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食事













 しばらくの間、レミィとアシュは台所で何事か話し合っていた。

 努めて声を抑えているらしく内容は聞こえなかったが、時折レミィの激昂がルルーの席まで伝わってきていた。


「やぁ、ごめんごめん。待たせたね。大分遅くなったけどお昼にしようか」

  取りあえずは一段落ついたのか、二人はそれぞれ皿やコップを持って戻ってきた。

 口と同時に、手もしっかり働かせていたらしい。

 美味しそうないい匂いに、ルルーのお腹が途端に空腹を主張し始めた。

「ほら、とっとと食べなさい」

  レミィがテーブルを挟んでアシュとルルーの向かいに座り、食事となった。



  まず、“黒猫亭”女主人レミィの手料理はとても美味しかった。

 焼いた鶏肉をチーズと一緒に野菜とパンで挟んだだけのものだが、表面を軽く炙ってあるためかぶりつくとサクサクとしたパンの間からジュワーっと温かな肉汁が溢れ出す。

 あとで聞いたところによると肉は蜂蜜と果実を加えたタレで漬け込んであるらしい。

 鼻を抜ける甘い香りが食欲をそそる。

 ルルーは小さな口を一杯にして夢中でかぶりついた。

「気持ちのいい食べっぷりだけど、喉に詰まらせないようにね」

 女主人は苦笑しながら水の入ったコップを差し出した。そして「あんたも見習いな」と返す手のひらで、野菜を取り除けている青年の頭をひっぱたいた。


  一口腹に収まるごとに体の芯からじんわりと暖かくなってゆく。

 満腹になるにつれ、ルルーは何故だか目頭が熱くなるのを感じた。食べても食べなくても、あまり空腹の感覚を覚えない冷めきった塔での食事が、今更ながら酷く味気ないものに思えてしまう。

「美味しい? 」

 ぼろぼろと大粒の涙を溢しながら咀嚼する小さな背を、いつの間に置かれたのか青年の厚い手が撫でていた。

 ルルーは泣きながらも必死で頷く。「良かった」とアシュは笑った。

「美味しいって感じられるのは幸せなことだよ。君があそこから出たことで、幸せになれたってことだ」


  アシュの言うことは、何となく理解できた。

 空っぽの心にほっこりと満たされていくような、それでいて切なくて堪らなくなるような。

 あの部屋では渇ききっていたもの。

「…………どうして、アシュはそんな、わかる? わたしの、ほしいもの、ことばも」

「ん? 」

「わたしの、ほしいもの。みんなアシュ、くれた」

 言葉も、何気ない仕草も。

 自分でさえ気づかなかった望みを、アシュは一つづつ魔法のように叶えてくれる。――――鮮やかすぎて、怖くなるほど。

「うーん………何て言ったらいいかな。俺もまた“奪われた”人間だから、かな」

 青年は困ったように眉を下げ、言葉を濁した。そしてルルーの銀の髪を指で漉きながら「不安? 」と尋ねた。

 ルルーは少し考えてから、こくりと頷いた。


  不安なのだ。

 ルルーは与えられることに慣れていない。

 自分の中に望むものがあったこと自体に戸惑っているくらいに。欲しかったものを、言葉を与えられ、けれどそれを返す術が分からない。

「ルルーは全然気にしなくていいよ。半分は俺の道楽みたいなものだからね。俺は君が奪われていたものをちょっと掬って返しただけ。ルルーは当たり前のものを、ただ取り返しただけなんだよ」

「そうよ」

 レミィもきゅっと赤い唇で弧を描き、アシュによく似た悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「くれるってんなら遠慮なくもらっときなさい。男に貢がせるのは女の特権よ。それにね、料理ってのは食べた人に美味しいって言ってもらえるのが一番のお代なんだ。あんたが初めて美味しいと思ってたのがあたしの料理なんて、料理人としての誉れは十分すぎるくらい返してもらってるわよ」

