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ある脇役の英雄譚  作者: 小元 数乃
王都動乱編
45/46

エピローグ・戦争の犠牲者

 眼前で無数の槍の石突たちに串刺しになって磔にされた大蜘蛛を見て、未来は思わず唖然とする。


 そして、


「は、はははは……勇者なんて必要ないじゃない」


 あまりにでたらめな、自分に希望を与えてくれた人物の攻撃に苦笑をうかべながら、未来は自分の手に握った光の剣を見つめた。


 その輝きは限界まで高められており、もう何時でも彼女の切り札を放てる状態になっている。


 その光を見て蜘蛛はまるで怯えるように身をすくませた。


 その剣に宿る光が、自分の主人の計画を瞬く間に食い荒らす光だということをこの蜘蛛は理解しているのだろう。


 そんな蜘蛛の様子を見て、


「いやいや、これを教えたのも、あなたを追い詰めているのも、実はこの王都のしがない門番さんなんですよ?」


 そんな未来のつぶやきを聞きわずかに不思議そうな色を瞳に宿す蜘蛛。そんな蜘蛛の人間臭い様子に苦笑をうかべながら、未来はようやく披露できる自分の切り札を構えた。


――私は確かに必要のない勇者なのかもしれない。私なんかいなくても、この世界はきっと回っていく。


 それを悟るに十分な光景を見た。自分なんかいなくても魔族を一蹴してしまえる人物がいることを未来は知っていた。


 でも、


「もう、私も後には引けない……」


 自分以外にも頼れる人がいるから。戦える人がいるから。はいそうですかと勇者という職業を投げ出すには、未来はあまりに悲劇を見すぎた。


――今はちっぽけな力かもしれない。魔王どころか四天王にすら、歯牙にもかけられないような小さな力。でも、私は勇者に選ばれたんだ。


 内心でそう覚悟を決めながら、未来はまぶたの裏をよぎる自分のために死んで行ってしまったジルドレールとデュークの顔を思い出し、剣を構える。


「あの人たちのために、これからあなたたち魔族との戦いで起こる悲劇を少しでも防ぐために……私は勇者を続けます。たとえ必要とされていなくても、私がそうしたいって思ったから。私が少しでもたくさんの人を助けたいって思ったから……だからっ!!」


 蜘蛛に向かって堂々と宣言をしながら未来はそのまま剣を構える。


「これは、宣戦布告です!!」


 その言葉と同時に光の剣にチャージされた魔力が、瞬時に光の剣の切っ先へと集中した。


「見ておきなさい四天王。これが私の友を奪った、あなたに対する勇者の答え……」


――今はまだ小さな牙だけど、きっとその身に突き立ててみせる!!


 その誓いを込めた彼女の切り札の名は――!!


神衝き(カミツキ)!!」


 神が宿り、神をも貫く、噛みつくための牙。


 三重の意味を持つ名前によって補強されたその魔法の本質は《浄化魔法》。


 光の魔力が最も得意とする属性で、先代・先々代と光の属性を持つ勇者たちが重宝した回復魔法の一つだ。


 その効果は《光の魔力による体の異物の排除》。毒物、ウィルス、魔力その他もろもろ……ありとあらゆる人間の身体機能に損害を与える、害あるものをきれいさっぱり消し去る光の奇跡。


 それによって体を貫かれた蜘蛛は、瞬く間に四天王から供給されていた魔力を浄化され、まるで水分を根こそぎ奪われたかのように萎れて絶命する。


 それだけではとどまらず、光の刃は蜘蛛の体内にいたシルベットにも直撃し、その体内にいた四天王の虫の魔力すら消失。


 大蜘蛛の催眠の魔力の供給が止まった瞬間、シルベットの体内で暴れまわりその心臓を食い破るはずだったその虫は、あっけないほどあっさりと、自分が死んだことすら気づかないまま、その体内にあった四天王の魔力を根こそぎ消し去られると同時に、浄化魔法に体内の異物として認識され死骸すら跡形も残らず分解される。


