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暗澹


いつもお読みくださりありがとうございます。







ただ彼と世界中へ旅を続ける。それだけで良かった。

――――アシュはネ、別に君でなくても良かったんだ。


彼が自分を利用するよと言ったときも、彼がそれを望むなら構わないと思った。

――――彼が求めているのはフクロウの娘であって、君じゃなイ。


あの寂しい場所へ初めて温かな血の通った手を差し出してくれた、たった一人の、運命の人だと思った。

――――だから、いくらでも切り捨てらレる。………そう、バロットのように。



◇◇◇◇◇




窓と言う窓、あらゆる戸口に色鮮やかな看板を提げ、五色に煌々と彩られたスエンニの夜は昼にもまして明るい。

金と力がすべてであるこの街で、さらに中心街に立つことを許されるのはほんの一部(・・)の者だけだ。そんな選ばれた道行く人々は皆、一目でそれと分かる上品な仕立て、言い換えれば富を唸らせて仕立てさせた衣装に身を包み、選民意識の滲んだ笑みを浮かべている。

華やかだがどこか、(いびつ)な。

アシュの見せたことのない景色は、不協和音にも似た喧騒と共にルルーの小さな胸をざわめかせた。

ロキはミミクリを肩に乗せたまま、慣れた動作で人込みを泳ぐように進んでいく。力強い、けれどルルーのよく知るそれとは全く違う浅黒い肌の腕に囲われるようにして、ルルーは促されるまま毒々しく緑柱玉(エメラルド)の埋め込まれた大きな門を潜った。


「浮遊の島アークはそノ歴史上、幾度か高度を落とした(・・・・・・・)ことがあるんだト」

密やかな、けれど贅を凝らした看板の小さな店に入ると、奥の闇から滑り出るように女主人らしき中年の女性が現れた。

ぼんやりとその艶やかな赤く塗られた唇を見つめていたルルーに、押し黙っていたロキが言った。

「アシュの出自は契約だから君には言えなイ。………でも、そんなこと知ることができるようナ身分なんて、極々限られた一部だヨね」


案内されたのは小さいが細部に手の込んだ作りの分かる静かな一室だった。窓からは通りを挟んだ向かいの店の、紗のカーテンがチラチラと灯りで揺れているのが見える。テーブルには蕩けるように甘い、怪しげな匂いのする茶器が置かれていた。ロキは「飲むかイ? 」と勧めてくれたが、ルルーはとてもそんな気にはなれず首を横に振った。

「―――さて、何から話そうカ? 」

椅子につくとロキは長衣の裾を(さば)き、ゆったりと優雅にその長い脚を組んだ。ルルーも、その向かいの椅子に腰掛けると髪を隠していた羽織ものをテーブルに置いた。

「ルルーは何が聞きたイ? 今夜だけ、特別に答えられることな何でも答えてあげル」


試すような瞳に、ルルーは刹那、軽く目を伏せた。

やがて、真っ直ぐそのライトブルーの瞳をこの異国の青年に据えた。

「…………アシュが言ってた。この街では、名前は紙より軽いんだって」

「ウン、間違いじゃないヨ。金と力さえあればいいスエンニでは、凶状持ちやら色々と薄ら暗い連中も集まる。だから使えそうな経歴と名を売ル、そんナ商売まであるらしいからネ」

