倉祢よよの夜は怖い
すっかり暗くなった道を一人の女子高生が歩いている。
肩まで伸びた髪が上下に揺れ、街灯の薄い光がベージュの明るい色で反射し、細長く伸びた影を照らした。
「やばーい! ちょっとだけのつもりだったのにー!」
揺れる影には目もくれず、彼女は駆け足で慣れた道を進んでいく。
やがて路地を抜け、明るい大通りに出ると、真っ直ぐ目的地へ目を向けた。
そして見慣れた顔を二つ見つけると笑顔で手を振り声を出した。
「まなー! ゆきー!」
声に二人が振り向くと、一人は呆れたように笑い、もう一人は手を振り返した。
そんな二人のもとに急いで走ると、女子は膝に手をつき息を整える。
「よよ、遅かったね?」
手を振っていた方の女子が自身の持っていた水筒を手渡した。
「ありがと、まな!」
それを受け取った女子――よよはそれを飲み干した。
「ぷっはー! いんやぁごめんごめん。のぞみちゃんにお守り届けたら美味しいお菓子があるって言われちゃって……」
「口は禍の元ってことかー!」
「意味が違う!」
よよが、まなのいつものボケに抗議しながら息を整えていると、ゆきが腕を組んでよよを見つめた。
「それで食べ物に釣られて長居したの? この後も食べるのに」
「ごめんってゆき! それに容量は大丈夫だから! まだまだ余裕!」
よよは、明るい短髪のまな、クールな長髪のゆき、そんな二人の友人とこの後夕食を食べる約束をしている。
「それじゃ、早くいこうよ! よよのせいでお腹すいた!」
「そうね。よよのせいで」
「ごめんってぇ! なにかおごるからぁ」
そんな風に談笑していると、不意によよの背中に人がぶつかってきた。
「うおっと、す、すいません! こんなとこでだべっちゃって!」
そう言ってよよが振り返ると、そこに立っていたのは太陽のような明るいオレンジの髪で右目を隠した長身の男だった。
整った顔立ちに緩やかなパーマのかかった優しい雰囲気、そして古びた紙の地図を見て前かがみになった不思議な男だ。
春だというのにダウンコートを身にまとっており、見ているだけで熱くなってくる。
「ああ、いやこちらこそ。このあたりはまだ慣れてなくてね……ん?」
男はよよの顔を見たと思うと急に顔を近づけ、じっと観察し始めた。
「え、あの! なんですか!!!」
慌ててよよが退くと、男がはっとしたように口をあんぐりと開けた。
「ごめん! 僕なんかの顔が目に入ると不快感でご飯も喉を通らなくなるよね!」
「ナンパにしてもなににしてもキッモ」
「あがぁっ!」
ゆきが隠す気もなく呟くと、男は心臓をおさえてしゃがみこんだ。
「子供の姿にそんな目を向けられるとメンタル壊れる……」
しかし男はすぐに立ち上がり、よよの足元を見つめたと思えばまっすぐに目を合わせた。
「……えっと、君、僕と一緒に来ない? えっと、危ないし……」
男がぎこちない笑顔でそう言うと、まなが男の前に立ち塞がった。
「なんだよナンパ師。この子は連れてかせないよ! 可愛いから食べちまおうっていう狼のギラギラした目が、あたしには見えてるんだから」
「食べるにしてもあたしらで食べるし!」
「まなぁ!?」
おかしな言動をするまなを後ろから揺らすと、よよは男の顔をちらりと見た。
「悪い人には見えないけど、ナンパ師ってこんな感じなのかな」
「そうよ。気をつけなさい」
ゆきが腕を組みながら男をにらみつけると、男はゆきとまなを交互に見てため息をついた。
「ナンパじゃないんだけど……君、名前は?」
「え? よよ、です」
よよはついうっかり答えてしまった。
「なに答えてんの!」
「い、いやつい……」
男は顎に手を置くと、上を向いてぶつぶつと何かを呟いた後、再びよよの顔を見た。
「そうか。可愛い名前だね。邪魔してごめんね」
男は手を小さく振ると来た道を戻っていった。
「行っちゃった……変な人すぎる。こわぁ」
「はぁ、まったくこっちはとっととご飯が食べたいのに、ほら、さっさと行きましょ」
「あたしもとっとと食べちゃいたい! 早く行こう!」
変な男と遭遇してもすぐにいつも通り。そんな仲良し三人組が夜の街を歩いていった。
◆
「ね、ねぇ、お二人さーん? ちょっといいかなぁ?」
「どうしたの? よよ」
