16話
ほんの少し前に起った魔族領での物語。
そこにはすべてに絶望した一人の少年がおりました。
祖国に裏切られ、夢をつぶされた少年は、すべてに絶望し世界を流浪していました。
普通なら三日で悪意ある何かに殺されそうなほど無防備な少年でしたが、彼は幸いにも天使の御業を身に着けており、誰も彼を傷つけることができませんでした。
そして彼はたまたまある場所に迷い込んでしまったのです。
この世のすべての悪徳を背負ったといわれる怪物たちの領地へ。異形の体をし、すべての敵と思われていた彼らの名は魔族。
少年は盗賊風の魔族が目の前に現れたのを見て、ようやく自分がいる場所がどこなのかを知りました。どうやらその魔族は金を出すか命を差し出すか好きな方を選べと言っているようです。
しかし、すべてに絶望した少年にそんな言葉は通じません。むしろ少年はその魔族を見て壊れた笑みを浮かべました。
ああ……神様ありがとう。僕の絶望の掃き溜めを用意してくださったのですね?
少年は最後にそう漏らすと、獣のような絶叫を上げ魔族に襲い掛かりました。
獲物だと思っていた人間が襲い掛かってくるのを見て、魔族の盗賊は慌てふためいた声を上げ攻撃を開始します。しかし、少年が身に着けていた天使の御業は強力で、盗賊魔族は大した攻撃を入れることもできず頭を砕かれ絶命しました。
それを見た少年はカラカラと笑います。
たりない……。もっとだ……もっとほしい! 僕の絶望を押し付ける獲物を……モットヨコセ!!
少年は壊れた笑い声を上げながら、人間が入り込めない魔族領の奥へ奥へと進んでいきます。
とおりすがった魔族の街を蹂躙し、すれ違った魔族を殺し、少年は自分の絶望を押し付けていきます。
魔族も必死の抵抗を行いましたが、その少年の身は鋼よりも固く、彼が持った槍は一振りで大地を揺るがします。そんな化物に勝てる人はいませんでした……。
あらゆる攻撃が効かず、あらゆる防御も無為な槍をふるう少年は、いつしか化物である魔族たちに畏怖と恐怖の念がこもった、ある忌名で呼ばれるようになりました。
《暴君槍》と……。
…†…†…………†…†…
「……」
砕く。
「………」
へし折る。
「…………」
切り捨てる。
「……………」
蹂躙する!!
ヴァイルの戦い方はまさしくそう言うにふさわしい戦いだった。
血色の狼が一斉に襲い掛かってくる中、彼は槍を鮮やかに旋回させ、その攻撃を薙ぎ払う。
しかもその槍には《感染》の魔術が施されており、体操作によって《硬化》《重量増加》をされたヴァイルの体と同じ状態になっている。
重量10t。硬度ダイヤモンドの3倍。そんな化物じみた質量の攻撃が、まるで普通の槍をふるうかのようなとんでもない速度で、ヴァイルの周囲を蹂躙していく!
鉄の硬度を持つ血色の狼でも、さすがにこんな規格外攻撃に耐えきれるわけもなく、まるでガラス細工のように、易々と、簡単に……粉々に砕かれてしまっていた。
「もうやめろ……鮮血」
粉砕した血色の狼の数が200に届きそうになった時だろうか、ヴァイルは唐突にそう言い捨て、槍を地面へと叩きつけた。
それによって走る地割れと激震。
そしてまき散らされた衝撃によって、彼の周りを囲っていた血色の狼たちは瞬く間に血液へと返り、吹き飛んだ!
「俺にこの程度の攻撃が効かないことは知っているだろう……。いいかげん諦めてさっさと自分の領地へと帰れ」
『いかにも私が貴様に勝てんという言い草だな暴君槍!! だが……いつまでも昔の私だと思うなっ!!』
対して、帰ってきた四天王の答えは、いまだに戦意に満ちた凶悪なものだった。
そして、衝撃波を切り裂き、襲い掛かってくる一つの影。
身を低くし、衝撃波から身を守るように、血色の鎧をまとった両手をクロスさせ前に突き出した格好で突進してくる真紅の髪を持つ美女。
「私は……貴様を殺すためだけに、強くなったんだっ!!」
その言葉と同時に砕かれたオオカミたちの破片が血液へと戻り、再び形を変える。
一部は無数の針となり、凄まじい速度を持ってヴァイルにぶつかり、残った血液は美女……四天王《鮮血の剣》メルティ・ブラッドリンクの手元へと集まり二振りの短い剣となる。
「ちっ……」
ヴァイルは自分にぶつかってくる血色の針たちを鬱陶しそうに眺めながら、血の双剣を構えて突っ込んでくるメルティに、槍を薙ぎ払うかのように横に振るう。
威力重視の豪快な一撃。しかし、双剣を操り身軽な装備をしているメルティにとって、その程度の攻撃をよけるのはたやすい。
メルティはその攻撃をさらに身を低くしてあっさりと交わし、鎧の形にして腕にまとっていた血液を液体へと戻す。
血液へと戻ったそれらは真紅の帯へと変化し、とんでもない勢いでヴァイルの体へと巻きついた!
