第37話 入荷
最後の一本を使い切ってから、六日が経った。
警報の通知は来ている。数も減っていない。
それとは別に、前に倒した中型の買取額が確定したというメールも入っていた。
中型にしては、金額は悪くなかった。
市街地補正とアジャストの割合が、九割を超えていたからかもしれない。
画面が光るたび、条件だけを確認して閉じる。
V-Gelがない。
それだけで、行かない理由としては十分だった。
無理をすれば、成立しない。
成立しない賭けは、ただの事故になる。
六日分の抑制は、身体より先に判断を固くした。
駅前の雑居ビル二階。
週三回。ほぼ二日に一度のバイト日。
茂はいつも通り、店のカウンター裏に立っていた。
伝票を揃え、棚に戻す。
動きは正確で、余分がない。
ポケットの中でスマホが短く震えた。
画面を見る。
――入荷した。
――今日、都合どう?。
余計な言葉はない、茂はすぐに返す。
休憩の時間。
場所はビル横の共有駐車場。
返信は短く、無駄なく。
――了解。
それでやり取りは終わった。
作業に戻る。
動きは変わらない。
だが、心の内の空白に一本、線が引かれた感触がある。
休憩に入る。札を出し、エプロンを外す。
階段を下り、外へ出る。
ビルの横。
店舗と事務所が共用する、駐車スペース。
昼でも影が残り、視線が抜けにくい。
茂は足を止めた。
端に寄せて停まっている車。
見覚えのある色のクラウン。
坂口の車だった。
助手席の窓が、少しだけ下がった。
「乗って」
坂口だった。
声は落ち着いている。前と同じ、いつもの調子だ。
「――はい」
茂が近づくと、ロックが外れる音がした。
坂口はシートに座ったまま、後部座席に手を伸ばす。
小さめの段ボール箱。
片手で持てるサイズ。
だが、持った瞬間に中身の密度が伝わる。
「これ」
受け取った箱は、見た目より詰まっていた。
「……多いですね」
「六本入ってる」
「一本は試供品」
坂口はあっさり言う。
「全部同じ規格。VG-0875U」
茂は箱を傾けず、そのまま聞いた。
「0.875"×3/4スリップフィット規格だから槍側はそのまま合う」
説明は、それだけで足りた。
「前に渡したのは民生品」
「今回はMIL-SPEC在庫」
「こっちの方が納期速いから、国内だMIL品が動かしやすい」
箱を開けて分かる。
外装の色も、印字の癖も違う。
「圧が違うんだ」
坂口が続ける。
「民生品は200 psi」
「これは400 psi」
「低温でも圧力が落ちにくいから、押し込みが安定するよ」
売るための言い方じゃない。
仕様の読み合わせだ。
「中身は二種類」
「五本はVG-50、局所破裂型」
「前と同じ」
「ただ全部MIL圧」
茂は頷く。
「もう一種は?」
「VG-50N-M」
坂口は、そこで一拍置いた。
「神経遮断系って言われるやつ」
「反応は遅いけど、入った後の止まりは強い」
「V-GELは使い道がなくて在米軍で余ってるんだ」
「50BMGで弾く方が、安全でよほど早いから」
理由は、それで十分だった。
「サイズは全部同じで区別は見た目だけだから、現場で迷うなよ」
茂は箱を抱え直した。
重さが、はっきりしている。
「助かります」
それだけで話は終わった。
坂口はエンジンをかける。
ビル横の共有駐車場に、排気音が溶けた。
茂はその場に残り、
段ボールの角を一度だけ指で押した。
六本。規格は一致。圧力は前の倍――これで選択肢は戻った。
茂はそれを普通に持ったまま、駐車場の外れから歩き出す。
昼の人通りは切れていない。誰の視線も特別には引かない。
選択肢が多ければ、脳が削れる。
少なければ――ただのリスクだ。
六本。うち一本は試供。
中身は二種。基本はVG-50。もう一つは50N-M。
使えるかどうかじゃない。
使う条件が揃うかどうかだ。
六日、抑えていた。
抑制は、身体より先に判断を固くする。
それが崩れていないことを、箱の重さが裏付ける。
50N-Mは頭の隅に置く。
反応が遅い。
遅れを許す条件は、いまは閉じている。
VG-50で足りる現場だけを選ぶ。
選べる状態に戻った。
それで十分だ。
昼休憩は、まだ残っている。
茂は通知を閉じ、スマホをポケットに戻す。歩調は変えない。
茂はバックヤードの隅で、コンビニ弁当とカップ麺を啜っていた。
1643円のカロリー、過剰な塩分と保存料の味。
喉を通るたびに空腹感は「麻痺」していくが、腹の底にある何かは一向に満たされない。
咀嚼音だけが響く部屋に、足音が入り込んできた。
「……茂君、お疲れ様。またそれ食べてるの?」
中野だった。28歳の主婦。
確か小さい子供がいたはずだ。
最近シフトが被っていたからか、妙に馴れ馴れしい。
少し崩したエプロンの隙間から、家庭の匂いではない、どこか艶っぽい香水の匂いが漂う。
彼女は棚卸しの伝票を置くふりをして、茂のすぐ横に立った。
「若いんだから、もっとちゃんと食べなきゃダメだよ」
「……これで十分です」
茂は視線を上げず、箸を動かしたまま答えた。
中野はそれを見て、小さく笑う。
「十分って顔じゃないけどね。カップ麺ばっかりじゃ、身体もたないよ」
「慣れてるんで」
「その慣れてるが一番よくないんだって」
相手の反応を探るみたいに、静かに笑った。
説教するほど強い口調でもない。
世間話の延長みたいな距離感だった。
中野は伝票を揃え直しながら、バックヤードを見回す。
「若いのにあんまり喋らないよね。ここで働いてる子、だいたい愚痴多いのに」
「聞く方が楽なんで」
「へえ……変わってる」
少し間が空く。
茂は弁当の最後の一口を口に運び、蓋を閉じた。
「午後、棚卸し手伝ってもらうかもだから」
「わかりました」
「助かる。じゃ、また後でね」
中野はそれだけ言って、踵を返した。
足音が遠ざかり、バックヤードにまた咀嚼音だけが戻る。
茂は空になった容器を見下ろし、ため息ともつかない息を吐いた。
腹は重い。
だが、満ちた感じはどこにもなかった。
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