 そうして、ボロボロと崩れ去る大蜘蛛の体を眼前で眺めながら、未来はそのまま情けなくぺたりと尻餅をついてしまい、


「あ、あはははは……。ど、どうしよう。魔力使いすぎてもう動けないや……」


 浄化魔法によって綺麗に真っ二つになった毒霧の隙間から差し込む光を浴び、小さく苦笑いをする。


 こうして、《最弱の勇者》結城未来はようやく勇者としての第一歩を踏み出すことに成功したのだった。




…†…†…………†…†…




 シルベット・エリザベル・シュタットフェルトは久しぶりに動いた自分の目蓋に驚きながら目を覚ました。


――私、いったいどうなって……。


 わずかな眠気によって曇る思考に閉口しつつ、彼女はまずそれに関して頭をめぐらし、


「っ!!」


 悲鳴を上げながら飛び上がった。


「そ、そうだ……私、ゲイルさんの人質に四天王につかまって!!」


 そこまで考えた時彼女は慌てて自分の胸辺りを見つめる。


 それはそうだろう。何せ彼女にも脱走防止用に四天王からの説明が行われているのだから。


 いわく、彼女はとらえられた時に四天王の虫を心臓に埋め込まれた。この監獄蜘蛛からの魔力供給がある限りその虫はおとなしいが、ひとたび彼女が監獄蜘蛛から脱走しその魔力供給が途絶すれば、その虫は容赦なく暴れ彼女の心臓を食い破ると。


 だからこそゲイルはあの時――ゲイルが四天王に挑みかかり、自分を助けようとしてくれたとき、悔しそうに歯を食いしばりながら剣を捨て、大人しくシルベットが蜘蛛の中にとらえられるのを見ていたし、シルベットもゲイルにそんな顔をさせてしまった罪悪感に泣きそうになりながら、大人しく蜘蛛の腹の中にとらえられた。


 だからこそ、目の前に広がる景色がクリスタル越しのものではないことに気付いた彼女は、真っ先に自分の胸辺りに視線を向けたのだ。


 だが、


「虫が暴れて……いない?」


 激痛どころか、傷一つ付いていない自分の体に驚きながら、信じられないといわんばかりにペタペタと触るシルベット。


 そんな彼女に、


「よかった……目が覚めたのね?」


「えっ!?」


 突然声がかけられた。


 シルベットが慌ててそちらの方を振り向くと、そこには瓦礫を背に座り込んでいるみたことがある黒髪の少女がほほ笑んでいて、


「勇者様……」


「そ、今代勇者結城未来。何とかあなたの救出に成功したところ……」


 そこまで未来が言った瞬間、シルベット無数の本棚が崩壊し、貴重と思われる魔法書が散乱する惨状など目もくれず、一直線に未来に向かって駆け抜け、


「げ、ゲイルさんは!! ゲイル副団長はいったいどうなったんですかっ!!」


 誰よりも心配していた、自分が迷惑をかけてしまった最愛の人間の安否を確認した。



 そして、



「あ……」


「まに、合わなかったの……」


 ゲイルとヴァイルが戦っていた正門前の広場に、勇者と共に何とかたどり着いたシルベットは目撃してしまう。


 焦土と見紛わんばかりの惨状に変貌した中庭に転がる、二人の人間の焼死体を。




…†…†…………†…†…




 眼前に広がるのは莫大な量の水。


 本気を出せば王都全域を鎮めかねない規模の放水を、


「邪魔だ」


 サーシャは鮮やかに手に持つ武器で一刀両断。


 その武器から迸る紅蓮の電撃が瞬く間に水の中を走り抜け、瞬時にその莫大な量の水を蒸発させる。


「ばか……なっ!?」


 あり得ない。そんな光景を見ていた四天王が視線でそう言うのを見て、サーシャは小さく鼻を鳴らした。


「人を馬鹿にするのも大概にしたらどうだ四天王。莫大な魔力? 町一つ鎮めるほどの貯蔵量? なんだそれは? 本気でたったそれだけの要因で、魔法使い同士の戦闘に勝てると思っていたのか?」