もちろん値段によりピンからキリまでだが、経歴と名はそれこそ実在の者をそっくりすげ替えたような新しい人生を約束するに相応しいものだという。

「………アシュには、“アシュ”という名ではない、別の人生があったんだね」

「そウだね」

「けど、“アシュ”にはその人生を捨てて、やらなければならないことがあった」

「マァ、間違いではない」

クスクスと笑いながら、ロキは楽しげに目を細めた。

「そのやらなければならないことには“フクロウ”の存在が必要で、アシュはその準備の段階でこの街で何かをした………ううん、あるいは今も、している」

「へえ、凄いじゃないカ」


ロキは上機嫌に手を叩いた。

「君は歳によらズずっと賢く出来てるんだネ! アシュがあれダケ囲い込みたくなるのも頷ける。なら、僕は君に何を話すつもりだったか、当ててご覧? 」

ルルーはしばし逡巡した。

何のために、という理由はこの際置く。これはチャンスだ。聞いておくべきことは、すべて聞いておこう。


まず与えるカードとすれば、この青年にとって有効な、そしてルルーにとっても目を逸らしがたいもののはずだ。

それに、妙に気心の知れた感じはかなり古い知り合いのようだった。

そんな彼が教えるとすれば、

「……私の知らないアシュ、ううん………貴方の知る彼の、この街と彼の、過去?」

「またまた正解」

きゅっと金の目が、糸月のように細められた。

彼は立ち上がると部屋の明かりを消し、窓のカーテンを上げた。燃えるような通りの明かりが、半ば闇に沈む彼の褐色の肌を濡らしている。

それから、ロキはしゃらりと耳飾りを揺らしてゆっくりと振り向いた。

「おいで、ルルー。約束通り見せテあげる」

「………………」

微笑みながら手招く美しい青年に、ルルーは椅子から立ち上がるとふらふらとおぼつかぬ足取りで歩み寄った。


見たくない。見るべきではない。見たい。見ても良いはず。


ぽつぽつと泡のように浮かんでは消える不安と好奇。

「――――モット自分の心に、正直になるといい」

そっと薄い肩を抱き寄せて窓辺に導くと、彼は優しく囁く。

「賢い男は隠したがる。だガ賢い女は暴きたがるモノ…………君は賢い。その先を、知りたいだろウ? 」


ルルーはぶるりと小さく肩を震わせた。

その先に破滅が待つと分かっていても、答えを引きずり出したくて疼いている。



「向かいの店の二階………ソウ、左の部屋。アシュがいるのは、見えるね? 」

小窓から漏れ出るのは、どこか淫靡な華やいだ灯り。紗のカーテンが薄く靄のようにけぶる中、揺れる人影はあまりにいつも隣にいすぎて、宵闇に見紛うはずもなかった。

どこにいても、たとえ後ろ姿や影だけであろうと分かる。分かってしまう。

ぼんやりとした色彩の中、彼は傍らの誰かにふっと何か囁いた。その言葉に「彼女」は形の良い唇を吊り上げ、引き寄せられるままその身を添わせる。

アシュの抱く悩ましげな肩に零れるのは、ここからでもそれと分かる。豊かで鮮烈な、赤。


カッと胃の底の辺りから燃えるように苦く、どろどろと詰まった脈が血管に打ち出された。

喉が絞られ、まぶたの裏が真っ白になるほど血が上っている。

これは、そう。屈辱感、に似ているのかもしれない。

叫び出しそうになるのを辛うじて支えてくれたのは、ひとえに隣でじっとルルーの横顔を観察する青年にここで醜態を晒してはならないという本能的な自尊心からだった。


「彼女がバロット。………あァ、彼女を恨んではダメだよ。アシュだって男なんだし、男には女が必要になるときがあるんだからネ」

「アシュに必要なのは…………バロット、なの? 」

縺れ合うようにして二つの影が窓辺から消えると、ロキはそっとルルーの頬を撫でて言った。

頭の中にはあの光景が何度も何度も、巻き戻しては再生を繰り返す。

大きく張り出した胸に、蜂のように括れた腰。

甘い肉を纏ったような白くたおやかな四肢。

挑むように男を誘う蠱惑的な紅茶色の瞳も、みな、ルルーが思い描く“大人”の姿そのもので。

見るからに細っこく貧弱な自分の手足は、彼女とはあまりに対照的だった。

「さぁてネぇ。でも男の性は肉の器を欲してるんじゃないカナ? あ、でも安心しテ? 彼女だって君と同じだカラ。彼の必要を満たすのにたまたま丁度良くテ、無ければ無いで代わりを見つければイイ………そういう存在」

要するに都合がイイだけ。

彼は呆けたように、何も映さなくなった向かいの窓を見つめるルルーの頬を執拗に撫で続けたまま、優しく囁く。

「君もバロットも、彼に関わった女はミンナ可哀想。アシュは君たちを決して見はしなイ。彼は死んだ美しいままの幻の女に、取り憑かれてル。それなのに君たちはいつも、最後には彼を選ぶ…………」

