14話
蜘蛛は思考する。
クリスタル状に変貌した自分の腹の中に納まっている女性の感触を確かめながら、蜘蛛は思考する。
蜘蛛――正式名称は世界で一匹しかいない個体であった。
それはそうだろう。彼はつい数か月前に自分の主の魔力特性である《変貌》の影響を受けて品種改良された特殊な蜘蛛だったからだ。
蜘蛛が改良によって与えられた能力は二つ。
一つは体の巨大化。蜘蛛の全長は両足を広げれば10メートル近い巨体に作り変えられていた。
もう一つは監獄となる腹部。ここは生物の体ではありえないクリスタルに変貌しており、内部にいる獲物に常に麻酔性がある魔力を流し込めるようになっている。内部の獲物が脱獄などという余計なことを考えないよう眠りにつかせているのだ。
代わりと言ってはなんだが、その魔力はとらえている獲物の最低限度の生命維持を行っている。
当然だ。彼の生まれた目的は獲物を生かさず殺さず捕え続けること。生物の監獄となり、とある騎士の人質を油断なく管理するために作られたのだ。腹の中にいる獲物が死んでしまっては元も子もない。
――だから、彼女は生かす必要がある。
とはいえ、所詮蜘蛛の腹はクリスタルだ。魔力で幾分か強化されているとはいえ、実は一定以上の攻撃で簡単に砕けるようになってしまっている。
魔力の供給が続く限り彼女は眠り続けるため、内部にいる獲物に破られる心配はない。だから蜘蛛が心配するべきなのは外部からの攻撃のみ。
蜘蛛の戦闘能力は実はいうほど高くないので、敵の攻撃にさらされればまず間違いなくクリスタルが砕かれる。ほとんどの彼の機能が腹の中の獲物を捕らえ続けることにあてられているので、仕方ないと言えば仕方ないだろう。
――だから、蜘蛛は潜み続ける。
蜘蛛は思考する。考えながら糸を吐く。
隠遁用に。隠密用に。迎撃用に……万が一の外的の来訪に備え、蜘蛛は自分に有利なフィールドを作り上げていく。
蜘蛛が今いるのは、ほんのわずかな光がさす程度の隙間しかない薄暗い部屋。だが、蜘蛛が自分の目的を遂げるのにはそこは最適な場所だった。
王宮内に作られた巨大な裏の部屋。王宮地下に広がる大空間。もともとは禁書の書庫だったらしく、とあるメイドと四天王が激突し、勇者の友人が巻き込まれた場所でもあったが蜘蛛にとっては関係のない話。
彼らが退去してから蜘蛛はこの場所に潜み続け、着々と自分の巣を作り続けた。
気が付いたときにはそれは出来上がっていた。真っ暗悩みの中を駆ける真っ白な糸によって作られた監獄。
監獄蜘蛛の名にふさわしいその糸の牢獄は、何人も奥にいる蜘蛛に近づけない難攻不落の要塞だ。
そして攻め込んだが最期。粘性のある糸にとらえられ、蜘蛛の餌食になるまで逃れることは決してできない。
そう……そうなるはずだった。
「ここにいたのね。ヴァイルさんに『王宮に隠し部屋とかありますか?』と話を聞いていて正解でした」
――っ!?
自分の全身を光に変えるなどという、でたらめな能力を持つ人物が来訪しなければ。
「師匠の大切な人……返してもらいます」
人物――勇者・結城未来がそう告げるのを聞きながら、蜘蛛は真っ赤に輝く眼球を向けながら、勇者と慌てた様子で対峙した。
…†…†…………†…†…
そんな蜘蛛の眼球から届けられる映像を見ていた四天王――レイアは、舌打ちを漏らしながら目の視界を自分の眼球のものへとつなげる。
これが彼女の魔眼の能力。支配している虫たちの視界を、いつでもどこでもどのような状況であっても見ることができる力。その複眼のレンズ一つ一つに違う映像が映し出され、現在の戦場の様子を彼女にリアルタイムで教えてくれる。
だからこそ、レイアはため息を一つもらし、
「厄介なことになったわね……」
――蜘蛛の居場所がばれるなんて、想定外もいいところだわ。あの場所は確か忘れられていたはずなんだけど。これも勇者の幸運だとでもいうの? と、もはや文献をあさってもその存在を見つけることができないはずだった隠し部屋に、あっさり侵入した勇者をいぶかしげに思いながらレイアは目の前に広がる景色を見つめる。
元々は玉座が設置されていた城の頂点である王の間。
だがそこは現在、まるで地獄絵図のような光景が作り出される惨劇の舞台と化していた。
ギチギチギチとも、ガチガチガチガチとも取れる音を響かせ無数の人間が血で血を洗う戦いをその場では繰り広げる。
いや、それはもう人間と言っていい姿をしていない。
体の各所を虫のような甲殻に変異させたそれらは、もともとこの王宮にいた人々。
各種貴族から始まり、騎士団長やこの国の頂点である王族まで……その場には様々な人間が戦っていた。
だが、予想していた虫に捕食された被害者たちと比べるとあまりにその数は少ない。
さらに、その戦っている人々の目はすでに何も映しておらず、濁ったガラス玉のようなうつろな目をしている。
