第8話 審査中
店長は何も言わずに、ただ一度だけ短く頷いた。
茂はレジの横を抜け、バックヤードへ足を踏み入れた。
空気が変わる。
表の店舗の匂いじゃない。段ボールの紙臭と、古着のこもった匂い。ビニールとガムテープのにおいが混ざっている。
バックヤードは広すぎない。
だが、人が腰を落ち着けるだけの余白はある。
壁際に薄い鉄箱が並び、反対側に昼飯用のテーブルが1つ置かれていた。
角に古いノートPC。壁の上の小さなテレビが、音もなく映っている。
茂は自分のロッカーの前に立ち、鍵を差した。扉がわずかに浮く。
中は空に近い。潰れた紙袋の奥に、斜めに差し込まれたケースがあった。
専用キャリングケース。
角の補強は硬く、留め具だけが異様に固い。握った瞬間、指の関節が昨日を思い出した。
茂はケースを引き抜く。ロッカーの縁に当てないよう慎重に角度を選び、音を殺して取り出した。
照明の真下。テーブルの上にケースを寝かせると、影が消えた。
一本目。
二本目。
留め具が外れるたび、乾いた拒絶音が室内に落ちる。
蓋を開けた。
そこにあるのは武器というより、冷徹な「産業機器」だった。
Vespa Systems Interdiction-04
先端に鎮座する、長さ約25センチの440C強化ステンレス鋼。
テフロンコーティングされた刃体は、炭のように鈍い黒を湛えている。
中心を走る血抜き溝は、基部まで一本の影となって貫かれていた。
根元のチタニウム合金製クロスバーは、厚さ10ミリ。
中世の意匠を否定するような横一文字の形状が、獣との間に、絶対的な生存距離を確保するための冷たい機能を主張している。
茂の視線が、刃先へと移る。
鋭利に研ぎ澄まされた切っ先のすぐ後ろ。
テフロンの皮膜を穿つように、四つの細孔――インジェクション・ポートが開いていた。
深く刺す必要はない。
刃先が筋膜の下に入るだけで、そこが死の起点になる。トリガー1つで、高圧ガスに押し出されたV-Gelがここから噴射され、肉体を内側から破裂させる。
それはもはや刺殺ではなく、肉という容器を空洞化させる精密作業だ。
茂は息を止めた。欲が呼吸を拒んだ。
代わりにスマホを取り出し、カメラを起動した。
槍を登録する対象として測る。欲しい物ではない。システムを通過させるための、単なるデータ。
作業台の上で角度を変え光の反射を殺す。
全体像、シリアル刻印、刃先、そして四つのポート。
指先で焦点を合わせシャッターを切った。
短く乾いた電子音が鳴る。
もう一枚。
もう一枚。
無駄に撮らない。必要な情報だけを切り取り、画面の中に収めていく。
最後にケースの中に収まった「携行状態」を撮る。
これが合法的な、持ち運べる道具であることを証明するために。
撮り終えるとスマホの画面を伏せた。
バックヤードの冷たい静寂だけが、そこに残った。
スマホをポケットに戻し、ケースの蓋を閉じた。
留め具が噛み合うたび、硬い金属音が短く、鋭く室内に落ちる。
ケースをロッカーに戻す。
茂はバックヤードを抜け、レジ横の事務机へ向かった。
店長は見ていないふりをしている。それがこの店における「いちばん強い許可」の形だ。
椅子を引き、端末の前に座った。
キーボードは薄く油でくすんでいる。手袋をするほどの手間は惜しみ、指先で軽く擦ってからキーを叩いた。
画面が起動する。店舗管理用の管理者アカウント。
横に貼られた付箋のメモをなぞり、パスワードを入力した。
英数字の短い羅列。セキュリティよりも運用効率を優先した、崩壊しかけている組織の管理だ。
ログイン。
画面が切り替わり、冷徹なフォントのタイトルが躍る。
『特定害獣駆除用具 登録フォーム』
項目は簡潔だ。
申請者。
登録物。
添付書類。
迷いはない。
この画面は何度も見ている。客に売った駆除用具の登録を、いつも茂が代わりに通してきた。
茂はまず『登録物情報』のタブを開いた。
アップロード欄に、スマホから転送したばかりの写真を並べる。
全体、シリアル刻印、刃先、そして四つのインジェクション・ポート。
どれも背景を殺し、反射を潰した、情報のみを伝える写真だ。
進捗バーが走り、数秒でサムネイルが並ぶ。
テフロンコーティングの黒い刃先にある四つの細孔が、デジタル処理されて黒い点として強調された。
次に「申請者情報」。
茂は手入力欄を無視し、『本人確認書類スキャン』を選択した。
財布の奥から、マイナンバーカードを取り出す。
指先が一万円札の感触に触れたがそれを無視した。
今の街で命を繋ぐのは紙幣ではなく、こうした「システムへの適合」だ。
机の上のカードリーダーに差し込む。
認証を終えると、最後に『申請者顔写真』の項目が残った。
インカメラが起動し、画面に自分の顔が映し出された。
寝起きの熱はもうない。ただ、目だけがひどく乾いている。感情が遅れてくるときの目だ。温度がない。
茂は表情を作らず、枠に合わせてシャッターを切った。
『審査所要時間:15分』
画面下部のその一文に、茂の視線が止まった。
十五分。十九歳のフリーターが、害獣を破裂させる兵器の所持を認められるまでの時間だ。
遅いと困る。
早くしないと、手続きよりも先に警報が来る。それがこの世界の理屈だった。
チェックボックスを淡々と埋めていく。
盗難品ではない。
違法改造ではない。
登録情報に虚偽はない。
最後に、送信ボタンにカーソルを合わせた。
――送信。
画面が切り替わり、『審査中』の文字が点滅を始める。
十五分。
この数字が通れば、ケースの中の槍は「凶器」から「職務用品」に変わる。
通らなければ、ただの重い金属の棒だ。
茂は背もたれに体を預け、乾いた音を立てる換気扇を見上げた。
本日もお読みいただきありがとうございます。
少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、
ページ下部の【ブックマークに追加】と、【☆☆☆☆☆】をタップしての評価をお願いいたします!
明日も21時に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします。




