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運命


なかなか更新できず申し訳ありません(-_-;)

いつもお読みいただきありがとうございます。









女が夜会の化粧を施すように、スエンニの夜は昼と全く異なる二つ目の(かお)を持つ。


緑の柱の門より延々と娼館の列なる花街。艶やかな刺繍の施された衣装で、街角に佇む妓たちは道行くものに意味ありげな視線を送る。

そんな通りを半刻(十五分)程歩いたところに居を構える楼、『紅スズメ』。

あらゆる権力より“法治圏外”を謳うこの店は、しばしば非合法な商人たちや貴族の非公式の密会の場とされる。

そんな『紅スズメ』にはこの日も、昏い灯りが点されていた。



「…………“薬師のアシュ”か」


壁にもたれたジエンの傍らでは、今にも飛び出してゆきそうなロードが唇を固く噛み締めて控えている。

部屋の大きさに対しみすぼらしく一本だけ灯された燭台の火は、ゆらゆらと時折温い夜風に揺めきながら居並ぶ人影を重い暗赤色に浮かび上がらせていた。

「この街の執政官からの情報だ。まず間違いないだろう」

ソファに深く腰掛けたその男はゆったりと足を組み直した。

背中に結われた濃いブラウンの髪に、重たげな一重まぶた。沼を思わせる緑の瞳の三白眼はどこか、酷薄な印象を与える。

アーク筆頭公爵家、ジェレミア=フォビアーニ。

年齢はジエンと同じくらいなのだが、基本的に大雑把すぎるほどさっぱりした気性のジエンとでは、ねばつくようなその気配が男を実年齢よりも五つは年嵩に見せていた。

この楼にジェレミアとジエンがやってきたのは一時(約二時間)程前。

シグという内通者から「夜会」の情報を受けてのことだった。



「話は分かった。だが突入攻撃なんて危険すぎる」

「危険は承知だ。知恵を貸せと言っているわけではない。もうすでに動き出している」

「この街は力を持ちすぎた。パンゲアでは今なおクリミアの禍根は根深い。下手に手を出して情況を掻き乱すより、シグ、と言ったか? その情報提供者とやらを使った方が、この後動きやすいはずだぜ」

「おやおや、クリミアの英雄ともあろう男が随分と悠長だな? 兵は機動と言っていたのは君だろう」

ジエンの諫言に取り付く島もなく首を振ると、ジェレミアは一重まぶたの目をすっと細めた。

「………狐の従える闇は深すぎる。今手を出せばまた内戦になるぞ」

「竜蟲と女神の造りたもうたこの国がそう脆いはずはない。むしろ貴様のことだ、庇っていたのではないか? 」

ちらりと視線を上げたジェレミアが喉の奥で含むような嫌な笑いを漏らすと、ジエンは訝しげに眉をひそめた。

「はぁ? なんで俺がわざわざそんな面倒をしなきゃなんねぇんだ」

「フン、とぼけても無駄だ。例の執政官がすべて明かしているのだ。アシュと呼ばれるその男、この街に来た当初はグリフ=ギスタフを名乗っていたそうだな。ジエン、お前が十三年前放逐した実の息子の名だ」


羽虫を巻き込んだのか、チリッという短い炎の悲鳴が暗い沈黙に響いた。

グリフ=ギスタフ。

ギスタフ家の嫡子として生まれ、公式には死亡扱いされているがアークの一部上級貴族の間でその名は腫れ物、いや、ある種の呪のような不吉さと共に逸らされる。


「パンゲアは歴史上二度、その高度を(・・・)落とした(・・・・)。かつてグリフがフクロウである母親を塔から奪取し、自らの屋敷に保護していたとき。それから“狐”が当代フクロウを奪った、今。――――狐がグリフだとすれば、すべて辻褄が合う」

「…………あれは姉と共に地上へ堕とされた日、死んだ」

「そう、貴様は自らの妻を取り戻し、グリフの目論見を見事に阻止した。―――そして審議会すら待たず独断で地上へ堕とした」

「……………」

漆黒の瞳が、初めて戸惑いに揺れた。

「その奸略神のごとしと謳われた英雄殿のことだ。ここまで説明してやれば、この汚ならしい街まで引き摺り下ろされてきた理由も、分かるだろう? 」

「………成る程、息子である“狐”を俺が手引きしていたと言いたいわけだ。ふん、俺も買い被られたもんだな」


取り合いもせず肩を竦めるジエンに、男は立ち上がるなり剣を抜いた。

刹那。

「――――ッ!!」

銀閃が(ひらめ)き、首の皮一枚を重ねた点でピタリと止まる。首筋に突きつけられた鋼がつ、とジエンの首に赤い筋を引いた。

(速い…………! )

