姉
「ルルー様、ルルー様」
月の冴えすぎる、眠れない夜だった。
それでも夜具の中、うつらうつらとようやく舟を漕ぎかけていた寝入り端を突然揺すり起こされ、ルルーの意識は急激に浮上した。
「ん………な、に……? 」
目を擦りつつ重い目蓋を開けると、そこには青い顔をしたヤハルが覗き込んでいた。
「あ、あの、あの、ヤガナを見ませんでして? 」
「ヤガナ? いや………厠じゃないの?」
ヤハルはぎゅっと両手を胸の前で握り締めて首を振った。
「どこにも………家中どこにもいないんですわ! 」
「ちょっ………ヤハル、まずは落ち着いて。声が」
今は夜中だ。子供の甲高い声はそれでなくとも耳をつく。
ルルーは慌てて声をひそめさせた。いつになく取り乱した様子に残った眠気も一気にぶっ飛んでいた。
「取りあえず、何があったか話して」
「え、ええ。そうですわね」
夏場とはいえ、山合いの夜は冷え込む。ルルーはたっぷりとした毛糸の上掛けを羽織るとヤハルに向き直った。
その時、雲の絶え間から月影がひやりと地上を舐めた。清浄な光が天窓から差し込む。
ただひとつ、ルルーは失念していた。
今夜が一月のうちもっとも明るい半月の夜であること。
就寝のため覆いの取られたその長い髪が、月明かりに照らされ白銀に輝いていたことを。
「夕餉のときの婆様の話を覚えてまして? 」
ルルーに促され深く息を吸うと、ヤハルは青い唇を震わせながら語り始めた。
「うん。里を出た妹さんの話でしょ」
「はい。実はあのあとから、ヤガナの様子が変で………私が話しかけてもずっと上の空で。私、もう怒って先に寝ようと布団に入ったんです。でも寝る直前、急にこちらに向かって微笑みながら『ヤハルは私が解き放ってあげるからね』って」
「どういうこと? 」
「分かりませんわ。でも、きっとその話に関係があるんだと思って私、咄嗟に言ったんです。『別に私は囚われている訳ではないわ』と。確かに外の世界の話を聞くのは好きですけど、私はヤガナを置いて出ていったりなんかしませんわ」
涙目になるヤハルの背をさすりながら「それで? 」とルルーは続きを促した。
「それで妙に気になって、夜中に目が覚めてしまったんです。で、ヤガナの方を見たら………」
「布団が空だったのね」
ぎゅっとヤハルの握られた拳が白くなる。
「こんなこと、今までなかったんですわ。いつも一緒だったし、互いに何を考えているかもすぐ分かった。それなのに今は何も、分からなくて。ヤガナが私に何も話さないなんて、私、どうしていいか分からなくて………」
じわ〜っと涙を滲ませ始めた少女に、ルルーは慌てて取り繕うように言った。
「だ、大丈夫だよ。私も一緒に探すから、ね? 見つからなかったら誰か大人の人を呼ぼう」
「ふぇ、わ、分がりまじたわ」
「ああああ泣かないでぇ」
アシュならばこんなとき気の利いたことを言えるのだろうが、彼と違い、自分はこういうのの何もかもが手慣れない。
どうしていいか分からないこの心許なさを、共感できこそすれ和らげるなんて、とても出来そうもなかった。
(そうだ。アシュに話せば………………いや、まだダメ)
脳裏に浮かんだ苦笑に飛び付きそうになった心を、ルルーは必死に抑え込んだ。
まだ自分にできることをやりきっていない。
アシュに頼るには、まだ早い。 少しは自分で考えなければ。
二人はアシュじゃなく、ルルーの友人だ。
そのとき、一瞬何かがふっと脳裏を横切った。
(あれ? )
静けさに包まれた闇。カンテラの明かりに煌めく飾り石。
二人を縛りこの里の守り続けてきた、そしてこれからも守り続けていくだろう秘密。
――――ヒントはこの里にあるもの。
「…………ねぇ。火薬って、何から作るの? 」
「え? 」
「だから火薬の作り方! 」
突然真剣な目で肩を捕まれ、鼻水が口に入りかけていたヤハルはその突拍子のない問いに目を見開いた。
「教えて! 」
「え、あの、大体は硝石や硫黄からかと………」
「作ったことや、使ったことは? 」
「ありません。里人が作るのを見たことがあるだけで」
「じゃあ使い方は知ってるのね!? 」
「は、はい。それは、まぁ………でもそれが? 」
しどろもどろに紡ぎ出される答えに、ルルーの顔はみるみる血の気が引いていく。
ヤハルに何も告げなかった理由は、何故か。………告げられなかった理由は何故か。
ぱっとヤハルの手を引いてルルーは立ち上がった。
「ごめん。やっぱり大人の人を呼ぼう。これは私たちだけじゃダメだ」
「ど、どういうこと? ヤガナはどこにいるの? 」
急ぎ足で進む友人に、半ば引き摺られるようにして着いてくるヤハルの腕をルルーはぎゅっと握り締めた。
「私の考えが正しければヤガナは、“フィロの外史”を爆破する気だ…………! 」