「今日はいつものと違うとこ行こうっていうのは分かったけど……こんなとこにお店あるの? なんか、怖い……っていうかぁ」
三人はいつの間にか極端に街灯が少ない道を歩いていた。
人の気配もなく、やけに静かだ。
それだけではない。四月だというのに感じる肌寒さ、時折感じる視線のような気配がよよの笑顔をだんだんと奪っていった。
やたらと均質に早歩きをする二人について歩くうちにその感覚は強まっていった。
入り組んだ道をずんずんと突き進む友人たちを止めることもできずに少し涙目になりながら進んでいると、まながいつも通りの明るい声を出した。
「よよーこわいのー?」
「こわいよ! まなは怖くないの!?」
「怖くないよ。むしろ心地いい。それよりもうすぐ食べられるよ」
「……何言ってんの?」
明るく三人の前を常にひっぱる。いつも通りのまな。
まなは振り返ることなく、迷いもなしに前へ突き進む。
音の反響が長く耳に残り、雰囲気に反した明るい声が場違いに感じた。
「ちょ、ちょっとゆき。変だって、戻ろうよぉ」
「何を言っているの? もうすぐだって言うのに、ここで戻るなんてとんでもない」
「せっかく来たのよ? なんで戻る必要があるの? もうすぐ食べられるのに」
「ええーどういうことなのぉ……」
少し語気が強いが友達に優しい。いつも通りのゆき。
ゆきもまた、まなの隣で先へ先へと足を運ぶ。
普段はまなを止める側のゆきがそんな状態のため、よよは徐々に萎れていく。
「やっぱ遅れたの怒ってんのかなぁ……ん? なにこれ……」
二人の後ろを早歩きで追っていると、よよは狭い道端に奇妙なものが置いてあるのを見つけた。
その場にしゃがんでじっくり見てみると、それは石でできた像のようだった。
歩いてきて初めて見たもので、やけに目につく。
さらに、この地蔵を見つけてから肌寒さが増したような気がした。
「お地蔵様?」
小さな小さなお地蔵様だ。苔が生えており、手入れがされていないことが分かる。
しかし、そんなことよりも普通のものと違う点があった。
「うわ、何この顔……口でっかぁ」
それの顔の半分を、大きく開いた口が埋め尽くしていた。
人間に比べ多すぎる歯の数、奇麗すぎる並びが薄気味悪い。
細く横に伸びた目がさらにその怪しさを強調していた。
「ねぇ、まなぁ、ゆきぃ、見てよこれ。怖いし戻ろうってぇ」
「怒ってるならもっとちゃんと謝るからぁ……」
よよが前を歩いている二人に向いて手を合わせた時、下げた頭の上からおぞましい空気を感じた。
全身に鳥肌が立ち、心臓が警鐘を鳴らしている。
「……まな、ゆき………………?」
何が起こっているのか分からない。それでもおそるおそる顔を上げる。
「モドラーナイヨー?」
そこにいたのは地蔵と同じく顔の半分を口が埋め尽くし、細い目をした顔の二人だった。
「い、いやぁぁぁぁぁ!」
腰が抜け、しりもちをついたまま、必死に後ろへと下がろうとすると、その手を後ろから掴まれた。
いつの間にか一体が後ろに回り込んでいた。
「タベルーヨー?」
「や、やだ、たすけ――」
生あたたかい息がよよの頭に、足にかかる。やけに奇麗で白い歯が目の前を埋め尽くそうとしたときだった。
「――きっもちわる! 歯ぁ白っ! てか多すぎでしょっ!」
よよの視界が急に開けた。
それに、誰かに抱えられているようだ。
よよはすぐさま上を見上げた。
「さっきのナンパ師!」
そこにいた男は、今のよよにとってまさしく太陽のような男だった。
「ナンパ師ではないんだけど……ごめんね。よよさん。本当はさっき引きはがす予定だったんだけど」
「その、メンタルが……」
男はげんなりとした顔をしながら複雑な道を引き返していく。
しかし走れど走れど同じ景色が繰り返す。
同じ角、同じ汚れ、同じ看板。なにもかもが過ぎては現れる。
よよは二人の友人の姿をした異形を一瞬見ると男の服をつかんだ。
「ねぇ、まなとゆきはどうなっちゃったの!」
必死に訴えかける目を見て男が静かに答えた。
「あれはおそらく友人さん本人じゃないね。あれは怪異が化けたものだ」
「怪異って、じゃあ本当の二人は!?」
「ちょちょ、やめて! 服が伸びちゃう!」
