5話
フルーレは壁に手をつきうなだれていた。
――終わった。今彼の脳内を説明するならば、まさしくその一言が適切だっただろう。
外敵の侵入。および平民たちの革命を恐れ作られたこの壁の城門は、絶対の防御能力を誇るために、無数の宮廷魔術師の強化の魔法と壁建設当初の国庫の半分を空にする超硬度の蓄財を用いて作られている。
現状、いかなる手段をもってしても破られない絶対の防壁。それがいま、貴族街を取り囲む巨大な棺桶として、フルーレ達を閉じ込めていた。
「笑えない話だ……」
――自分の身を守るために作った防壁に殺されるなんて。と、フルーレは小さく笑う。
「いや……。むしろ俺たちにはお似合いなのか? 他人のことなんか考えず、自分たちだけ守ることを考えた愚かな貴族の末路には……」
――でもせめて……あいつらのために、勇者様だけでも逃がしてやりたかったのに。
フルーレがそう思いながら、力なく門を殴った時だった。
「はいはい、落ち込むのは後にしてくださ~い」
「え?」
突如彼の腰に手が回され、矢鱈と頑丈そうなロープが彼の腹に結び付けられたのは。
「な、なんだこれは!?」
いままでの絶望を一時的に追い出し、慌ててその縄を結びつけた存在へと視線を走らせるフルーレ。
そこには、勇者も同じように縄で結びつける、金髪碧眼の、城壁の紋章を背負った男――ヴァイルの姿があった。
「お前……城壁警備隊か!? なんでこんなところにいる!? お前たちの担当は王と周辺の第一外壁だろ!?」
「こんな緊急事態に何言ってんでげす。王宮からなんかヤバそうなのがでてきたから一応貴族に注意勧告して来いって、隊長に言われてやってきたら逃げ遅れたんっすよダンカンバカヤロー」
「今の状況的にどうでもいいことかもしれないが、お前敬語おかしいぞ!?」
危機的状況のなか平然ととんでもないことを言ってくるヴァイルの姿に、一周回って落ち着いてしまったのか思わず怒声を上げるフルーレ。
だがそれも、
「っ!?」
ヴァイルの背中越しに見えた、じわじわと近づいてくる虫の津波によってすぐにしぼんだ。
「っ……もうだめだ!!」
「なにいってんすか。勇者ここまで引きずってきたくせに、こんな壁ごときで諦めるなんて。もうちょい根性見せてくださいよ、騎士様」
あきらめの声を上げるフルーレ。だが、そんな彼の鼓膜をたたいたのは、鼻を鳴らしたあと勢いよくフルーレの背中をたたいた、ヴァイルの一喝だった。
「――っ!? なにをする!?」
――この状況がどうにかできるわけないだろ!? この城壁は30メートルあるんだぞ!? と、内心で怒声を上げながら、打開策などないことがわかりきっていたフルーレは、思わずヴァイルに掴みかかった。
「まさか打開策があるとでも!? この高さの壁を登れるとでも!? 防衛の観点から、人が登れるようなとっかかりは極力排除されているし、万が一登れたとしても、いったいどれだけの時間がかかると思っている! えっちらおっちら登っている間に、我々は虫に追いつかれるぞ! そうなったら我々は生きたまま奴らに体をむさぼられることになるんだ!!」
――あいつのように!! と、告げたフルーレの脳裏に浮かんでいるのは、勇者と自分を逃がすために囮になったデュークの背中。
蟷螂に両断されたにしろ、生きたまま虫に食われたにしろきっと彼はもう生きてはいない。あの薄暗い地下道で、骨すら残さず虫に食いつくされているはずだ。
――そんな、そんな死に方を勇者様にさせるくらいなら!!
