、夕食の時間だった。




「ホレお前、シグの追い出しかける前に蟲師に収集かけただろ? 初めはスエンニに引き留めときゃいいかと思ったんだが、どうも話を聞いてみると嬢ちゃんに関わる事だし、運ぶモノもモノだからな。ややこしい時期だし念のため俺が船を出したんだ」

白いテーブルクロスが埋まるほど並べられた料理をレオニーと、これまた厳めしい巨漢の側仕えたちはまるで手品のように次々と胃袋に納めていく。獣のように齧り付いた鶏肉を食い千切ると、レオニーは半ば呆れたようにその健啖ぶりを眺めるアシュの前で、赤々とした辛味種のソースをぐいと片手で拭った。


レオニー曰く、船は昼前には着いたのだがダヴィドに知らせを出そうとしたところで、いつの間にか蟲と少年の姿がないことが発覚。慌てて連絡を取ろうとこちらに来てみれば、まさにその張本人たちがふん縛られ、「さぁて、まず四肢のどれが良いかな? 選ばせてやろう」と笑いながらしゃがみこむダヴィドにひたひたと頬を叩かれていた、という場面だった。



「ううぅ……ぐすっ、………なんのサバトが始まるのかと思いました。み、ミーナの触角まで抜かれたし………」

ぐずぐずと鼻をすすりコーンブレッドをかじる蟲師の少年――――リコは痛ましげに己れの相棒を撫でる。ミーナと呼ばれた蟲はその手を慰めるように擦り寄った。

「大丈夫ですよ。確かに驚きはしましたが、この程度であれば自己再生範囲内です。また生えてきますから」

レオニーが「へぇ」と面白そうにフォークで虹色の触角をつついた。「これ、もげるのか」

「ももも、もぐものじゃありませんよ!! 」飛び上がってミーナを庇うように抱え込むリコ。

感想を求めて視線を上げたレオニーに、アシュは苦笑しつつひらひらと手を振った。

「もぎったのは俺じゃないよ。そこで涼しい顔で激辛スープすすってる奴」

「何を言う、アシュ。指示したのはお前だろうが。……………あー、リコだったか? 君も男ならいつまでもめそめそするな。誤解したのは謝るが、また生えてくるのだろう?」

「生えるとか生えないとかの問題じゃありません! 女の子の触角を抜くなんて、いくらなんでも酷過ぎますっ!! 」

(というかメスだったのかコイツ……)

ふとダヴィドと目が合う。奴も同じ感想を抱いていたのか妙な顔で頷かれた。

「ははっ! 蟲も坊主も、これに懲りたらもう軽率な行動はしないこった」

陽気に笑う悪鬼面のレオニーにバシバシと背中を叩かれ、少年がむせる。微笑ましい馴れ合いを醒めた目で眺めながら、アシュはクロスの上にスプーンを放り出すと、行儀悪く机に頬杖を突いた。



「――――それで話を戻すけど、リコ君にミーナ嬢。誤解を生んでまでそんなに必死こいて、君たちは何をしに来たんだい? あの子……フクロウの娘への用ってのは分かるけど」

テーブルを囲むのはアシュにダヴィド、カイル。その向かいにレオニーとその側仕え二人、そしてミーナとリコが並ぶ。

人払いをさせたためこの部屋に揃う顔ぶれは皆、ある程度思惑を抱えながらも事情を把握している。本題を切り出すと途端真剣な顔付きが変わった。


「ええ、仰る通り私たちは姫を導くために永い永い旅を続けてきたのです」

アシュの問いに蟲はふわりと虹色の触角を扇のように広げ、肯定した。

「そう、“姫”ね。………じゃあ、まず前提として一つだけ。彼女は“ルルー”。たまたま(・・・・)フクロウになってしまっただけの、“ルルー”だ」

勘の良いレオニーが、おやっとケロイドで削げ落ちた眉を跳ねさせた。次いでダヴィドが複雑な色を浮かべて眉間にシワを寄せる。両者の根底の問いかけは同じだ。彼女をフクロウとして見ていたのは他でもないアシュ自身。

だがここはあえて“ルルー”でなく“フクロウ”を選んだ自分が訊くのが、筋というものだろう。

仮面を纏うように、アシュは来訪者に努めて優しげな笑顔を浮かべた。

「導くために、か。うんうん大いに結構。でも君たちがあの子に何をもたらしてくれるつもりなのか、まずは是非この場で聞かせてもらいたいねえ保護者としては。彼女を塔から奪ったのは君らじゃなく俺だし、逃亡に協力したのもレオニー、今後の面倒を見るのはダヴィドだ。ね? どうだろう。少なくとも聞く権利くらいはあると思うんだけど? 」


