金の目の青年
お久しぶりです。
今回は……タイトルで大体分かりますかね。
ルルー視点。
「んー…………」
シーツの中で寝返りを打ったルルーは、暗闇に目を開いた。
慣れないヒールに、踵を中心とした足の裏がまだ痺れるような倦怠感と熱を持っている。
疲れきった体は休息を求めている。けれど普段使わない筋肉を酷使したせいか体が妙に火照っていて、疲れているはずなのになかなか寝付けなかった。
清かな月明かりに磨きあげられた床は静かな湖の底のように、青く浮かび上がっている。
ルルーは豪奢なばかりで到底馴染めそうにない拾い寝台を滑り降りると、足音を殺して窓辺へそっと歩み寄った。
天頂の、ずいぶん高いところに月は硬く小さく座していた。青白い冴えた光は、それを見慣れていたあの頃から、もう随分久し振りな気がした。
世界中に自分だけになったような、静かな夜。
アシュと旅をするようになってからは、次々と溢れかえって迫ってくるものが多すぎて、こういう静か過ぎる時間を忘れていた。
(地面、遠いな…………)
窓の外を見下ろし、ルルーはカーテンを握り締めた。
屋敷の中でもルルーに与えられた部屋は三階の一室だった。中心街という小山のような裾野を広げる街のほぼ頂点。窓からの景色は階数以上に高く見える。
………だからこんな、つまらないことを思い出すのかもしれない。
ルルーは頭を振って重い思考の霧を追い払った。
―――大丈夫、アシュは私をあの場所には戻したりなんかしない。私のいる場所は、もうあの部屋じゃない………。
視線を上げれば遠い水平に、ぱらぱらと火の粉を散らしたような無数の灯りが街を染めている。
そういえばスエンニの夜景は値千金と言われる名勝なのだと、メイドの誰かが言っていた。酒場や劇場、賭場に人が集い、それは昼よりも明るく、賑やかになるのだとか。
鮮やかな灯りはこの遠目からでさえ、爛熟した華やかさが感じられる。あの灯火一つ一つの下に、名も顔も知らない誰かがざわめきを纏い行き交って、またそれぞれの行先へと歩み去ってゆくのだろう。
死人のようなぽっかりと冷めた半月は、どことなくそんな煌々とした街からあぶれてしまったような清冽さで、夜空を濃紺に縁取っていた。
ぼんやりと明るい月を見上げる、そのときだった。
(……なんだろう…………? )
ふっと、麝香のような甘い香りが鼻をつき、ルルーは辺りを見回した。
弛い夜風に紛れながらも、匂いはまた、強くなる。
「キィ」
突然、小さな鳴き声と共に、ピョコンと白い頭が桟の向こうに現れた。黒い木の実のようなつぶらな目がくるりとこちらを向いている。
「わあ……………! 」
窓辺に現れたのは、雪のような月光を弾き輝く白テンだった。
細長い体で器用にバランスをとりながら、テンはするするとルルーの手元まで上ってくると、そのまま部屋に滑り込んだ。細い銀細工のような髭をふんふんと震わせ、テンは興味津々といった調子で辺りを見回す。
ルルーは床を嗅ぎ回る小さな客人に、頬を綻ばせた。
「ふふ、可愛い。あなたはどこから来たの? 」
外から来たのだとしたら、所々壁に施された装飾か、雨どいか、いずれにせよ本当に僅かばかりの足掛かりからここまで上ってきたのだろう。
相手を怖がらせないよう恐る恐る手を伸ばすと、彼は以外にも自ら甘えるように頭を擦り付けた。つるりとした素晴らしい肌触りにルルーは飽きもせず何度も何度も、乞われるままにその毛皮を撫でてやった。
「あれ? あなた、誰か飼い主がいるの? 」
「キキッ? 」
ルルーはふと、その左の足首に小さな金の環が嵌まっているのに気づいた。
どこか異国情緒のある、見慣れないレリーフの施された厚い金の環は白い毛皮によく映える。しかし肝心の持ち主は不思議そうにくるくると目を煌めかせて小首を傾げるだけ。
毛づやもいいし、きっと良い家で可愛がられているのだろう。この人懐っこさも、人に飼われているからだと思えば納得がいった。
