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ある脇役の英雄譚  作者: 小元 数乃
王都動乱編
32/46

6話

 とうとう町にあったすべての道路を埋め尽くしてしまった虫の大軍。


 サーシャは腕を組みながら、貴族街の城壁の上からその光景を眺めていた。


「絶景、絶景。というのはさすがに不謹慎かな?」


――さてさて、何人死んだことやら。と、虫の大地の下に骨になって埋まっているであろう被害者たちに黙祷をささげながら、彼女はしばらく虫の温床となってしまった貴族街を眺め、


「おかしいな……」


 この騒ぎをずっと見つめていたころから思っていた事実を思わずといった体で漏らした。


「なぜ虫はこの城壁を超えようとしない?」


 それは、貴族街を席巻する際には壁などモノともせず這いあがってきた虫たちが、いつまでたっても貴族街を囲う、この巨大な城壁を上ろうとしないことに対する疑問。


 奴らがその気になればこの城壁でも数分もつかどうか。四天王直々にやってくれば城門を開けることすらたやすいはずだ。


 だが、虫たちの行動からはそんな様子は微塵もうかがえない。


 時を待っているというわけでもなければ、こちらをなめているというわけでもない。


 本当にそれ以上はいけないといわんばかりに、城壁一歩手前で見えない壁にぶつかったかのごとく虫たちは進軍を止めていた。


――どういうことだ?


 そんな珍妙な景色を理解するために、サーシャは自分の背後に控えていたもう、ヴァイルやアルフォンスの同僚である一人の城壁警備隊隊長――ロベルト・マッケンディーに質問をぶつけた。


「どう思う、ロベルト?」


「流石に魔法の専門家というわけではないんですから、尋ねられてもわかりかねるんですけど……」


 旦那に聞いてくださいよ。と、ふわふわとした桃色の髪が城壁上空で吹き荒れる突風に乱されるのを抑えながら、どこからどう見ても十代の少女にしか見えない35歳のおっさんは弱音を吐く。


「……お前もうそろそろ本気で天使の国の住人名乗った方がいいんじゃないか?」


「勘弁してください。私が一番自覚しているんですから……」


 今年も身長伸びなかったし……。と、サーシャのほんのわずかに呆れが含まれた揶揄の言葉に本気でへこみながら、ロベルトは走り回りながら作成したと思われる、若干普段より汚い書類をめくりながら現在の被害と避難状況を的確にサーシャに報告する。


「貧民街平民街の避難は完全に終わりました。現在は貴族街から逃げのびてきた方の収容を、旦那の部隊――南門警備隊と連携して行っていますが……貴族の名簿リストと参照して確認するだけでも、恐らく逃げ遅れたと思われる貴族の数は数百人に上っています。この国の貴族はほぼ全滅と言っていいでしょう。被害状況に関しては、現在の被害は貴族街以外には出ていませんが、地下道の調査に出ていた人員の話では、地下道内ではほとんどのエリアで四天王配下の虫を確認したようです。ただ、一部の通路を封鎖している土の槍を恐れている様子も見せているそうで、それがある地点から先へはどうやら進んでいない模様。使える通路はまだまだあるとのことでした」


「ヴァイルが上で派手に暴れたな? まったく、町を壊すなと言っただろうに。まぁいい、それで虫の進行が止まっているなら結果オーライだ。それで、地上と地下でこれほど虫の侵略範囲が違う理由は分かるか?」


「……ですから専門家ではないので何とも言えないのですが……私見でよければ」


「かまわん。言ってくれ」


――今は少しでも情報がほしい。そう告げたサーシャの言葉に小さく頷きながら、ロベルトは口を開く。


「おそらく、あの黒い虫たちは何らかの魔力によって作成――または、四天王の魔力を食して生きている新種の生命体だと思われます」


「だろうな。とはいえ、自分の魔力そのものを虫の形状に変質させている可能性がないわけではないだろが……だとしてもこれだけの数だ。いくら四天王とはいえコストが悪すぎる」