「俺がここで、勇者様を……」
「あぁ、もう……うるさいうるさい。ちょっと黙れ」
そう告げかけた瞬間、もういいかげんフルーレの弱音を聞くのに飽きたのか、ヴァイルが勢いよくフルーレの後頭部に平手打ちを叩き込み、地面にたたき伏せる。
「ぎょぶ!?」
「ふ、フルーレさぁあああああああああん!?」
「あれ? やりすぎた? ゴメン、ちょっと加減ミスったわ」
凄まじい衝撃が頭部に走ったせいで朦朧とする意識の中、フルーレは全然悪びれた様子のないヴァイルの謝罪を何とか聞き取る。
――な、なんだいまのは? まるで巨大な鉄塊で殴りつけられたような感触が。
「きゃぁあああああああ!? 血が……頭から血がぁああああ!?」
「む……。まずいなこれは。ダイイングメッセージ残される前に虫の群れに放り込んで証拠隠滅を」
「助けに来てくれたんじゃないんですかぁあああああ!?」
「助け? おいおい、勘弁してくださいよ、勇者様。俺は『おぼれている子供にむかって『今助けるぞぉ!!』って威勢よく言ったはいいものの、結局間に合いそうになくて『くっ……届かないのかっ!?』ってあきらめた瞬間、隣を主人公が悠々追い抜いて行って、子供を助けるシーンを呆然と見つめる』感じの脇役ですよ? そんな期待されても困りますって」
――もうどっかいけよ、お前。と、そんな言い訳を長々と語るヴァイルに若干ツッコミを入れつつ、ヴァイルの言い訳から結局自分たちは助からないんだなと、フルーレは何となく悟った。
そして数秒後、彼はそれが盛大な勘違いだったと知ることとなる。
「じゃ、じゃぁ……私たちを助ける方法なんてないんですか!?」
「え? あぁ、うん。どっちかっていうと、勇者様はここで死んだ方がむしろ勇者様の為っていうか~。この先どうせもっとえげつない四天王に狙われる可能性があるから、もうここで旅やめちゃった方がいいっていうか~。そっちの貴族に至っては、生き恥晒したところでもう保護してくれる人いないから、積年の恨み的な何かで平民たちや貧民たちに襲われる可能性山の如しと、申しましょうか~」
ここで命を長らえるよりかは、死んじゃったほうがある意味助けになるかもね~。などというとんでもない言葉を平然と言いながら、
「まぁ、さすがに目の前で、虫どもにむしゃむしゃ食われるの見んのは気分悪いから、命は無理やりにでも長らえてもらうけど」
――は? と、最後のヴァイルが告げた言葉に、フルーレが勢いよく顔を上げた瞬間。
「よ~し」
フルーレは見た。自分と未来がつながれた縄の先端に、くくりつけられた一本の槍をヴァイルが構えるのを。
「アリサ流に言うなら撃ち上げの時はこういうんだったか? た~まや~!!」
とてつもない速度で、ヴァイルは槍を投擲。槍はぐんぐんと飛距離を伸ばしていき、最後には城壁の頂点へと到達する。
「そ、そうか!? 城壁の頂点に槍を突き刺して固定。そこに繋がれたこの縄をたぐっていけば……」
――この城壁を登れる!? 未来が歓声を上げると同時に、フルーレの瞳にも希望の灯がともる。が、
「は? いやいや。ロープえっちらおっちらたぐってたら間に合わんって。ほら」
「「え?」」
ヴァイルのそんな指摘にフルーレと未来は固まり、ヴァイルが指差した方を振り返る。そこには、とうとうヴァイルにつぶされた分の補給が終わったのか、破竹の勢いで進軍を開始した虫たちの姿があった。
相対距離にしてわずか10メートル。虫たちの進行速度は垂直だろうが平行だろうが落ちることはない。そのことを考えると、あの速度で動く虫たちをロープのぼりで引き離すには、確かに距離も時間も足りない。
「じゃ、じゃあ!」
「どうやって逃げるんだっ!?」
「え? だから言ったじゃないですか。逃げる方法」
そんな風に再び慌てふためく二人に対し、ヴァイルは平然と笑いながら空を指差した。
「撃ち上げって」
「「はい?」」
――さっきから勇者様とのセリフのシンクロ率が高いな……。と、フルーレは埒もないことを考えながら、嫌な予感を覚え投擲された槍の方へと視線を戻す。
そして彼は見てしまった。
槍が城壁の向こう側に消え、落ちていくのを。
そして、次の瞬間!
「っ!?」
「えっ!? きゃぁああああああああああああああああ!?」
勇者と自分の体が信じられない勢いで引っ張り上げられ、さながら砲弾か何かのように城壁に沿って跳ねあげられる!
