事情説明・虜の騎士
「お兄様が帰ってこられるんですって!」
その日は日差しがまぶしい穏やかな気候の日だったという。
半年前、頼れる母親が急死してからリリナは慣れない領主の仕事を、祖父の代から仕えていた執事や侍従たちの力を借り、何とかやりくりできるようになっていた。
とはいえ、まだまだ彼女の治世の腕は新米領主の領域に片手がかかった程度。ようやくある程度自分の考えで治世ができるようになりつつあるといった段階だ。
先代たちの積み重ねがあるため、領民たちは「まだ慣れておられないんだ。温かく見守ってあげよう」と、彼女が些細な失敗をしても笑って流してくれるが、もうそろそろその期限も限界に近づきつつあるだろう。
本当に領主をするなら、ここからの地盤固めが肝心だと、執事や侍従たちにリリナは耳にタコができるくらい言われていた。そんな時期だった。
騎士団に長い間拘束されていた兄が『休暇をとったから一泊二日ほどの予定を組んでそちらに帰る』と手紙を出してきてくれたのは。
「ゲイル兄様元気だったかしら? ヴァイル兄様とよく合っておられるって話だし……王都でのお話を早く聞きたいわ!」
「お嬢様、お兄様が返ってこられるのがうれしいのは分かりますが、もう少し落ち着いてくださいまし。仮にもこの領のご領主様になられたのですから」
「あら、あなただってまだ私のことをお嬢様と呼ぶ癖は抜けてないじゃない」
領主の執務室ではしゃぎまわるリリナに、苦言を呈する老人執事。そんな彼の言葉に、ブスッとした顔で反論をしつつも、彼女は執務室の窓から屋敷の入り口を見つめた。
「騎士様になってから兄様は帰ってこないし、ヴァイル兄様に至ってはクスクのおじ様おば様たちですら連絡が取れない状態。そんな放蕩者のうち一人がようやく帰ってくるのですよ? はしゃがないわけないじゃないですか!」
『オジサマおばさまはやめてください領主様!? むず痒いです!』
『うちのバカ息子なんかを気にかけていただいて、ありがとうございます』
と、何度も訪れた幼馴染の両親の、口は悪くても音信不通の息子を心配している表情を思い出し、リリナは何かを決意したかのように『フンッ!』と気合を入れて、手を握り締める。
「それに、ゲイル兄様だけ帰ってこられるなら、お願いしないといけないこともありますしね!」
「ヴァイルさんのことですか。あれ程真面目に騎士を目指す少年も今時珍しいというのに……試験でおとされるとは。残念な話です」
と、本気でヴァイルが騎士になれなかったことを残念がる老執事に、リリナは指を突きつけた。
「そうですよ! そのヴァイル兄様のことです!! 落ちたなら落ちたで早くうちの領に帰ってきてくれれば、こちらの領主軍に雇うなりなんなりしましたのに!! 兄様に頼んで、さっさと帰れとカツを入れてもらわないと!!」
「お嬢様……男の子というものは一度見た夢はなかなか諦められないものでございます。かくゆう私も昔は騎士を目指し、冒険者として腕を上げていたものですし」
「だとしても、試験に行かれてからもう何年たったと思っているのですっ!」
と、ふくれっ面をしながら、まったく帰ってこないヴァイルに怒り狂うリリナ。そんな彼女に苦笑をうかべつつ、老執事は告げる。
「ともかく、そういった話はゲイル様がきちんと帰ってこられてからにしましょう。これから、我々使用人一同はゲイル様をお迎えするための準備をしないといけないですし」
「あ、そうですわね。いくら兄とは言え、王国最強の騎士を出迎えるのですから、それなりの歓待をしてあげないと」
――文句を言うのはそれからですね。と、ようやく領主としての顔に戻ったリリナは、慌てて老執事と共に歓待パーティーの準備を始めた。