――私でもこんな無茶をしたら数時間で干からびる。と、王族の特徴としてほんの少し(・・)人より魔力が多い自覚があるサーシャはそう言ってロベルトの一つ目の可能性をつぶした。


「えぇ。その意見に関しては私も賛成ですので、恐らくこの虫の正体はかなり高い確率で四天王に魔力を与えられることによって従順に従う存在――つまり、飼い主とペットのような関係なのだと予想がつきます。そこで問題になってくるのは魔力の拡散範囲の問題です」


「あぁ、ヴァイルが言っていたな。『どれだけ強固な獣を作る力を持っていたとしても、放った人間から魔力が離れられる距離には限界がある』……だったか? 奴が言うには『どれほど魔力制御がうまくてもせいぜい600メートルから700メートルが限界値』とか言っていたな。ん? そうなると貴族街全土が包み込めるのはいささかおかしいか? 王宮からここまで20キロはあるしな」


「魔力というのは人の意志によって操る精神エネルギーのことを指すそうですからね。そのため、その人間が認識も想像もできない場所での行使は不可能ということになりますし、なにより距離による魔力劣化が激しすぎてそこまで持ちません。距離による制限をなくせるのは、天使の国の魔術を収めるか、手っ取り早く魔力が物質になる土系統の魔力属性に目覚めるか……。まぁ、天使の国は魔族の出入りを全面的に禁じているらしいですし、攻撃方法が虫の行使だということから、土の魔法でもないでしょう。他にも、四天王が、アルフォンスやサーシャ隊長に匹敵する魔力の持ち主で、隊長達みたいに有り余る魔力を力技で放出して、その莫大な魔力を惜しみなく浪費することにより、無理やり魔力の拡散範囲を広げる……いってみれば大雨によって増水した川がごとき魔力放出を行うことによって、魔力を拡散している可能性というのも、例外的可能性として有ると言えばありますが、そうなるとここからどころか僕たちが仕事をしている城壁からでも莫大な魔力の流れが視認できます。それがないということは、ひとまずその例外は可能性から外せるということですね」


「だとしたら、いったいどうやって……」


「おそらく、四天王の魔力を受信して周囲に放つような何かが貴族街に設置されています」


「っ!? そうか……儀式魔法か!!」


 そう言ったサーシャの脳裏には、警備をする関係上見せてもらった勇者召喚の魔法陣が思い描かれていた。


「確か儀式魔法の魔法陣には、魔方陣全体に魔力をいきわたらせるために、あらかじめ設定しておいた人物の魔力を受信し周囲に放つ触媒が使われていたな」


「えぇ。おそらくそういった触媒をあらかじめ王都全域にばらまいて、科の四天王の魔力がまんべんなく散布されるように仕掛けておいたのでしょう」


 だが、


「敵は今まで貴族の街で生活していました。基本的に貴族たちは平民街には降りてこない。潜入中に貴族たちに不信感を抱かれないためにも、悪目立ちをしないためにも、敵はこちらに来たくてもこれなかったはず。そのため」


「平民街にはまだ触媒が配れておらず、虫たちも触媒から発せられる四天王の魔力がない状態では食料に困るから、あそこで……城壁手前で活動を止めているわけか」


――だが地下道はそうじゃない。サーシャが補足するように思ったその言葉を、ロベルトは口に出しながら整理していく。


「地下道の進行速度が速いのは、恐らく四天王が前もって地下道にその魔力を受信する法人を仕込んでいたためと思われます。王族も忘れた(いにしえ)の道ですからね。こそこそ隠れていろいろするにはいい拠点だったでしょうし、妙な風評被害を出す他人の目もありません。地上と比べて魔力の放出の触媒がまんべんなく散布できているのは、むしろ当然かと」


「こうなってくるとアリサがあの地下道を見つけてくれていたのが救いだな。存在を知っているがゆえに、きちんと対応ができている。これで突然地下道を食い破られて下から虫に襲い掛かられていた日には、どれほどの被害が出ていたかわからんぞ」


