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孤独の仮面

フェムト視点。








「――――何故、わざわざ毒など盛ったのですか、グリフ様。ただの模擬試合、旦那様も勝敗には拘らないと仰られていたでしょうに」


少女のような整った顔は指南役に殴られ、痛々しく腫れ上がっている。濡れたタオルで頬を冷やすと傷に沁みたのか、少年は「痛ッ」と折れた乳歯の隙間から小さな悲鳴を漏らした。

「人聞きが悪いなあ、爺。毒っていってもただの下剤だよ? 通じが良くなるだけ」

「卑怯な手、とは思われないのですか」

「何故? 厠に籠って戦わずに済むのなら、それに越したことはないじゃないか」


くるくると澄んだ黒い瞳を笑みの形に変え、少年はわざとらしく小首を傾げる。

指南役にもこれと同じ答えをしたため、受けずともよい余計な一発を食らわされたらしい。

アークでも指折りの問題児。

今更ながら、フェムトはそのあまりのへその曲がり具合に溜め息を吐いた。


「そういう問題ではございません。人の上に立つ者は常に他人の痛みを知り、民を守らねばなりません。今のグリフ様が身に付けてらっしゃるのは、正直申し上げて最低限の護身術レベル。失礼ながらグリフ様は模擬試合となるといつも逃げるか騙し討ちばかり。このような事で勝利を得ても、嬉しくはないでしょう」

「んー? そうでもないよ。勝ちは勝ち。ぶちのめされて負けるよりはよっぽどマシじゃないかな」

「………いかなギスタフ家とはいえ、貴族の子息は騎士として入隊、訓練の義務がございます。いずれグリフ様も通らねばならぬ道。そのときそんな騎士道から、いや人の道から外れる卑怯な行いを致すつもりですか」

グリフの自尊心を煽るためフェムトは敢えて卑怯、という言葉に力を込めて苦言を呈した。

「負けたなら負けたでよいのです。次なる目標として己れを高めることが出来ます」

「はいはい分かったよ。次はこんな下手は打たないから」

「…………グリフ様」

「冗談だよ」

「嘆かわしゅうございます。この爺にまで平然と嘘を吐くようになるとは……」

「あ、やっぱりバレた? 」

「…………」

反省の欠片もなくぺろっと舌を出した少年に、執事はまた溜め息をついた。


「グリフ様」

フェムトは床に膝を突き、ベッドで上体を起こした少年の目にに、落ち窪んだ自身の目を合わせた。

「グリフ様は賢いお方です。学院ではいつも首席、それを妬ましく思うご同輩の方々が剣術となると必要以上に叩いてくることも、このフェムト、誰よりも存じております」


同年代の少年たちより大分小柄なグリフは、贔屓目に見ても肉体派とは言えない。父のジエンにしても上背はあるが筋が付きにくい質らしく、剣に関しては凡庸としか言えなかったのでもはや遺伝だろう。

いかな努力を重ねようと、与えられた才は成長するにつれ残酷なほど開いてゆく。

たとえ努力しても、延びる望みは薄い。

なまじ聡いがために客観的に、本来ならば成長と共に得るはずの諦観をかなり早い段階から悟ってしまったのだろう。


「グリフ様、物事には道理と言うものがございます。模擬試合といえ、グリフ様には道理がございますか? 胸を張って誇れる正義はございますか? 」

「………正義、ね」

何か考え込むようにひとつ瞬きをして、それから少年は顔を上げた。

「正義は往々にして変わるものだし、だから僕の正義が誰にでも受け入れられるとは思わない。前提として、まずこれだけは言わせてもらうよ」

ボールにタオルを戻すと、少年は老臣に椅子を勧めた。

「さて。ひとまず、卑怯と定評のある僕の考えから話そうか。勝負は勝てばいいというものではない。でも勝負には意味がいるんだよ」



「―――例えば僕が真面目に戦ったとして、実力的に拮抗状態、ないし格上の相手だ。辛うじて勝てたとしても、それにはもう意味なんてない(・・・・・・・)んだよ」

「意味がない、ですと? 」

思わず聞き返したフェムトに、少年は目の前で両手の人差し指を立てるとトントンと交差させた。

「同程度の実力の人間が同人数当たれば、互いに無事では済まない。長引けば長引くほど、互いに消耗しそこに諸々の要因を加えた結果が、フェムトや先生の言う“勝ち負け”だ。でも現実ではそんな悠長なこと、あり得ないよね」

さらに右手の中指を立てると、少年は二本の指をピシリと音を立てて左の一本指に叩きつけた。

二対一。

左手から人差し指が消え、右手からも中指が消える。

残った一本をひらりと翻し、グリフは自分のこめかみを突いた。

「半壊まで戦う右も、全滅まで戦う左も、どちらのやり方も非常に愚かだ。けれどあの試合の前提や爺のいう『正々堂々』も突き詰めれば“これ”なんだよ。そんな勝ち方ならば無意味だ。人の上に立つ者は人を遣うことで戦をする。僕もそうなる。ならなおさら、戦わずに勝つ(・・・・・・)方が良いじゃないか」

