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ギフト

お久しぶりです。

一つ前に愉快なメイドとフェムトさんの小話、挿入しました。よろしければそちらもご覧ください。


久々のルルー視点。






「はい、皆ちゅうもーく! 」


船の旅は、存外長い。

先日のカードゲームとて、その殆どが元を正せば占い、そして船乗りたちの暇潰しから生み出されたと言われる。海路の日和が良好であるだけ、狭い船内での退屈が鼻につくのだろう。

ぱんぱん、とアシュが手を叩く。いい加減船室で暇をもて余していたカイルたちの視線はものの数秒で集まった。

ルルーも字の練習用に読んでいた絵本から顔を上げた。


「えー、ロキ船長によるとここまで来りゃあとは波と風と蟲のヘソが余程ひねくれない限り、この船は今日中にもアムーラ・アジャンダの街に到着する予定です。各自荷物の置き忘れのないよう、十分に注意して下船の準備をお願いしまーす」


ルルーはほっと息を吐いた。

やっとか、とカイルやテナは安堵したように顔を見合わせている。

特にミリーの手料理で舌が肥えているテナなど、船旅二日目にしてジャガイモばかりの食事に盛大にブッちぎれて以降、その母親直伝の腕前を遺憾なく発揮し、台所と船乗りたちの胃袋に新風を吹き込んできたほどだ。

「ジャガイモの革命だ! 」「テナさんは海の女神の御遣いであらしゃいますか!? 」等々。暑苦しく叫ぶ筋肉だるまを押し止めるのにすっかり辟易しているカイルの傍ら、幼馴染みの内心の葛藤など歯牙にもかけぬ彼女はすでにレシピのいくつかを叩き込んできたらしい。退屈潰しのゲームこそ出来ないが、テナなりに充実した日々を送っている。

一方のルルーはといえば、今までの旅路と同じくアシュに教えられながら文字の勉強を続けていた。ただ、アシュもアシュで忙しいらしく、ここ最近ではもっぱらテナやカイルが教師になりつつあった。

(別に避けてるわけじゃないんだけど………)

ふとした瞬間、こんなだったっけ、と思ってしまう。このところアシュとはどうにも距離感が掴めなくなってしまっていた。


ルルーは船旅自体はそこまで嫌いではない。

確かに動き回れない時間は長いが、くろがねの巨大な錨も幾千万の波を越えてきた船乗りたちの武勇伝も、太陽や月、星の光を砕き散らして輝く海も、すべてが眩しく鮮烈だ。

それでも思わず安堵の息を吐いてしまったのは、ようやくロキと別れられるからだった。なにもロキひどい事をされたという訳ではない。むしろルルーが退屈しないようにミミクリと共に遊びに来たり、慣れない船上生活を兄のように何かと気にかけてくれている。

しかし彼と顔を合わせる度に、どうにもアシュとバロットの会瀬を盗み見たあの夜のことを思い出してしまうのだ。

アシュにはルルーに話していない秘密が多いことははじめから知っていた。

そして元々知りたいと願ったのはルルーの方だ。

アシュの言い付けを破ってまで自分の意思に従い、望んでいたのとは違った結果に勝手にショックを受けて気まずく感じているだけ。

フェムトに話してあるので彼の主であるアシュももちろん知っているのだろうか、彼は弁解すらしないでいつも通りルルーを甘やかしてくれる。



(やっぱり、アシュの中であの夜の出来事は見られても構わないものなのかな……)

そう思うとあの昏い、どろどろした焦燥にまた火が点いて、堪らなく胸が苦しくなる。

そんな感情に支配される自分が嫌だった。絡め捕られて囚われて、戻れなくなりそうな気がする。


(……なんだかもう、どうしたいのか分かんなくなってきちゃった)

もどかしいのか、寂しいのか。情報ばかりが溢れて、自分の心が迷子になってしまったようだ。

ルルーはため息を一つ吐くと、パタリと手の中の本を閉じた。




◇◇◇◇




「あれ、早いねー。片付けばもう終わったのかい? 」

荷物の整理を終えて甲板に上がると、アシュは黒髪を潮風にたなびかせながら振り返った。

元々、ルルーの荷物はそう多くない。アシュはやたらと色々買い揃えたがったが、元来物欲が薄いのか特に必要とも感じられないのだ。着替えと日用品を詰めた鞄一つで、事足りてしまう。


