15話
光に変貌した体で宙を飛び回りながら、未来は眼下で止まっている――ように見える巨大なクモの姿を見て鳥肌を立てる。
人間の何倍もの体躯を持つ巨体に、不気味で透明なクリスタルの腹。
その禍々しさは、この世界の勉強をしていた時に教えられた魔獣たちの姿を置き去りにするほどにおぞましく、不気味だった。
――ヴァイルさんは言っていたわね。
『ゲイルが人質を助けられないっていうのはよっぽどの事態だ。ただ虫に拘束されている程度なら、あいつが本気を出して戦えば確実に助けられる。それがされていないってことは、きっと逃走封じの呪いか……あるいは腹の中にでも虫が仕込まれていて、逃げようとすると内蔵でも食い荒らすようになってんだろ』
だからこそ、お前にこの魔術を教える……。
そう言った時のヴァイルの顔を思い出しながら、未来は片手に握った剣を力強く握り眼下の大蜘蛛を睨みつけた。
「待っててください……ゲイル師匠。あなたの恋人は必ず助けます!」
そう言った瞬間未来の体が蜘蛛の糸に触れる。
体の光化が解け、元の生身の人間に戻る未来。それと同時に世界に速度が戻り、大蜘蛛が素早い動作でうごめいた。
それと同時にクリスタルの腹から吐きだされるのは強い粘性をもった捕獲糸。獲物をとらえると一本一本がクリスタルになり凝固するその糸を食らえば、どのような手段をもってしても逃走は不可能だ。
だが、未来が与えられた魔法はこと回避力に関してはでたらめなまでの効果を発揮する。
「瞬光!!」
ふたたび光に変貌し次の足場になる糸へとたどり着く未来。
それと同時に彼女が右手に作り出した刀に、光の魔力が貯められ……術式により変貌していく。
――魔力のチャージに必要な時間は光化しているときを除いた30秒。その時間さえしのぎきれば、この勝負には勝てる!!
未来がそう確信し、笑みを浮かべた瞬間だった。
「っ!?」
大蜘蛛が口から禍々しい紫色の煙を漏らしだしたのは。
「……うそっ!? まずっ……」
慌てて大蜘蛛から距離をとろうとする未来だったが、光化しての移動は着地地点に到着するまで方向転換ができない。一直線に飛来する弾道を描くしかない。
そのことがあだとなり、狙った通りの糸に着地し光化が解かれてしまう未来の体を、
「くっ!?」
速度が戻った世界で、大蜘蛛によって吐きだされた莫大な量の紫色の煙が包み込んだ。
ほんのわずかに煙を吸い込んでしまう未来。その瞬間、彼女の四肢に痺れるような痛みが走る。
「やっぱり……毒なの!?」
見た目からしてなんとなくそんな気はしていたが、事実だと分かった時の恐怖は段違いだ。
しかも、いまの未来は光化が使えない。
毒の煙に体が触れてしまっている以上、光化の《物質に触ると光化が解ける》という制限にひっかかり光化してもすぐに元の生身に戻ってしまうのだ。
「くそっ!!」
幸いなことに毒性は強くないのか、すぐに戦闘行動に支障が出るような影響は感じられない。
だが、この毒煙の中に長くいていいわけもなく、
――蜘蛛の姿も全く見えないくなってるし……早くここからでなっ!?
瞬間恐れていた事態が起こる。
自分が張り巡らせた糸の上を、凄まじい速度で移動してきた大蜘蛛が、未来の背後に突如として出現し、その鋭利な足を未来に向かって振り上げる。
「っ!」
振り返る未来。
だが遅い。
槍のような足が未来に向かって振り下ろされる!!