――だが、その地下道も今はヴァイルの槍の力によって半分閉鎖状態だ。注意は必要だろうが、致命傷にはなるまい。サーシャはそう判断をしながら真っ黒に染まった貴族の街を見つめる。


 この国で最も偉大で高貴な町。そう言われたころの面影は、今はもう残っていない。


「天国におられますかお父様? ブッチャケ顔も見たことない上に、『貴様に王位は渡すか!!』と、わけのわからん理由で貴族が喧嘩しかけてくるので、ほとほとあなたのことが大嫌いでしたが……。そんな、あなたのことが大嫌いな、下賤な平民生まれがこの世界で唯一残ったこの国の王族というのは、いささか皮肉が効きすぎですね」


――このまま国を捨てて逃げたところで、誰も文句は言わないだろう。サーシャの脳裏にそんな言葉がよぎる。


――このまま逃げてきた難民をどこか安全な場所へと亡命させて、私とヴァイルは……そうだな、あいつが私を受け入れてくれるなら、どこかで小さな家でも買って、農作業でもなんでもいいから手に職つけて……普通の人間として過ごしていく。武術の腕を示してどこかの貴族になるのもいいな。権力争いなんか関係ない田舎の領地に引っ込んで、子供を産んで育てて、領民と仲良くして……いつも笑っていられる家族になる。


 悪くない。と、サーシャは本気でそう思った。このまま国を見捨てたところで、碌にいい思い出もなかった国だ。


 母を捨てたあげく、彼女の死に際にすら訪れなかった国王の父。


 妙な勘繰りをして自分に何度も刺客を差し向けてきた、愚鈍な兄たち。


 その兄たちに追従し、自分に何度もいやがらせをしてきた性悪な貴族達。


――正直に言おう。死んでせいせいしている。


 万が一そいつらがヴァイルたちの言うことを聞いて大人しく避難したとしても、素直にそのことを喜べる自信がサーシャにはなかった。


 だが、それでも、


「ヴァイルがそれを……望んじゃくれないよな」


「サーシャ隊長?」


突然のサーシャの言葉に不思議そうな顔をするロベルト。そんな彼に苦笑いをしながら「気にするな」といって、手を振りながら、サーシャは思考を続ける。


――あいつの生き様はもう決まっている。魔族に対する罪滅ぼし。殺してしまった数以上の魔族を、助け、救い、笑顔にする。


 当然そんなことはなまなかな覚悟ではできない。現に魔族はこうして町一つをつぶしてきたし、ヴァイルもこの町を取り返すために攻めてきた魔族に矛を向ける。


 理想とは矛盾した自分の姿に、ヴァイルは今内心でとてつもない葛藤を覚えているだろう。


 だが、


「それでも、立ち止まってはくれないんだよな……」


 無謀な夢でも、不可能な理想でも、実現しないといけない。それは罪を犯してしまったヴァイルの義務であり、生きざまだから。だから、あいつはいつまでも前に前にと進んでいく。


「だというのに、私がこんなところで立ち止まっていたら、あいつの隣にすらいられない」


――それは嫌だ。とても嫌だ……。私はあいつの隣にいたい。あいつにいつも話しかけてもらって、あいつにいつでも気にかけてもらえる……そんなあいつの特別であり続けたい。


 だから、


「私がこの国を救ってやるよ、お父様」


――あいつは今回の事件で英雄になる。この国を救った英雄だ。今代の勇者はまだ召喚されてから日が浅く、四天王と直接対峙できるような実力を持っていない。だから、今この国で四天王を退けられるのは、ヴァイルだけだ。