「!?」
ヴァイルはその光景に思わず、数年前自分が殺してしまった魔族の男の顔が思い浮かんでしまった。
一瞬だけ動きを止めてしまうヴァイル。その隙を見逃すメルティではない。
「果てよ……暴君槍!!」
普段使っている血液の硬質化よりも、さらに固く、固くっ!! 自分の手元の双剣をダイヤモンドすら切り裂く硬度に変貌させたメルティは、血色の帯によって動きを止められているヴァイルの首に向かって、勢いよく双剣をふるう!
そして、
「なっ……」
手元の双剣が、ヴァイルの首にぶつかった瞬間、まるでガラス細工のように砕け散るのを見てメルティは思わずそんな声を上げた。
「悪いな……俺の硬質化は魔力を代償にこの世の常識を超える魔術だ。理論上……硬さの限界は存在しない」
自分の体を束縛する血色の帯を、少し力を入れて体を動かすだけでへし折るヴァイルを見ながら、メルティは目を見開いた。
「あ……ありえん」
自分の十数年の研鑽が、まったくの無意味だといわれ、メルティは震える声を漏らす。
「っ!!」
しかし、彼女が戦意を失うことはなかった。
「あぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
絶叫を上げながらヴァイルから離れるように跳躍したメルティは、マントの下に隠していた残りの血液をすべて解放し、再び血色の帯に変化させヴァイルへとぶつける。
その先端は鋭い刃となっており、その斬撃は鉄すら引き裂く。だが、
「……」
ヴァイルはそれを見て槍で防ごうともしなかった。悲しそうな目で絶叫を上げるメルティを見つめるだけで、ヴァイルは棒立ちのままその攻撃を受け止めた。
激突する刃を持った帯たち。しかし、その攻撃はヴァイルの体に傷を残すことすらできず、硬質な音を立てて弾き飛ばされる。
「!!」
絶望的すぎるその光景に、メルティは思わず息をのんだ。
吐息が震える。声がかすれる。
――師匠は……こんな化物と戦ったのか!
この男の槍によって串刺しにされた先代の四天王を思い出しながら、メルティは涙を流した。
そして、涙で揺れる視線を、槍をだらりと下げたまま追撃をしようともしないヴァイルへとむけ、メルティは怒声を上げる。
「なぜ……なぜ私を殺さないっ!!」
メルティのその言葉を聞き、ヴァイルの体はびくりと震えた。
「私は強くなった! 四天王の一角に……最弱とはいえ並べられるくらいに強くなった! だからわかるぞ、ヴァイル・クスク!! お前は私を殺せたはずだ!!」
そう。ヴァイルは手加減をしている。
いくら現在の四天王の一角に数えられるようになったからと言って、二代目勇者に魔王が打倒されたころから、魔王復活を待ち望み、研鑽を積んできた自分の師匠を超えたなどというふざけた妄想は、メルティは持ち合わせていなかった。
その師匠を数年前に殺したヴァイルの動きは、今の動きよりもはるかに鋭く、はるかに凶悪だった。
メルティがわかるだけでも、ヴァイルがメルティを殺せたと思われるタイミングは3回。メルティが気づいていないだけで、おそらくヴァイルはもっとメルティを殺せる機会があったはずだ。
だが、ヴァイルはその行動をとることをためらった。メルティを殺してしまうような、凶悪な攻撃を撃つことはついになかった。
「俺……は」
ヴァイルは震える声で言葉を紡ぎだす。
「お前たちを……魔族を……殺したくない。もうあんなことは……二度としたくないんだ!!」
悲鳴のような、懇願のような……そんな悲痛な、懺悔の言葉。
しかし、その言葉はあまりに身勝手な……謝罪にすらなっていない、自分の罪から逃げた言葉だった。
その言葉を聞き、メルティの中で何かがキレた。
「ふざけるなぁああああああああああああああああああ!!」
怒声を上げメルティは再び突撃する。
「そんな綺麗事を語って、今更貴様の罪が消えるとでも思っているのか!!」
自分に向かって突っ込んでくるメルティを見て、ヴァイルは再び地面に槍をたたきつける。
それによって起こる衝撃波。だが、メルティはそれを一切無視して跳躍。衝撃の中、無理やり自分の体を推し進める。
「罪悪感!! 後悔!! 貴様が今更そんな気持ちを抱いたところで、師匠は帰ってこないっ!!」
衝撃波によって飛んできた小石がメルティの頬をかすめ、血色の筋を作るが、メルティはそれにも拘わらず、全力で足を進める。
「だったら……貴様は最後の最後まで、私にとっての悪役でいろっ!! 私がいつでも、どこでも復讐心ぶつけられるような……そんな最悪なやつでいろっ!!」
衝撃波を抜け、ヴァイルの目の前へとやってきたメルティは周囲の血液で再び双剣を生成し、ヴァイルに向かってそれをたたきつける!!
「懺悔することでも、後悔することでもない!! 貴様は悪役のまま私に殺されろ!! それが、貴様が私に……貴様が殺した師匠や魔族たちにできる……唯一の罪滅ぼしだ!!」
再び響き渡る硬質な音。
メルティの涙と共に……火花が散った。