一目惚れと遭遇
ロード視点。
彼のキャラクターファイルは「キャリア組」。
優秀なはずなんだけど今はまだ狸親父と狐に振り回される人。
世間には一目惚れ、というものがあるらしい。
一目惚れ。相手の趣味も来歴も、そもそも人間性すら不明の状態で、恋に落ちることだ。
世間は残念なことに決して少女趣味の物語のようには出来ていない。どんなに情熱的な人間でも、多少相手の容色が優れていたところで言葉を交わしたことすらない人間を恋うることなど実際は、まぁ、まずない。
暇な貴族の子息や令嬢が暇を潰すための、恋愛ごっこの演出の一環。
いわゆる運命や赤い糸やらもロードの認識では精々その程度である。
◇◇◇◇
「クソッ! 一体何なんだこの街は…………! 」
ジエン=ギスタフが息子にして、アーク飛空蟲部隊の若き隊長ロード=ギスタフは苛立たしげに短く刈り上げられた髪を掻き毟った。
道案内を頼んだ少年は案内料を持ったまますでに数本先の路地で見失っている。
貴族の出とはいえ一応軍人として鍛えられたロードだ。その足で追い付けないとなると、これはもはや金を持ち逃げで撒かれたのだ嫌でも分かった。
パンゲアの街は一個の「街」の規模が大きく、独立した勢力となっている。貴族が「領地」として持つのも実際は島ごとの「街」や「村」など、非常に限られた範囲内の集落だ。
スエンニのように城壁を持つ都市は人口が肥大化するにつれ、壁の向こうにまた壁と街を作る。人が増えれば壁の向こうへ貧しい者から順に押し出され、押し出されたものは野盗や獣から身を守るためせっせとまた壁を築く。もちろん、領内雇用政策の一環として壁の建設をさせる者もいるが、大方はこんなものだ。
特にスエンニのような短期成長を遂げた超大型商工都市となればその壁は作っては増え作っては増え………という増加率を体現したように、遠目から見ると中心街から延々と裾野を広げる積み木の山のようになる。
城門から入ると一応中ではメインの大通りくらいは確保されているが、それ以外となればいきなり折れ曲がったり妙なところで行き止まったり、もはや迷路だ。
こういう街では子どもに小銭や菓子で案内を頼むのが一般的なのだが、残念なことにロードはその手の街歩きの知識に疎い。
普段ならば無言の威圧感をもってものを言うきらびやかなアークの軍服も、今は義父ジエンの指示によりできる限り目立たぬ私服だ。とはいえ、着ているものはちょっと見れば仕立てが庶民と違うことはすぐ分かる。
そんな半端な観光客がこの“悪の街”に半端に足を踏み入れたらどうなるか。
簡単なことである。
要するに今のロードは目敏いスエンニの住人からすれば「ちょっと良いもの着た世間知らずの貴族のボンボン」、またの名を「絶好のカモ」。
道案内を買って出た少年に撒かれたのみならず、次第に大通りからぼったくり商が手ぐすね引く下町へと誘導されつつあることを、彼はまだ知らない。
「っ、そこか! 」
一瞬。ひらりと辻を過った見覚えのある緑の衣に、ロードはかっと駆け出した。
「待て! 」
「あん? ――――って、やべ! 」
慌てたように身を翻した肩を力任せに掴むと、少年は骨張った細い体を野良猫のようにばたつかせた。
「な、何しやがる!! 放せッ! 」
「ああ放してやるとも。頼んだ案内が済んだらな。料金分案内するのは当たり前だろう。せめて大通りまで連れていけ! 」
「ヘンッ、糞ったれ軍人の腐れ銭だろ! 」
「何を……………痛ッ!? 」
ガリッ、と渾身の力を込めて噛みついてきた少年に、ロードは思わず手を引っ込めた。拘束が弛んだ瞬間、少年はするりと腕から抜け出した。年に似合わぬぎらつく目でロードを睨み付けると彼は鋭く吼えた。
「尻尾巻いてとっととアークに帰りやがれ! 」