「天気は、持ちそう? 」

「今のところはね。気圧も高いし、まぁ大丈夫でしょ」

「そっかあ。………えと、あ、アシュ、あのね、えと、アムーラ・アジャンダってどんな街なの? 南の街だって言ってたから、やっぱり暖かいの、かな……? 」

尻すぼみになるにつれ波音に紛れてゆくルルーの問いを、青年はやはりいつも通り穏やかに耳を傾けて待ってくれた。


「んー? まぁ確かに暖かいと言えば暖かいね。アムーラ・アジャンダは今まで見てきた街とはまったく違ってね、太陽の力がとても強いんだ。とても暑くて乾燥してて、陸地はその殆どが“砂漠”っていう砂の海で覆われてる」

砂漠、はルルーも以前アシュから聞いたことがあった。

太陽に近い島では直射日光と夜の寒さを防ぐため、人々は岩壁を削り蜂の巣のような家を作る。そうした村や街には地下深くから水を汲み出すため、巨大な風車がいくつも回っているのだとか。

「アムーラ・アジャンダは中でも『大風車』を四つも抱えた街でね。やっぱり一番有名なのは香かな。香料になる香草や香木がよく育つからか、昔から扱う店も多い。それこそ神話の時代に遡るほど古い店も有るくらいなんだよ」

「神話の? それは……すごいね」

ルルーは感嘆に目を見開いた。

神話の時代ともなれば千年以上は堅い。ルルーが塔で暮らしたのが十五年、実感できる年数もせいぜいそのくらいである。

気の遠くなるほど長い時を伝えるものが確かに存在して、そんなものにこれから会いに行くという感覚は何だかひどく不思議な気がした。

「あ、そんなに古い街なら“空白の歴史”についても、何か分かるかもしれないね」

「まぁ、叩いてすぐ何か出るわけじゃないだろうけど、一応コダエでの例もある。もしかしたら“フクロウ”を切っ掛けにするものもあるかもしれないから、期待してるよ? 」

「……が、頑張る………」

「あはは。そんな肩肘張らなくてもいいさ。俺だってあんな心臓に悪い体験、そう何度も経験したいもんじゃないし。アムーラ・アジャンダは少し調べたいこともあるからってだけだよ」

「調べたいもの? 」


午後の強い陽射しが容赦なく真上から照りつけている。鋼の盆のように海はぎらぎらと陽光を反射している。すぐ傍らで見上げた青年の顔は暗く陰っていて、彼がどんな表情をしているのかは分からなかった。

「………以前、“虚空の泉”の話はしたよね」

頷くルルーからふっと顔を逸らし、アシュは船縁に立った。


“虚空の泉”


恋人を失い、深い悲しみに暮れた女神リースの眠るお伽噺の代物。ずっと追い求めているのだと以前、アシュが言っていたものだ。

「アークにある“フィロの正史”によれば“虚空の泉”は常に白い花弁を持つ花々に囲まれ、蟲に護られた場所なんだと。そこはいつでも、芳しい花の香りに満ちているらしい」

青年は遠く水平を眺めながら風に暴れる髪を掻き上げる。

甲板の海風は思ったよりも強い。知らない男の人になってしまったようなその横顔に、ルルーも慌ててフードの裾を軽く指で押さえた。

「アムーラ・アジャンダにはちょっと面白い昔話があってね。―――素晴らしい竪琴の腕とヒバリの声を持つ若者がある日、精霊の導きで美しい“エローラ・サン・メルテ”を訪れ、戻ってきたって話」

「“花の(エローラ)……、(メリエ)”? 」

「惜しい。(メリエ)じゃなくて(メルテ)。語源は同じなんだろうけど、音が違うだろう? “花の匂いのする都エローラ・サン・メルテ”。とても古い言葉だ。アムーラ・アジャンダでは理想郷とか再生の地とか、あるいは死者の世界のことを意味するらしい」

「若者は亡くなった愛妻を忘れられなくテ、ついには死者の世界にまで取り戻しにいくんだヨ」

「ふぅん……………って、ロキ!? いつの間に?」


突然背後からひょっこり顔を出してきた青年に、ルルーは思わず飛び退く。が、そんなルルーに気分を害した様子もなくロキはけらけらと笑って飛び付いてきた。

「ぐ、……お、重……」

「ヘヘ、何か楽しそうな声がしたから来ちゃっタ。それ、『哀しみのオルテ』だロ? 」

「ああ。よく知ってたね? お前がこの手の話に興味があるとは思わなかった」

「ちょっ、……退いてってば…つ、潰れる……ッ! 」

「ウーン、確かにマイナーだけど恋歌としては昔からそこそこ人気あるヨ? マァ俺、昔あの辺に暮らしてたカラってのもあるケド。それに………」

意外そうに眉を上げたアシュに、ロキはちらりと意味ありげな流し目を寄越す。

「女ってこういう話、好きだろウ? 『オルテ』なんテ人気どころだし、窓辺で幾度も歌ったもんネ。こう言っちゃなんだケド、恋歌のレパートリーならアシュよりよっぽど豊富ヨ? 」

