第5話 鍵
外はもう薄暗かった。
アパートの階段を降りた瞬間、冷えた空気が肺に入る。
胸の内側に紙の塊が貼り付いている。
百万円。
歩くたび角が肋に当たる。
体温で少し柔らかくなっていく感触だけが、現実を主張してくる。
茂はスマホを一度だけ見た。メッセージは短い。「紺のクラウン」それだけで分かる。あのビルの共有駐車場は、端の方が空きやすい。
幹線道路に出ると、車の音が増えた。歩道の端は冷えていた。
コンビニの明かり、閉店した店のシャッター、点いたままの信号。
街は生きている。
ただ、どこか緊張が抜けない。遠くでサイレンが鳴っても、誰も振り向かない。慣れてしまった。
ビルの共有駐車場は建物の横に広がっていた。小さな店がいくつも入っているせいで、車種がばらばらだ。
軽、白いバン、擦った跡のあるミニバン。荷台にネットを掛けた軽トラ。
走れる者が生き残る街で、駐車場はいつも落ち着きがない。
歩く速度を変えない。視線だけを動かす。人の顔は見ない。手と腰だけを見る。持っているものと、動きの癖だけ。
端の方に、地味な紺のセダンが停まっていた。ガラスが少し暗い。
車内に人影があって、スマホの光が一瞬だけ点いた。
茂が近づくと、運転席の窓が少し下りた。中の男は、店で見た顔だった。
「持ってきた?」
茂は頷いた。
「はい」
男はすぐ車を降りて、トランクに回った。鍵を開けると、長物のケースが一本、横たわっていた。
男はケースをトランクの縁に置いた。
「確認させて」
茂は上着の内側に指を入れ、札の入った袋を引き抜いた。
袋の口を少しだけ開けて、端の札だけ見せる。
茂は袋をいったん戻した。
男はそれ以上求めず、留め具に指を掛けた。
ひとつ外し、もうひとつ外す。
ケースが開く。
中の金属光沢は一瞬だけで、すぐに黒に吸われた。
シャフトの表面。
刻印の位置。
ブレードの角度。
クロスバー。
茂は呼吸を変えない。目だけが速くなる。
中身を見た瞬間、茂の視線が一点に寄った。形じゃない。空気だ。
道具の顔じゃなく、武器の顔をしている。
シャフトは黒い。だが黒が軽くない。触れれば分かる剛性の色だ。
茂は迷いなく指を滑らせ、刻印の位置まで一気に持っていく。
Vespa Systems
Interdiction-04
線が深い。見せるための刻印だった。
ブレードは短い。切るためじゃない。
刺すための角度。短いのに、殺す形をしている。
茂は刃先の角度だけを見て、次にクロスバーへ指を移した。
突進を止めるための部材。弾けば硬い音が返り、ブレない。
ケースの中に同じ径のシャフトがもう一本収まっている。
二分割、接合部の精度が高い。
ガタがない。
噛ませれば勝手に位置が決まる。
男が上着の内側ポケットから筒を三本出した。
「V-Gel、三本」
茂は本数だけ視線で拾った。
三。
一本で一回。
そういう道具だ。
男は先に短く言った。
「これは領収書は出ないよ」
茂は即答した。
「大丈夫です」
男はケースを閉め、留め具を噛ませた。
茂は上着の内側から札の袋を出した。
口を開け、束を崩さずにトランクの縁へ並べる。
十万の束を。
十。
男はすぐ数え始めた。速い。だが雑じゃない。指の腹で一束ずつ拾い、角を揃えて戻す。
十束目で指が止まり、男が一度だけ頷いた。
「確かに」
茂はケースの取っ手を握った。
想像より長い。
重さが感覚として残る。
V-Gelの筒を三本、ポケットに滑り込ませる。
重い。
薄い布越しに、硬い円筒の輪郭がはっきり分かる。
これが尽きたら――刺すだけになる。
茂は男の顔を見ずに聞いた。
「V-Gel、次も買えます?」
男は間髪を入れず答えた。
「欲しい時は連絡して」
それ以上は言わない。ルートも、時期も。言う必要がないって顔だった。
男は札束を袋に戻し、上着の内側へ滑り込ませた。
トランクが閉まる。
男はそのまま運転席に戻り、エンジンを掛けた。セダンがゆっくり動き、駐車場の出口へ流れていく。
見送らない。
ケースの角の補強が硬い。
留め具の固さが指に残る。
感触だけが現実だった。
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