「なッ…………!! 」
少年は叫ぶだけさけぶと手近にあった花壇を蹴倒してまた路地を駆け出した。
聞き捨てならない暴言の数々、何よりこんなところで放り出されたら堪ったもんじゃないロードも、当然追い縋る。
「待たないか! 」
「待てと言われて誰が待つか! このドさんピン!」
リーチの長さや体力はもちろんロードの方が遥かに上なのだが、右へ左へ複雑に入り組んだ路地を熟知した少年に角や辻を過ぎるごとに次第に引き離されてゆく。
(ッ、どこへ――――?! )
右、左と視線を走らせるも少年の姿はない。鋲を打ったブーツをガツガツと石畳に叩きつけるようにして早足で次の路地に向かうも、行き止まり。
しかし次の瞬間、狩人たるロードの目が先に通り過ぎた通りの角に再び緑の衣を捉えた。
「そこかッ!! 」
「ほ、ほえっ!? 」
ぐん、と薄い肩を引いた瞬間。ロードはそこに二つの空を見た。
世間には一目惚れというものがあるらしい。
相手の趣味も来歴も、そもそも人間性すら不明の状態で、恋に落ちることだ。
世知辛いこの世の中で、実際にはまずない。暇な貴族の子息や令嬢が暇を潰すための、恋愛ごっこの演出の一環。
ロードの認識も、そのときまではその程度であった。
―――――可憐だ。
ロードはほぅ、と思わず息を漏らした。
先程の、生意気そうな少年ではない。
若い娘らしい可愛げなブラウスに、萌木色の鮮やかな緑のスカート。白いソックスと対照的な濃いエナメルの靴を履いた足は小さく、折れてしまいそうに細い。
人違いに力ずくで引き寄せた華奢な体は、呆気なくロードの腕の中に陥った。
突然のことに驚いたのだろう。
びっくりしたように見上げてきた顔は長いまつげに縁取られ人形のように整っており、ゆったりとした帽子の向こうに陰る淡い青の瞳が儚げな印象を持たせる。
すでにこの時点で明らかな人違いと、ロードにも分かっていた。常識をわきまえる大人としてここはさっさと彼女を解放し、謝罪のひとつも述べて立ち去るのが妥当なところ。
そう、分かっていたのだ。
しかし丸く見開かれた空を映したようなその瞳を覗き込んだ瞬間。ロードは痛烈にその瞳に自分を映してみたいという、今まで感じたことのない焦がれるような欲求に駆られていた。
一目惚れ、それも相当最悪な部類に振り分けられるタイプの典型だった。
「あ、あの…………? 」
突然掴み掛かってきてまじまじと顔を覗き込む青年に、少女が怯えたように身を引く。
しかしロードの耳には訝しげなその声さえも、まるで優しく爪弾かれる天上の音楽のように聞こえた。
「…………可憐だ」
思うだけならまだしも、 昨日までの自分が聞けば噴飯ものの台詞が、気づけばごく自然と口をついていた。
小柄な少女の目線に合わせるように片膝をつくと、改めてその小さな手を握り直す。
「名は? 」
「へ? 」
「君の名は、なんというんだ? 」
貴婦人への礼としてピンク色の小さな爪が並ぶ白い指先へ、ロードはそっと唇を落とした。途端「ふわっ、わ! 」と小さく悲鳴をあげて恥じらうように手を引っ込めた少女の慎ましさに、思わず微笑んだ。厚かましい面の皮ばかりのくせに淑女の礼だけは当然のように求める貴族の女たちより、余程純朴で好感を覚える。
少女は盛大に視線を泳がせるも、ここは入り組んだ壁の崩れかけた裏路地。この微妙な空気を打破する小粋な助けはなかったらしい。
「…………………」
着ているものからして裕福な家の娘のようだが、せめて名前くらいは聞いておかないと探しようもない。何よりこのか細い手を放せばその瞬間、彼女は鳥のように飛んでいってしまいそうで、ロードは逃さぬよう殊更手をしっかりと握り、視線を合わせた。