…†…†…………†…†…
「こりゃかなり面倒っすね……」
順調に王都にいた巨大虫三匹を嵐の巨人によってたたきつぶして回っていたアルフォンスは、最後に残った虫の姿を見て思わずそんな声を上げた。
それはまるで騎士のような虫だった。
銀色の輝く甲殻はまるで甲冑のような形状であり、大剣の用に変貌した六本の腕を持つ。
頭部は六つの複眼が覗けるフルフェイスの兜……のように見える甲殻なのだろう。
虫らしさはせいぜい背中から見える薄く透明な羽ぐらいだろう。
そんな騎士のような姿をした……嵐の巨人に匹敵する巨体を持つ虫だった。
「かっこいいじゃねえっすか」
――殺すのが惜しくなる。
そんなアルフォンスの最後の言葉が気に障ったのか、フルフェイスの兜の中から、「キリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!」と不快な鳴き声を上げながら、六本の腕である大剣を駆使し、その巨大な騎士が襲い掛かってきた。
当然アルフォンスはその攻撃を嵐の巨人で迎撃する。
激突する二体の巨人。
嵐の巨人は暴風の拳で騎士を打ち据え、
便宜上、アルフォンスが《甲冑虫》と名付けた騎士は、その六本の腕をふるい嵐の巨人を斬りつけ分解していく。
だがしかし、この戦い嵐の巨人に分があった。
なぜなら嵐の巨人は壊れた端からアルフォンスの魔力が送られ、その体を再生するのだ。物理的肉体をもつ甲冑虫と、もとより壊れてもどうってことはない嵐の巨人とでは削りあいでのアドバンテージがけた違いだ。
「その程度っすか?」
嵐のコブシの蹂躙を受け一歩、また一歩と後退していく甲冑虫。そんな敵の姿を見て、アルフォンスは小さく鼻を鳴らし、手をふるい指示を出す。
――お前で終わり……ノルマ達成っす。
「ヨトゥン! 形状固定化……颶風騎士!!」
その言葉と共に苦手な魔力制御を何とか行い、嵐の巨人の本来の姿を取り戻させるアルフォンス。
『魔力制御が苦手で巨人のまま形成ができない? だったら名前で使い分けるっていうのはどうだ? 魔術っていうのはイマジネーションが重要だからな。形成前の巨人と形成後の巨人の名前を変えることで、段階を踏んで進化するっていう魔術的記号が生まれて、制御がしやすくなったりするぞ?』
というヴァイルの言葉から生まれたその巨人は、不定型だった嵐の体を見る見るうちに硬質な甲冑へと変貌させる。その左手には突撃槍。右手には巨大な円盾。
その姿は、まさしく騎士。
そう。城壁警備隊で最も仕事に不真面目な男が手に入れた魔力の形状変換は、何の因果か国の軍事力の象徴であり守護神である騎士だったのだ。
だが、今はその姿にふさわしい戦果をアルフォンスは上げている。
六本の腕によって作り出された斬撃の檻を、嵐の騎士は右手に持った巨大な円盾であっさり受け止め封じてしまったからだ。
「っ!!」
甲冑虫が驚きで息をのんだ気がした。
だが、そんなものアルフォンスには関係ない。
「穿て……ドン・キホーテっ!!」
怒号のような指示とともに振るわれる突撃槍。
その槍は嵐を固めた螺旋回転の槍。
某《騒乱の魔女》が見れば「それドリル? それドリルなのっ!?」と驚愕を示しかねない大槍。
その螺旋回転によって貫通力を上げたランスは、易々と甲冑中の体に突き立ち、
「ギィリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!?」
甲冑中におぞましい悲鳴を上げさせながら、その脇腹をえぐりぬいた。
…†…†…………†…†…
「ギリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!」
体が内側からかき回されるような激痛を味わいながら、甲冑中は敵を見据えた。
自分と同じフルフェイスの全身甲冑を着込んだ騎士に変貌した嵐の巨人。
その槍は城門を守っていたカブトムシたちには劣るものの、それでも城壁に匹敵するほどの堅牢さをほこる自分の体を打ち抜いて見せた。
――つよい。かてない。
虫特有の単純な思考回路しかもたない甲冑虫。だが、そんな彼に絶望を与えてしまう程度には、その騎士は強すぎた。
だがそれでも甲冑中はひくわけにはいかなかった。
ここでこんな化物を解き放てば、自分の主が一体どれほどの窮地に陥るか……甲冑虫の単純な思考回路であってもそれだけは理解していたから。
――これだけは……殺す。