「…………ルルーには通じてないみたいだけどね」

「むぐ〜〜! はーなーしーてー!! 」


細身とはいえ実はわりと筋肉質な男がガッチリと両腕で固定し、つむじの辺りに顎を乗っけて全力でのし掛かってくるのだ。これだけ体格差があるのに、重くない訳がない。

というか背骨がそろそろ危ない音を立てそうだ。

もたもたと暴れる少女とそれに嬉々として纏いつく青年。長閑な攻防に、アシュは大きな溜め息を一つ吐くと、やんわりロキの拘束を解いてルルーを引き寄せた。

ようやくの解放にすぐさまアシュの後ろに逃げ込むと、ロキは不満そうに唇を尖らせた。

「えー、いくらなんでモ逃げることないじゃないカー。アシュも、ルルーの独り占めハンターイ」

「やりすぎだよ馬鹿。お前に任せとくとルルーが潰れる」

「過保護なこっタ。いくら小枝のようなルルーでモちょっと抱き締めたくらいで折れたりしないヨ」

「折れてからじゃ寝覚めが悪いじゃないか」

「アレ、俺が折るコト前提? 君の中でどんだけ手加減できない奴にされてるノ、俺」

「日頃の行いだろう」

「あー、ハイハイ。俺が悪かったヨ。ゴメンね、ルルー」


にべもない返答に肩を竦めるとロキは、うー、と友人の背中越しに小動物のように威嚇してくる少女の頭を軽く叩いて宥めた。


「そういえば、ルルーは『オルテ』の話ヲ知らなかったんだっケ? 」

「う、うん」

やや警戒しながら頷くと、ロキはウーン、と腕を組んだ。

「まァ、世間知らずの箱入りフクロウじゃあんなマニアックな恋歌なんか知らないのも無理ないカ。――――オルテってのは若い詩人の名でネ、竪琴の名手なんだ。彼には美しい妻がいたんだけど、ある日毒蛇に噛まれて命を落としてしまう」

嘆き悲しんだ詩人は、とうとう妻を追って地下深く、純白の花が季節もなく咲き乱れる“花の匂いのする都エローラ・サン・メルテ”にまで訪れてしまう。

哀しみに沈むオルテは亡き妻を乞い、竪琴を掻き鳴らした。そのあまりに切なく、美しい調べに冥界の主もとうとう折れ、ある条件付きで彼の妻を返すことを約束する。


「条件って? 」

「地上に戻るまで、決して振り返ってはならないこと」

首を傾げたルルーに、金の目の青年は満足げに唇を吊り上げて答えた。

「地上に近づくにつれ、オルテは疑念に駆られル。主は果たして約束を守ってくれたのだろウか、本当に後ろを付いて歩く影は自分の妻なのだろウか……とネ」


―――暗い、死の気配を湛えた洞窟。

その孤独の闇の深さに、本来信ずべき光を失ったどころか何を信じていいかも分からなくなった青年の姿が、ふいにまぶたに浮かんだ。

突きつけられるのは一足ごとに膝の浮くような不安と、破滅を知ってなお抗い難い好奇。

「結局、オルテは誘惑に負け振り返ってしまウのさ。約束は破られ、妻は冥界へ逆戻り。彼は一人地上に戻り、“花の匂いのする都エローラ・サン・メルテ”への道は永遠に閉ざされタ。失意のオルテは井戸に身を投げ、今度こそ死によって永遠に妻と結ばれル」


―――ああ、やっぱり。

もし振り返らなければ、という思いと並列してそんな諦観がみるみるやるせなさを覆っていくのを、ルルーは感じた。

「………信じるだけだったなら良かったのに」

「まぁそう単純にもなりきれないところが人間なんじゃない? 死の国にまで妻を乞い慕うてくる一途さと、愛を狂信しきることも出来ない弱さが芸術家らしいといえば、彼ほどらしい人間もいないよ」

ルルーよりも遥かに色んなものを見てきたであろうアシュはそう言って苦笑した。

「箱があれば開けたくなるのが人の(さが)。禁を破ればそこにはもう破滅しかないと分かっていても、オルテは振り返る。………だからこそ時を越えて人々に愛され、こうして語られ続けてるのさ」