刹那、金の目が揺れたように見えた。

「………いや、でも君はきっと今までとは違う選択ヲしてくれるよネ。――――さ、おいで。椅子にお座り。この街で彼が為したこと、彼女に起きたこと、皆君に話してあげル」




◇◇◇◇◇





ほんの十年も前までは、スエンニは実につまらない小さな街だった。



しがない穀物商に過ぎなかった父と共に、初めて訪れたときの幼いロキの印象は、せいぜいそんなものだ。

ロキの一族は代々大陸とこのパンゲアを行き来してきた。

父は大陸の、母はこの国の人間。祖父や祖母を合わせれば混じり合う血はさらに雑多でそんな様々な容色を、各々ちょこっとずつ摘まんだロキの姿はどこにいっても異色だった。


異色の者には異色の者なりにしか、見えないものがあるとロキは思う。

物流の盛んな地域ではさほど珍しくなくとも、血が偏った、とりわけ閉ざされた地域ではかなり浮く。

どこへいっても定まることのない己れのルーツ。

商人という仮面と生まれ持っての冷ややかな合理思考がなければ思春期を案外もっと悩み、ひょっとすれば愚かしく荒れていたのかもしれない。

たかが小さな島々からなるパンゲアは、けれどそんなロキからしてもひどく不可解な、そして他に例を見ない稀な国だった。

物流の形からして、まず奇妙なのだ。


まず、“蟲”という他にない生き物を従え、この国は廻っている。

機動力、輸送量、何よりこの狭い一地域での循環量。本来ならば需要と供給、その他諸経費が支配するパワーバランスを、彼らは根本から覆す。

国産み神話に竜蟲、美しい姉妹神に空に浮く島。

物語の中心、アークはそんな蟲を操るための歌を有するがゆえに、今なお宗主としてこの国を束ねている。


お伽噺の代物がこの国の歴史には食い込んでおり、今も脈々と現存する確かな存在として続いている。


大陸で育ったロキはもちろん馬鹿な、と思った。そんな馬鹿げた迷信、誰が信じるものか。

そして実物を目の当たりにして―――ゾッとした。

商人の目からすればそれはいっそ薄ら寒くすらあった。

この国は、長い長い歴史を遠い昔話の中に完結したままなのだ。そして物語は今も、その枠の中を蟲と共に廻っていくのだと欠片も疑わない。

毛色も言葉も全く違う各国の商人と渡り合ってきたロキは、他国との交易を拒む“鎖国”とやらを行う地も、いくつか知っている。この国は別に鎖国ではない。帆船に乗って訪う商人たちのため、関はさほど厳しくもなく開かれている。にも拘らず、

――――閉ざされている。

そんな感想を抱かざるをえないのだ。

“蟲”がパンゲア外を行き来することは出来ないのも、この奇妙な状況に拍車をかけていた。


この箱庭のような国は住まう誰もが、そんな日常に何の疑念も抱かない。恐らくごく少数を除き、抱いたこともないのだろう。

そう、だから。


取り立て仁も無かったが毒でもなかった凡庸な領主と、内乱の波紋に少々揺れる小さな宿場街に過ぎなかったこの街が、まさかこんなことになるとは………そのときはまだ、夢にも思わなかったのだ。





「やぁ、ここ座ってもいい? 」

つまらない商談をどうにか一つ終え、安酒をちびちびと舐めていたロキの元に、その青年は突然現れた。

「スエンニを知ってる? 近々あそこで面白いことがあるんだけど、君、一口噛まないかい? ――――時代の変わる瞬間に立ち会えるよ」


今でも、何故あそこで頷いたのか、ロキにはよく分からない。

比較的濃い髪色と瞳の多いパンゲアでも、彼の艶やかな漆黒は高位貴族に列なる貴色。その目に見つめられた瞬間。ゾクゾクと悪寒と奇妙な興奮が脊髄を駆けた。

魔に魅入られる、とはこういうことを言うのかもしれない。

その青年――――アシュには、そういう不思議な魅力を持つ男だった。


「スエンニは今、クリミア内乱の飛び火で少々荒れてる。だが凡庸な領主のもと、ときを経るごとにいずれ収まっていくだろう。でもそれじゃあつまらない」

内乱のことなら、ロキにも聞き覚えがあった。だがスエンニ程度の小さな街なら、何が変わるとも思えない。平凡を脱せぬまま、そのうちずるずると落とし所を決めるだろう。

アシュは小皿に乗ったオリーブの実を摘まむと、ひょいと口に放り込んだ。

「領主には娘がいてね。その娘が今、父の罪を告発しようとしているんだ。領民はかの男の悪行に憤懣を抱いている………そう、表面を震えさせながら最後の一滴を待つ、杯のように」