名乗らねば返さない、という気配が伝わったのか否か。やがて覚悟を決めたように少女は小さな手でスカートの裾を握り締め、プルプルと震えながらロードの問いに答えた。
「ル、ルルーです…………」
「ルルルー? 」
「違う…………えと、ルルー」
「ルルー、だね? 」
「は、はい」
「そうか、ルルーか」
この年頃の少女らしい少し高めの、けれど鈴のように耳触りのよい声にロードは相好を崩しつつ、帽子越しに優しくその頭を撫でた。
ルルー。確か、古語で空を表す言葉だ。古い歌にしばしばよく登場する、突き抜けるような爽やかな響きの音。
突然のロードの行動に一瞬、「あれっ? 」というような顔になったものの、名を褒められたことが余程嬉しかったのだろう。少女はようやく強張っていた表情をふわりと綻ばせた。
繊細な細工のようなまつげに飾られた目元が柔らかく弧を描き、幼さを残すまろい頬がほんのりと色づく。
「ッ………!! 」
ロードは思わず手のひらで顔を押さえた。
ばくばくと心臓が狂ったように血流を送り出し、顔がひどく暑い。
(何だこれは…………? )
兵法に関しては人一倍熱心かつ優秀な指揮官として学んできたと自負するロードだが、こんな感情は未だかつて経験したことがない。未知への不安と興奮に彩られた思考が焼き切れそうなほど言葉が溢れかえらせ、喉を詰まらせる。
少女は突然片手で顔を覆った男を不思議そうに見上げ、首を傾げている。
同じようにたまに首を傾げることのある義父には「その年でその仕草はちょっと…………」と思うことはあれ、こんな抱きしめたいと思ったことはない。
しかしロードが再び手を伸ばそうとしたそのとき、
「―――――俺の連れに何の用かな? お兄さん」
「あ、アシュ」
現れたのは若い男だった。
すらりとした長い手足に、すっきりとした品の良いジャケットが伊達男然として妙によく似合っている。闇を溶いたような艶やかな黒い目と、同じ色の髪。堅気と言うには垢抜けてるし、貴族というには毒を纏い過ぎる。少女とはまた違った意味でどことなく浮世離れした青年だった。
(ん? この顔どこかで……………………)
謎の青年に僅かに意識が逸れた瞬間、ロードの腕をするりと回避した少女は、突然現れた第三者に向かい嬉しそうに駆け寄った。
おかげですかっと宙を掻き、行き場を失った手をしばらくじっと見つめていたロードは、やがてギリギリと壊れたからくり人形のように顔を上げた。たとえ今、眉間にシワが寄って多少いつもより目付きが剣呑になっていたとしてもいつも不機嫌そうで表情に乏しいと言われる自分の平常装備、もしくは愛嬌だ。
だが何故だろう。
不機嫌顔はともかく、これでもあまり人嫌いしないタチだと思っていたのだが、この男に関しては口を利く前からすでに気に食わない。別段これといった理由はないが、ともかく気に食わない。
じっとりと相手を睨めつけてからロードは口を開いた。
「……………誰だ貴様は? 」
「いや、それ俺の台詞」
青年は難なく少女を受け止めると、ひょいと腕に抱えあげるようにして乗せた。
あまりない行動パターンだったのか、きゃーっと破顔した少女は嬉しそうにその首筋に抱きつく。
「流石の俺も自分の目を疑ったよ? まさかアークの軍人様が薄暗い裏路地でいたこんないけな小娘に御自らお声をかけて下さるとはねぇ」
青年は一見にこやかに、しかしその実一片の笑みの浮かばない目で冷ややかにロードを見下ろして言った。
「えっ…………この人アークの軍人さんなの? 」
「そうだよ。おや、お兄さんも何でバレたのか分からないって顔してるね」
少女は小さく眉を寄せ、不安げに青年の襟元にしがみつく。青年もロードへの絶対零度の視線とは打って変わって、目元を和らげるとそんな少女の頭に優しく手を追いた。
立ち入ることの出来ない、完結した空間。