毒は粗方抜けたものの消耗の激しいルルーは、テナに付き添われて今は別室に眠っている。

スエンニで自分の招集にわざわざ応じて訪ねてきたと思うほど、アシュはお人好しではない。「何故」を考えることは現状への一番手近な警戒となる、というのがこれまで闇も光も渡ってきたアシュの経験則だ。

スエンニで待つならば下にも置かぬもてなしを受けるだろうに、それを押してこんな辺境くんだりまで追ってきた理由。


(恐らくフクロウの存在(・・)を不可欠とする緊急性の高い、あるいは何らかの時間制限がある案件………)


蟲師というそもそもその生活体形自体が謎多き一族の前で、こちらの手札はあまりに少ない。ならば、ここはタイムリミットを(そそのか)しつつこちらに有利になるよう交渉するのが定石だ。だが―――――


(………姫、ね)

くっと喉の奥で笑いを漏らすとアシュは牙を剥くように口角を上げた。


「俺の母はね、ダレンシスの人間だ。そしてギスタフの父に嫁し俺を生んだ。だからフクロウの『発現率』について、資料も、それを少しは知るだけの環境もあった。先の媚薬騒動でもご存じの通り、コダエの秘された“外史”も見てきた。君たちに『教え』を受けた男の娘と息子もここにはいる」

カイルの肩がピクリと跳ねた。義父が死をもってまで口を噤まねばならなかった「秘密」に触れんとしていることへの恐れか。幸いテナは席を外しているものの、極限まで張り詰めた緊張に倒れないかと些か心配になる。


思えば妙なメンツだった。傍から見れば何事かと眉をひそめていたかもしれない。

いい年した男どもが鼻づら突き合せて話す内容は、よりにもよってこんなお伽噺の代物。

だが今、この場は後世の歴史を転換するほどの分岐だ。この蟲と少年の話にはそれだけの価値がある。馬鹿馬鹿しい話だが知れば知るだけ、ある一定の線を超えるとお伽噺の空白に、すべてが集約されていく。


血が、燃え上がりながら脳髄を隅々まで興奮で満たしてゆくのが分かる。

どうせ紙一重のところにぶら下がっている。――――ならばとことん、天下御免の馬鹿になるまでだ。


「君たちはその『姫』という言い方から察するに、『発現条件』も知っているみたいだね。………いや、発現条件だけじゃない。『空白の真実』に追いやられた存在を、ニルアナと“母”を知っている」

阿呆にでもなりきらねば唇寒くなるような仮定を、アシュは賭ける。

そう、これはお伽噺でもなんでもない。史実に散りばめられた確かな真実として、



「月の女神リースは、実存した」






◇◇◇◇






“月の天へ還る夜来たり

ニルアナ=フィロの竪琴は奏でられる

ああ、恋人たちの夜よ

刹那の若人たる父よ

星をしるべに、かの(ひと)のもとへ漕ぎ出でん

常夜の海を、分けゆく船出に幸いあれ

蟲の言祝ぎに天涯の月も輝かん………



………船人の銀の翼は奪われつ

悲しきかな!

沈黙の空に残せしかの(ひと)に、我が言葉もはや届かず

天涯の四十日、地上の九つの月

蟲の歌わぬ朔、石の部屋にて弔歌を聞く

長き黄昏のとききたる

虚空に悠久の時を止めし母よ

どうか待つことなかれ

地に放たれし子らよ

願わくはこの歌が汝らの鎖を解き放たんことを………”








「ずっと子どもの頃から不思議だったことがある。何故、歌の占有なんて無茶苦茶が成された、いや、成すことが(・・・・・)出来たのか(・・・・・)。何故、千二百年の長きを貴族の間でのみ(・・・・・・・・)完全に近い形で保有され続けてきたのか」