アシュは白く、ぎらぎらと暴力的なまでに眩い水平の向こうを見つめた。



彼は聡い。

未来すら予測できない愚かしさも、誘惑をはね除けられない弱さも、人の性などすべて知り尽くしているのではないかとすら思う。

だが当のアシュは、自分からは決してルルーに過去や弱さは見せなかった。

飄々と、いつだって悔しいほど大人で。悪戯な笑みと共に大法螺を現実にしてしまう。まるで魔法使いのように。


―――いや、違う。

その横顔を盗み見ながら、ルルーは内心首を振った

何故こんなにもロキを恐れているのか。分かっていたはずだ。

ロキの誘惑のまま、角度を変えてアシュに触れてしまったあの夜。アシュに連れ出された時と同じく、ルルーの世界は今度はロキの手によって再び広がった。

何故忘れてしまっていたのだろう。

彼に感じていた薄ら寒い不安を。完璧な“アシュ”の皮を被ったこの男は、何者なのかという問いを。

彼は過去も弱ささえも晒してはならなかった。

途端に歪み出した“アシュ”の作り物めいた影に、そんなグリフ=ギスタフというもう一人の知らない男の影に、ルルーは怯えたのだ。


ふと視線を感じて顔を上げると、ロキと目が合った。不安を煽る金の瞳は糸月のように細く弧を描き、笑っていた。

――――君だって、同じだろウ?

知りたいと願った結果が今というのなら、ルルーもオルテと同じ。

以前、アシュは知識欲を人にのみ許された業だと言った。変化を求めて、今のままではいられない。




「――――ま、そんなわけで冥界の主くらい舌先三寸で騙くらかせるこの俺でも、ルルーが返事してくれなかったら寂しいよってこと。うん、寂しさのあまり地上に戻ってからお仕置きしちゃうかも! 」

「お、お仕置き!? 」

「うわァ……悲劇の詩人が一気に俗っぽくなったネ……。しかもさらっと歌うでなく騙くらかす一択になってるシ」

シリアスな雰囲気をぶった切り高めのテンションで繰り出された、改訂版『オルテ』に、ルルーはぎょっと目を剥き、ロキは半眼に呆れを滲ませた。

アシュはけらけらと笑いながら悪戯っぽく片目を瞑った。


「だってその方が俺の気分的にいいし。側にいるのが分かっていればもう少し信じられるだろう? 人間なんて単純なもんさ。どうせ自分が信じたいようにしか信じられない。それなら少しでも相互の工夫をするしかないじゃないか」

「それは………」

口を開きかけたルルーは、しかし胸の虚ろにストンと収まったその言葉に、はっと顔を上げた。

アシュの目は、優しく笑っていた。


信じたいように信じる。


もう、ルルーにはアシュが見せた以外の確たる世界が広がっている。

見てしまったものは消しようがない。

孤独と隣り合わせの自由の闇では、アシュですら絶対解ではなくて。確かに自分が世間知らずであることは自覚しているが、彼がいなくても生きていけることを、ルルーはもう知っている。

薬草や毒草の見分け方、商用計算にも繋がる高等計算式、文字の読み書きから方角を知る星の探し方まで。

考えてみれば彼が与えているのは皆、生きるための知識だ。政治的利用ならただ人形のようにあることを求められるフクロウに、与える必要もない知識だ。当たり前の日常の中で、彼は柄にもないさりげなさでルルーにそういうものを与えてきた。


自由だと言われたとき、放り出されたような気がしたが、違う。

許せないことも、疑うこともあるだろう。

けれどその感情は、他の誰でもない、ルルーだけのものだから。

ルルーがいつか信じたいものを自分で選び、信じられるように。アシュは手を離したのだ。



「………アシュ」

「うん? 」

「……その、………ありがとう……」

「さて、なんのことか分からないけど、取り敢えずどういたしまして? 」


余程途方に暮れて見えたのだろうか。見かねてぽん、と答えをくれておきながら、アシュはそ知らぬ顔でくすくすと笑いながら肩を竦めた。

「ぼんきゅっぼーん」だけではなくて。これでは確かに子供と言われても仕方ない。

アシュに並ぶには、まだまだ道は遠いらしい。

かぁっと羞恥に頬が騰がる。この真昼の太陽の下では、俯いたところで耳まで赤く染まった肌も丸分かりだろう。

(ミリーさん、やっぱりゆっくりなんか大人になってられないよ)

もっともっと、この人に届くには走らなきゃいけないから。




「―――まったく、いつまでモそんなんじゃ、そのうち馬鹿を見るのはアシュの方かもネ」

傍目にもそうと分かるほど赤く染まった少女には聞こえないくらい小さく、けれど割れた石片のように鋭角的に。


ひどく冷めた顔をした青年が一人、つまらなそうに呟いた。







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