 サーシャはそんな未来を予想し、そんな未来の確定を疑わない。


 それだけ彼女はヴァイルを信頼していたし、ヴァイルもその信頼にこたえ続けてきた。


 だから彼女はこの国を救う指揮を執ることに決めた。


「英雄に並び立つんだ……。王にくらいならないと、あいつの隣に立てないさ」


――親不孝な娘をお許しください、お父様。私はあいつのために、あんたの国も、あんたの死も、踏み台にしてあいつの隣まで走り抜ける。


 そう決意をしたサーシャの視界に、妙なものが映り込んだ。


「………………」


 サーシャが立つ場所から400メートルほど離れた城壁の上。そこにはられた一本のロープが、まるで何かを引き上げるように高速で動き、


「「ぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


「……………………………はぁ」


 いや違った。実際何かを引き上げていた。


 その正体は二人の人間。黒髪を振り乱した勇者と、勇者のお目付け役だった三騎士の一人。


 そんな彼らが、先ほどのロープに繋がれ勢いよく一本釣りされる光景を見て、先ほどまでの思いつめた雰囲気を思わず崩してしまったサーシャは、額を抑えながらため息をもらし、


「ロベルト……とりあえずあの悲鳴あげてる二人を回収してこい。このままだと、縄に引っ張られて、城壁の反対側にアイキャンフライだ」


「え? って、あれ勇者様!?」


 慌ててそちらにすっ飛んでいくロベルトを見送った後、サーシャは自分の足元にある城壁を、体を極限まで軽くすることによって、平然と登ってきたヴァイルに視線を落とす。


「げっ!? さ、サーシャ隊長!? ち、違うんですよ!? これさっき先に勇者たちを送りつけたはいいものの、自分がどうやって登るか考えてなくて。ロープが品切れになったから同じ方法は使えないし、仕方なく比較的足とか手とかをかけられる場所が多い場所を選んで登ったらここだっただけで、決してサーシャ隊長のタイトスカートの中身を覗こうと思って登ってきたわけでは……。というか、壁の手足かけるところの確認でそれどころじゃなかったですし」


「ほほう。そうか、そうか。ところでヴァイル。今日の私の下着はどうだった? ちょっといつもとはイメージを変えて白い清純な感じにしているんだが?」


「え? 黒のレースじゃ……あっ」


「……………」


 ぴたりと自分の下着を言い当てるヴァイル。


――これは自供とみてもいいよな? と、判断したサーシャは、瞳が笑っていないにっこりとした綺麗な笑みを浮かべた後。


「フン」


「ぎゃっ!?」


 城壁を必死に上ってきたヴァイルの顔面を、勢いよく踏みつけた。




…†…†…………†…†…




 サーシャにさんざん怒られた後、何とか城壁を超え平民街に降り立ったヴァイルは、すぐそこに設営されていた城壁警備隊のテントを使った仮設の基地へとやってきていた。


 サーシャの話では、ヴァイルより一足先に帰ってきた部下たちがサーシャに命じられて作った明日の反撃のための前線基地なのだそうだが……。


「はいは~い。そこならんで並んで! 炊き出しはいっぱいあるから、全員分用意できてます! ですので、順番は守るように!!」


「そこぉ! もぬけの殻になったからって商家から物盗もうとしない!! この町は無傷で済みそうなんだから、この事件が終わったらいつでも使えるように保存しとけって上からお達し来てるんだから!!」


「コラくそ餓鬼ども!! ならべっつんてんだろうがぁああああああ!」


「あぁ、申し訳ありません貴族様。このような事態ですので、貴族様だけ特別扱いというのはちょっと……。いや、金はいくらでも出すといわれましてもですね」


 そこはどうやら基地という名のスラムになっているようだった。


 貴族街から逃げ出せた人間が意外と多く、もうすぐ夜になるということでこの仮設基地に泊めることとなったのだろう。


――もっとも、何人か死んでくれていた方が楽だった貴族がいるが。と、ヴァイルが視線を巡らせると、そこには今日の寝床となるテントを割り振っていた城壁警備隊に掴みかかる貴族が一人見受けられた。


 その後ろでは困りきった顔をした髪を塔のように結わえた女性と、その女性に手をひかれた金髪の少女が所在な下げにたたずんでいる。おそらく、彼の家族なのだろう。


「ふざけたことをぬかすでないわ! 我を誰だと心得る……エスペラード・リスリス・ロ・ペンタローゼ侯爵であるぞ!! はよう、この近くの家屋を開け! 我らが今夜泊まれるようにするがいい!!」