 自信ありげに自分の騎士の性能を声高らかに唱え上げたレイアをあざ笑いながら、サーシャは手に持つ武器をふるう。


 絶対君主が持つとされる、王権の象徴――王杖と呼ばれる『王の杖』を。


 彼女の身長に匹敵する長さをほこるその杖は当然のごとく、サーシャの魔力によって作られた武装だ。彼女の得意魔力形状がこれだったのだ。


 それによってほとんど魔力を消費することなく、莫大な熱量を操れるようになった彼女は、アルフォンスの巨人と同等の魔力を封入し、ロベルトの指導によってある程度形にした魔力制御によってその杖を今のサイズにとどめ、ヴァイルに倣った槍の扱いを見本にその武器をふるう。


 絶望的な魔力が圧縮封印された杖の一閃は、放たれる激流に激突した瞬間凄まじい熱量を放出し、電撃の属性を使い瞬時に水の中を走り抜け、まんべんなく自身の熱量を放たれた水に送り届ける。


 結果、


「っ!!」


 町一つ、国一つ、絶対的に支配できるはずだった王族の圧倒的武力は、まるで悪い冗談か何かのように粉砕され、爆散する。


「なるほど……。確かにお前の魔法は偉大だよ。虫の創造とその改造……正直言ってお前の力は明確に脅威だ。国を守るものとしてこれほど恐怖を覚えた能力はあまりない。だがなぁ、そんな虫任せの戦闘方法が、最後の最後でお前にドジを踏ませた」


 すべての王族の魔力を取り込んだ、第一皇子の攻撃はもはや通用しない。


 悪夢のようなその事実を認識し、レイアの余裕が現れた笑みにひびが入る。


「ありとあらゆる対象の能力を奪い尽くすといっても……生まれてこのかた怠惰のまま過ごしてきた王族の戦闘経験など、ごみにも等しいに決まっているだろうが」


 0がいくら寄り集まろうが、0であることに違いはない。


 王族たちの莫大な貯蔵魔力を重視し、そして自身も戦場での戦いは虫に任せていたため戦いのイロハを知らなかったレイアは見誤ってしまったのだ。


 本当に戦闘に必要なのは、莫大な魔力などではなく……それを正しく運用できる経験なのだという事実を。


 それの証拠に、先ほどから第一皇子は莫大な水を放出してはいるが、それがサーシャに通じないと見せつけられてもいまだに愚直な放水を止めようとはしなかった。


 そう言えば蠱毒法をなしていた時も、王族たちはMPストレージから出した魔力をぶつけ合いド派手な戦いを演出してはいたが、それ以上のことはしていなかった。


 誰も彼もが不動なまま、負ければ敵の魔力にのまれ、食われるということを繰り返していた。


 あまりに強力な魔法のやり取りに、その事実をレイアは見逃してしまっていた。


「確かに、うちの使えない騎士団だったらどうしようもなかったかもな。城壁警備隊でも、これほどの莫大な水の濁流をどうにかできる人間は少ない。だがなぁ、同じようにストレージに魔力をためた私が……多少それを戦闘で使っているからという理由で、押される道理はどこにもない。私が使った分の魔力など、戦闘技術でいくらでも補える!」


 多少使ったとはいえ、そんなものは技術でいくらでもカバーできるような物。そしてサーシャの戦闘技術は、今まで王宮でふんぞり返っていただけの王族たちのはるか上を行く。


「騎士ごっこに興じるしか能がない小娘風情が……魔法の国の王には向うなど、千年早いっ!!」


「っ!!」


 一喝。サーシャの怒声によって茫然自失といった状態からようやく目を覚ましたレイアは、慌てて声を張り上げる。


「その女を食らい尽くしなさいっ!!」


 その命令はおそらく、目の前にいる第一皇子のなれの果てではなく彼女が周囲にいると思っていた虫たちに対する命令だろう。


 だが、


「っ!? どうしてっ……!!」


 自身の命令をいつも忠実にきく虫たちが、いつまでたっても現れない事実に、レイアは愕然とした。


「驚くほどのことか? 私が単身でこの城に乗り込んだわけではないと……お前は知っているはずだ」


「っ!」


 サーシャのその言葉を聞くと同時にレイアは慌てた様子で自身の複眼をうごめかせるが、


「っ、うそっ!!」


 その複眼が今の玉座の間の光景しか届けてこない事実に愕然とする。


 それはすなわち、もう彼女が見られる視界はここしかないということ。


 支配下に置いていた虫が、第一皇子以外すべて全滅したことを示唆する絶望的な事実だった。


「王宮にいる虫たちもお前の援護のためにこの玉座の間に集まっていたんだろう。わざわざ探索する手間が省けて大助かりだ。この部屋の前で陣を張った南門警備隊の連中が、ことごとく討ち果たしてくれたよ」


