露天
「どうしても、ダメ? 」
最後の望みを込めて、ルルーはアシュの袖を握った。
この青年ならば、この状況を突破できる奇策を持っているのではないか。まだ種を明かさないだけで、いつものように鮮やかに解決してくれるのではないか。そんな淡い期待を、こんな最後の瞬間までルルーは捨てきれなかった。
懸命に見上げる少女を、しかし青年は沈痛に眉根を寄せると常にない非情さでその指を外した。
「すまない。こればかりは俺にはどうしようも出来ないんだ」
「……そ、んな……」
裸足の足に、床の冷たさがさぁっと這い上がってくる。
絶望で目の前が真っ暗になった。
これでもう、退路は絶たれた。唯一の望みの綱が切れた今、もはや救いはどこにもない。
アシュが、アシュさえいれば大丈夫だと思ったのに。
あの器用で優しい指が、そっと慈しむように編み上げられた銀の髪を梳く。
時間だな、と呟くとアシュは手ずから結い上げたその髪をそっと布地で覆った。せめてこの髪が零れることのないようにという精一杯の誠意に、ルルーは唇を噛んで俯いた。
「ルルー………」
そんな少女のか細い肩にアシュは堪らず手をのせた。
「俺にしてやれるのはこれくらいだけど、忘れないで。俺はいつだってルルーの味方だから………」
せめてこれだけは信じてほしい。
囁かれた懇願にルルーは泣き笑いのような顔で必死に首を振った。彼は最後まで反対し、抗っていてくれたことを、誰よりも自分がよく知っている。
互いの言葉の隙間を埋めるように見つめ会う二人。
しかし運命は彼らが望むような奇跡は起きなかった。
ふいにばんっ、と戸が開け放たれた。
「さぁ、参りましょうか」
逆光の中に黒々と立つ影が、冷酷にその時を告げた。
踏み入ってきた一人が蒼白になって震えるルルーの腕を、有無を言わさず掴み上げる。
思わず腰を浮かした青年を、ヤハルは冷ややかに制した。
「殿方はこれ以上は入れませんの」
ルルーの腕を捉えたヤガナも、苦い顔で手出しのできないアシュを嘲るように振り返る。
「ええ、この先は男子禁制。アシュ様と言えど例外はありませんわ」
なんたって、と双子はにんまり顔を見合わせ、同時に叫んだ。
「女同士、裸の付き合いですわ――――!! 」
事の起こりはこの日の午にまで遡る。
夜通し歩いてきた二人が一度仮眠を取り、その後遅い昼食を食べていたときだった。
湯浴みの仕度を整えた双子が戻ってきたのは。
曰く、
「ルルー様とお風呂に入るんですわ」「隅々まで洗い合いながら親睦を深めるんですの」
とのこと。
二人が起きてくるのを桶を抱えてずっと待っていたのだというから、可愛らしいのか空恐ろしいのか分からない。
青い顔をして震えるルルーに、流石に見兼ねたアシュが「この子はそういうのに慣れてないから」と取りなしを試みた。
しかしもうすっかりその気になっていた双子に「まさかアシュ様、ルルー様と一緒に入る気でしたの!? 」とかしましく騒ぎ立てられ、騒ぎを聞きつけた三婆に「なら精のつくものを」と再び媚薬を奨められ、あえなく撃沈した彼を誰が責めることができようか。
せめて髪だけはと結い上げてくれた青年に、両の腕をがっちり捕獲されたルルーは涙を飲んで別れを告げたのである。
「ふぅん…………じゃあ、たまたまにわか雨に降られたアシュ様が雨宿りに入ったお宅のルルー様と、世間話をするうち各国珍味の話題ですっかり意気投合して、それなら可愛い子だから旅をさせようかという親類の方の助言という名の一存で一緒に旅をしていると」
長々と湯の中に手足を伸ばしながら、ヤガナは事前にアシュが用意していた『マル秘、二人の出会い秘話』を訝しげな顔をしながらも端的にまとめた。
さわさわとエメラルドの木漏れ日が零れる、野外の一角。
行きに通ってきた道からさらに川へと下った釜の一つからは、軽やかな声が響き渡っていた。まだ日が高いにも関わらず、白い湯衣を纏った三人の少女たちが湯浴みをしている。