「いえ、ですから、この町は無傷ですので、事件が終わった後すぐ使えるよう、財産とかの強奪がされないよう、出入り禁止にする命令が上から出ていまして」


「なっ!? 貴様いうに事欠いて……この我が平民の家屋から物を盗み出すような、下賤な行為を働くと思うているのか!」


――思っていますが何か? と、ヴァイルは内心で吐き捨てつつ、先ほど近くにあった商家から野菜を丸々盗もうとして、彼の部下にとっ捕まっていた貴族の姿を思い出す。


――人間幾ら高貴な生まれでも、これほど追いつめられたら何するかわからんからな。


 ただでさえ都市の一区画が完全に使えない壊滅状態に追い込まれているのだ。ここで避難民が無事な町から好き放題略奪をしてしまえば、この王都は、たとえ魔族の手から取り返せたとしても、完全に機能が崩壊する。


 それを防ぐための、未然の防犯命令だったのだろうが、もともと傲慢だった貴族が平民出身の城壁警備隊の指示を聞くわけもなく、あらゆるところで窃盗未遂を犯した貴族たちが取り押さえられているらしい。


――ったく、高貴を語るなら、こういう時こそその精神を貫いてほしいもんだ。


 と、小さく愚痴を漏らしながらとりあえずヴァイルは目下のところ一番の問題である、眼前の貴族との厄介ごとを片付けるため、いまだに喚き声を上げる貴族の男に近づいて行った。


「っ!! まったく、貴様では埒が明かん! 責任者を出さんかこの平民風情がっ!!」


「いったい誰のおかげで、いまの平穏が守られていると思っておられるんだ……です。貴族様。ちなみにこの舞台の責任者は俺でゲス」


「ヴァイル隊長!」


 ようやくやってきた自分の上司の姿にほっとしたのか、あからさまな安堵のため息をつく兵士に苦笑いをしながら、ヴァイルはひらひらと手を振り「他のところ手伝って来い」と指示を出す。


 そんな彼に一礼して、炊き出しの方を手伝いに行った兵士を見送り、怒り心頭といった様子で向き直った貴族へとヴァイルは視線を合わせて、


「ん?」


「――っ、き、貴様。あ、いや……貴殿は」


 何やらしどろもどろになり貴族。というかどこかで見たことあるな……? と、ヴァイルは首をかしげた。


 貴族嫌いのため貴族の知り合いなんてゲイルぐらいしかいないヴァイルなのだが……この貴族の顔はつい最近見たような気がしていた。


――だれだっけ? と、ヴァイルは首をかしげる。


 三つ編みにされた金髪に、貴族らしい太った体系。正直そこらへんの貴族の特徴止まった変わらないため、印象がほとんど残らないのだが……。


「あ、あの……」


「ん? なんでげす、お嬢様」


 とりあえず話しかけられたので敬語で対応するヴァイル。普段ならば、貴族に使った瞬間確実に叱責を受ける、なっていない敬語ではあったが『今は非常事態だし無礼講ってことで……』と勝手にルールを制定し、押し切ることを決めるヴァイル。


 だが、彼に向けられたのは叱責ではなく、


「さ、さっきは……ありがとうございました!!」


「え?」


 まさかのお礼。そこでヴァイルはようやく思い出し、


「あ、あぁ!! さっきの虫に追われておいた貴族様か!」


 馬車に乗って顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた少女の顔と、いまお礼を一来ている、ぎこちないながらも心からの笑顔を浮かべている少女の顔が何とか重なり、ようやくヴァイルは彼らの素性の割り出しに成功した。