そして、その一週間後。
「やぁ、リリナ。なかなか帰ってこれなくて、ゴメン」
王都からやってきた一台の豪華な馬車。田舎貴族であるウィンラート家では絶対用意できないその馬車から降りてきた、騎士甲冑に身を包んだ兄の姿を見て、領主として兄を迎えるつもりだったリリナは、あっさり冷静な領主の表情を捨て去り、歓喜の笑みを浮かべた。
「お兄様、お帰りなさい!」
「お嬢様……」
「はぁ。まったく」
後ろで侍従長や、老執事が呆れ交じりの嘆息をしているのが聞こえた気がしたが、今のリリナは全力でそれを無視し、愛しい兄のもとへと走り、抱きついた。
「兄様兄様兄様にいさまぁ!!」
「あぁ、もう。領主になったって聞いたけど、甘えん坊なところは変わってないな」
「だって、兄様中々帰ってこないから!」
――どれだけ心配したと思っているんですか! と、固い鎧にグリグリ額を押し付けながら、不満の声を上げたリリナだったが、
「ん?」
すこし、おかしいことに気付いた。
――兄様、どうして鎧なんか着ているの? と。
いくら騎士とはいえさすがにこういったプライベートな時間で、こんな全身武装をしている人間はいない。久しぶりに実家に帰るという目的ならなおのことだ。
だというのに、この兄はどういうわけかまるでこれから戦闘をしますといわんばかりに鎧を着こんでいて。
「兄様?」
リリナはそのことを少し不思議に思い、問いかけるような口調で、その理由を尋ねようとした。
そんなリリナの声を聴き、ゲイルは先ほどまでの優しい笑みをまるで拷問にでもあっているかのような、苦痛に満ちた表情にかえ、
「すまない、リリナ……」
不出来な兄を、許してくれ。と、リリナに向かって謝罪した。
――え?
と、リリナが思った時には首筋に何かが突き刺さるような痛みが走り、彼女の意識は暗い闇の中へと沈んでいった。
…†…†…………†…†…
「っ! 兄様っ!?」
そう言ってリリナが跳ね起きた場所は、薄暗い地下の牢屋だった。
「え? なに? ここはどこなの!?」
突然起こった以上事態に、リリナは目を白黒させながらあたりを見廻す。
完全に光が差し込まない深い闇の中に、頑丈そうな煉瓦の壁三枚。最後の一枚の壁は、部屋の出入りを完全に禁じている鉄格子。明かりは壁に刺さった松明が一本だけ。
頭上もレンガが敷き詰められている徹底ぶりで、万が一天上に手が届いてもそこから穴を掘り進めるのは難しそう。
どういうわけか、矢鱈ときれいなトイレやベッド、床に敷き詰められた豪華な絨毯などが違和感だが、それ以外は紛れもないれっきとした牢獄だった。
「なにが?」
――兄様、私に何をしたのっ!? と、得体のしれない事態に思わず震えるリリナ。そんな彼女の疑問に答えるかのように、
「虫の報告で見に来たけど、思ったより早くに目覚めましたね」
「っ!?」
一本の松明をもった、女性がいつの間にか鉄格子の向こう側にたたずんでいた。
自分と同じぐらいの小柄な体格。フードつきのローブで全身を覆い隠してはいるものの、そのローブの隙間から覗くのは、確かに兄と同じ騎士甲冑。ただ、その形状は兄の物とは違いやや丸みを帯びたものだ。そのことから、リリナはおそらく彼女は女性なのだと推察したのだが、確証はもてなかった。
彼女はローブのフードを目深にかぶり、顔を隠していたからだ。
「あ、あなたは?」
「お初にお目にかかります、ゲイル副団長の妹様。私の名前はレイヤ・リ・フラン。あなたのお兄様と同じ、スカイズ王国王都防衛騎士団副団長を務めるもの。そして」
そこまで話した時、彼女はゆっくりと俯いていた顔を上げ、フードの陰から黄金のように輝く瞳が、リリナを射抜いた。
「ひっ!?」