舞うように軽やかながら、軌道すら捉えられない。

ロードの背を冷たい汗が一筋、流れる。

反射的に伸ばした腰のサーベルには、いつの間にか先を制したジェレミアの手が乗せられていた。


“閃光”ジェレミア=フォビアーニ。

この男もまた、ジエンに並びその比類なき剣技をしてクリミアの戦で名を馳せた剣聖だ。

「やめとけロード。ジェレミアは口より遥かに手が早い。気づいたときにはあの世行きなんざ馬鹿らしいだろ」

ひらりと手を振ってロードを制すと、ジエンは真っ直ぐに男を睨み返した。

「ほんで、ジェレミア。確かに話しの筋は通っちゃいるみたいだが、確たる証拠もないこの段階で人様に刃を向けるのかお前は? 」

「ふん、もはや分かりきったことだろうに、往生際が悪いぞ。吐け、ジエン=ギスタフ。貴様の知る“アシュ”のすべてを」

一歩も引かない双方は、鋼の渡し越しに鋭く睨み合う。

楽の音と妓の嬌声が海鳴りのように遠く聞こえる。息をすることもままならない肺は焼けるように熱かった。


じりじりと肌の切れそうな緊迫の中、先に沈黙を破ったのはジエンの方だった。

疲れきったような長い吐息は、ロードには義父の体を一回りも小さくしてしまったように見えた。

「………俺はただの戦屋にしかなれなかったが、グリフは天才だった。本物の、天才だよ」


狂おしいような、けれど何か透明なものを追うようにジエンは視線を虚空に投げた。

「戦争なんて所詮外交の不手際。無為に殺すこと、死ぬことは最悪の選択。十かそこいらのガキが誰に教えられたわけでなく初めから徹底的にそれを知っていた」

軍人とは、畢竟敵を倒し、外交を有利に進める為のものである。誰も強い国にわざわざ攻め込もうとはしない。たとえ戦場で朽ち果てようとも、勝てばその先の平和に繋がるからこそ兵たちは死を恐れずに戦うのだ。

だが彼の理論は目的と手段がまったく逆だ。

大戦の生き残りにはまた別の重さを持って響いたのだろう。剣聖は不快感を隠しもせず眉をひそめた。


「は………聞いていれば、何が天才だ。狐が引き起こすのは混沌だけだ。フクロウを取り戻し、アークを頂とする秩序を取り戻さねばその最悪の選択とやらになるぞ」

「そう、もしグリフならば………俺の仮定のうち最悪のパターンだ。だからせめて出来る限り確かめてから事に及びたかったんだ」

「………老いたな、ジエン」

蔑みと、一抹の憐憫はかつて共に戦場を駆けたからこその哀しみの色が現れていた。

「怯懦と慎重は紙一重だ。俺は行くぞ」

「奴は破壊の最大限の価値を知っている。奴は母を失ったとき同時にこの国を捨て、国を呪った復讐者だ。ましてや今、一番重要なフクロウというカードは奴が持っているんだ。控えた闇の深さも図れない現段階では、慎重に対さねば危険すぎる」

「ふん、その天才もじき捕らえられ、衆目の中今度こそ首を打たれるがな」


今頃、何も知らず夜会を催している狐を捕らえるべく、ジェレミアの私兵たちが屋敷を包囲していることだろう。闇に潜む彼らは主の命令一つで、猟犬に変わる。

「………分かった。なら俺は今このときをもって今後一切、軍部に関与しないことを宣言する」

ジェレミアは旧友の言葉に一瞬目を見開いた。軍部に関与しない、とは事実上の引退宣言だ。狐が本当にグリフだった場合、既に勘当しているとは言えギスタフ家も類を逃れられない。それだけの混乱を引き起こしたのだ。

クリミアの英雄をまさか縄に繋ぐことは出来まいが、軍部という後ろ盾があればまだ温情も得られるはずだ。にも拘らずこのタイミングでの引退はまるで武器を捨てて投降する敗残兵のようだった。