「確か手足の装飾品を贈るのは“保護”の意味って言ってたから………うーん、良いのかな? こんなところにいて。あなたのご主人様も心配しているんじゃない?」
昨日、自分も迷子になってアシュに怒られたばかりだ。
きっとこの子の主人もあちこちと探し回っているだろう。こんな小さな体では下手すれば蟲や馬に轢き殺されてしまう。もしかしたら、その主人も今度からは逃げないように、丈夫な檻に入れてしまうかもしれない。
もちろん、もしかしたらそれもひとつの愛情の形なのかもしれない。だが好奇心旺盛そうなこの子には、そうなればきっと詰まらない毎日になってしまうだろう。
「心配、か………」
ルルーは掠めるように廊下へと繋がる重たげな扉を見て、胸腔の底の暗いわだかまりを押し出すようにひとつ、深いため息を吐いた。それからじっと見上げてくる一途な視線に気づき、苦笑した。
「ああ、ごめんね。扉の向こうにメイドさんがいるから、夜は静かにしてなきゃいけないの。眠れてないなんて伝えられたら、きっとアシュは心配するし。だから私はあなたの飼い主も探してあげられない。……ごめんね」
アシュは、何かに備えている、とルルーは思う。
今日一日、ルルーは一歩も屋敷の外に出ていない。その間やたらと忙しげなメイドや、フェムトと相談し合うアシュの様子は、どことなく座りの悪いざわめきになっていた。
何か、見えない意図が細くあちこちに張り巡らされているようで。その一つ一つの糸はルルーを守るものなのだろうが、時おり喉を掻き毟りたくなるほど、息苦しい。
何も知らせず、何も聞かせず、何も見せず。
それは執拗なまでに密に張り巡らされた繭のようで。
多分、彼はあの笑顔の仮面の下で、またたくさんの難しいことを考えているのだろう。それはいい。
けれど以前よりもどうしてかさらに遠く感じてしまう、水の染み入っていくような予感が、胸の奥に張り付いて剥がれなかった。
アシュは基本的に秘密主義なのだが、今回はどこかいつもと違う気がする。
(そう言えば銀の髪を見せてもいい、いや、お披露目の“パーティー”って言ってたっけ………)
ふと浮かんだ彼の言葉を胸のうちで反復しながら、ルルーはそっと白い体を抱き上げた。
「キッ?! 」
初めは大人しく抱き上げられたテンだったが、ルルーの足が再び窓辺に向けられていると気づくと何か訴えるように、途端に腕の中でも手足をばたつかせはじめた。
「キキィ、キィ! 」
「しぃっ、静かに。ほら、もうお戻り。人が来たら摘まみ出されちゃうよ」
桟まで持ち上げて乗せてやるものの、彼はいやいやするように小さな爪の指をルルーの夜着に引っ掻けて、懸命に離れまいとする。ルルーは困ってしまった。
「あのね、今夜は私はこの部屋を出れないの」
そう。
わざわざ見張りまで置かれれば、流石にその意図くらい、気づく。
明日の“パーティー”。
アシュはルルーを“主役”だといった。
フクロウの証である銀の髪を、人目に晒す。それがいかに危険に満ちた行為であるのか、かつて彼の姉であるレミィの激昂から、ルルーもそれなりに察しがついている。
アシュはいつだって飄々として、自信に満ちていて。たとえそれがどんな困難でも、魔法のようにルルーの世界を鮮やかに塗り替えていく。
けれど時折ひどく儚く、激しい目をする。
青い、炎のような。闇色の瞳に鬼火のような青い、光がちらつく。
テナに聞いた話では、一見冷ややかにも見える青い火は普通の橙の炎より実はずっと温度が高いのだという。期せずして生々しいほど端的な喩えを付していたことに、思わず戸惑ったほどだ。
アシュの中には、ルルーには語られていない激情がある。
そしてルルーが連れ出されたのも、この奇妙な旅も、彼の中の激情に起因する“何か”が根幹にあるのだろう。
青い、炎のように。
彼の中の激しさは焼き尽くすことを迷わない。