いや、違う。それは瞳というよりも――無数の小さな六角形が集まり出来上がった、輝く複眼。
そんな異常な瞳を持つ彼女の異形に、リリナは恐怖の声を上げ、彼女は笑みを深くする。
「またの名を……魔王軍統轄役《四元帥》が一人。《葬送の魔眼》レイヤ・コミューンと申します。人間たちの間では《四天王》の名前の方が、通りがいいでしょうか?」
彼女は率直に、なんでもないようなことだといわんばかりにリリナに向かってそう言い放った。
…†…†…………†…†…
「魔族……どうしてこんなところに」
「詳しく話すと長くなるので、率直に申しますと……まぁ、裏工作&破壊工作です。こっそり敵の内部にスパイを送り込んで、政治機構を瓦解させていくのは戦の常套句ですので」
この国は特にやりやすそうのことで、私が派遣を。と、信じられない事実を、まるでちょっと買い物にと言わんばかりの軽さで話すレイヤの姿に、リリナは得体のしれない悪寒を覚える。
「し、四天王ともあろうものが……そのような下賤な仕事を直々に行うとは、いささか理解に苦しみますわね。流石、破壊と混沌こそが至上とする野蛮な種族である魔族はやることが違いますわね」
正直、そんな皮肉を返せたのはいっそ奇跡といっていいかもしれない。
それほど今のリリナは、レイヤの気迫にのまれていた。
「戦の作戦に下賤も何もないと思いますが。まぁしかし、確かに本来ならこのような仕事は私たち四天王がやるべき仕事ではありません。ですが、この国にに潜伏するには四天王クラスが直々に訪れなければならないある理由があるのです」
「理由?」
――一体それはなんですの? とリリナは尋ねた。思った以上に四天王の口調が紳士的だったのも幸いしてか、そのころには何とかリリナは思考を行うだけの冷静さを取り戻し、この魔族から少しでも多くの情報を得ようとする考えができるようになっていた。
そんなリリナの考えを知ってか知らずか、レイヤは淡々とした口調でとある名前を紡ぎだす。
「《暴君槍》という名をご存知ですか?」
「ぼう……くんそう?」
聞いたこともない名前に思わず首を傾げるリリナ。そんなリリナの反応を見て、やはりと言わんばかりの光を複眼となった瞳に宿しながら、レイヤは小さくため息をついた。
「まさか数年前に魔族領東部を壊滅まで追い込んだ男が、ここではまったく知られていないとは。敵から見れば英雄級の働きをしたでしょうに……」
まぁ、そんな英雄が評価されないような国だから、私はこんなに易々とこの国を侵食することに成功したのですが。と、レイヤは小さく漏らしながら話を続けた。
「『彼の者、その体はまさしく鋼が如く、一切の攻撃を通さず。その手に持ちし槍は、さながら神の一撃。何人も防ぐこと能わず』……我々魔族の間で語られる《実在する化物》――数年前我々魔族を壊滅にまで追い込んだ怪物です。その男がこの国にはいるのです」
「え……」
噂すら聞いたことがないそんな不思議存在の話を突然聞かされ、思わず首をかしげるリリナ。
何か勘違いをしているのではないか? と、若干憐れむような視線を四天王に向ける彼女に、レイヤは少々不満げな顔になりながらも、自分の調査結果を淡々と知らせつづけた。
「私も潜入した際その力を少しだけ試したのですが……。あれは文字通り化物ですね。四天王ということで私もそれ相応の実力をもってはいますが、あれには勝てる気が全くしませんでした。あれとまともに渡り合えるのは先代魔王のころからおられる二人の先輩四天王――《不死の躯》か《発狂教授》くらいでしょう。そこで私は彼に対抗するために手駒を得ることにしました」
その言葉が吐きだされた瞬間、リリナの脳内ですべてがつながった。
――まさか、まさかこの女は!?
