第七話 起動
冷えた光がカーテンの隙間から滲むように差し込んでいた。
白い筋が、部屋の端まで伸びている。
茂はまだ眠っている。横向きで片腕を枕に巻きつけたまま。
布団がわずかに沈んだ。
次に、熱。
夢ではない、現実の温度が腹の底を叩いた。
「……っ」
眉が動く。呼吸が止まり、喉が乾く。
腹のあたりで、ユイが動いている。
「起きろ」
くぐもった声。
茂は目を開けない。逃げるように息を吐く。
「……まだ」
「まだじゃない」
ユイが短く笑う。
淡々と続ける仕草は、露骨なはずなのに生活の延長みたいに迷いがない。
身体の方が先に反応しているのが、自分でも腹立たしい。
「……やめろ」
「やめない」
即答。
布団が軋む。
茂の手が無意識にユイの髪へ触れる。
一瞬、何かを言いかけて飲み込む。
ユイは視線を上げ、茂の様子を測る。
熱が一気に駆け上がり、数秒、茂は動けない。
「……元気だったから」
説明にもならない一言。
ユイは肩をすくめ、口元を拭い、茂の上へ跨った。
まるで何も起きていない顔。
「……はい。起きた?」
茂は息を整えるだけで精一杯だった。
ユイは口角を少し上げる。
「また秒じゃん」
それから、ふと視線を落とす。
「昨日、なんか買ったでしょ」
その一言で現実が戻る。札束の重さ。留め具の硬さ。ロゴ刻印。
茂は答えない。
ユイも追わない。
ただ確認だけを残して、布団がめくられた。
茂が服を着て玄関へ向かうと、部屋の奥でユイの足音が止まった。
「今日バイト?」
「……うん」
本当は休みだ。それでも店へ向かう。昨日のやつを登録に通すために。
ユイはそれ以上は聞かなかった。
彼女は財布を開け、迷いなく一万円札を一枚抜いた。
茂の胸元に指で押し付けるように渡す。
「はい。昼代。ちゃんと食べな」
茂は一瞬だけ躊躇し、それを受け取った。
紙の感触だけが残った。
外気が冷たい。肺の奥が一段だけ締まる。一拍だけ置いて、階段を降り始めた。
茂は一定の速度で歩く。
途中、駅前の小さなコーヒーショップに寄った。足を止めると自動ドアが反応し、焙煎の匂いが押し出されてくる。
レジカウンターのメニュー表。並んでいる数字は、どれも先週より少し高い。
世界が変わる速度より、値段が変わる速度の方が早い。
「ブレンド、いちばん小さいやつを」
茂は支払い端末にスマホをかざす。電子音が鳴り、紙カップを受け取った。
熱が指先に伝わり、少しだけ落ち着く。
外に出ると朝の街が動き出していた。通学路の制服、現場へ向かう軽トラ。
誰もが少しだけ急いでいる。急いでいるのに、首だけが忙しく動く。
皆、音の方向を探しているのだ。
茂は一口飲んだ。苦さは昨日と同じだが、対価だけが違う。
それが、この街の「今」だった。
駅前の雑居ビル二階。両開きのガラス扉に「買取」の札が貼ってある。
中に入ると店の空気はいつも通りだった。スマホやゲーム機の棚は残っているが、今は別の棚が主役だ。
防刃ベスト。「念のため」の道具。用途別に分けられたヘルメット。並びが、生活の必需品になっていた。
レジの奥で、店長が顔を上げた。驚きはない。最初から分かっていたような目だ。
「おはようございます」
「今日は休みだろ」
店長が短く息を吐く。
「昨日のアレだな」
茂は頷き、レジ横の事務机に目を向けた。店の数字を管理する古いパソコン。
茂は店長に向き直り、短く言った。
「はい。あれ、登録だけ通したいんで――パソコン、借りていいですか?」
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