「………………」


フェムトはとっさに言葉が出なかった。

きらきらとこちらを計るように見つめる相貌に、開きかけた口を阿呆のように閉じる。


正々堂々相手を打ち負かし、勝つこと。

卑怯と言う罵りに嫌悪を抱くこと。


それはこの年頃の少年ならば当たり前に至る思考。だがグリフはいつもどういうわけか、(はな)からこのどちらも一笑に付すばかりだった。

ひねくれているというより、もはや子どもらしからぬ思考だ。

単純な勝敗よりも犠牲を縮小すること。

最小の犠牲で最大の効果を挙げること。

後にジエンに報告に行った際明かされたことだが、確実に相手を陥れるため、グリフは自ら計画を立案し周到に手を回して実行していたらしい。聞かされたその計画は一応粗はあるものの、気味が悪いほど要点が押さえられていた。


少年は年不相応なほど、狡猾な顔付きで目を細めた。

「正々堂々。聞こえは良いよね。人を高揚させ、動かすに足る理想論(プロパガンダ)だ。―――でも、使う側ならともかく、使われる側ならそれは最悪の選択だよ。犠牲が(・・・)確実な戦い(・・・・・)なんて、何の意味がある? 」

相手が気づかないように。

たとえ気づいたときにはもう手遅れであるように。

「僕は戦わずに勝てるなら、多少手間だろうが最大限の手を尽くすよ。相手のティータイムを割り出し、メイドに薬を仕込ませる位はね」


ぱちりと片目を閉じる少年は、まだたった六つ。

磨きあげられた刃のように窓から射していた午後の陽光に薄雲が掛かったのか、ふっと明かりが落ち、小さな主人の顔に柔らかな影が落ちた。


剣ではない。

けれどひょっとしたらこれは、天賦の才なのかもしれない。


だがこの年で悔しいの一言も漏らさず、論で完璧にコントロールされた感情は。抱いた予感めいた思いにそのときはまだ、名すら付けようもなかった。




◇◇◇◇




くるくると指先で器用にペンを弄ぶ主人から書類を受けとると、フェムトはいつになく重く感じる口を開いた。


「主様、少々よろしいですか」

「なんだ? 表情筋が死滅しているとしか思えないお前がそんな顔をするなんてなかなか珍しいな。シグの処分(・・)に何か問題でも出たか? 」


スエンニ黎明期からの盟友ともいえる男を追い出そうとしているにも関わらず、アシュはいつも通りひょいと片眉を上げて剽軽に訊ねた。

まるで明日の天気は晴れだとでも言うような気軽さだ。

「いえ、………ルルー様のことでございます」

フェムトの言葉に彼は一瞬だけ、目を眇めた。

主は、はたして気づいているのだろうか。

ルルーの名を出すとき、ぐっさりと刺されたような顔になることを。



フェムトは素早く周囲に気配のないことを確認してから主の耳に口を寄せた。


「――――……そうか。まぁ、ちゃんと送り返して来ただけ、まだマシか……」

「ご存知でしたか? 」

老執事の問いに彼は苦笑しながら首を振った。

「いや。でも遅いか早いかの違いだとは思ってたしね。ロキは昔からああいう奴だ。俺のものだっていうからつい気になって、欲しくなって、揺さぶってみたんだろう。―――手は出してないよな? 」