「兄様……」
「なかなか聡明なお嬢様です」
レイヤの口角が吊り上り、フードから覗く顔に真っ赤な三日月が出来上がる。そんな彼女の不気味な笑みに、リリナは思わず飲まれかけるが、
「兄様に何をしたのですっ!」
それよりも、自分に唯一残った肉親の心配の方が勝った。
リリナは、怒声のような声を上げ、鉄格子に掴みかかる。リリナがぶつかった衝撃で、その鉄格子はけたたましい音を立てるが、さすがに罪人を閉じ込めるために作られた設備。リリナ程度の力では音が響くだけで、鉄格子はびくともしなかった。
そんな彼女の様子をあざ笑いながら、レイヤは言葉を続けていく。
「いえ、なに。ほんの少し人質を取らせていただいただけですよ。あの人の部下の女騎士。最近ずいぶんとご執心だったようなので、使えるかなと思い手に入れたのですが案の定。なかなか従順な私の騎士になってくれましたよ」
「っ――あなたっ、なんてことをっ!!」
怒りのあまり獣のような怒声を上げるリリナ。そんなリリナの怒声を鼻で笑い押しのけながら、レイヤは複眼の瞳で鉄格子の向こうのリリナを睨みつけた。
「あなたは一応スペアです。万が一にもあの人がやけになった時のための、人質のスペア。とはいえ、私の命令通りしっかりあなたをさらってきたあの人の態度を見る限り、そんな心配を杞憂だったようですが」
「ふざけないで! 絶対兄様を助けるっ!! 兄様を……絶対あなたの好きにはさせない!!」
「やれるものならやってみなさい、御嬢さん。ただし」
ここから狂わず出ることができたらですけど。と、辛辣に吐き捨てられたレイヤの言葉に、リリナは思わず息をのみ慌ててあたりを見廻す。
「ここはもはや王族にも忘れられてしまった地下の秘密通路。誰一人通ることのない、王宮の闇の歴史」
その言葉と共に、レイヤがかぶっていたフードから数匹の虫が現れ、宙に舞いあがる。
そして、それらは突然とてつもない速度まで加速し、
「ひっ!?」
リリナの頬をかすめるような軌道で、一直線に牢獄の壁へと激突し、その壁をごくわずかとはいえ粉砕する。
弾丸に使われた虫は死んでしまった。だが、そんな些事は気にもかけた様子すら見せず、レイヤはその崩れた壁に隠れていたものを指差した。
「そして、今代に忘れ去られてしまうほどこの地下通路の機密性は高かった。そんな場所を、ひどく有効に使える方法があると思いませんか? そう、たとえば……都合の悪いことを知ってしまった悪~い人間を閉じ込め、餓死するまで放置して、発狂させる暗闇の牢獄とか?」
レイヤが指差したものを、リリナは見たくないと必死に首を振った。だが、これからこの牢獄で過ごさなければならない彼女は、たとえどれだけ嫌がっても、それと目を合わせることになるのは、もはや必然であった。
「この怨念渦巻く牢獄の中で、果たしてあなたがどれくらい耐えることができるのか……見ものだわ」
そう言って、松明を床に転がしそのままどこかへ行ってしまうレイヤ。
中途半端に残った松明はあと数秒で、その光をけし再び牢獄に暗闇をもたらすだろう。
だが、それはすぐではない。リリナが振り返りその背後の光景を見るには十分な時間が残されている。
ずっと鉄格子の向こう側を見ているわけにはいかないリリナは、何があるのかを内心で悟りながらも、それでもカタカタ震えつつ自分の背後を振り返り、
「ひっ!?」
無残な白骨死体となった、この牢獄の以前の使用者たちが、壁一面に埋め込まれている光景をみて、思わず悲鳴を上げるのだった。
話しが思った以上に進まない……。