「た~まや~」
そんなヴァイルののんきな声が、フルーレの耳朶をたたいた。
彼らは知らないだろうが、ヴァイルが投擲した槍はヴァイルの感染の影響を受け数トン近い重量をほこる魔槍となっている。
それがロープによってフルーレたちと直結した状態で、壁を超えその向うへと落ちればどうなるか? 現状を正しく説明されていれば未来の脳裏にはこんな言葉が浮かんでいただろう。
すなわち――シーソーの原理。軽いものは重いものによって引きずられるという物理学の基本定理。それによって、数トン近い重量を持つ槍に引きずられた彼らの体は、
「「ぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」」
貴族と勇者らしくない悲鳴と共に、まったく安全装置なんてない絶叫マシーンに乗せられたような状態で、城壁の上へとご招待された。
…†…†…………†…†…
『ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………』
ドップラー効果を伴いながら天高く飛んでいく勇者と騎士を見上げながら、ヴァイルは「いい汗かいた~」となめきった態度で、かいてすらいない汗をぬぐう仕草をしながら、朗らかに笑う。
背後には虫の濁流。飲まれた瞬間にどのような生き物であろうとも、体中に牙を突きつけられ食い尽くされる、魔の本流。
だが、ヴァイルは平然としている。当然だ。
「生き物の牙ごときが、俺の体を貫けるわけないだろう」
瞬間、濁流がヴァイルの体を飲み込み席巻。数秒後、
「よっと!」
軽い声音と共にクルッと回ったヴァイルの体から振り落とされた虫たちが、けたたましい悲鳴を上げながら宙へと吹き飛ばされる。
宙を舞った、ヴァイルにたかった虫たちの牙や毒針は完全にへし折られてしまっており、そこから紫や緑といった気色の悪い体液をまき散らしていた。
「誰に向かって牙突き立ててんだ、虫けらども。御主人様に倣わなかったか? この国には、決して歯向ってはいけない《暴君》がいるってなぁ」
鋭い視線で自分の周りを取り囲んだ虫を睥睨するヴァイル。その体から放たれる殺気に、生物の中でもかなり脳内構造が簡略化されている虫たちでも恐怖を覚えたのか、委縮したようすで虫の波はヴァイルから離れていく。
「よしよし。ちゃんとしつけされているようでなにより。じゃ、俺はのんびりこの城壁登っていくから、邪魔したら殺すぞ」
――一匹一匹プチプチ潰すのめんどくさいからな~。なによりキモイし。と、内心でこれだけの虫と全面対決しなくてよくなった事実に安堵しながら、ヴァイルは自分の体重を操作。そのまま一気に城壁を駆け上がろうとして、
「ヴァイル……久しぶりだね」
「っ!?」
いつのまにか彼の頭上に姿を現していた、紅蓮の炎の翼を纏った騎士の存在に気づき、目を見開いた。
「……ゲイル。何してんだお前? いくらなんでも、その登場の仕方はラスボス臭が漂いすぎているぞ?」
「ら、ラスボス? アリサさんからの影響かい? ずいぶんと仲良くなったみたいじゃないか?」
そんなヴァイルの軽口を聞き苦笑をうかべた青年は、確かに同じ師匠のもとで魔術を習った、模擬戦では一勝も拾うことができなかった同期。
鳥の羽のようではなく、まるで噴出する炎をそのまま翼にしたような紅の羽と、彼の炎を内包することによって灼熱に光り輝く鎧。そして、彼の周囲に侍る青い炎の大蛇二匹と、肩に担がれるように構えられた炎を纏う大剣。
完全な戦闘態勢。ヴァイルが城壁警備隊に勤め出してすぐにあった、とある事件を解決したときの姿。
まだサーシャが隊長でなかったため、完全に統制がとれていなかった城壁警備隊の隙を突き、王都に魔族が侵入したのだ。その魔族は四天王とはいかないまでもそれなりの力を持っており、貧民街や平民街を破壊しながらとうとう貴族街へと進み、彼らが今背にしている城壁を越えようとした。おそらく狙いは王族の暗殺。
ヴァイルたちも当時の城壁警備隊隊長の保身のため駆り出されており、ちょうど貴族街の城壁に魔族がたどりついたときに追いついたのだが、
――その時にはすべてが終わっていた。
紅蓮の軌跡を描いた大剣が、魔族の体を真っ二つに引き裂き、彼の周囲に侍っていた青白い蛇たちが、倒れ伏した魔族にとどめと言わんばかりに食らいつき、骨すら残さず焼却した。