 そのことに気付いたヴァイルはにやりと笑いながら、貴族に対して舐めきった動作で肩をすくめる。


 普通の主人公なら、ここで貴族を優しく諌めて、改心させるシーンなのだろうが、あいにく彼は脇役だった。


 普段自分たちを虐げている貴族に復讐できる機会があるなら、積極的に狙わない理由などどこにもない。


「で、その貴族様がこんな時になってまで平民に無茶言って、いびり倒してるんっすか? 賢い貴族様方は、多少状況をわきまえてくれていると思っていたんでゲスけど?」


「貴様……命の恩人だと知ったら付け上がりよって!」


「いえ、この敬語はデフォルトです」


「それはそれで問題だ!!」


 この平民がっ!! と、ようやくヴァイルに正体を言い当てられた貴族は、明らかに憤りを覚えていながらも、それ以上の悪態や反論を告げることはなかった。


 どうやら、つい数分前に命を救ってもらった恩人に対して高圧的で居続けられるほど、人間が腐ってはいないようだった。


「おやおや、貴族様? どうしたのかな? ど・う・し・た・の・か・な~? いつもみたいに『無礼者! 誰か、この者の首を刎ねい!!』とか、言ってみ? 言ってみ~?」


「くぅ―――――――――――――――――!!」


――ふははははは! 超気持ちいい!! と、本気で悔しそうにしている貴族を内心で嘲笑うヴァイル。つくづく器の小さい男だった。


「お兄ちゃん?」


「はっ!?」


 だがしかし、さすがに先ほど感謝の言葉を継げてくれた少女が泣きそうになっているのを見ると、その気持ちも引っ込んだのか、慌ててヴァイルは人の悪い、極悪な笑みをひっこめ咳払いをする。


「ご、ごほん!! と、とにかく……今は非常事態なんですから、あんまり無茶とか無理とか言わないでください。あなたも貴族ならわかっているでしょう。戦争というものは、戦後のこともきちんと考えて行うものだということを」


 そういって、注意勧告を最低限にするだけのとどめ「悪かったな……」と、ちょっとだけ泣きそうだった少女の頭を撫でて謝罪した後、ヴァイルは踵を返し、テント軍が張られている中央に足を向けた。


――確かあそこが、作戦と化を作る本部になっているはず。と、サーシャからの情報を使い頭の中で今後の予定をくみ上げるヴァイル。


 だが、その時だった。


「まて」


 そんなヴァイルに、貴族の男から声がかかる。


「なんっすか? いま急いでいるんっすけど?」


「貴様は……いいや、貴様ら城壁警備隊は、本当にあの町を魔族たちから取り返す気なのか?」


「……」


 その言葉は、確認でもなんでもなかった。


 信じられない愚か者をいさめる言葉。何も知らない子供に対して、「夢みたいなことを言っているんじゃない」と冷たく告げる、両親のような辛辣な言葉だった。


「無理だ。我々が保有した騎士団も、《絶対強者》として名高かった王族の方々も、みなあの虫たちの前に話すすべもなく蹂躙されたのだぞ? たかだか、城壁を守ることしかしてこなかった貴様ら風情が……勝てる相手ではない。助けてもらったせめてもの情けだ……。逃げろ。無謀なことはするな。今すぐこの町にある物資をありったけ盗み出してほかの国に逃げるのだ。この国はもう、終わったのだから」


 再起などできぬ……。と、貴族は語った。


 それは、曲がりなりにも長年政治に携わり続けた男の言葉。民を統制支配していた、絶対者からの忠告だった。


 だが、


「行く当てがないのならば、我等の護衛として雇われては見ぬか? おぬしのおかげで家財道具はそれなりに運び出せた。もうしばらくは余裕のある生活を送れる。決してひもじい思いはさせぬと約束を……」


「なんだそれ?」


 ヴァイルは、そんな彼の言葉を鼻で笑う。


――だってそうだろう? お前が一体、城壁警備隊(おれたち)の何を知っているっていうんだ?


