ドリルをブンッ!
正義は最初それが自分に対する呼びかけだと気づかなかった。
そして、
「あれ?セイギ?」
聞き覚えのある声が正義をそう呼んだ。先ほど出会ったネシンは例外として、本来自分のことをセイギと呼ぶ人間は一人しかいない。それを思い出し、少年はそこでやっと顔を上げた。
「チヒロ、姉?」
不和と名乗った巨漢の鉄拳を左手だけで止めていたのは一人の少女だった。
細い足先には黒い革靴。
制服に羽織った真紅のマント。
茶色に染め上げられ、ゆるくウェーブのかかった長髪にのっかるのは、一本角のついた赤いヘルメットと顔を覆うサイズのピンクのパーティメガネ。
この時点で正義は『こんな知り合いいないぞ僕にはああああ!?』と思ったが、
「やっぱりセイギだ!」
再びの呼びかけとこちらを見つめる瞳に確信してしまった。
端麗な相好をくしゃりと崩して笑顔でそう言ったのは、真っ暗な川底から正義を救い、少年を〔否定〕した少女。
東京における唯一の知り合い。
正義が憧れる一歳年上の〔ヒロイン〕、虹村・チヒロその人だったのだと。
だから、
『ちょっと待ってえええ!?何がどうなって変態仮面だよチヒロ姉ええええええ!?』
と正義は大いにうろたえ顎をガクガク鳴らした。しかしその疑問に答えるべき相手は再会の喜びに心を躍らせているようで、嬉々とした調子で言った。
「うわあ、ホントに久しぶりだね!?一年ぶり?あ、メガネ変えた!?」
「あ、その・・・」
「って、まさか度も強くなった!?暗いところでマンガ読んだりゲームしたりシコシコしてるからだよ!?もうやめなさい!?」
「あ、ご、ごめ・・・いや、あの」
「あれ?あんまり背ぇ伸びてないじゃない!?ちゃんと食べないと駄目じゃん!?ホラ、私みたいに大きくなれないよ!?」
胸を張るチヒロに周囲から刺さるように向けられる『アイツ絶対ヤバイ奴だ』的な冷たい視線。そして『確かに大きいな』という男子生徒が彼女の胸へ向ける熱い視線。さらに『アイツもか』という痛い注目のほうだけが正義に殺到し、窮地を救ってくれたにも関わらず正義は『ちょっと待ってやめて心が死ぬ!』と感じた。
だから、
「あああのチヒロ姉ちょっと向こう行こうそうだそうしよう!」
正義はまくし立てるようにそう叫んだ。
するとチヒロは、
「え、あ、そんな、いきなり?いや、だってまだ再会したばっかりなんだし・・・その、えっと、今じゃなきゃダメ?」
となぜだか真っ赤になってそう言った。チヒロの脳内状況がよくわからず戸惑った正義だったが、
「い、今がいいかな?」
何とか状況を打開せんとそう口にし、
「・・・わ、わかった」
赤面したチヒロが不和と名乗った大男を、体重差100キロはあるだろう相手を左手だけでブンッ!と〔投げた〕。
「あ」
正義はその言葉を聞いて、どうやら少女が力加減を間違えたようだと気づいた。
その間にも巨漢の身体は「ふっ・・・」という小さな呼気の尾を引いてグラウンドに美しい放物線を描き、ゴリゴリゴリと頭から地面を削っていった。この光景を見て初めて正義は〔才能保持者〕として一年を過ごした彼女の力と成長を理解した。
つまり、
『女の子は一年で立派に成長する生き物おおおおおお!?』
元々高かったチヒロの基本的な身体能力は、〔才能〕の補助としてわずかばかり強化されただけでも十分に〔超人〕の域であったのだ。
そして、
「まいっか」
アッサリそう言った彼女がまだ先ほどの光景に口をパクパクさせている正義に近づき、
「セ、セイギ?」
「な、何?」
「い、いきなりディープなのは無しだよ?」
正義の眼前に四つん這いになった〔超人〕チヒロが潤んだ瞳でそう言い、赤く染まった頬の上の目を瞑った。
光景に正義は数瞬沈黙し、
『これが深すぎる男女文化の違いなのかああああああああ!?』
と、明らかに正義の言葉を誤解してキス待ちに入ったチヒロに、混乱したツッコミを脳内で入れた。