婚前の女性は肌を見せることを忌むパンゲアでは、屋外や高貴な身分の娘は入浴の際湯衣を身につける。衣といってもごく簡素なもので、ざっくりと丈の短い貫頭衣を腰の辺りで縛るだけだ。
ただ生地の薄い湯衣は濡れると肌に張り付いて薄く透け、脇や瑞々しい太ももが動く度にちらちらと危うく見え隠れする。
少女らしい、まだ固く未熟な果実を思わせる初々しさなのだが………控えめに言ってもかなり生々しい。はっきり言ってしまえば淫靡。男性からすればなまじ全裸よりも生唾ものだろう。
婚儀の際に新郎から花嫁への贈り物とされる点、生地の薄いものほど高価とされる点からかんば見ても、現在まで俗習と残ってきた理由は推して知るべしである。
もっとも、塔では桶に湯を溜めて体を洗っていたルルーからすれば、そんな男性社会の思惑はびこる慣習など知りようもない。
第一そんなことより今は目の前の、異様にハイテンションな双子に相対す事こそ最優先事項だった。
女同士故の筆舌し難い攻防の末、半べそのルルーを宣言通り隅から隅まで磨き上げた二人は心なしか頬がつやつやしている。コダエの谷の湯は美容、血流、若返りを始め、数々の女性に嬉しい薬効を誇るが、それだけではないようだ。
すっかり温まって桃色に染まった頬を膨らませつつ、双子はぐったりとしたルルーをしつこくつつき回していた。
「年頃の娘を若い男に預けるものかしら」
「それは………アシュが母方の遠縁にあたるひと、だったから」
「でもあのアシュ様がですわ。そんな信用あるのかしら」
「よくわからないけど………アシュはちゃんと、大人だから……多分」
こんこんと尽きぬ暖かな湯に浸かりながらも双子の質問責めはアーク島獄卒の尋問もかくやというほど容赦なく、アシュの用意した台本なしではきっととっくの昔に音を上げていただろう。
心の中でアシュに感謝しつつ、今のところ大きな間違いもなくなんとか乗り切っているルルーは、ようやく緩まろうとしている矛先にほっと胸を撫で下ろした。
あからさまにほっとしているルルーに、ヤハルが不満そうに抱きついた。
「お二人のことですからもっとロマンチックでドラマチックな出会いを期待してましたのに」
「ろ、ロマンチック? 」
「ええ、そうですわね…………」
例えば、とヤガナは頬に指をあてて考え込む。
「にわか雨より、いっそ『嵐の夜』とかの方が良いですわね。雷鳴とどろく夜更けならなお良しですわ」
ぎくっ、とルルーの体が強張る。
しかしそれに気づかぬ双子は真実云々より、年頃の少女らしい空想の方が趣向に合ったようだ。話し始めるうち俄然、創作意欲に燃え出した。
「あら、それならご親戚の一存なんかより、いっそアシュ様がルルー様を拐うって方がドラマチックで素敵ですの」
「まぁ流石ですわ、ヤガナ。それならルルー様はどこかに囚われの暮らしをしていた、なんてどうでしょう? 」
「それで世間話でなくこう、手を差し伸べて『俺と一緒に来て欲しい』とか」
胸に手をあてて声色を使う姉にヤガナは「きゃーっ!! 」と黄色い悲鳴をあげてルルーに抱きついた。
元々寒村の育ち、下手に穿った恋愛小説を読んだことがない分、設定は呆れるほどベタな展開だ。
しかし事実は小説よりも奇なりと言う。ときに奇を衒い過ぎるあまり原点に立ち返ることもあるだろう。
ただ、それはこの嘘をつくのが不得手な少女にとって、ちょっと可哀想になるほど不幸だった。
いっそ事実を知っているのかと疑いたくなるほど双子の創作話があの夜の出来事を次々と指摘していくため、ルルーは気が気でない。
旅の埃を流すどころかぎゅうぎゅう抱きつかれながら、背後に冷たい変な汗が流れるのを感じていた。
「水着姿にドキッ」と共にサービスカットの双璧をなす「濡れて張り付いてスケルトン」。
なんと言うか、性癖が如実に表れますね………。




