嫌だ
「え?」
振り返った正義の前に立っていたのは、長い髪を茶色に染めた優男だった。同じ制服を着ているのだから生徒であることは間違いないのだが、正義は彼に『ホスト?』という印象を持った。少しキツイ香水の匂いとまるでスーツのようにお洒落に着こなされた制服がそう思わせたのもあっただろうが、何よりその柔和で その実心からのものではないとわかる笑顔がそう感じさせたのかもしれない。
だが偏見や先入観を持つことは良いことではない。
そう考えた正義は少年への嫌なイメージを抑えて聞いた。
「君、は?」
「ああ、俺は円藤って言うんだけどさあ。不和ってのはホラ、あのドリルで三つ編みのヤツだよ。俺の地元では有名だったんだけどさあ」
正義は円藤と名乗った少年の質問を吟味して答える。
「う、うん。多分、その、熊殺し?の不和に絡まれてたのは僕だけど・・・」
『というか熊殺しって何?確かに熊でも殺せそうな感じの人だったけど・・・』
正義が考えていると円藤から次の言葉が放たれる。
「やっぱり?じゃああのおかしな女と知り合いなんだろ?」
おかしな女。
ほんの一瞬だった。
その言葉が正義の中で何かのスイッチを入れた。
驚くほどの速さで意識が冷たくなっていき、無意識に細められた目が優男に向けて不信感を露にする。
「それはチヒロ姉のことかな?」
「あ?ああ、チヒロって言うんだあの女?」
「何を聞きたいんだよ?」
「いやだからさ、あの女紹介してくんね?」
その言葉で正義は少年の意図を理解した。
だから、
「悪いけど、嫌だ」
まっすぐそう言った。しかしなおも円藤は、
「そんなこと言うなよお?な?いいじゃ~ん!」
そう言って正義の方を叩いた。しかし優男の瞳に下心を見出した正義は、
「嫌だって!」
そう苛立ちを込めて言い放ち、彼の手を空いた左手で弾いた。
同時、
「痛ってえな」
円藤の目が据わり、その右手が小さなライターを取り出す。呆気にとられる正義の右腕に空いた左手が伸びてきて固定、ライターを掲げた優男の顔が近づく。
「お前今殴ったよな?先に手ぇ出したのお前だよな?だろ?」
声はごく小さなもので、周囲の喧騒の中、誰かが気づく気配はない。いや、正確には気づかせないようにこの優男が位置取っているのだ。だが正義がそうと気づいたところで、すでに暴力の気配に動けなくなっている少年にはどうすることも出来なかった。
「俺の〔才能〕さあ。このライターが出した炎と煙を自由に操ることが出来るんだよ。意味わかるか?つまり今お前に〔見えなくしてる〕これを使っても、誰も気づかないってことだ」
円藤がライターのスイッチを入れ、火のついていないように見えるそれを正義の顔に近づける。すると明らかにそこに炎が存在するという証である熱が正義の頬を舐めていった。
怖い。
痛いのは、嫌だ。
正義はそう思うが、喉は震えて声が出ず、身体は石のように硬くなった。
『どうして僕はこんなに弱いんだ』
そんな意識が少年を支配していく。
だが、
「なあ?一緒に仲良くやろうぜ?だからチヒロって女をさあ・・・」
〔彼女〕の名前が正義の頭を真っ白にした。
そして、
「・・・だ」
「あ?」
「嫌、だ」
掠れた声で正義はそう言った。
身動きは取れなかったが、まっすぐな瞳で円藤を睨み付けた。
「あ、そう」
そう言って優男の目が細まり、暴力の予感に正義は震えた。
『でも僕は・・・!』
正義がそう思い、優男がまるでナイフを刺そうとするかのようにライターを引いた直後。
「どけ」
2人の上から声が振ってきた。