周りの誰一人いなくなって破滅に突き進むと知っても、彼は歩き続ける。
きっと明日はかつて言った言葉の通りルルーを…………いや、“フクロウ”を利用するのだろう。
目的はおそらく、そのお披露目自体だ。フクロウの存在を知らしめ、彼はどこへ向かうのか。
アシュは何も言わない。
ただ優しく、甘やかすことでルルーの瞼を覆い、繭のようにその周囲に糸を張り巡らしてゆく。
今、“フクロウ”を逃すわけにはいかないから。
ぽつりと喉を焼く一抹の寂しさを飲み下し、ルルーは肺一杯にひんやりとした夜気を吸い込んだ。
艶やかな毛並みを宥めるように優しく撫でながら、ルルーは視線を合わせて静かに言い聞かせた。
「アシュになら利用されたっていいって思ってたのに………寂しいなんて、変だよね」
あまりにも昔を思い出させるようなことが多いから、きっと気が沈んでいるのだ。
また彼が名を呼んでくれれば。手を引いて、見たことのない景色を探す、あの旅の暮らしに戻れば、すぐにでも忘れてしまうだろうに。
「キーッ!! 」
「あっ……………! 」
そのとき。ピン、と金属を引き千切る音がすぐ耳の下で、弾けるような痛みと共に鋭く響いた。
抱き上げたとき、引っ掛かったのだろう。テンの前肢が華奢なペンダントの鎖を引き千切ったのだ。
チェーンに弾き飛ばされた銀の台座は、月光に煌めきながら虚空へと弧を描く。
(ダメ………ッ! )
慌てて手を伸ばすも、ペンダントはルルーを嘲笑うように、みるみるうちに眼下の茂みへと吸い込まれていった。
◇◇◇◇
耳にを掠めた物音に、戸口に控えていたメイドはふと顔を上げた。
静かなものだと思いながら、うつらうつらと舟を漕いでいた矢先だ。彼女は僅かに眉をひそめた。
部屋の中にいるのは慣れないマナーレッスンで疲れはてて眠っているだろう少女が一人。
そして、音は部屋の中からだった。
厳格な上司にして有能なる家令の話では、ルルーの立ち位置は今、この屋敷の中ではかなり特殊なものであるらしい。くれぐれも目を離さないようにと厳命されている。
「――――ルルー様? 」
メイドはそっと、自分の拳が通る分くらいだけ、扉を開いた。
闇に沈む部屋。しかしふっと頬を撫でた夜風に彼女は息を飲んだ。
月明かりに揺れるカーテンは開け放たれ、何故かベッドの脚にくくりつけられたシーツがロープのように窓の向こうへ垂らされている…………。
ベットの中はもちろん空っぽだ。
メイドの顔がサッと蒼褪めた。
「た、大変だわ! 誰か、誰か来て頂戴! ルルー様が――――!! 」
ぱたぱたと慌ただしい足音と共に廊下を駆け出した彼女の背後で、内開きの扉がゆっくりと閉じた。
「…………」
「…………キィ? 」
「うん、もう行ったかな」
その影からぴょこんと小さな頭が顔を出し、廊下を見回す。
腕の中には白い客人。薄い羽織もので髪を隠し、夜着とはいえ出掛ける支度万全のルルーだ。
「ううぅ……アシュ、フェムトさんごめんなさい。ペンダント見つけたら絶対すぐ戻るから」
脳裏に浮かんだ笑いながらこめかみをひくつかせる青年と静かに怒り狂う執事に謝りながら、ルルーは素早く廊下へ滑り出た。
「さ、今のうちに探しに行かないと。原因はあなたなんだからちゃんと手伝ってね? 」
「キー! 」
屋敷の周囲は庭師の手が入り、四季の花々が咲き乱れる美しい庭になっている。
そのほとんどが蔓草や生け垣を作る灌木で、迷路のように入り組みながら外からの視界を遮っているのだが、ルルーはその意図を知らない。
曲がったかと思ったら突き当たり、戻ってみれば行き止まり、というようにぐるぐるさっきから同じところばかり歩き回っている気がする。
「むぅ。これじゃ、昨日と同じ状態のような気が…………」
ルルーは不安げに四ッ辻を見回した。
「えーと、さっきは右で行き止まりだったから………」
顎に手をあてぶつぶつと呟いていると、ふいに髭を震わせたテンがピョンッと腕から飛び降りた。