死の間際、そう決意した甲冑中は最後の力を振り絞り背中の羽を震わす。
リィン……とすんだ鈴のような音が、響き渡った。
…†…†…………†…†…
「っ!?」
突如変貌した王都の様子にアルフォンスは自分の失策を悟った。
突如、王城の上空が真っ黒になった。
いや、それは正確な表現ではない。
「……冗談でしょう?」
空を覆うほどの大量の虫の大軍が招集され、アルフォンスの頭上に集結したのだ。
――しまった!! 飛ぶわけでもないし何に使うんだろうと思っていたら、あの羽は虫たちに指示を出すための物!! 真っ先につぶしておかないといけなかったのにっ!! と、アルフォンスはそんなことを考えながら冷や汗を流すが、もう遅い。上空に集合した虫たちの急降下が始まる。
雨など生易しい。それはまさしく虫の滝だった。
アルフォンスは慌てた様子で右腕に魔力を収束させ、チャージもそこそこに解き放つ。
それでも結構な威力が出たのかアルフォンスが放った嵐の魔力は虫たちの滝の先端をごっそりと削り取ったが……そこまでだった。
アルフォンスが削り取った場所は瞬く間に別の虫たちによって埋められ、虫の濁流は何も変わらずそのままアルフォンスを飲み込もうと落下してくる。
ドン・キホーテに槍を振るわせるが、それもその濁流を止めるには至らなかった。ほんのわずかな寸断が生まれただけ。それすらも続々と集まる虫たちによって補修され補われる。
魔力制御に不安があるアルフォンスでは、自分の周りを常に守る風のシェルターを作ることすらできない。だからこそ、多くの虫と対峙することになるであろうコロニー型の魔力拠点討伐はロベルトに任せ、自分は大型の虫をたたきつぶして回っていたのだ。
だが、甲冑虫は最後のあがきでアルフォンスの弱点を突いてきた。
考えて行ったのかどうかはさすがにわからない。だが、それがわかったところでアルフォンスが危機である事実は変わらない。
――あ、これ死んだ。と、アルフォンスは内心でそう自覚し、崩れ落ちた甲冑虫へと視線を向ける。
フルフェイスから覗く無数の複眼。アルフォンスにはその目がなぜか嗤っているように見えた。
そして、彼の視界を真っ黒な濁流が包み込む。
…†…†…………†…†…
「っ!? アルフォンス?」
突如としてコロニーをつくってきた虫たちが別の場所へと飛来していくのを見て、ロベルトは嫌な予感を覚えた。
コロニーを形成していた虫たちがいなくなったため、魔力供給の拠点はなくなった。ロベルトの任務は成功と言っていい。
だが、その虫たちが向かった先には恐らく……。
「くっ!! しまった……やはりアルフォンスを一人にするべきではありませんでした!!」
後悔してももう遅い。愛馬の腹をけりつけ必死に虫たちが飛んで行った方角へとロベルトが走り出したのは、虫の落下がすでに始まった時だ。到底ロベルトはアルフォンスの危機には間に合わない。
「アルフォンスゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!」
ロベルトの絶叫が戦場でむなしくこだました。
…†…†…………†…†…
――おかしい……。いつまでたっても痛みがないっす?
その事実に気付いたアルフォンスは、思わず閉じでしまっていた眼をゆっくりと開く。
「よぉ……」
そこには、気まずそうな顔をした騎士が一人……自分の魔剣を掲げて立っていた。
「そ、その……助けに来たぞ」
「は?」
唖然とするアルフォンスの視線の先には信じられない速度で宙を舞い、彼らの周囲を回転し、虫たちが侵入不能となる斬撃のドームを作る二つの魔剣。
そして、そのドームを作り出しているのが、
「《三剣士》……フルーレ・ヴィ・ルファーロ・ニルオレイ。遅まきながら参上だ」
まだ……俺が戦う場は残されているか? そう問いかけたフルーレに、アルフォンスは唖然とした視線を向け問いかける。
「い、いったいどうやって!? っていうか、どうやって二本の剣を操っているんっすか!?」
「あぁ、それは俺の魔剣の能力でさ……。所持している剣を二本までを自由自在に操れるんだ。もっとも、騎士団にいたときはこんな動きをさせたら頭が痛くなっちまってまともに使いこなせなかったんだけど……。その問題は俺の同僚たちが解決してくれた」
そう言ってフルーレはポンポンと腰に差した二本の鞘をたたき、説明を続ける。
