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それがどんなに酷いことか知ってるから

 小柄な女性だった。

 白い頭髪に少し曲がった腰。背後からでも老齢とわかる皴の寄った手肌。

 そして視覚に障害があることを暗に示す白杖を左手に持った女性だった。

 正義は反射的に彼女とその周囲を観察する。

 女性は横断歩道の手前、アスファルトに設置された警告ブロックと呼ばれる黄色の点状ブロックを踏み、止まっていた。

 歩行者信号の色は青であり、それを告げるように擬音式の音響装置付信号機が鳥の囀りを模した音を奏でている。

 だが女性はそこから動かない。

 身体はまさに点滅する青い信号の先を向いていると言うのに、立ち止まったままゆっくりと見えないであろう目と白杖で周囲を探っている。

 光景に、正義の脳裏にある予測が立つ。

 そして、



「セイギ?」

「ごめんチヒロ姉、ちょっとこれ持ってて」



 スーパーの袋をチヒロに預け、何度か同じような状況に遭遇してきた正義は経験上大事なことを思い出しながら進み出た。

 まず以前偶然振り向きざま杖で殴られた経験を活かし、



『こういう人は、、白杖に意識を集中させてる。混乱させないように、近づくのは杖を持つ逆側』



 次に以前メガネを割られてしまった経験を活かして、



『いきなり触ったりしたら相手を驚かせる。だから』

「何かお困りですか?」



 ゆっくりとした調子で声をかけた。

 最後に、



『断られたら、無理強いはしちゃダメだ』



 前にしつこく手伝おうとして変質者扱いされた経験をそうやって確認しながら、正義は身長に女性の様子を伺った。

 しかし皺に覆われた顔は正義の声に反応せず、変わらずキョロキョロと周囲を見回した。何度か同じ呼びかけを繰り返しても同じだった。

 そして正義の予測が確信に変わり、だから、



「何か!お困り!ですかあ!?」

「セイギ!?」



 チヒロの驚きを無視して、正義は左手を拡声器の代わりに普通なら驚くであろう声量でゆっくりと叫んだ。

 すると、



「あ?」



 女性が正義を振り返った。だから正義は続けた。



「何か、お困りなら、お手伝い、しますよ!?」

「あ!?誰かいんのか!?今なんて言った!?」



 正義はそれから時間にして5分ほど、根気強く女性に話しかけた。その間に何度も信号は青に変わるが、正義は周囲から向けられる視線も気にせず声を張った。

 そして、



「悪いねえ!耳が遠くってさあ!聞こえなかったのよお!」

「全然大丈夫ですよお!じゃあ、行きましょうか!?」

「頼むわあ!」

「行くよ?チヒロ姉?」

「あ、う、うん!」



 正義は慣れた様子で左肘を女性の胸の高さに掲げ、右手をそこにつかまらせる。

 青に変わった信号を確認し、正義は自分の動きが伝わりやすいように、また転んでもすぐに庇えるように女性の少し前をゆっくりと歩いた。



『よし、これで・・・』



 正義がそう思った瞬間、



「あ」



 そんな声を上げて、女性の足が歩道の凹凸に引っかかった。



『うっわ!?』



 驚いた正義だったが、遅かった。見る間に女性の身体が硬い路上へと向かい、



「おっと!」



 アスファルトに当たる寸前、チヒロがその身体を抱きとめた。



「ほわ~!助かったなあ!?ええ!?」



 老人はそう言って見えていない目をチヒロをへと向け、少女も小さく笑って応じる。

 その光景に正義は表情を強張らせた。

 そんなやり取りを経て、それでも正義とチヒロは女性を信号の向こうへ導いた。女性が正義に向き直る。



「いやあ、ホントに悪かったねえ!?補聴器忘れちゃってさあ!どうしたもんかと思ってたのよお!」

「こ、ここから先は、大丈夫ですか!?」

「ああ!ダイジョーブ!駅までもう信号ないしさあ!帰りは孫がいるからなあ!」

「わかりました!気をつけて!」

「ありがとなあ!」



 女性は軽く白杖を掲げ、笑顔を残して去っていく。

 その後ろ姿を見送って、正義はホッと息を吐く。すると側から声がした。



「まだ、続けてるんだ?」



 それは静かな声だった。ただ疑問を口にしている、そんな声だった。

 それに対して正義は、



『お、怒られる!』



 そう思って身体を強張らせた。

 なぜなら、



『ゆ、油断した!あ、足元に気をつけてって、言うべきだったんだ!』



 途中まで上手く出来たことで調子に乗り、正義は女性に危うい〔結果〕をもたらすところだったからだ。

 同時、あの日チヒロに言われ、正義を捉えて離さない言葉が蘇る。



『何の力もないのに、〔ヒーロー〕を気取るな』



 言葉通り、チヒロはちゃんとした〔結果〕が伴わない行いを嫌っていた。

 気持ちだけで動くのはただの迷惑だと、たった一言で断罪していた。

 だから正義は恐れた。



『また手を出して、僕は、失敗して・・・』



 正義の身体は振り向かなかった。

 チヒロに何を言われるか、それが怖くて振り返れなかったのだ。



『ちゃんとした〔結果〕がないと、上手に出来ないと、僕の気持ちなんて意味がないのに』



 それでも困った人に手を差し伸べてしまう正義の気持ち。

 それはとてもシンプルなものだった。

 それは、



「〔無視〕しちゃいけない。僕は、それがどんなに酷いことか知ってるから」

「・・・え?」



 反射的に振り返った正義に



「覚えてる?私の卒業式で、セイギが言ったんだよ?」



 チヒロが笑っていた。


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