「み、見てもいないのにずいぶんと自信がおありですね……。まだまだ私の虫は残っている……今こちらに十万近い虫の大軍が向かっていますッ!!」


 レイアは必死といった様子で、最後のあがきのハッタリをサーシャにぶつける。


 もう彼女にはこの場で生き延びる手段はそれくらいしか思い浮かばなかった。


 が、


「ほう? そうか」


 サーシャはそれだけ言うとあっさり手に持った王杖を構え、


「で? それが?」


「っ!?」


「たとえ万が一お前のそのハッタリが本当だったとして、私がそれを恐れなければいけない理由にはならない。なぜか? 決まっているだろう。あいつらは私が知る中で最強の男が鍛え上げた部隊だ。たかだか10万程度の虫けらの進軍に屈するような奴らじゃない」


 信頼と、誇らしさと、絶対的な自信をもって、番外王女――いや、城壁警備隊総隊長、サーシャ・トルニコフ高らかに宣言する。


「覚えておけ、四天王。そして魔族!! 私たちがいる限り、この国には指一本触れさせないということをっ!!」


 その発言と同時に、彼女の命令によってMPストレージから莫大な魔力が引き出される。


 その魔力すべてが巨大な王杖に変換される。無数に作られた王杖が瞬く間にサーシャの周囲を埋め尽くし、切っ先を四天王に向けた。


「あ……あっ!!」


 その絶望的すぎる光景にレイアはとうとう怯えきった声をあげ尻餅をつく。


 だが、そのくらいでサーシャは自分の行為をためらうことはない。


――こいつだってたくさんの王族や貴族を殺したんだ。


「今更死にたくないなんて……ムシ(・・)のいいセリフは言わないだろう?」


 そして、サーシャは己が右手を振り下ろす。


 紅蓮の杖の豪雨が、玉座の間を埋め尽くした。




 が、




「おいおい。なんじゃこれは。護符が作動したから意識をこちらに飛ばしてみれば……シャレにならんのう、スカイズ王国。これはレイアの嬢ちゃんにはちと荷が重かったか?」


「っ!?」


 紅の豪雨の中から響き渡る飄々とした言葉に、サーシャは大きく目を見開く。


 先ほどまで四天王と人形と化した第一皇子しかいなかった場所から聞こえてきた声。そんなところから突如として第三者の声が聞こえてきたのだ。サーシャが驚くのも無理はない。


 だがその数秒後、


「お前は……」


 真っ赤な王杖の豪雨がやみ、その中にたたずむ巨大な白い盾を構えた白骨が、レイアと第一皇子を完全に守りきったのを見て、サーシャはさらなる驚愕を余儀なくされた。




…†…†…………†…†…




 あふれ出る莫大な、鬼気と言っても差し支えない禍々しい魔力が玉座の間を満たした。


 もはや物理的重圧と変わらないその圧倒的魔力の本流に、サーシャは思わず苦悶の声をあげる。


 そして、その魔力のすべてが、目の前で巨大な白い骨の盾を構える白骨から発せられたものだと感じとり、彼女は思わず愕然とした。


――いったいどうやって、いつの間にこの場に入り込んだ!? 内心でそんな疑問の声をあげながら、一軍の将として落ち着きを払った態度を取り繕いながら、サーシャは白骨に詰問する。


「後輩の面倒を見にわざわざ参上か? 精が出ることだな生きた化石」


「そう年寄りを虐めるでないわ、若いの……。わざわざ老骨がこうして遠路はるばるやってきたんじゃ。多少の優しさぐらい見せてくれても構わんじゃろう?」


 そんなサーシャの詰問の声に、()はがくがくと顎骨を揺らしながら声を発する。


 明らかに異常な光景。人間が発生するために必要な器官をほとんど失っているにもかかわらず、そんじょそこらの人間よりも饒舌な年寄り特有の草枯れた声が、白骨から発せられた。