「………ふん、好きにしろ」

ジェレミアは縋り付いてくる何かを振り払うように、踵を打ち鳴らしてかつての戦友に背を向けた。部屋を出るまでのその間、彼はとうとう振り向くことはなかった。





◇◇◇◇




灯りを点さなければスエンニの夜は部屋よりも余程明るい。

真昼の陽光の公正さとも、暖炉の熾の柔らかさとも異なる作り物めいた光の渦は、パンゲアでも有数の名勝とされている。足を踏み入れるのを戸惑わせるようなその妖艶さは、ひたりといつの間にか背後に寄り添う闇のようで、ロードの知る光の本質とはかけ離れていた。


「色々と訊きたそうな顔だな? 」

護衛という名目の見張りと共に部屋を移したジエンは、ちらりと息子を横目に捉えるとまた窓の向こうに視線を戻した。

「お前は考えがすぐに顔に出る。腹芸の一つも身に付けねば狐を出し抜くなど夢のまた夢だぞ」

「…………一つだけ、お答えください」

逡巡ののち、ロードは努めて静かに口を開いた。

「義父上は、初めから私を騙していたのですか? 」



黒髪黒目の男、と聞いたとき確かに違和感は感じていた。

アークの上級貴族の髪や瞳の色は、比較的濃い色のものが多い。だが純粋な黒ともなれば王家か四大公爵家、それに連なる者にしか現れない貴色だ。別に平民にも出現しないわけではないだろうが、圧倒的に確率が違う。

ジエンは初めからアシュなる人物に当たりをつけていたようだし、あの青年もロードのことを知っているようだった。

二人が初めから繋がっていたという方が、納得がいくのだ。

「騙していた、か」

ふっとため息のように微笑をこぼすとジエンはゆっくりと振り向いた。

「ロード、お前はグリフについてどれだけ知っている? 」

「………私がギスタフ家に入る折りに、噂話程度です」


グリフ=ギスタフの名は禁忌ゆえの詳細ささえ求めなければ、自ずと耳に入ってきた。

ギスタフ公爵家の大罪人。

卑怯で姑息な手ばかり使う子供だったと言われているが、彼の名を知らしめたのはその類い稀な頭脳だろう。

ギスタフ公爵夫人、彼の母マリアがフクロウ化した際、彼は塔に収容された母親を奪還し逃亡を企てた。幸い、息子の思惑に気づいたジエンが逃亡先へ手を回すことで事なきを得たが当時、たった七歳の少年にアークの正規兵が出し抜かれたという知らせは、フクロウを失うと島の高度が落ちていくという事実と共にアークを激震させた。

狂気の天才。

ギスタフ家の鬼子。

グリフの名は幼子に不釣り合いな畏怖と共に刻まれている。


「マリアの――――妻のフクロウへの変化は、突然だった。一夜にして白銀に変わった髪を見たとき、俺はただ突然のそんな現実が信じられなかった。情けないことに塔への召喚の勅書が目の前に突きつけられるまで、夢を見ているんだと本気で思ってたんだ」


――――裏切り者!

理不尽と憎しみに燃える目を、ジエンは鮮明に覚えている。

――――みんなみんな、呪われてしまえ! アークと共々必ず地獄に引き摺り落としてやる!!

鮮烈な悪意と呪詛を吐き散らす息子とそれを必死に庇う姉を、ジエンは自ら剣で城壁から突き落とした。


「俺は妻子よりギスタフの名を選んだ。名は紙よりも軽いと、奴は言ったんだろう? 奴は、すべてを壊したいのさ。なら例え殺されようとも、俺だけには助けを求めないだろう。ましてや俺と協力するなんざ死んでも御免だろうな。それに、俺だって確信は無かったんだ。この街にお前を送り込んだのはそれを確認する為でもある」

「ならば何故、初めからそう言わなかったのですか? そうすれば奴を捕らえ、ルルーも――――フクロウも保護することが出来たはずだ」

「ルルー? あれはフクロウに名まで与えていたのか。母の面影を重ねるかと思ってはいたが、相当な入れ込みようだな」

「質問に答えて下さい、義父上! 」

ひょいと面白げに眉を上げたジエンに焦れたのか、ロードが声を荒げる。そんな息子にジエンはやれやれといった調子でため息をついた。


「言っただろう。お前は考えがすぐ顔に出る。下手に情報を与えていればただでさえ不安定な情勢がどう動くかも分からんし、何より奴がお前を生かして返すわけがない。その頭が飾り物でないのなら少しは考えろ。ここはスエンニだ。アークから唯一独立をもぎ取った革命派の最右翼だぞ。手札を相手に渡すような真似をして何の利がある? 何より、お前には生きてこの先狐と渡り合っていく為の情報を持ち帰る任務があるんだ」