君に、その最後の一滴を投じて欲しい。

ニコニコと笑いながら告げられた計画に、その突拍子の無さに初めは嘲りを浮かべていたロキの顔も次第に強張った。




アシュはまず、あらゆるルートを介して多量の穀物をスエンニは流し込んだ。

さして消費予定もないスエンニでは、供給はあっという間に需要を上回り、食糧品を先駆けに物価は下落。

ところがそんな中、突然パンゲア各街で穀物価格が跳ね上がったのだ。

廉価競争に陥りかけていたスエンニから、蟲商たちは瞬く間に手を引き、物資流入は一時的にストップまで追い込まれた。


悪魔は、闇を伝い暗躍していた。

物流が滞ったことにより、価格はひたすら上がり続ける。元々さしたる産出品もないこの島では商わねば食えない。

日に日に募る憤懣を見定め、彼は民衆に囁いた。

「この事態は貴族が歌を占有しているからだ。領主はこんな事態になっても船を出そうとしない。歌を奪い、パンを買いに蟲船を出さねば、このまま飢えるしかない」

クリミアの火種に甘く息を吹き掛ける一方で、領主にはグリフ=ギスタフを名乗る青年が接触していた。

グリフ=ギスタフ

四大公爵家の、数年前に放逐された一人息子だ。

バロットを見初めた彼は、恋人の父親の憂いに手を差し伸べた。

「放逐された身とはいえ、私にもささやかながら(つて)があります。必ずや民を飢えさせぬだけの穀物を持ち帰ると約束しましょう。なので私が戻るまで、どうにか彼らを抑えていてください」


ギスタフ家はパンゲア屈指の大貴族。当然お抱えの蟲商もそれに見合う大物揃い。その伝が自ら名乗り出てきたのだ。

闇然に差し込んだ一筋の光に、領主は歓喜した。

その救いの糸こそが、まさか今の状況を引き起こした悪魔(アシュ)の罠とも知らずに。




◇◇◇◇




「――――結果、青年は戻らなかった。領主が再び彼の姿を見たのは、処刑台に立ったとき。民衆の声援に手をあげて応える姿に、ようやく嵌められていたのだと気づいた領主は血の涙が出そうナくらい悔し泣いていたそウだ」


水面下の思惑を知らず、ただ民衆を抑えていた領主は背後で梯子が外されたことにも気づかずついに、革命の矢面に立たされた。

ロキが手を貸したのは領主の首が落とされた後。

買い出し船に滞りなく供給が出来るよう、それとなく穀物を手配した事だけ。何も知らない彼らは、革命を起こしたからこそ飢えずに済んだと信じて疑わない。

闇の中で蠢く、姿なき影。

鮮やかで、けれど決して全貌を晒すことはない。

それはまさしく、悪魔の所業だった。


「バロットは父の処刑の翌年、協力した商人のうち一人に嫁がされた。賢い君ならもう分かるだろウ? バロットは父親への繋ぎ、奴にとって手近な踏み台に過ぎなかったんだ。だから役目が終わった途端、すべてを剥ぎ取られて捨てられタ…………」

青年の頬は興奮のためか僅かに紅潮していた。

「本当に、言葉の通りだった。たった一人の人間に、こうも歴史は動かされるものなのかと、慄然とした。ああ、あのとき僕は震えた。奴はどこまで見ていたんだろウと。バロットの婚姻は今じゃ内乱収束の象徴。終わった後のことマデ、奴はみんな手を打っていた」

「…………ロキさんは、アシュが羨ましいの? 」

金の目に鈍く煌めくのは、羨望。

ルルーは行き場のない思いを飲む代わりに、泣きそうな顔で視線を上げた。


「羨ましイ? んー……ソウだね、確かに羨ましいのカモしれないネ。僕には、確たるルーツがないから。あんな風に誰もが忘れられない記憶として………自分を刻み付けたいのかもしれなイ」

でもネ、と彼は続けた。

「君は、君の事は、本当に綺麗だと思ったんダ。最初はアシュのモノだから覗いてみたくなったダケだったけど、そんなことを忘れるくらい…………君はあまりに穢れなくて、透明で………多分僕ハ生まれてはじめて、心から何かを恐れタ」

ポツリと溢された言葉はひどく静かで、それがかえってルルーの心にさざ波を立てた。

目を泳がせる少女にロキはふっと笑い、手を伸ばした。

指が届くとその痺れるような甘い香りがムッと視界を覆ったような感覚がして、思わず肩がびくりと震える。

ロキはそんなルルーの反応さえ嬉しそうに、頬を滑らせ、ぷっくりと花弁のように愛らしい唇を撫でた。


「――――アシュはバロットに一度だって好きだとも、愛しているとも言わなかっタ」


彼は、悪党だから。

繋ぎ止めるのに言葉だけですら、使ってはくれない。

裏切られても切り捨てられても、ただ恋慕うバロットはルルーの未来だ。

だって、アシュは一度でも――――


「彼は一度でも、君に明確な愛の言葉をくれたことがあるかイ? 」









ロキはいろいろ厄介な人間です。


そういえば、第9話で運び屋夫妻の名が「ロキとトト」で金眼青年と被ってたんで「バージとトト」に変更しました。

ご了承ください。


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