思い切り服を引っ張るよよに慌てながら、男はしきりに後ろを確認していた。
よよも再び確認すると怪異がプログラムされたかのように同じ動きを繰り返しながら追いかけてきていた。
所詮早歩きで追いつくには時間がかかるようだが、じりじりと詰め寄る怪異によよの精神は限界だった。
「きゃあああ! 来てる! ナンパ師さん倒して!」
「無理だよ! 僕には祓う力はない! だから逃げてるんじゃないか!」
「なんで! こういうのってやっつけられるんじゃないの!」
よよは男の体に身を隠すように小さくなると、刻むように震え始めた。
「なんで、なんでこんな……」
「さっきからずっと走ってるし、全然景色変わんないし、もういやぁ」
よよはもう何度目かの異形地蔵を見ると、涙をぽろぽろと流し始めた。
「……境界線を越えてしまったのか。まずいな」
男が小さくつぶやいた。「まずいな」という言葉によよは体の力が抜けていった。
男は走り続けながら、生唾を飲むとよよの目を見た。
「……いや、まずくない。僕がなんとしても君を外に返す」
男はそう言うと立ち止まり、小さな札を取り出した。
それをよよの手に握らせると、温かい手でぐっと包み込んだ。
男の手もよよと同じように震えていた。
「……僕が時間を稼ぐ。君は早く逃げるんだ。僕の仲間がいずれ助けに来る」
「え、ナンパ師――お兄さんは!」
男は札などいくつもの道具を手に怪異へと振り返る。
「大丈夫。ちょっとこれを封印してから僕も逃げるよ」
「嘘! だってお兄さん手が震えてた!」
「いいから! 行け!」
よよが叫ぶと男は笑顔を浮かべた。
無理やりでゆがんだ口元、こわばった頬、揺れる瞳。
男はそんな不器用な笑みを浮かべながら叫んだ。
冷たい空気の中の不器用な温かい笑顔が目に焼き付く。
「だめ、だめだよ。そんなの」
よよは背を向けた男を見ながら札をぎゅっと握りしめた。
「こんなの、一生忘れられない」
体の震えが消えていく。
「そんなのトラウマ植え付けだし。最後にかっこいいとこ見せるようなことしないでよ」
だんだんと全身を覆う寒気が消えていく。
「逃げたこと、後悔しちゃうじゃん!」
先ほどまでとは違う震えが体に伝わっていく。
「私、助けてくれた人を見捨てたりなんかしない!」
よよは異常な高揚に包まれ、怪異にむけて走り出した。
「よよさん! なにして……!」
男が目を見開いて手をつかみ取ろうとするのを姿勢を下げて避けると、よよは早歩きの怪異に向けて仁王立ちした。
そして体の思うままにひとさし指で怪異を指す。
「もう頭きた。私の友達のフリして食べてやろうって!? ふざけんな!」
小学校からの幼なじみとの記憶が脳裏をよぎる。楽しかった記憶も、喧嘩した記憶も鮮明に思い出せた。
「ぶん殴ってぶっ殺してやる!」
「『倉祢』の女はめげない! 『くたばれ!』この口だけ野郎!」
気迫のこもった言葉とともに、よよは自分の影が動いたのを見た。
「え」
「あれは……!」
よよと男の両名がそれに目を奪われる。
影は細長い人型に変形すると影に白い口が現れた。
影は忙しない時間の中でゆったりと動いているように見えた。
そして黒の中でくっきりとした白い口が開く。
「『くたばれ』」
低い声が響き、重い言葉が空から落ちたようだった。
声の聞こえた瞬間に怪異がピタリと立ち止まり、ぱたりと倒れた。
体が泥のように溶けてなくなり、その場には何も残らなかった。
立ち尽くして唖然とするよよを横目に男が怪異のいた場所に駆け寄った。
「……まさか……いやでも…………」
男は顎に手を置き、ぶつぶつと何かを呟いた。
そして、そのままよよのもとへ歩み寄った。
「よよさん。聞きたいことはいろいろあるけど、ひとまず人のいる場所に戻ろう」
「……うん」
よよはそんな男の優しい笑顔を見ると、後をついて道を進んでいく。
「あれ、壊れて……」
道端のお地蔵様は粉々に砕けて跡形もなくなっていた。
「……?」
風が吹き、よよが振り返る。お地蔵様の跡をもう一度眺めると、そこにあったはずの壊れた残骸は、普通のお地蔵様となっていた。
「……オナカーヘッター」
どこからか発せられた小さな音は風でかき消され、誰の耳にも届かなかった。
◆