そんな光景に、ロードは言いようもない疎外感と共に唇を噛んだ。
「左手の親指の背に、跡があるだろう? あれば弓弦があたって擦れたものだ。アークは空の島、軍部の人間は必ず“雲追い”の騎乗と弓手としての訓練がある。落下速度が加わる分、矢の方が攻撃効率が良いからね。この街の人間なら大概知ってるよ」
とっさに左手を引くと、青年は追及こそしないものの小馬鹿にしたように静かに口の端を吊り上げた。
しかし触れてみると青年の言う通り、確かに指の背には弛まぬ鍛練の成果で厚いタコができている。認めるのは腹立たしいが、先程の少年に軍人と知れたのもこれが原因だったのだろう。
「見たとこ着ているものも結構上物みたいだし、人の上に立つのも慣れてるから…………そうだな、エリート飛空蟲部隊士官クラスって所だろう」
青年は顎に手をあてロードを見下ろしながら検分を続けていた。静かに見下ろす漆黒の目は何もかもを見透かしているようでひどく不快だ。
スエンニは悪の街。
ジエンからはこの街の住人たちもまたとても強かだと聞いたが、これほど知恵の回る男となると本当に悪魔のようでかえって気味が悪い。
視線から逃れるように立ち上がり、目に力を込めて睨み付ける。
「もう一度だけ聞こう。貴様の名は? 」
先ほどルルーのときとはまったく違う意味合いで、ロードは男の名を問うた。
直感、のようなものだった。
この男は、敵だ。何かが決定的に相容れないというべきか。たとえ今はただ気に食わないだけの男でも、いずれ必ずどこかで敵になる。
確信めいた直感と共に、そう思ったのだ。
おそらく向こうも同じような感想を抱いたに違いない。
二人の青年の間を緊迫した空気が流れる。
沈黙を破ったのは黒髪の青年だった。
「そういうときはまず自分から名乗るべきだろう、とか言ってやる所なんだろうけど…………まあいいや。君の名前になんか興味ないし」
青年はすっと目を細めた。
「俺の名はアシュ。“薬師のアシュ”って人には呼ばれてる」
「アシュ、だな。覚えておこう。俺の名はロード=ギスタフだ」
「…………いや、構わないよ別に忘れたって。怒らないし、俺も速攻で忘れたいから」
「生憎だが忘れられそうにないな」
「うわあ、それすごい嫌だな…………一応言っとくけど俺、そういう趣味ないからね」
青年は鳥肌の立った腕をさすりながら後退る。
「どういう趣味? 」
「野郎同士のめくるめく何か………かな。うん、君は一生知らなくてもいいことだよ」
「? 」
少女の無垢な問いを曖昧に微笑みながら抱き直すことで誤魔化すと、青年はあの漆黒の瞳で再びロードを見据えた。
「ま、冗談はさておき。この街では個人の名なんて紙よりも軽い」
「偽名だと、言いたいのか? 」
「偽名を自己申告する馬鹿がどこにいるよ。そうじゃなくて、ただここでは個人の名なんて紙より軽いってだけの話しさ」
ロードの意識の中での“名”は基本的に貴族的思想が染み付いている。
貴族は家制度によりなるため、家名は爵位のみならず社会的立場や地位を示す指標だ。何より両親により与えられる最初のもの。名に重みがない、という言葉の意味がそもそも分からない。
訝しげに眉をひそめるロードに、青年はある程度予想していたのかひらりと手を振った。
「まあ要するに訊くだけ馬鹿らしいってことだよ。もちろん君のように理解出来ないなら出来ないで、それはきっと、とても幸運なことだ。――――――でも、」
かけがえのない宝でも守るように、刹那、少女を庇うように抱き込んだ彼は言った。
「――――――傲慢だとも、思うけどね」
ダブルヒーローってなんか憧れます。
しかし何故だろう、ウチのヒーローたちの残念感は…………。
いまいち扉絵飾る的な華がないというか。