 その正体をサーシャは知っていた。いや、サーシャだけではない。勇者の伝説を知るものならば、誰もが口をそろえてその名を語る。先の勇者と魔王の大戦の折、生き残った三人の四天王の一人。


 四天王最強の男。


「先代勇者に討ち果たされた魔王時代からの大老将軍……。数百年の時を生きる大怪異。《不死の躯》グレゴリウス・ガラヴァーニっ!!」


「かかかかかかか! たいそうな名前を叫ぶでないわ。名前負けしてしまって若いのに侮られる」


――そのたいそうな名前にふさわしい実力をもっているくせにぬかすなっ! よほどそう怒鳴りつけようかと思ったサーシャだったが、強靭な理性でそれを押さえつけた。


 理由は簡単。この白骨は……いかなる手段をもってしても傷つけることはかなわないからだ。


 先代勇者の時代から生きているがゆえにこの怪物の情報は、人間たちにも知れ渡っている。そして、知れ渡ってなおこの怪物を討伐する方法は見つけ出されていなかった。


 この四天王が持つ二つの魔法属性は、《白骨》と《不朽(・・)》。大自然が誇る年月さえも、その体を犯すことができないとされる絶対防御と不老不死を保証する、多彩な属性を持つ魔族たちの中でも、なお異常と語られる属性の一つ。


 その力を生かした絶対的防御力は、強大な火力をほこったことで有名な先代勇者ですら傷一つつけられなかったという。


 圧倒的に勇者が美化・優遇された勇者伝説の中でさえも、この男は《魔王打倒の際、この男が横やりを入れれば勇者は敗北を覚悟するしかない。そのため、勇者の仲間たちすべてを使い罠にはめて足止めに徹するしかなかった》と記載される絶対強者だ。


 下手に手を出せば、いかにサーシャといえども死を覚悟する戦いをする必要がある。それも、まったく勝ち目がない、一方的な蹂躙を受けること前提の戦いを……。


「さてと……作戦も失敗したようじゃし、この子を連れてサッサと魔王陛下のもとに帰るかの?」


「っ!!」


 だからこそ、サーシャは内心、グレゴリウスがそう言って構えていた盾をおろし、背後で気絶しているレイアと、人形なりに彼女を守ろうとしたのか、腕を突き出しながら防御しようとする第一皇子のなれの果ての方を振り向きそう言ったのを聞き、安堵の息を漏らしてしまっていた。


 当然その数秒後、サーシャは悔しさのあまり奥歯を強くかみしめ、グレゴリウスを睨みつけることになるのだが。


――何を弱気になっているサーシャ・トルニコフ! 私はこれからこの国をしょって立つんだぞ! ヴァイルが誇ってくれる王になる必要があるんだぞ!? それが、こんなところで戦いもせずに四天王に膝を屈するのか!


 だが、グレゴリウスは歴戦の怪物だ。そんなサーシャが向ける自分に対する視線の気配も感じ取ったのか、


「別に恥じ入ることはない、お嬢ちゃん」


「っ!?」


「わしに相対し気絶しないだけでも立派なもんじゃて。最近の若いのは、わしの体から洩れる魔力を浴びただけで気絶する不届きものが多いしのう。事実このレイアの嬢ちゃんの気絶した理由はそれじゃし……」


 同じ四天王なんじゃからいい加減慣れてほしいんじゃが……。と、いささか愚痴っぽく漏らしながら、矢鱈と人間臭い仕草でため息をつく白骨。そんな彼の姿にサーシャはしばらく唖然とした後、


「お気遣い感謝する……ご老体」


――これはかなわないな。生きた年月と、それによって磨かれた器が違いすぎる。と、本能的にそれを悟り、ひとまず全面降伏の意志を示した。


 このままで終わるつもりはないが、


 いずれは打倒しなければならない敵だが、


 この四天王には、敬意を払うべき畏怖の念を抱かされた。


「かかかかかか! 四天王に感謝の意を告げるか。変わった王じゃのう」


「私の部下に魔族と少々因縁の深い人間がいてな。そいつが言うには魔族も人と変わらんらしい。だったら、魔族であろうとなんであろうと、敬意を払うべき相手には敬意を払うさ」


