人生の最初の敗北は、だいたい名前負け
『早く!早く!』
寒空の下、吐き出される熱く白い息。
かつて溺れて死に掛けた少年は住宅街を走っていた。中学校指定の学ランが乱れるのも構わず、左手でずり落ちるメガネを上げて一目散に走っていた。
『ヤ、ヤバイ、もう、死にそう!』
しかし少年は走るのをやめない。
翻る白いマフラーの上では頬が赤みを帯びており、苦手な運動を全力で行っているのとは別の興奮が瞳に輝いている。
そう自分を急かす少年の目に、二階建ての一戸建てが映る。少年は玄関扉を勢いよく開き、
「母さん!?〔神さん〕から手紙が来たってホント!?」
叫び、靴を脱ごうとして、
「あ」
派手に転んだ。脛を打ちつけ、少年がもんどり打つ。
「うごおおおおおおおおおおおおおおお!?」
それでも持ち直して、這いずりながら少年は前へと進む。
すると、
「あら?もう帰ってきたの?早いわね?」
玄関から見える居間から声がかかった。だから〔拾い癖〕のある少年は大声でツッコんだ。
「そういうボケはやめろよ父さん!母さんは!?」
そう、面倒くさいノリでボケた父親に。
「母さ~ん!?最近マー君俺に冷たくな~い!?ツッコミに温もりがなくな~い?」
「ツッコミに温もりを求めるな!もう!面倒くさいなあ!」
マー君と呼ばれた少年はそう怒鳴ってから立ち上がって台所へ向かった。勢いよく扉を開ける。
そこには、
「こらサンマ!サンマがサンマを食べてどうするの!?もうアナタ何様!?」
「にゃ~」
かつて川で溺れ、少年と共に死にかけた黒猫のサンマが、少年の母と夕食の秋刀魚を巡って揉めていた。母親が少年の方を、ツッコミを希望する眼差しでチラチラと見た。そして少年が黙っているのを見て取ると、
「こらサンマ!サンマがサンマを食べてどうするの!?もうアナタ何様!?何様!?何サン・・・」
「ツッコまないよ!?繰り返せばツッコむと思ったら、大間違いだから!」
「そ、そんなこと言って!強気じゃない!?余程通知表の中身がよかったのね!?」
「そ、そういう返しはズルイでしょ!?そ、それに今はそれどころじゃないんだ!」
少年はそれだけ言って母親を放置、周囲に視線を巡らせる。
食卓に置かれた封筒に気づき、手に取る。
白と黒のチェック柄。送り主を象徴する〔笑顔の口〕が描かれた赤い封蝋。
それはまぎれもなく〔才能を貸与する者〕、通称〔神さん〕から縁之下正義へ宛てられた手紙だった。