圧倒的かつ、神がかった戦闘。ヴァイルはそんな戦闘を一瞬でやってのけた同期のゲイルの姿に「やっぱりこいつは主人公だった……」と確信したものだったが……。
「どういうつもりだ……」
「……」
今はなぜだか、ゲイルがしたがえる絢爛な炎が、あの時より濁って見えた。
「なんでお前が魔族の味方をしている……。親父さんの後をついで、この国を守るんだって言ってただろうがっ!!」
変わってしまった親友の姿に、思わず詰問するかのようなきつい声音で怒鳴り声をあげてしまうヴァイル。そんな彼の姿に、ゲイルは少し目を伏せた後。
「悪いことは言わない」
大剣をふるい、
「君が大切だと思える人を連れて、今すぐこの王都から逃げるんだ」
紅蓮の炎を放ち、ヴァイルの周りを取り囲んでいた虫たちを一匹残さず焼き払った。
「っ!?」
「もしも、君がこのままこの王都に残り……王都奪還のために王宮に居を構えた四天王と戦うというのなら」
驚き唖然とするヴァイルをしり目に、ゲイルは彼に背を向けバーナーのように噴出する炎の翼を動かした。
「君の命は、僕が摘み取る」
瞬間、ゲイルの体が凄まじい速さで空中を駆けた。
物体が音速を超える爆音を伴い、彗星となって王宮に消えるゲイル。そんな彼の背中を、ヴァイルは黙って見送ることしかできず、
「クソッタレ。何がどうなってやがる」
何を考えているのかわからない親友の行動に、小さく舌打ちを漏らすのだった。
…†…†…………†…†…
貴族街を包み込む漆黒の濁流。その正体は無数に集まった虫の軍隊。
一匹一匹が与える被害は小さくとも、それが地面の見えないどころか街道を数メートルという高さで積み上がり、埋め尽くすほどの数ともなると、その破壊力は計り知れないものとなる。
たとえ強大な竜であっても、これだけの数の虫にたかられてしまえば死を覚悟するしかないだろう。
だが、そんな死にあふれた貴族街の中にも安全な場所というのが存在していた。
一つは王宮。こちらは四天王が拠点としているためわざわざ多量の虫が配置されておらず、警備に必要な最低限の虫しか存在してない。
もう一つは王族専用に作られた王都全域に張り巡らされた地下道だった。
この地下道、実はついさっきまで虫たちの侵攻を地上と同じように受けていたのだが、現在はその空間から綺麗に虫たちが消えてしまっていた。
理由は、地下道の各所にぶち込まれた土製の槍。ヴァイルが地上の虫の駆逐のため投擲し続け、勢い余って地下道まで貫通するというでたらめな攻撃を行ってきたあの槍だ。
ヴァイルの手から離れてから時間が立っているため、現在の土の槍は地下道をぶち抜いたときのような破壊力はもっていない。
とはいえ、地下まで到達したこの槍が虫たちに与えた被害は洒落では済まない。地下という閉鎖空間も災いし、槍が着弾したときにおこった衝撃波は地下道を蹂躙。文字通り虫けらをすりつぶすがごとく、地下にいた虫たちを蹂躙した。
そのため、虫たちは槍に対する恐怖を本能単位で刻まれてしまい、槍が突き立った地下通路から先へとまともに進軍することができなくなっていたのだ。
そして、その幸運が一つの軌跡を呼び起こす。
「はぁ……はぁ……!!」
地下道のとある場所に設置されていた、頑強な牢屋。しかし、今は地上を貫き地下に到達した槍の存在によって半壊してしまった牢屋。そこに閉じ込められていた少女がひとり、体中に擦り傷や切り傷といった細やかな傷をつけながらも、何とか脱出してきたのだ。
少女も槍の着弾に際に起こった衝撃をもろに食らっており、到底無事とは言い難い状況だ。
足は震え、肩から血が流れ出る右手はろくに動かず、呼吸も今にも死にそうなくらい荒く乱れている。
それでも少女は走り続けた。
たった一人の兄を助けるために、
「ゲイル兄様……まっていて」
少女はひとり地下道を走る。
ガサガサと怯えるように王宮に帰っていく虫の足音。それからできるだけ離れるように、たった一人で地下道をかけていく。
爆散した巨大な蟷螂の死体におびえながら、その近くに倒れていた一人の騎士の死体を見て、上げかけた悲鳴を何とか抑え込み、死者への祈りをささげる。各所で突き立つ無数の虫の死骸の中央にある土の槍に驚きつつ、彼女は両親から教えてもらっていた王都にある秘密の通路の地図を必死に思い出しながら、地下道の中を駆けずり回る。
「ヴァイル兄様を……ヴァイル兄様をっ……必ず連れて行くからっ!!」
そう叫びながらも、少女の瞳には涙が浮かんでいた。