古語とは奇妙な言語で、本気で読み解こうとすればある程度の先天的可聴音域を要求する。聴こえる者と聴こえない者は生まれ落ちたその瞬間から決まるのだ。

歴代のフクロウ発現データ。

閉鎖された里。

“兄弟”と名乗る蟲師。

そして、望みの地へ導くという秘宝“天涯の月”。

――――それらは皆、「聴こえる」割合が非常に高く、同時にその祖はある単一の血統に帰結している。


「神話では“フクロウ”は女神の髪より生ずる。当時、長い髪は女性の象徴だ。そこから生まれた“フクロウ”とは、女神の血を継ぐ子どものことなんじゃないか? 」

花の交配や猫の毛色と同じ原理だ。

「聴こえる」というある特徴を遺伝的ものと捉えると、全てが納得いく。

フクロウの裔と言われる四大公爵家と何百年もかけて分かたれたその血を継ぐパンゲア貴族。彼らは総じて「聴こえる」割合が高い。また蟲の絶えた里、コダエは操るべき対象こそいないもののその閉鎖的環境に血が薄まることが無かったためか、殆どの者が「聴こえる」。

そして、彼らと同じ“母”を掲げるという蟲師。


「君たちの言う“母”は、女神リースその人。 “天涯の月”も、詰まるところ彼女の血に受け継がれた、そしてある条件を満たすことで発現する特徴の一つに過ぎないんじゃないか? 」




「………驚きました」

目を見開いていた少年は居住まいを正すと、すっと胸に拳をあてて頭を垂れた。

「まさか独力でここまで当たりを着けてくるとは。正直、想定外です。………改めて、敬意を賞します、アシュ殿。ギスタフとダレンシスの血を受く者。生い立ちを差し置いても貴方はとても聡い方のようだ」

だが青年は鼻で笑うと皮肉げに薄い唇を吊り上げた。

「敬意なんか要らないよ。そんなものが役に立つような生い立ちじゃなかったもんでね。それにこんな馬鹿げた話、思い付いたこちらですら信じられなかったんだ。正直、賭けだったしね」

実際、ダヴィドを初め、テーブルを囲んだ人間はその殆どが各々夕餉を手にしたままぽかんと口を開けている。それくらい、馬鹿馬鹿しい大法螺のような話をアシュはしてみせたのだ。


「俺は正義も悪も知ったことじゃない。この国が滅びるなら、それでも良い。ただ真実が知りたい。母とあの子を奪われなければならなかった理由を。そして君たちは、それを知っている」

「ええ」

まるで『オルテ』に登場する白の精霊のごとく、ミーナはその涼やかな声で歌うように答えた。

「私たちは、“(グラン・マム)”の血と叡智より生まれ、かの方の望みにより“花の匂いのする都エローラ・サン・メルテ”から永い旅をしてきました。………全ては、忌々しいアリウスめに失われた、我々の記憶を姫へ返すために」

「す、少し待ってくれ」

口を噤んでいたダヴィドが慌ててスプーンで割って入ると二人を制止した。


「君たちの旅の理由も千二百年前の真実とやらも、正直アシュと違い、私にはどうでもいい。私が訊ねたいのはルルーの事だ。そこにあの子の意思はあるのか? その記憶とやらは彼女でなければならないものなのか? 」

ダヴィドの行動原理は至って簡単だ。ルルーが幸せであること。その一点に尽きる。

リコとミーナ一瞬、互いの顔を見合わせた。

「ですが、銀の髪のかの方と姫でなければ、船は止められません」

「船………? 」

首を傾げた一同に、彼女は組み込まれた歯車の一つのように、粛々と告げた。

「コダエの外史を知るあなた方ならご存知でしょう? 」

ミーナはそう言って美しい乙女の声で外史を紡ぎ始めた。


鈴を転がすような、高く澄んだ歌声。

朗々とときに高く、ときに低く。

今更ながら、その声があの光る石から聞こえてきたものと全く同じ(・・・・)であることにアシュは気づいた。


「私たちは母の心と姫を、船とともに彼奴らに奪われました。あれは危険すぎる。人の手に収めるべきものではない。せめて船を取り戻すことが、私たちの唯一の望みなのです」

「ルルーが蟲船を動かすのか? それは些か……」

渋る過保護な保護者に、しかし彼女は首を振った。

「いえ、蟲船ではありません。私が言っている船とは貴殿方もよく知っておられる浮遊の島――――アークのことですよ」

「――――ッ!!? 」

息を飲んだ周囲に、ミーナはゆらゆらと鱗を淡く輝かせる。


「例えばサルに時計を見せたとして、サルは何を感じるでしょう。音がするもの、針が動くものと、認識するかもしれない。けれど『時計』として意味を持つには『時間』という概念を理解しなければなりません。