「貴族様。この際だからはっきりと言っておこう。俺はあんたたち貴族ってやつらが反吐が出るほど嫌いだよ」


「っ!?」


「理由を尋ねたいか? だが、言ったはずだ。あんたたちのことが嫌いだって。憎んでいるといてもいい。そんな奴らに懇切丁寧に、俺の事情を説明してやれるほど、俺は大らかな性格はしていない。ただアンタたちはいつものように、誰かをしいたげた。その被害者が俺だった。それだけ認識しとけ」


 ヴァイルはそう語りながらも、背中から折りたたまれた槍を引き抜き、それを高速展開。一本の短槍へと変貌させる。


「な、なにをっ!?」


 貴族の男は、そのヴァイルの仕草を見て斬られるとでも思ったのか、彼の妻と思われる女性と娘を背中にかばう。


――その度胸だけは褒めてやるけど……いささか壁としては薄すぎる(・・・・)な。


 酷薄な笑みを浮かべたヴァイルはいまだに貴族に対する嘲笑を止めず、一歩、また一歩と彼らに近づいて行った。


「俺たち城壁警備隊はそんな奴らばっかりだ。なまじ実力があったせいで、貴族の権益を犯すと恐れられ左遷された騎士。ほんのちょっとしたいさかいを上司の貴族と起こしただけで、島流しを食らった文官。貴族社会とそりが合わず、両親に勘当され流れてきた没落貴族……みんなテメェらが『貴族社会に不要だ』っていってつまはじきにしていった、あんた達から見ればゴミみたいな連中の集まりだよ」


 そして、彼はとうとう自分の槍の攻撃範囲内に貴族の男をとらえ、


「だがなぁ、だからこそあんたたちは敗れた。あんたたちは自分の住処すら守れなかった」


――テメェの怠慢が、全人類に適用されるだなんて思ってんじゃねぇぞ、俗物。そう吐き捨てた後、ヴァイルは大きく槍を振りかぶり、


「ひっ!?」


 悲鳴を上げ、力いっぱい自分の家族を抱きしめる男へ――


「おらっ!!」


 いや、男の眼前の地面へと、その豪槍をたたきつけた!


 走る激震と、衝撃波。それによって巻き上がる砂煙と、粉砕された石畳の破片が宙を舞う。


 そして、


「なっ……」


 目の前で起こった、槍と叩きつけられた石畳が、半径十数メートルといった規模で粉砕されたという事実を認識し、貴族の男性は驚嘆の声を上げた。


「だから見ておけ、節穴貴族。お前たちが、いったいどれほどの物を捨て、どれほどのものをゴミと断じ――そのゴミたちが、どれほどの力を持っていたのか。理解し、認識し――思い知れ」


 ヴァイルがそう言って言葉を締めくくった瞬間、男とその妻はへなへなと地面に崩れ落ち、その二人に守られていた少女だけがきょとんとした顔でヴァイルを見つめていた。


「ん? どうした、嬢ちゃん?」


 そんな彼女の視線に宿る何か言いたげな色を察知したヴァイルは「はやく本部に行かないといけないのに……」と、ちょっとだけ愚痴りながら、少女と視線を合わせるようにしゃがみこみ、彼女の言葉を待つ。


 貴族らしい罵倒か? 子供らしい親をいじめるなという主張か。そのどちらもなのか? それ相応の悪意ある言葉をぶつけられる覚悟を決めて、ヴァイルはその少女との会話に臨み、


「お兄ちゃん……リエラのおうち取り返してくれるの?」


「うぇ?」


 予想外だった質問に思わず魔の抜けた声を上げ、


「あ、あぁ……。完全に無事とはいかないだろうけど、少なくともお嬢ちゃんが住める土地だけでも奪い返す予定だけど」


 とりあえず、これからサーシャが打ち出す作戦は何となく理解しているので、屋敷が取り返せるとは口が裂けても言えないヴァイルは、思わず頬をひきつらせながら、曖昧な返事を返すことしかできなかった。


 だが、そんなヴァイルの言葉でも、少女は満足できたのか、


「うん! わかった!! ありがとうお兄ちゃん!!」


 そう言って満面の笑みを浮かべ、


「お兄ちゃんのこと、リエラ一生懸命応援するね!!」


「……」


 まさか貴族から受けられると思っていなかった声援の言葉に、少し唖然とした後、


「あぁ……兄ちゃんに任せとけ」


 苦笑交じりの笑みを浮かべながら、再びその頭に手を置き、髪をくしゃくしゃとしながら少女の頭を撫でたのだった。


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