口調は柔らかいがその叱責と目は真剣で、ロードは思わず息を飲んだ。

現役を退いたとはいえ今なお伝説的な“軍神”と、その義父をして“天才”と言わしめた狐。

自分の一挙手一投足の間にも彼らはどれだけの思惑を張り巡らせているのか。

途端、自分がひどく薄っぺらいものになったような気がして、ロードはいたたまれなさに拳を握り締めた。


「ロード、お前は運命を信じるか? 」

「は………運命、ですか? 」

ふいの質問にら青年は困惑したように瞬いた。

常に徹底した合理主義と完成された理性を軸に作戦を遂行してきたジエンにはおおよそ似合わない言葉だ。

「いや、運命というより抗うことのできない時代の奔流……とでも言おうか」

自分でもらしくないことを喋っている自覚があるのか、思いつくまま連ねていくように、その言葉はいつになく辿々しかった。


「マリアが死んでしばらくして、俺は当代フクロウの召集にある家族から赤ん坊を取り上げたんだ」

勅書を前に、その家の親兄弟嘆くでも喜ぶでもなく、皆一様に白昼夢の中を歩くような顔をしていた。

一生食うに困らない金貨が詰まった下賜金の袋を受け取った長男だけが、妹よりも遥かにずっしりとしたその重みに思い返したように振り向いた。それくらいだ。

「フクロウがどんな生涯を送るか、お前は知ってるか? 彼女たちは生涯、塔から出ることはない。死んだのちもバラバラに解体され、その眠りは安息とは程遠い。赤ん坊にとって幸いだったのは、塔の外の思い出が無かったことだな。知らなければ、惑うこともない。そうでもなければマリアのように気が狂ってしまっていただろう」

ふいにロードの脳裏に一人の少女の笑顔が鮮烈に蘇った。

「狐が捕まればルルーは………彼女は、連れ戻されるのですか? 」

「そりゃあそうだろう。天文府の計算によりゃ、早晩傍目にも分かるくらい高度も落ちるとのことだ。ほっときゃ島が海に沈んじまうからな」

「………彼女は、普通の女の子でした」

「髪を隠していれば、な。マリアだって良き母で良き妻であろうとした、ただの女だったよ」

ロードは義父の私室に掲げられた亜麻色の髪をした美しい女人の肖像画を思い出した。


ジエンはきっと妻を愛していたのだろう。

跡継ぎを放逐し天涯孤独の身となりながらも、後添えを迎えることはなかった。遠縁にあたるロードを迎えたことさえ、精々政界におけるパワーバランスの近郊を守るためだ。

底抜けに明るく、いつだって飄々と人を食った態度を崩さない。けれどその本質は身を切るような硬質な孤独だ。

孤独の中で、ジエンは何と戦っていたんだ?

ふいにゾッと背筋を駆け上がった震えに、ロードは浮かびかけた思考を止めた。

頭の芯のほうがひどく冷徹に冴えていた。

――――地上に落とされたグリフは、スエンニという基盤を築いた。アークに残ったジエンはクリミアの戦でその名を不動のものとした。

偶然の符合か。手を組んではいないにせよ、ひょっとして彼らは何かとんでもないものを相手取って戦おうとしているのではないか。

そう、例えば――――


「ギスタフの名は業を重ねすぎた。歴代当主たちは皆、父から子へと女神と呪いの存在を伝えて」

そういう運命だったんだろうな。

ジエンはそう言うとどこか寂しげに微笑んだ。

「義父上は………ギスタフ家を、閉じたいのですか? 」

遠く(いにしえ)、パンゲア開闢より脈々と受け継がれてきた高貴なるギスタフの血を、彼は自ら絶とうとしている。妻を失い我が子も勘当し、ただ一人のギスタフとして、その歴史に幕をひこうとしている。

「そう、だな。そうかもしれん。俺もグリフとはまた別の意味で、もう終わらせたいと願っているんだろう」


ジエンはふっと肩の力を抜いた。

「ロード。アークに戻ったらお前に面白いものを見せてやろう。グリフが嘆く者(アシュ)となった始まりの場所へ。――――見ていろ。狐はきっと逃げ切るぞ」


闇を照らす禍々しい光の洪水に彼は僅かに目を細めた。










ルルーがロキに連れられてきた緑の門は実は花街だったという・・・。

プライバシーポリシーは折り紙つきだから話し合いの場として使うつもりだったんだろうけど、食われなくてよかったね!


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