男の後をついて入り組んだ道を歩いていると、次第に人の声が聞こえ、明かりが差し込んできた。
そして大通りに出ると、遠くに見覚えのある顔が見えてきた。
よよが漏れた息に口をおさえ、名前を呼ぼうとすると、それより早く明るい声が耳に入り込んだ。
「ああ! やっときた! 電話にも出ないしなにしてたの……って誰そのイケメン!」
「なに……ナンパ師、いや、彼氏……? よよに……?」
「まな、ゆき……!」
潤む瞳をぐっと引き締め、二人に飛び込んだ。
「わぁ、どうしたの! はっ! まさか、あの男が何かしたの!?」
「さすがに違うでしょうけど、あんな変な男、彼氏じゃないでしょうね」
二人に囲まれながらよよは先ほどまでの出来事が夢なのではとも感じていた。
だが、オレンジ色の頭がぼさぼさになった姿をみて、現実だったことをはっきり理解した。
「あ、ごめんね。彼氏なんかじゃないから。それに僕なんかが女の子の近くにいたらヤバイよね。聞きたいことはあったけど、もう退散するね……」
男は心臓を抑えて俯くと、ほっとしたように息をついてその場を立ち去ろうとした。
「ちょっと待って!」
よよが飛び出し、男のダウンコートのポケットに手を入れて掴んだ。
「うわっと、な、なに? ああ聞きたいことっていうのはいいよ。色々事情があるだろうし」
「違くて! えっと、ありがとうって言うのと、名前聞きたくて」
怪異は謎の影によって消えたかもしれない。それでも、助けてくれたのは男だった。
そこに変わりは無い。
「……瀬良劫理って言うんだ。えっとありがとうなんていらないよ」
「あと、今日見た事は忘れて、ああでも、今日みたいな変な雰囲気とか感じたらすぐ逃げること」
瀬良はそう言ってまた笑った。
「……分かった。瀬良さん。私は倉祢よよ。ありがとうは取り消さないよ」
困ったように笑う瀬良に、よよは優しく微笑んだ。
「……やっぱ怪しくない? 彼氏だよ……はっ! まさか、二人とも髪が乱れてたのって……!」
「違うわ……多分……おそらく……。もしそうならさすがに春先にダウンを着るのはどうかとか、JKに手を出すとは何事かって問いつめないと」
「彼氏じゃないよ! あー、なんか今までにないほどにお腹減ったし早く行こ! ほらほら!」
ひそひそと話す声に思わずツッコミを入れると、次に振り返った時瀬良の姿は無くなっていた。
「変な人に怪異、か……」
よよは口の中で言葉を転がすと、笑いながら二人のもとに戻っていった。
◆
土曜の昼下がり、窓から差し込む光が眩しい。
長身の男、瀬良劫理は目を細めながらピシャリとカーテンを締め切ると、小さな机の上のタイマーを止めた。
「はぁ……なんだったんだ昨日の子は」
寂れたアパートの一室。家具も最低限しか置かれていない部屋でカップ麺を啜っていると、家のチャイムが鳴り出した。
音が割れて不気味なそれが、何度も何度も鳴り響く。
「なんだ? まだ引っ越したばかりだし……宅配もしてないはず……」
瀬良は頭をかきながら玄関へと歩くと、ゆっくりと扉を開いた。
「どちら様でしょうか……」
「あ、瀬良さん。お邪魔します」
「えっ」
声の主は扉が開いた瞬間手を伸ばし、瞬く間に鍵を閉め、瀬良に詰め寄った。
「瀬良さん。昨日ぶりですね」
「よ、よよさん。な、なななんでここに?」
よよはそんな瀬良の質問を余所に壁にかかったダウンコート……主にそのポケットを指さした。
「……え」
瀬良が慌ててポケットを確認すると、そこにはイヤフォンが入っていた。
瀬良がゆっくり振り返ると、よよはスマホのGPS探知アプリを開いて見せつけていた。
「探す機能。便利ですよね」
「ストーカーじゃん!?」
よよは若干後ろに引きぎみな瀬良の目を見ながら近づいていく。
瀬良は下がり続けたが、やがて壁際に追い込まれてしまった。
「え、あの、その、よよさん。何用で……」
「させて……」
「え」
よよは真剣な眼差しで瀬良を見上げると、エプロンやら野菜やらが入ったカバンを突き出した。
「この前のこととか、お礼させてください!」
「あのままだと私、後悔する気がして!」
「嘘でしょ……」
こうして昼下がりの六畳間に押し入るベージュ頭のJKとオレンジパーマの男という奇妙な光景が世界に生まれたのだった。