 うんうんとアシュも頷く。

「なんなら俺の分の野菜もあげ」「あんたはもっと作ってくれた人に敬意を払え」

 すぱーん、とアシュの頭から再び小気味良い音が響く。

 青年が不服そうに顔を上げた。

「さっきから人の頭叩きすぎじゃないかなぁ」

「あたしの思うに」

 ぷい、とそっぽを向きながらレミィは冷たく突き放す。

「あんたがこんな阿呆なことばっかするようになったのは、あの時海面に頭を叩きつけられたからだと思うの」

「百歩譲ってそうだとしても、また叩けば戻るとは限らないよ。それに海面突入なら昨日やったし」

「それでも諦めきれないのが姉心なのよ」

 頭上で飛び交う軽快な二人のやり取りを聞いていたルルーは、ふと首を傾げた。

「…………あね? 」

「ん? あぁ。俺たちは姉弟。レミィは俺の姉さんなんだ…………ってあれ、言ってなかったっけ? 」

「いってない」

 ルルーはむーっと可愛い唇を尖らせた。


  なるほど、確かに改めてよく見ると同じ黒髪黒眼だし、切れ長な目元や薄い唇も互いによく似ている。軽妙な軽口や互いへの気安さも納得できる。

 何故気づかなかったのだろうと思うと同時に、ほんの少しだけ、心のどこかでホッと空気が抜けた気がした。

 その様子を見て、レミィが苦笑を漏らした。

「ルルー、あんたせっかく可愛く生まれたんだから、こんな阿呆に振り回される女になっちゃ駄目よ。掴まえるならもっといい男にしないと」

「アシュ、わるいの? やさしいのに」

  難しい顔をして訊ねるルルーの頭をレミィは「いてっ」乗っていたアシュの手を素早く叩き落とすと、優しく撫でた。

「優しい男で失敗する女は海の魚より多いのよ。むしろ下心があるんじゃないかって警戒しなさい」

「レミィの偏見だよ。俺はこう見えて案外正直で誠実な人間だよ? 」

「自分にだけは、ね」

 冷ややかに弟に評価を下すと、女主人はテーブルに肩肘をついた。豊満な胸が押し上げられ、ぐっと挑戦的に寄せられる。


「………それなら今後のこと、ちゃんと考えてるんでしょうね。この銀の髪は目立つわよ」

  ルルーは肩に掛かった自分の髪を一筋つまんだ。腰まで届く長い髪は、確かにフードを被らなければ港中の注目を集めていただろう。

 塔では“フクロウ”の証たる聖髪とか言われて毎日梳られていたが、特に愛着はない。

「染めるか、せめて短く切るか」

 姉の提案に青年の口からあからさまな落胆が漏れた。

「えー、勿体ないなぁ」

「…………あのね。今の状況を分かってるの? 」

 目元を揉みながらレミィは疲れたように言った。

「“天涯の月”はアーク島の奴らにとってただの宝じゃないわ。地上から解き放たれた自分たちの選民思想を形作る、唯一絶対のシンボルよ。そんなもの盗んだら、」

「もちろん血眼で追ってくるだろうね」

 言葉を継いだアシュは愉快そうに喉を鳴らす。

「あ、あの、わたしっ………」

 慌てて裾を握り締めたルルーの肩に、安心させるように温かな手が重ねられた。

 思わず見上げるとあの小さな窓から飛び込んできたときと同じ様に、青年の飄々とした笑みが見下ろしている。大丈夫、とアシュ囁くとレミィに向き直った。

「“ルルー”は俺が(・・)盗み出したんだよ? アーク島のボケちんどもの事情より、少なくとも今は俺の意見の方が重用されるべきだよね」

 にっこりと、けれどいっそ凶悪と言ってもいいような清々しい笑顔。

「“天涯の月”はまだ奪ってる途中(・・)。俺がこの手の内に入れるまで、ルルーの髪は染めるのはもちろん、切る必要は一切ない」


  レミィが苦々しげに顔をしかめた。

「本気? 」

「本気だよ。これ以上ないくらいにね」

  これで話はしまいだというようにアシュさっさと視線を逸らし「ごめん。でももうしばらくは切らせられないから」とだけ囁くと、再びルルーの髪を漉き始めた。

 レミィが諦めたように首を振り、ため息をついた。

「そこまで言うならあんた一人の我が儘でこの子が泣くことがないよう、あたしは祈るばかりだわ」

「………………心に留めておくよ」

 青年は視線を少女の髪にやったまま、頷いた。













肉食系です。

「野菜食え食えって、青虫じゃあるまいし(笑)」


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