運命
そして、
『助けて!助けて!助けて!』
メガネをかけた地味な顔立ちの少年はそんな運命のカウントダウンに気づくはずもなく、溺れていた。
長い夏の一日、茜色の川面に弾け飛ぶ白い泡と水滴。
ガボガボ。ゴボゴボ。
幼い少年の、声にならぬ声。
半袖短パンから伸びた細い手足を動かして、しかし右腕に抱えたそれを離さない。
少年が抱えていたのは黒い子猫だった。
小学校の帰り道、昼間降った夕立でやや増水した川の中州。
少年はそこに彼を見つけた。
最初少年は子猫を無視した。
しかし少年の心の中で、膨れ上がる感情があった。
『行かな、きゃ』
気づいたとき、少年は走っていた。
ランドセルを放り出し、怯えて爪を立てる子猫に手を伸ばしていた。
その身体が見落としていた川の深みに呑み込まれた。
身体が川の流れに攪拌されて、泳げない少年はパニック状態に陥った。
息がドンドン苦しくなり、それが悪循環を生む。
少年は手足をバタつかせて叫んだ。
遠くに人の姿が見え、彼はさらに叫んだ。
ガボガボ。ゴボゴボ。
しかし希望は水泡となって消える。
朦朧とする意識。
そして、
『ああ、やっぱり僕は〔どこにもいない〕んだ』
視界が黒くなる寸前、無視されていた少年はそう悟った。
真っ暗になった。
そんな少年の身体が、水中でグイっと引っ張られた。
中洲に引き上げられた少年は咳き込んで水を吐き、意識のない猫にビンタと人工呼吸を施す〔彼女〕を見た。
水に濡れた私立小学校指定の白いセーラー服と茶色の長髪。
白い肌を滴る汗と水の流れが〔彼女〕の存在を光らせる。
可憐な花の蕾を思わせる桃色の唇が子猫に空気を送り込み、小さな命が息を吹き返す。
最後に大きくて透きとおった鳶色の瞳がメガネの少年を見た。
『この、人・・・』
「あ・・・」
口から涎と一緒にそんな声が漏れ、
「この子を殺す気?」
少年は厳しい眼差しを向ける〔彼女〕の言いたいことを瞬時に理解した。
「ち、違う。ぼ、僕はただ・・・」
言葉を待たず、運命のカウントダウンがゼロになる。
「何の力もないのに、〔ヒーロー〕を気取るな!」
こうしてどこにもいなかった少年は、〔運命〕となる出会いを果たした。




