偽愛言(ぎあいごと)
人は、状況や場合によって、軽々と愛を語った。
軽々と、心にもないくせに、愛を伝えた。
本当に愛しあっている者たちは、この世には僅かだ。
ただ私が、知らないだけなのかもしれないけれど。
そう今は思っている。
何も、この世の人間たちに悪影響を起こしたりしないのなら、個人的に私は認める。
だけど、この世には、確かに偽りの愛が存在がするということ。
私は、経験しているから、ソノ感覚を知っているから、言える。
偽りの愛は、この世にとっては、少なくとも、対象の人間に向いている、大きくて、あまりにも危険な凶器だ。
それを私はいつも背中に背負っている。
時には、味方に付けることが出来るけど、私は意図的にそんなことはしない。
したくなんかない。
それじゃあ、この世に生きるものとして、最低だ。
偽りの愛を持つ人たち以下だ。
そうなったら、もう戻れない。
穴に落ちれば、足のかけばも無く、のぼって戻ることも出来ない。
愛なんかいらない。
だから私は、もっとも好きな友達、私を理解してくれて、優しくて、嘘が無く、私が言ったこと何でもゆうこときいてくれて、何でもしてくれる。
これが愛だ。
私はそう思う。
怪我しても、構わずに私の言うことをいつでも従ってくれて、『好き?』って、私が訊く度に、うんうん、と、頷いてくれた。
だけど最近は、何故かいつもよりすごく嬉しそうに、私が『好き?』って訊く度に、どこかへと早く行こうと言わんばかりのような、そんな感じの雰囲気が友達との別れ際に感じられた。嬉しそうに、なのに……。
それから数ヶ月。
別れを告げられた。
まるで、カップルの片方が、別になろうと、告げるように。
そうだ、私は、友達のことをそういう風に感じていた。
友達以上って…………。
私は悲しくなった。
だけど、友達の顔には、明るい表情がヒラいていた。
花のように。
別れを告げると、友達はそそくさと、さっさと、顔を拭う仕草もなく、立ち去っていってしまった。
私がふと思いついた、いつもより優しい、お願いも聞かずに。
最後くらいは、私がお金を出してあげるから、販売機から私にコーラを買って来てって。
最後なんだから、最後だからこそ、ちゃんと私の目を見て話してくれてっていてもよかったじゃん。
私の友達は、隣町に引っ越して行っちゃうんだって。
まぁいいや。
それなら、おうちを探して遊びに行ってあげよ。
あの子、ドジだから、私に住所を教えるの忘れて行っちゃった。
…………ふふ。