7話
「ヴァイルの旦那!!」
「ん?」
そんな騒ぎがあり、ヴァイルが一人の少女と約束を交わして数分後。ヴァイルは突然、背後からかけられた声の方を振り向いた。
「あぁ、お前たちか。地下道の調査ご苦労さん」
「ホントっすよ。虫に見つからなかったからよかったものの、下手すりゃ食い殺されてましたよ、俺ら」
「危険手当とか出るんっすか?」
と、大げさに自分たちの活躍をアピールしてくる、貧民街のボロを纏った男二人組だった。
この男と達は、ヴァイルが貴族外に避難勧告に行く前、適当な人材二人を選び出して地下道の調査を依頼していた二人で、つい先ほど城壁警備隊に、地下道内の虫の浸食度と、進行速度を教えてくれた二人でもある。
「あぁ、隊長から聞いたよ。しっかり調査してくれたらしいな。恩に着るぜお前ら」
「ふふん! わかってるじゃないっすか旦那!!」
「というわけで、成功報酬、成功報酬!!」
「はいはい、わかってるって」
そう言って「さっさと、出すもん出せやコルゥァ!?」と言わんばかりに、手を突き出してくる男たち二人に、ヴァイルは苦笑いをしながら財布を取り出して、
「ええっと、お前らの賃金幾らでよかったっけ? 300Gでいい?」
「「良いわけあるかっ!?」」
「勘弁してくれ。お前ら程じゃなくても、俺も貧乏なんだぜ?」
いつも通りにやり取りを交わした。
――こんな非常事態になっても、相変わらずこいつらノリいいな。と、ギャーギャーこちらに向かって喚いてくる二人に、苦笑いを浮かべながらも、ヴァイルは内心で血涙を流しながらただでさえ薄い自分の財布をさらに薄くして、二人への報酬をひねり出した。
久しぶりに手に持った貨幣の重さに、男たちは喜びあいながら酒でも飲みに行こうぜと語る。
――いや、お前ら、政情不安定なんだから貯金しろ。と、思わずヴァイルはツッコミかけたが、もう何を言っても遅いのは大体わかっているので、あえてその言葉は飲み込んだ。
その時だった。ヴァイルが地下道の調査を頼んだもう一人の男がいなくなっていることに。
「ん? おい、ビーンのやつはどうした? ……まさか?」
――虫に食われたのか? と、逝ってから最悪の可能性に気が付いたヴァイル。その顔から血の気が引くのをみて、貧民街十人の二人は慌てた様子で手を振り、
「あぁ、ちげぇちげぇ! ビーンはぴんぴんしてるよ、旦那。地下道の調査の時に貴族の嬢ちゃんを一人拾って、いまビーンのやつが医務室に運んでんだ」
「なに? ガキが一人であの地下道を逃げてたのか?」
「度胸あるよな。俺だったら絶対無理だわ」
と、二人は感心したようにつぶやきつつ、
「どうもその子旦那の知り合いみたいだったぜ? 気絶しちまったんだけど、その前に『ヴァイル兄様』っていってたし。ヴァイルなんて名前、旦那ぐらいしかいねーだろ?」
「はぁ?」
――俺に妹なんかいないぞ? と、ヴァイルはいぶかしげな声を上げかけたとき、
「名前名乗ってたよな?」
「あぁ、どっかで聞いたことある苗字だったな。たしか『リリナ・ガンフォール・ウィンラート』って」
「っ!?」
その名前を聞いた瞬間、ヴァイルは今までの会議用テントに向かう道から方向を展開し、簡易の医務室として機能している真っ白なテントへと走り出した。
リリナ・ガンフォール・ウィンラート。ヴァイルの幼馴染であり、現在人類を裏切り魔族四天王へと寝返った、ゲイル・ガンフォール・ウィンラートの妹の名前だった。
「どうしてここに!?」
――あの子は、俺たちの故郷で母親と共に過ごしているはずだ! と、時々町を訪れては「妹に彼氏ができたらしくて……」と、どうでもいい愚痴を吐いていったゲイルの話を思い出しながら、ヴァイルは数秒もかからないうちにテントの入り口に到達。