「あ、こら。どこに行くの! 」
慌てて追い縋ると、テンはそれをちらりと横目で確認し、迷いなく道を左に進み始めた。
時折振り向き、ルルーが着いてくるのを確かめるように立ち止まる。
小さな黒い目がまるで笑っているようだ。
絶妙な距離を保ちながらルルーを導く案内は、もうすでにどこまで進んだか分からなくなっていた。
「もう、どこに連れてくの………」
白い影を追いかけ足を踏み出した、その瞬間。ふいに視界が拓けた。
月明かりが差し込む、水底のような青い闇の立ち込めた広間。水の匂いに混じり、ふわりと甘い沈香の香りが鼻腔を掠める。
石造りの噴水には、一人の人影が腰掛けていた。
「ミミクリ、ご苦労だったネ」
足下に擦り寄ってきたテンを抱き上げると、彼はゆっくりと顔を上げた。
脚環と同じ、強い金の瞳。
見たこともない、美しい色だった。
ルルーは声も出せずに、凍りついたようにその貴色を見つめ返した。
年の頃はアシュと同じくらいだろうか。とても美しい青年だった。異国の血が濃いのか、しなやかな筋を纏う肢体を褐色の肌で包み、白い、ぶかぶかした見慣れないデザインの衣装を着ている。鼻をつく甘い匂いも、この青年が纏うと不思議とひどく官能的だ。
目が合うと彼はふっと微笑んだ。
とっさに後ずさろうとしたルルーにそのままずかずかと大股で詰め寄ると、彼は有無を言わさず力強い手で羽織りものを奪い取った。
「あっ…………! 」
些細で悪戯っぽい興味が、刹那、どこか酷薄な確信に満ちた光に変わった。
野暮ったい羽織ものに覆われていた白銀の髪が無防備に夜風に投げ出される。
アシュたっての希望で切ることも染めることもされなかった生まれたままのその髪は月明かりを反射し、少女の人形めいた容貌と相まってこの世のものとは思えぬまでに美しい。それはまるで、雲間から差す月と星の明かりだけに縁どられた青い闇に浮かぶ、人の手の及ばぬひとつの奇跡のようで。
ふらふらと誘われるように伸ばされたその手を、ルルーは慌てて払い除けた。
「ッつ………」
「あ、ご、ごめんなさ……」
「イヤイヤ、淑女に不躾な手なんか出したラ叩かれてトーゼン。むしろ今後の僕の社交術を大い二改善してくれた君に感謝しないとネ」
驚いたからとは言えとっさに明確な拒絶を突きつけてしまい、オロオロと戸惑うルルーに青年は怒るでもなく苦笑すると、色っぽく片目を瞑ってみせた。
「いやァ、下から見ていて驚いたヨ。なかなかのお転婆で」
ルルーはさっと頬を赤らめた。
見上げれば、潅木のすぐ向こうの辻はルルーの部屋のすぐ真下。いつからこの青年がここにいたのかは分からないが、面白そうな目とその口振りからして、おそらく夜着のまませっせと結んだシーツを垂らす様子までばっちり見ていたのだろう。
「さァ、お探し物はこれだろウ? 雨かと思ったけど、やっぱり拾っておいテ良かった」
青年は懐からペンダントを取り出すと今度は恭しく細心の注意を払いながら、そっとルルーの小さな手のひらに乗せた。
「あ、ありがとう」
「いえいえどういたしましテ」
ギュッと大切そうにペンダントを胸に押し付けたルルーに、青年は優しく笑った。
「むしろコチラこそお礼と謝罪を。ミミクリがお世話になったようだカラ」
「キィ! 」
すかさず青年の肩から顔を覗かせた悪気の欠片もない無邪気な小動物に、ルルーは破顔した。
「そっか、あなたはミミクリっていうんだね」
「そう、コンナ小さななりをしているクセに主に似て悪戯者なんダ」
「悪戯者? 」
「……ロキ。コイツの主で、僕の名前。僕の故郷でハ“悪戯者”を意味する」
「私はル…………」
同じように名を告げようとして、ルルーは慌てて自分の口を押さえた。
「あ、と、ごめんなさい。私、名前は………」
「ううん、知ってる。ルルーだろう? 」