 だが、ただでそんなことをするわけにもいかなかった。サーシャとしてもこのまま威圧されただけでは、今後の王としての生き方に支障が出るのは理解していた。


 だからこそサーシャはあえて頭を下げて見せた。そうすることによって、偉大な人間には頭を下げてみせる王としての懐の深さを示して見せた。


 そんなハッタリとも、子供じみた意地とも取れるサーシャの最後の抵抗を、グレゴリウスは真っ白な頭蓋骨に苦笑を浮かべるような雰囲気を出しながら受け入れる。


「しかり、汝の感謝しかと受け取った。汝は偉大な王となるだろう……わしら魔王陛下の脅威となるほどのな」


「ならばこの場で私を殺して見せるか?」


「カカカッ! そのような小物染みたマネはせんよ。四天王の称号に傷がつく」


 全力を示せる状態にある相手をたたきつぶしてこその、絶対強者の証である《四天王》よ。そう笑みを浮かべながら宣言した後グレゴリウスは、気絶したレイアと呆然とする第一皇子のなれの果てを担ぎ上げ、戦闘によって空いてしまった巨大な風穴に足をかけた。


「それに、今この王都には厄介な奴が来ておるからのう。これ以上暴れると、あちらからの制裁がきそうじゃし……」


「なに?」


――お前ほどの存在が恐れる何かがこの王都に来ているのか? サーシャがそう問いを発しかけたときには、


「では、さらばじゃっ」


 グレゴリウスは素早く大穴から身を躍らせ、ヴァイルとゲイルの戦闘の影響か、粉塵立ち込める王城の庭へと落下していった。


 そんな彼の素早い逃走劇にサーシャはやや眉をしかめながら、


「終わったんですか! サーシャ隊長!!」


 虫たちの殲滅を終えたのか、玉座の間に上がってきた南門警備隊の面々を振り返る。


「あぁ。四天王は取り逃がしたが……我々の勝利だ」


「――!!」


 サーシャのその言葉に、虫の体液や、戦闘で着いたと思われる無数の傷をひっさげ、ボロボロになりながらも無事やってきた南門警備隊の面々は、歓喜の声をあげかける。


 だが、彼らは忘れていた。


「さ、サーシャ隊長! ご報告申し上げます!!」


 戦場には、犠牲がつきものだということを。


「な、中庭にて《騎士団副団長》ゲイル・ガンフォール・ウィンラートと戦っていたヴァイル隊長の……死亡が確認されましたっ!!」


 玉座の間に転がり込んできた一人の警備隊員の悲鳴のようなその言葉に、歓喜に染まりかけていた空気は凍りつく。


 そして、


「……え?」


 誰よりも彼の生還を疑っていなかったサーシャが、まるで信じられないと言わんばかりの驚嘆の表情を浮かべていた。




…†…†…………†…†…




 四天王からの魔力供給が失われたために、王都にはびこっていた虫たちが、次々と餓死し地面に転がっていく。


 あとはその虫の遺体を回収すれば町は元の静けさを取り戻すだろう。


 そんな風に、明らかに四天王からの勝利をもぎ取ったことを保証する光景、勝利者である城壁警備隊の面々は、


「「「「…………………………………」」」」


 まるで葬儀でも執り行っているかのような、沈痛な雰囲気に包まれていた。


「うぅ……。うぅ……どうしてっ! どうしてあの人がっ!!」


「なくんじゃないっすロベルト。誰が一番悲しんでいるのか、ロベルトにはわかっているはずっす!!」


 押し殺したような泣き声を上げ俯くロベルトの肩に手を置きながらそうつぶやくアルフォンスの口も、普段の軽薄な声音ではない、悲しみに震える言葉を紡いでいた。


「すいません……私がもっと、シルベットさんを早くに助けていたらっ……!!」


 そんな二人の隣では、同じように真っ黒になったゲイルの死体を抱え泣きくれるシルベットを支える勇者が、誰よりも深い後悔の念がこもった泣き声を漏らしていた。


 だが、そんな二人よりも、


「ははっ……結局死んだか。情けない奴め……」


 生気も覇気も、何もかも抜け落ちてしまったサーシャの声が、その沈痛な空気をなによりも助長させていた。


――なんでだ? どうしてお前は死んでしまった!?