「はい」

「ならそういうことさ。ロキは見境ないが馬鹿じゃない。大方困惑するあの子を面白くなってからかってみただけだろう」

「………もしや主様も身に覚えがございますか? 」


頬杖をつきながら零れた言葉の外に、ふと一抹の寂寥が気がしてフェムトは顔を上げて訊ねた。

「お前も言うなぁ。もちろん」

彼は肩を竦めて笑った。

「あれはあの子の一番の魅力だね。あんまり素直なもんだから、(うたぐ)り癖がついた身にはそれがかえって目について――――その先までと感情を引き出してやりたくなる」

「………小鳥はか弱いもの。あまり苛めなさいますな」

「分かってるさ。大丈夫、今度こそ壊しはしない」

「…………」


時が再び戻ることはない。

どれ程嘆けとて死人が甦ることはない。

それでももしも、もしもあのとき彼女でさえなければと。何度思ったことか。

まだ幼かったグリフの目の前で、彼女は“壊れた”。

おそらくそのとき。グリフの何か大切な部分もまた、壊れてしまったのだろう。


復讐は、病に似ている。

もう戻れない時を、完膚なきまでに叩き壊すように。還らない(ひと)を、塗り潰すように。

フェムトがようやく再会したときには、すでに彼は壊れた心を焼き尽くし“嘆く者(アシュ)”となっていた。


より効率的に。

より効果的に。

“クリミアの英雄”の血を引く悪魔のごとき才知。時に人の命さえ遣うことを厭わない非情な合理性。

変わったとすればそこにはもう何かを守るという根幹が消え果てたことだけ。

自分の犠牲に相応しい犠牲を。手の内に置くものさえなければ、失うものもない。

だから主は何も愛さない。

―――もともと片鱗はあった。けれど、それは平世であればおそらく生涯、眠ったままであったはずの脆さ。

壊れるほどに、堕ちてゆくほどに、孤独な魂はより硬質になってゆく。スエンニは、“アシュ”という人間そのものだ。

例えるならば、輝く闇。

傲慢を補って余りある力と大人にならざるを得なかった鬱屈した激情、けれどそれがためにかえって脆い、彼自身の素顔。



―――そんな彼に、何の迷いもなく無邪気な笑みで駆け寄る少女の姿が、柔らかいが鮮烈な光と共にふいに脳裏に浮かび上がった。

まっさらな昼の日差しの中で抱き止めたその腕が、触れることもなくどれ程の人を殺め、闇に葬ってきたか。彼女は知らない。

耳を塞ぎ、目を覆い。彼女の視界に紐解かれるのはいつも優しく美しく、賑やかな楽しい世界。アシュがそうしてきたからだ。


昨夜、「お姫様を送り届けるのは紳士の務めだカラ」などと抜かすロキに送り届けられた後、部屋に戻ったルルーはじっと俯いたまま、ぽろぽろとそのライトブルーの瞳から大粒の涙をいくつもいくつも溢していた。

ぎゅっと唇を噛み締めたその横顔ははっとするほど美しく。その一方で胸が締め付けられるほど切なげだった。

温かなハーブティーを注いだカップを握り締め、ルルーは鼻を啜りながら、ぽつぽつとバロットとこの街の話を聞いたのだと途切れ途切れに明かした。


大切に大切に囲い込んで、非常に片寄った世界を見せてきた少女。

この年頃の女の子はともかく成長が早い。もしかしたら彼女はアシュが思ってる以上に早く成長しているのかもしれない。

アシュ自身、いつまでもこのままでいられるとは思ってはいまいが、それでも。凍てついた人でなしの目に、束の間といえ寂しさを戸惑わせるほどには………特別だったはずだ。


「大丈夫、優しくしてるさ――――でもまあ……ロキについては少し考えとかなきゃいけないね。万が一にも、あの子をひっ拐われたらもとも子もない」

「………誠に申し訳のしようもございません」

老臣は白髪の頭を深々と下げた。

屋敷の管理はフェムトの領分である。

パーティーの仕度に手を取られていたとはいえ、部屋の前にメイド一人見張りにつけただけ。まさかルルーが屋敷を出るなんて想定していなかった、などと言うのは結果をこそ重んじるこの主の前では、ただの言い訳に過ぎない。

今の自分の主人はアシュだ。

彼が人の上に立つ者ならば高みから水が流れるごとく、自分はその命を速やかに、つつがなく実行されるよう為さねばならないのだ。


「まあいい」アシュは鬱陶しげにひらりと手を振って一度臣の思考を断ち切った。

「お前を責めている訳じゃない。どちらかというと素直に感心しているんだよ。一時とはいえ、見張りの目を欺いてこの屋敷を抜け出すなんて大したものだと思わない? 賢い子だとは思ってたけど、まさかあんな才能があるとはね。――――この俺から、逃げようだなんて」

「………ですが、また戻ってらっしゃいました」

「ふふん、でも逃げたことには変わりないよ。もう俺の手の中だけには、いてくれない」



耳を塞ぎ、目を覆い。

悪党の優しい腕の中に囲ってきた少女。

失うものはもうなにもないはずのその手の中で、ふわりと花が咲くように無垢に笑う少女。

主が欠けた心を抱えて彼女と生きる道を選べたなら、彼も幸せになれたかもしれない。少なくとも彼女を犠牲にすることを厭うてくれたなら、まだそこに痛みを知るグリフの面影を見ることが出来たかもしれない。


アシュはぼんやりと窓の外に目をやり、自嘲気味に微笑んだ。

「やはり気紛れなんて起こすものじゃないね。あの子の自由は、初めからタイムリミット付き。遅かれ早かれ、こうなることは分かってたのに」

「………今ならまだ、間に合うのでは? 」

そう、今ならまだ。忘れてただの一人の青年として、彼女を連れ出せる。

だが、アシュはゆるゆると首を振った。

「結局俺は………あの子を自分だけのものに留めておきたかっただけ。それでもあの子が逃げないというから、気紛れに少し遊ばせておいただけ。もう少しこうしていたかった気もするけど………」

もう、遊びはおしまいだ。


その言葉を最後に、孤独な復讐者は笑顔の仮面を纏う。



「さあ、舞台の仕度は整ったかい? 」









偉そうだけどアシュの運動神経は人並み。いわゆる運痴です。

さていよいよ次回は夜会。

「しゃるうぃだ~んす? 」なんてやりませんけど、荒れそうだなあ。


ここまでお読みくださりありがとうございます。


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