事も無げに答えた青年にルルーは目を見開いた。青年は悪戯のバレた子供のように小さく舌を出して笑った。
「アシュのお姫様の話は、今スエンニで一番の噂だカラね。あの男が夢中になるほどの女っていうから覗きに来たんダけど、まさか彼にとっての“運命の女”がこんな小さな女の子だとハ思わなかった」
彼は微かに目を細めると、少女に向かい艶然と微笑んだ。
「――――――ねえ、ルルー。僕のものに、ならなイ? 」
「はい…………? 」
少女は会話の流れをいきなりぶっ飛ばした突然の言葉に、思わずロキを二度見した。
今、この人は何と言ったのだろう。
彼自身は到って真面目な顔だから、空耳かもしれない。うん、空耳だ。きっと聞き間違いだ。
「言っとくけど、空耳じゃないヨ? 」
ふるふると首を振るルルーを面白そうに見下ろしながら、けれど彼はきっぱりと断言した。
「気に入ったってコト。君といたら退屈しそうにナイし………それに奴に君はあまりに勿体ない。彼は契約には忠実だケド、女には不誠実だよ? まず泣くことになル。君もバロットの二の舞にはなりたくないだろウ? 」
「バロット………? 」
初めて聞く名だった。胸の底を、苦いさざ波が広がってゆく。
そんな少女を見守りながらちらりとロキは赤い舌で唇を舐めた。
「聞かされテいない? アシュの、昔の恋人」
知らない、とは喉が掠れて言葉に出来なかった。
「そう、アシュは隠したつもりだったのカナ? この街の者なら誰でも知っていルだろうに。それを君にだけ、知らせないなんて」
「………………」
押し黙ったルルーに、青年は痛ましげに声を低めた。
「―――――じゃあ、僕が教えてあげル。知りたいだろう? 彼の、本当の姿を」
優しく、血のすべてを甘い蜜に溶かし変えるように。耳元をくすぐるように囁く様はどことなくアシュを連想させ、けれどそれはすぐに昏い虚無へと姿を変えた。
ルルーの知るアシュは、本当に僅かだ。いや、もしかするとルルーの見てきたものすべてが、彼に作り出されてきた偽物だったのかもしれない。
だって、何が本当の彼かなんて確かめようがなかったから。
ルルーには彼の語る言葉を信じることしか出来なかったから。
「ルルー、君には知る権利がある。知り得たことを考えるノは、人の業で、人に許された自由だ。悩み、迷い、疑うといい。そうすることで見えてくるモノもある」
「で、も…………」
「彼が話してくれるマデ、待つ? 待てばいつか、君にすべてを打ち明かしてくれるのなら、さっきみたイに今すぐ僕を振り払うといい」
ルルーは再び口を噤んだ。
アシュは何かを隠してる。それはもうずっと前から気付いていた。
そのときが来たら、彼は間違いなくルルーを使うだろうし今夜だってそのためにあの部屋を与えた。
利用されるのは構わなかった。今だってそうだ。アシュがそれで喜ぶのなら、構わないと思う。
ルルーの見る世界はアシュのもたらす世界だったから。
――――――だが、ロキの言葉に芽を出したのは、それとはまったく別種の感情だった。
アシュの手によらない、ルルー自身の欲が手を伸ばす、まったく別の面からの真実。
アシュにより構成せれるものだとしか思ってこなかった自分の視界が、突然切り離され、放り出されたような喪失感と浮遊感。
この感覚には覚えがある。他でもない彼に窓の向こうに世界が広がり、自分がそこへ行けるのだと言われたときの、自分を構成していた価値観の足場がいきなり失われる、あの感覚だ。
けれど何より、そんなものを欲している自分自身に、ルルーは愕然とした。
「沈黙は肯定、でいいのかな」
青年は呆然としたルルーの手を優雅にエスコートするように取ると、暗い生垣へ足を踏み入れた。
青い闇が澱のように緩く揺蕩い、二つの影をゆっくりと飲み込んでいった。
当て馬二号の登場。
思うに、ルルーの周りって変な輩が多すぎませんかね?
「お母さんの知り合いだよ」なんて誘拐犯の常套句ですよ……!