かつて、私たちには想像もつかないほど遥かに発達した文明を携え、母はこの地に降り立ちました。神話ではラーナという名の姉神が大地を焼いたとされていますが、実際にパンゲアを焼いたのはアリウス王により暴走した船です。船はかの方とその姫にのみ操ることが出来る、非常に危険なもの。ですがかの方は都を離れることはできません。姫にかかる負担も無理も承知の上です。ですが、これはフクロウに選ばれたルルー殿の宿命として、必ずや成していただかねばならない」

「なッ――――!? 」

真っ赤になって言葉を失うダヴィドを前に、有無を言わさぬ凛然たる口調で、ミーナは断言した。


「先程、アシュ殿の仰った血統の話は確かに正解です。ですが全てではない。何故、を語るには都に抱えられた莫大な叡智に基づかなければ、貴殿方には理解すらできない。………丁度、サルと時間の関係と同じように。……そして姫にはそれをお返しするのが、私たちの宿命。親から子へ、子から孫へ。連綿とそれだけのために命を継ぎ、他の生き方のすべてを否定しそうやって伝えてきた。姫だけじゃない。この子――――リコにだって選択の自由などなかった」

もう、終わらせたいのです。この不毛な旅を。

蟲とは思えぬほど哀切を帯びたミーナの言葉に、ダヴィドは押し黙った。


部屋に沈黙が落ちる。

千二百年分の、濃く昏い沈黙だった。

圧倒的なものの前に、無力な言葉は口をつくことすら出来ない。

「……………君たちは………いや、女神リースとは、一体何者なんだ? 」

ややあって、鋭い目つきでアシュは問うた。だが、リコは困ったように首を振った。


「『異界の徒』と母は自らを称しておりました。ですが、ここでお話ししても貴殿方は理解されないし、僕にも教えきることは出来ないでしょう。見ていただくのが一番早い。言葉で伝えきれる物語ではないんです。……ですからどうぞ、姫にお取り次ぎを。空白の真実も、ルーツも、“天涯の月”についても、“花の匂いのする都エローラ・サン・メルテ”の母のもとにて全てお答えします。そしてどうか、母の愛したこの国のために、船を止めていただきたい。――――もう、かの方が待つことがないように」







◇◇◇◇






「馬鹿げている!! 」

激しい音と共に床へ叩きつけられたグラスに、レオニーが肩を竦めた。

「まぁ少し落ち着こうぜ、ダヴィド」

「これが落ち着いていられるか!! 」

夕餉を終え、先刻の話について相談すべくダヴィド、レオニー、アシュの大人三人組は一旦ダヴィドの私室に引っ込んでいた。ダヴィドはイライラと部屋を歩き回る。

「船を止めるだと? そんなことすればアークと全面戦争になる。矢面はまたあの子だ。ルルーはたまたま(・・・・)フクロウになっただけで、何の責任もないのだぞ。……ああ、こんなことならやはりあのとき全部もぎっておくべきだった! 」

「へーい、どうどう。だから落ち着けって」


レオニーはため息をつくと、短く刈り上げた髪をばりばりと掻いた。

正直、自分とてかなり困惑している。それだけの話を、あの夕餉の僅かな時間にぶち込まれたのだ。ダヴィドが暴れて発散したくなる気持ちも分からんではない。

(……にしてもなぁ)

正直自分なんぞには手に負える問題でも、ましてや脳筋のきらいのある自分に理解出来るような事態でもない。

やはり護送などロキの奴にでもうっちゃってくるべきだったか。

今更ながらレオニーは後悔し始めていた。

何があったか知らないが、ダヴィドはいつの間にか男の格好に戻ってやたらとルルーを庇うようになってるし、恐らくアシュが何か持ちかけたのだろうが………その本人は先程から窓辺でぼんやりと外を眺めたまますっかり上の空だ。


そのとき、ふと、何を思い出したのかアシュはおもむろにこちらへ顔を向けた。

「………そういえばレオニー、お前、確か港にいた時点では彼らにこの場所を教えてないはずだよな。どうして彼らはここまで迷うことなく辿り着けたんだ? 」

「んあ? ……ああ、そういわれれば確かに妙だな」

一拍遅れた返事を返すと、途端ふつふつと違和感が浮かんできた。

あの後すぐ部下たちにも確認したが、そもそも執政からすでに殆ど身を引いたダヴィドの家などわざわざ記憶に留めていないし、迂闊に話すようなヘマはしていない。第一、岩壁に白蟻のように似たような戸口がいくつも並ぶアムーラ・アジャンタの街では住所など覚えていても階層や通りを理解していなければ到底辿り着けない。