――私はもうこの地下道から出られないんじゃないの? 出られたとしても、ヴァイル兄様が生きている保証なんてどこにもないし……それに、もしかしたらまだ虫の大軍が残っているかも……。
心に巣食う弱気な自分。地下通路の暗闇がさらにその感情の暴走に拍車をかけ、必死に勇気を出して逃げ出した少女の精神をむしばんでいく。
そして、とうとう、
「あっ……!!」
地下の薄暗さのせいで見えなかった地面の突起に、少女は躓き倒れ伏してしまった。
受け身も何も取れなかった。盛大に地面に転び、人の体がうちつけられる鈍い音が地下道に響く。
「……うぅ」
涙まじりのうめき声を漏らす少女。それはそうだろう。彼女はまだ12歳だ。そんな少女が、たった一人の兄を救うためとはいえ、こんな命の危機と隣り合わせの地下道を一人ひた走るなど土台無理な話と言えた。
恐怖と痛みで心はすでに臨界点に達しつつある。
いつ彼女の精神が崩壊してもおかしくないほど、彼女は追い詰められていた。
「ゲイル兄様……。ヴァイル兄様……」
だから彼女は思わず漏らしてしまった。自分が大好きな二人の兄の名前を。
物心ついたときから、いっぱい遊んでくれた優しい兄。ねだればねだった分だけ本を読み聞かせてくれて、自分が泣いているときは困ったように笑いながら原因を取り除いてくれ、いつでも甘えさせてくれた優しい兄。
もう一人は、自分を誇らしげに紹介する兄に、無理やり連れてこられ若干疲れた顔をしていた兄と自分の幼馴染。「シスコン、シスコン」と兄をからかいながらも、好奇心旺盛だった彼女の願いを、渋々ながらもきいてくれ、こっそりと屋敷から抜け出した彼女に、いろんな町や商店を案内してくれた幼馴染。悪いことをしたら一緒になって兄に怒られてくれた優しい、騎士を目指していた少年。
幼馴染は騎士登用試験に落ちてからは王都で過ごすようになり、故郷には一度も帰ってこなかったため、今では顔すらおぼろげだ。
だが、彼女がいざとなった時に頼りするのは、やはりこの二人の兄の存在だった。
「助けて……」
少女は目を潤ませる。
「助けてよ……」
そして、その涙はとうとう決壊し、
「ヴァイルにいさま……!!」
地下道の地面に涙が落ちると同時に、はるか昔の彼の呼び名を叫んだ。そのときだった、
「うん? 今ヴァイルの旦那の名前が聞こえなかったか?」
「あ? やっぱり? まだ誰かいんのか?」
「気をつけろ……虫が残っているかもしれんぞ!!」
地下道にそんな声が響き渡ると同時に、実は少女の目の前にあった曲がり角からうっすらとした明かりが漏れ始めた。
「まったく、貧民使いが荒いぜ、ヴァイルの旦那も。いくら俺らが、自分たちが暇なのをいいことに、来年の計画に向けて地下道のルートをコンプしたからって、なにもこんな緊急事態の時に送り込ませなくても」
「これで虫に襲われたら労災でんのかな? アリサちゃんが言ってたけど、勇者様の世界じゃ仕事中に怪我したら金出るらしいぜ?」
「マジでか!? ちょ、俺そこの通路で頭ぶつけてくる!!」
そんなバカな会話と共に、曲がり角からあふれる光はだんだんと強くなっていき、
「っ!? おい、ガキが一人いたぞ!! 生きてる!!」
「なっ!?」
「本当かそれ!?」
ボロボロの服を着てはいたが、それでも優しそうな顔をした三人の浮浪者が、カンテラと地下道の地図と思われる紙片を片手に、曲がり角から姿を現し少女のもとへと駆けつけた。
「嬢ちゃん、しっかりしろ! もう大丈夫だぞ!!」
「一人か? おうちの人は?」
「バカっ……。こんな状況で子供が一人なんだぞ! 少しは察してやれ」
「あ……。す、すまねぇ」
口々に少女の安否を確認してくる浮浪者たちの声に、少女は思わず涙を流しながら、必死に自分の目的を告げる。
「ヴぁ、ヴァイルにいさまに……」
「!? 旦那の知り合いか!?」
浮浪者の一人のそんな反応に、ようやく安堵の息をついた少女は、緊張の糸が切れたのかゆっくりと降りてくる目蓋に、抵抗できずに徐々に意識を失っていく。
「なっ!? おい、嬢ちゃん!? 嬢ちゃん!? しっかりしろ!!」
そして、意識がなくなりつつある自分の脳内に響く声に、少女は最後の力を振り絞って名乗った。
「リリナ・ガンフォール・ウィンラートが……会いに来たと伝え……」
少女はそこで力尽き、安堵感からか……深い眠りについてしまった。
更新遅れてすいません^^;