 内心で必死に泣き叫ぶ自分を自覚しながらも、サーシャはあくまで涙を流さなかった。


 彼女は今から王になる。無数の人間の運命をしょって立つ王になる。


 一兵士が死んだくらいで悲しんでいいような、そんな軽い立場ではない。だからこそ、サーシャは涙を押し殺す。


 たとえそれが、彼女の最愛の人物の死体であり、素性もわからないほど真っ黒に焼けただれていたのだとしても、


 涙を流すことは、彼女の立場が許さなかった。


「生きて帰ると約束しただろう。お前はヒーローだと保証してやっただろう? なんでそれを無駄にできる。私をずっと守ると……あの時誓ってくれた言葉は嘘だったのか?」


 声が震えた。だが涙は流さない。


 ヴァイルの体を抱えた。だが、涙は流さない。


 いつも自分の無茶を聞いてくれた苦笑を思い出す。だが、涙は、流さない。


 そして、


「っ!!」


 自分が買い与えた折りたたみ式の槍が、その戦場から離れた場所に傷一つない状態で転がっているのを、サーシャは見てしまった。


 ずっと大事にすると。この槍でサーシャを守ると、そう言ってくれた、こんなプレゼントしか送れなくてすまないと謝る自分に「最高のプレゼントです」と笑いかけてくれた、そんな思い出の品が、まるでその時の誓いを果たすかのように傷一つなく転がっているのを見て、


「うぁ……」


 限界だった。


 壊れてしまいそうだった。


「い、やだ……やだっ! やだぁ!! やだぁあああああああああああ!!」


 初めて子供のように泣きわめくサーシャの姿に、城壁警備隊の面々は沈痛な面持ちで顔を伏せる。


 最後の最後まで王で居ようとした主のために、その彼女が最も見られたくなかったであろう、情けない姿を見ないように。


「起きろっ!! 起きろよッばかッ!! ずっと守ってくれるって言っただろっ!! 私のそばで、私の理想をかなえる手伝いをしてくれるって言っただろっ!! それなのになんでこんなところで死んでいるっ!! こんなことは私が許さないッ!! 起きろっ!! 起きろっ!! お前の……お前の王の命令だぞ! それがどうして聞けないッ!!」


 静まり返った戦場に、王から一人の少女に戻ったサーシャの慟哭が響き渡る。


 だが返ってきたのは、いつものヴァイルの情けない脇役発言ではなく、彼らの体を冷たく冷やす、しとやかな雨だけだった。


 その雨はやがて勢いをまし、戦場のすべてを洗い流していく。


 まるで戦いなんてなかったかのように。まるで争いなど存在しなかったように、虫たちの死骸は水の流れに流され消えて行った。


 だが、それでもヴァイルたちの死は、なくなったことにはならなかった。


「どうして……どうしてぇっ……」


 サーシャの慟哭の悲鳴はいつの間にか意味もない詰問に代わっていた。


 その問いは、勝手に死んでしまったヴァイルに対してなのか、彼を殺してしまった運命に対してなのか、それともあくまでヴァイルにゲイルを任せてしまった自分の愚かさになのか、それは誰にもわからない。


 だが、


「やだ……やだよぉ。ヴァイル……一緒にいてくれないと……生きててくれないと、やだぁ……」


 最後に懇願のように告げられた、サーシャの感情がすべて詰まったその言葉に、


「その言葉……聞き届けよう」


 真っ暗な声と共に、フードの陰で顔を隠した、漆黒のローブからの返事が返ってきた。


 それと同時に、ローブの男の腕が信じられない速度で振るわれる。


 そこから放たれるのは紫色のダーツ。


 そのダーツは唖然とする城壁警備隊の面々の間をすり抜け、


「っ!!」


「なっ!!」


 もはや炭か人間かさえもわからない二つの焼死体の額へと、突き立った!!


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