それに、レオニーたちとてそうチンタラしていた訳ではない。即座に連絡体制を整え、捜索班を組んでいる。それが間に合わないうちに彼らは辿り着いた。たとえ少年がこの街の出としてもこの短時間で、しかも戸口よりさらに判別がつかない窓から、正確にルルーのいる部屋を探し当てたのだ。妙と言えばたしかに妙だった。


「――――いや待て、そういえばあいつスエンニでも妙なことを言ってたな。確か、蟲隠しの里からずっと匂いを追って来たとかなんとか………」

「コダエの? ………ああ、それでか」

「何か心当たりでもあんのか? 」

アシュは無言でキラリと光るものを投げて寄越した。片手で受け止める。空のガラス瓶だった。

「なんだコレ? 」

「コダエの媚薬。多分、本来の使い方はこっちだったんだろうね」


アシュ曰く、獣や虫の中にはある特殊な匂いにより興奮したり、集まったりする特性を持つものがいるらしい。

「砂の街アムーラ・アジャンタを訪ね、花の匂いを訪ね、最後には精霊も訪ね、か。偶然のわりに出来すぎていて笑えないな」

「ルルー姫はどうするつもりなんだ? まさか坊主どもについてくのか」

「さて、どうだろう。でも俺はあの子はついてくんじゃないかと思うよ」

「船を沈めに? 」

「ふざけるな! それは貴様の願望だろうが。ルルーは行かん。そんなものに、私は絶対に巻き込ませんぞ!! 」

ちょっと茶化してみただけなのに今日のダヴィドは余裕がない。ふー、ふー、と鼻息荒い青年の激昂に首を竦めて遣り過ごしていると、アシュはゆるゆると首を振った。


「いや。たとえ今じゃなくとも、真実を知るためにあの子はいずれ自分で歩き出すよ」

「なんだ、えらく買ってんじゃねえか」

「事実だから」

くすりとアシュが笑みをこぼす。

「知識欲は人にのみ許された欲。ましてや人一倍それが強いルルーのことだ。こんな状況でじっとしているような柄じゃないし、それにたとえ君が禁じたとしても――――………あの子はいささか賢すぎるからね」

賢い女は総じて知りたがり屋だ。そういえば、あの娘は以前アシュの屋敷から抜け出したと聞いたことがある。見かけによらず行動的なタチらしいし、そうなれば留めることは逆に彼女を煽る結果になるかもしれない。


いずれにせよ、すべてはあの子が決めることだ。

そう言ってまた窓の外を眺めるアシュに、ダヴィドは不満げながらもぐっと拳を下ろした。

レオニーはそんな二人を眺めながらごりごりと顎を撫でた。


(………アシュの奴も、変わったな……)

いくらか危ういところはあったがこんな、今にも消えてしまいそうな儚げな横顔をするような男ではなかった。

しかしだからといってシグのように成り代わりたい、とは思えない。内攻する病のように端へ向かうエネルギーが静かすぎて、逆に恐ろしいのだ。何を考えているのかが全く見えてこない。


(取り敢えず、いざとなりゃトンズラこく支度だけはしとくか)


今、早瀬に乗った船のように、気味が悪いほどアシュの望むように物事が転んでいる。

一つ一つを舌舐めずりしながら吟味でもしているのか。パンゲアで最も恐るべき(ヤバい)凶器とも言える頭脳が、フル回転して一点に集中しているのかと思うと、ゾクゾクする。肌が粟立って止まらない。

この天を衝かんばかりの復讐の炎を、凍りつく悪魔の瞳のような、青い炎を。

もう誰も止めることはできない。


(あーくそ、俺も損な性分だよなァ……でもこれだからコイツの隣は止めらんねエ)

お姫さんも難儀なこった、と一応同情だけしておく。

宿命だか運命だか知らんがルルーが行くというなら、ダヴィドもアシュも行くだろう。


前言撤回。やはりロキなんぞに投げなくて良かった。

乗りがかった船というには些か洒落も危険度もキツ過ぎるが、面白い。見逃せば多分、一生後悔する。

集約する女神の血族たちがもたらすものは、いったいどんな結末だろう。

レオニーは白い花に包まれるというまだ見ぬ伝説の地へ思いを馳せる。そこにはこの世の憂いをすべて返上して余りある欣快が詰まっている気がした。

美しく哀しいその名を、レオニーは口ずさむように呟く。



花の匂いのする都エローラ・サン・メルテか」

瞬間、頬がぴりりと引き攣れ、自分が笑っていることに気づいた。









次回はいよいよ「花の匂いのする都」へ。



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