急いでいたので、特に入室(?)合図もしないままテントに突撃し、
「おい、ここの担当の物に聞きたいんだが……リリナという少女はどこにっ!!」
と、言いながらテントに飛び込んだヴァイルの目には、
「へ?」
と、どうやら診察が終わったらしく、持ち上げていたと思われる服の裾を下げきった体勢で突如固まる少女の姿があった。
「ヴァイル……兄様?」
「ちょ、隊長! 何してんですか!? あと数秒早かったら、危うくこの子が隊長にセミヌードみられるところでしたよ!?」
「安心しろ。俺はわき役だから。そんな部屋に入室したら、ちょうど女の子が着替えてました、なんてラッキースケベ展開は今まで生きてきた中で一回もあったことはない!」
「なんですかその無駄な自信は!?」
合図をしなかったことを反省しろって言ってんですよ!! と、ギャーギャー喚くヴァイルの部隊の健康を一手に担っている、眼鏡装備の白衣を着た女性の医官を押しのけながら、ヴァイルはこちらを見て呆然としている少女の顔を確認した。
暴君槍事件からここ数年。あまりに自分が情けなくて故郷には帰っていなかったため、記憶の中の少女と目の前にいる少女の姿はかなり変わっていた。
背は高くなり、女性らしい丸みを帯びた形になっている。
顔からは以前はあったあどけなさが抜け、どこか凛とした美しさが垣間見えるようになっていた。
だが、
「面影は残ってるな……」
――予想通り、美人になりやがって。兄妹そろって羨ましいぞ。と、久しぶりに見た幼馴染の顔に、ヴァイルは思わず安堵の笑みを浮かべる。
そんなヴァイルの言葉を聞き、少女の心も限界に達したのか、呆然とした顔が見る見るうちに歪んでいき、瞳にいっぱいの涙をためながら、
「ヴぁ、ヴァイル兄様ぁあああああああああ!!」
泣き声交じりの震えた声で、ヴァイルの胸に飛び込んできた。
…†…†…………†…†…
流れ落ちる滝のような真っ青な髪をした、10代後半ぐらいの美少女。彼女――リリナ・ガンフォール・ウィンラートを説明しようとするならば、その言葉が最適だろう。
一族譲りの青い髪を、惜しげもなくさらす絶世の美姫。その美貌はあと5年もすればなおさら輝きを増すだろうと、誰もが確信を抱くほど整ったもの。
そのせいか、婚約の申し込みが後を絶たず、辺境の一男爵の家にしては異例と言えるほどの、高い身分の人間からも話が来ているという。
だが、現在家を継ぐはずである長男のゲイルは、王都の防衛を担う騎士団にはなくてはならない最高戦力の為、国王直々に領への帰還を禁止されてしまっていた。
さらに悪いことは重なり、夫の遺志を継ぎ精力的に領の統治をしていたゲイルたちの母親が、たちの悪い病にかかってしまい急死。そのため、ウィンラート領の統治権が宙ぶらりんの状態になってしまった。
ゲイルが帰って跡を継ぐということは事実上不可能。そのため、ウィンラート家は、領の運営を唯一残った領主の正当な娘である、リリナに任せるしかなくなったのだ。そのため、数多の貴族が希望する嫁入り前提の婚約などとうてい無理。婚約の話はすべて破棄されることとなり、彼女の返事を待ち続けた貴族たちを大いに落胆させることとなった。
そんな彼女は「むしろ、せいせいしましたわ」と、最近特に腐敗が激しかった得体のしれない高位貴族どもの嫁にならなくてよいと分かりホッとしながらも、まさか自分がなると思っていなかった領主の仕事を、周りの人間の力を借りて四苦八苦しながらも何とかやっているという話だった。
「あいつには苦労ばっかりかけてしまって……申し訳ないと思っているよ」と、ヴァイルのおぼろげな記憶の中で、ゲイルがそんな話をしながら苦笑いをしていた。
――そんなこいつがどうしてここに?