「ジルドレールが持っていた剣は《思考能力拡大》の魔法がかかっていてな。人がものを考える器官――《脳》だったか? の性能を大幅に上げてくれる。思考速度の加速も、一度に複数のことを考える分割思考もなんでもござれだ。その能力のおかげで俺は自分の魔剣の能力を使いこなすのに成功した。以前の俺が魔剣の能力が使えなかったのは、どうやら俺の残念な脳みそが、二つの剣を自由自在に操る思考に耐えられなかったかららしい。んで、もう一つのデュークが持っていた剣の能力は《運動加速》。これは所持者の運動能力を跳ね上げ攻撃速度を跳ね上げる魔法だな。あいつはこの剣が生み出すあまりの速度に自分でも認識できなくなるようだから、抜刀剣ばかりに使っていたみたいだけど……ジルドレールの思考加速と、俺の自在剣を合わせればその加速を全力で使っても問題ない」
まさしく三位一体。三本で一つ。そうなるようにしつらえたかのような能力を持つ三本の魔剣を頼もしく思いながら、フルーレは驚き目を見開くアルフォンスに視線を向けた。
「あいつらが残してくれた遺産のおかげで……俺はまた戦うチャンスを得た」
だから……。そう言ってフルーレは覚悟を決めるかのように深呼吸し、
「俺も一緒に、戦わせてくれ」
そんなフルーレの言葉に、アルフォンスは唖然とした後、
「はぁ。助けてもらった身としては断れないじゃないっすか」
苦笑いを浮かべ、立ち上がった。
そして、
「とりあえずいつまでも情けない姿を見せているわけにもいかないっすね」
そう言ってアルフォンスはいつの間にか右手に収束していた魔力をフルーレに見せた。
そのせいで、外で甲冑虫にとどめを刺していたドン・キホーテが霧散してしまったが、今はこの鬱陶しい虫の雨からの脱出が最優先だろう。
「っ!?」
「剣をどけるっすよフルーレ。チャージさえできたんなら、この程度の虫にいつまでも付き合ってやる理由はないっす」
そのアルフォンスの言葉を聞きフルーレは素早く宙を踊る二本の剣に指示し、鞘へと引き戻す。
再び始まる虫の落下。
だが、
「蹂躙しろ……ヨトゥン!!」
その濁流は、再び生まれた嵐の巨人によって飲み干され、蹴散らされた。
ぼろ屑になって舞い落ちる虫たちをしり目に、九死に一生を得たアルフォンスと信じられない実力をつけてきたフルーレは悠然とした足取りでその虫の死骸の雨の勢力圏から出てくる。
「んじゃ、拠点潰しも終わったことだしロベルトと合流するっすか」
「あぁ……そ、それと」
「ん?」
「あのときは済まない。お前を裏切るようなまねをして……」
「んん?」
突然謝ってきたフルーレに、ロベルトはちょっとだけ首を傾げた後、
「え、どれ?」
「お、俺はお前のことをそんなに裏切ってたのか!?」
「ははは! 冗談っすよ冗談。ていうかまだ、俺が騎士団辞めたときのことを気にしてたんっすか?」
「そ、そんなことって……そのせいでお前爵位を奪われたんだろうが!?」
「気にしてないっすよ。俺は」
だが、どっちが攻めているのかもわからないような強い口調でそんなことを行ってくるフルーレに、アルフォンスは小さく肩を竦めて一言。
「あの騎士団はもともとやめるつもりだったし、いまを見りゃわかるっしょ? どう考えても、城壁警備隊にいたときの俺の方が楽しそうに見えるってことが。だから、むしろあの時止めてくれなくて感謝しているくらいっすよ」
「…………」
そんなアルフォンスの信じられない言葉に、フルーレは唖然とした様子で固まった後、
「うわっ……こいつ、本気の顔をして言ってる」
「おっ! そのくらいは分かるっすか!!」
「あたりまえだ。何年お前の友人をしていたと思っているこのド変態」
「残念。俺に男に罵られて喜ぶ趣味ないっす」
「ロベルトとかいう隊長にはむしろ罵られたいとか言っているようだが?」
「ノンノン。ロベルトはまた別腹っすよ!!」
「相変わらず変態だな、お前……」
久しぶりに言葉を交わした友人との会話が弾む。十年来の友人を取り戻したアルフォンスはいつも以上に充実した気持ちになりながら、
「さて……隊長。今いくっすよ」
四天王と城内で戦っているであろう自分たちの隊長に、そんな言葉をぶつけた。
…†…†…………†…†…
その数分後、
「俺を忘れるとはいい度胸だ……」
「げっ!? しまった……!?」
「うをっ!? 誰っすかこれ!?」
途中フルーレがおいてきてしまったローブの男が、怒り心頭といった様子で二人に合流したのは余談だろう。