見るものが見れば気づいただろう。彼らがすでに死人であるということに。
彼らの体はもはや彼らの意志で動いておらず、体内に巣食う四天王の虫が操っているのだということを。
「……そろそろでしょうか?」
当然、レイアは何の理由もなくこんな悪趣味な光景を作り上げたわけではない。
これは彼女なりの自衛手段を手に入れるための《儀式魔法》なのだ。
「仮にも王家の生き残り……きっとあの魔法を所持しているはず」
――この国に残る古の魔法で、唯一警戒するべき驚異の魔法。血筋によって受け継がれる、王家の魔法。
「油断をするわけにはいかないでしょう……。慢心をするわけにはいかないでしょう……」
――だから、
「早く生まれなさい。私の頼もしい騎士様……」
レイアの言葉に死者たちは答えない。ただ、自分の主を守るため……その目的を果たしうる力を得るため、彼らは淡々と戦いを続ける。
変貌属性儀式魔法《蠱毒法》――無数の虫たちを競わせ、最強の一匹を作り出す、猛毒の坩堝。その儀式を完成させるために……。
…†…†…………†…†…
「使えんなぁ……お前」
「わ、悪かったな……」
四天王に気付かれるといろいろまずいというフードの男の言葉に従い、できるだけ虫が少ない通路へ! ともぐりこんだ裏路地。そこで、まるで剣を杖のように突きながら、荒い息をつくフルーレはフードの人物が平坦な声音で吐き捨てた暴言に噛みつきながらも、それ以上の反論ができないでいた。
それはそうだろう。実際自分は道筋を言って守ってもらっているだけ。
虫たちの襲撃は何度かあったが、そのことごとくをフードの男がはねのけており戦ってみたフルーレはむしろお荷物になっていることしかできなかった。
剣で切り裂いても虫たちは続々と補われ、見る見るうちに自分の体はたかられてしまう。
それでもフルーレが無事でいられるのはひとえにフードの男のおかげだった。
「だが……ままさか、お前が魔法使いだったとは」
「当然だろうが。そうでなければどうやってこんな地獄染みた戦場を渡れるっていうんだ……」
その男の足元には無数の虫。
だが、そのことごとくがまるで出来の悪い人形か何かのように動かない。体を丸めてひっくり返っている。
そう。その虫たちの瞳はもはや何も映さず……ただうつろな複眼を晒しながら全滅していた。
外傷はなく、ただ死んでいる。そんな不自然かつ不気味な虫の死骸の山が、現在彼らが立っている場所から半径十数メートルにわたり広がっている。
この光景はすべて、目の前の男が作り出した光景だった。
――なんだこいつは?
フルーレの内心にそんな疑問が生まれる。
――いくら有能な魔法使いだからって、これではあまりに絶対的すぎる。これではまるで天使の国の進みすぎた技術のよう……。
そこまで考えたとき、フルーレは瞬間体を氷結させ恐る恐るといった様子でフードの男を振り返った。
「ま、まさか……」
――本当に、天使!? と、フルーレがその言葉を漏らしかけたとき、
「ふん。戦闘技術はボンクラのくせにこういったことは聡いな。権力闘争に明け暮れていた奴だからか、実力者の正体察知能力は磨かれていると見える」
本日三度目の紫色のダーツがフルーレの脳天に突き刺さり彼の意識を奪い去った。
…†…†…………†…†…
ごっそりさきほどのフルーレの考えをダーツの力を使い消しながら、男はひとり思考にふける。
「いい加減いちいち記憶を抜くのも面倒くせぇなぁ。こいつが使えれば戦闘も任せて大丈夫なんだろうが……使えんからなぁ。俺が手の内をさらすしかねーし、そうしねぇとまともに進めねぇ。どうしたもんか……」
と、フード男は淡々とそんな声を漏らしながらまだまだ遠い王城を睨みつける。
「何かいい方法はないもんか……。早くいかないと手遅れになるっていうのに……クソッ」
彼がそう漏らし記憶を消し終えたフルーレの意識を戻そうとしたときだった。
「ん?」
フルーレの腰に下げられた二本の魔剣が彼の目に留まった。フルーレが騎士の誓いと共に渡された、デュークとジルドレールの剣。
その二本の剣には結構上等な魔法がかけられており、これを使いこなせればフルーレもそれなりの戦力になること請け合いで……。
「おぅ? いいこと考えた……」
フードの舌で男は悪だくみをする悪人のような笑顔を浮かべた。
…†…†…………†…†…
フルーレは真っ白な夢の中で、二人の同僚に出会っていた……。
「お、お前ら……」
そんな二人の姿に唖然とするフルーレに、夢の中の二人はフルーレに笑いかけ、
「いつまでヘタレているつもりだい、フルーレ」
「貴族の意地を見せてやれ」
そういって、彼に自分たちの剣の使い方を伝授した……。
という夢をフードの男はでっち上げていた。
こうして、王国最強の剣士と言われる男が生まれる……。
最近思うんだが……ヴァイルの活躍の場が少ないなぁ……と。
戦争者は他の人物の視点もやらないといけないから面倒です……。