内心で首をかしげながらも、彼女が泣き止み落ちつくまで昔のように背中を撫でてあやしてやっていたヴァイルは、自分の胸元から聞こえてくる少女の泣き声が鼻をすする音に変わりつつあることに気付き、頭をポンポンと撫でた。
「もういいか?」
「うぅ……ご、ごめんなさいヴァイル兄様。服汚しちゃった」
「いいっていいって。どうせ一山いくらの安物だし」
「そうですよ、御嬢さん。うちの部隊の安月給をなめてはいけません」
――その割にはお前ら女性隊員の制服カジュアルだよな? と、ヴァイルは内心でちょっとだけ不満を漏らしながら女性医官――ミランダ・ロールの白衣の下に見え隠れするタイトスカートにブレザーといった、最新ファッションの制服を睨みつける。
そんなヴァイルの視線に気づいたのか、ミランダはちょっとだけ自分の制服に視線を落とし、
「や、ヤダ隊長……。私の体をそんなにジッと凝視して……エロい想像してんじゃないわよ!」
「お前ら、女性でもセクハラの罪って成立するんだぞ?」
冗談よ、冗談!! と取り繕うように笑いながら、足早にテントの外へ退避するミランダ。
久しぶりの幼馴染との再会に気を使ったのか。はたまた、ヴァイルの射殺すような怒りの視線に耐えられなかったのか。
――大方後者だろう。と、自分の部隊に対する信頼度の低さを内心で露呈しつつも、ヴァイルはいまだにぐずぐずと鼻を鳴らすリリナを引き離し、涙と鼻水の後が未だにみられる顔を見て、苦笑した。
ズボンのポケットからハンカチを取出し、拭いてやる。
「あぁもう、美人が台無しだろうがリリナ。大人の女がそうそう泣くんじゃないって。化粧してなかったからよかったものの、してたら化け物みたいな顔になってたぞ」
「うぅ、ごめんなさい。私淑女にならなきゃいけないのに……」
――メイドさんの知恵か? あの人たち実の親よりもこいつの教育は熱心にやってたからな。と、リリナがふと漏らした目標らしい言葉に、懐かしい故郷の景色を思い出しながらも、ヴァイルは言葉を続ける。
「でさ、リリナ……。積もる話もあるだろうし、怖い思いしながらも必死に来てくれたことは十分理解している。正直もう少し関係ない話でもして、お前を落ち着かせてやるべきなんだろうが、今は時間が惜しい」
ヴァイルの声色が突如硬質なものになったのを感じ取ったのか、ヴァイルから渡されたハンカチで必死に自分の顔をぬぐいながら、リリナも何とか呼吸を整え、話をする態度に戻ってくれる。
――うん。いい女に成長している。と、彼女の強くなった部分を発見でき、少し感心しながらも、ヴァイルは核心に触れる。
「何があった? どうしてお前はここにいる? ゲイルはどうして、魔族の味方なんかしているんだ?」
そんなヴァイルの問いかけに、まだ目が充血してはいるが貴族令嬢の顔となったリリナは、よどみない言葉で答えを返した。
「その前に一つ……ウィンラート家現当主としてお願いがあります。城壁警備隊南門警備隊長、ヴァイル・クスク」
「?」
「ウィンラート家長男。ゲイル・ガンフォール・ウィンラートを……助けてください」
それは、幼馴染としての懇願でもあり、貴族としての依頼でもあった。
「どういうことだ?」
――いったいあいつの身に何が起こっている? 言外にそう尋ねてきたヴァイルの言葉は、きちんとリリナに届いたのだろう。
彼女はその言葉の返答として一つ頷き、
「事の起こりは半年ほど前にさかのぼります」
自分の家族に降りかかった災厄を話し始めた。