第25話 残り一本
※本話はR15に調整しています。R18版はミッドナイトノベルズに掲載しています。
【R18】僕と彼女の猟奇的な日常 R18
https://novel18.syosetu.com/n6453lw/
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
残り一本。
それは「あと一回」じゃない。
次を外せば死ぬ、という回数だ。
茂はカートリッジを指で転がした。
軽い。
軽いのに、命より重い。
納期一週間。
一週間。
一本。どうする?
ドアの鍵が回る音。
茂は顔を上げない。
ユイの足音が入ってくる。硬い音が響いた。
「ただいまー」
言い方だけは軽い。
だが玄関で靴を脱ぐ音が、乱暴だった。
ユイが部屋に入ってくる。
薄いトップスの上に、外の匂いを纏ったまま。髪は少しだけ乱れている。巻いた毛先が肩に触れて、ほどけかけている。
「……あー、マジで今日、最悪」
茂は返さない。
ユイは勝手に続ける。
「ちょーロングの客」
「あの、ガチで無理なやつ」
「べろべろ顔舐めてくるの」
「臭い唾液飲まさせるし、違う所におもちゃ入れてくるし」
「挙句の果てに……3回出したいとか言うし!」
「舐めてくれたら立つからって!」
「自分で広げてこっち向けてくるし!」
「ろくに立ちもしないくせに!」
「カチカチにしてからほざけよ!」
ユイは冷蔵庫を開け、勢い良く閉めた。
数歩でソファーにいる茂の肩口に凭れる。肩に顎を乗せる。
体温がじかに刺さる。
「ねえ」
茂の手元を覗き込む。スマホ。ケース。カートリッジ。
ユイはそれを見ても表情を変えない。
「なにそれ」
ユイはそう言いながら、興味がある顔はしない。
代わりに、抱きつく力が少しだけ強くなる。
「今日さ」
ユイが茂の耳元で言う。
吐息が当たる。甘い匂いが近い。あのボトルの匂い。
「めっちゃ疲れた。
帰ってきた瞬間、なんか……茂の顔見たら、安心してさ」
茂は動かない。
ユイの腕が、胸の前で絡む。細い指がシャツの裾を探ってくる。
「ちょっとだけにならないかもだけど」
声が甘い。甘いが、媚びてはいない。
それは「客」には決して見せない、要求の形をした切実な命令だった。
今日一日の汚れを、茂の体温で、その感触で押し流してしまいたいという、彼女なりの生き方。
「……こっち向いて」
茂はカートリッジをテーブルに置いた。
その瞬間、ユイが笑った。
「真面目な顔もすきだよ」
ユイは茂の肩を押して、顔をこちらに向けさせた。
目が合う。
彼女の瞳は強い。極限まで疲弊しているはずなのに、捕食者のような光を失っていない。
「……今は、私」
ユイが言った。
そのまま、茂の視界が少しだけ揺れた。
肩を押され、上体が背もたれから離れる。
空気が変わる。部屋の温度じゃない。ユイが近づくことで、温度の差が消えていく。
茂はソファに寝転んだまま、動かない。
視線だけが、どこにも焦点を結ばないまま止まっている。
だが頭の中では、カートリッジが勝手に整列していた。
指の腹に残る金属の冷たさ。
「……目、真剣」
ユイの声は短い。
それだけで十分だった。
疲れ切った帰宅の匂いと、甘いボトルの匂いが混ざる。
茂は小さく頷いた。
言葉を返すより早い。
ユイはそれを許可と受け取り、視線をゆっくり下へ落とす。
衣擦れ。
ベルトの金具が触れ合う軽い音。
湿度がわずかに変わる。
近づく気配。
ユイの呼吸は荒くない。ただ、どこか急いている。今日一日でまとわりついた何かを、早く剥がしてしまいたいような速度。
茂は無意識に手を伸ばし、ユイの髪に触れた。
だが思考だけは、別の場所に残っている。
――効率。
報奨金は「運」じゃない。
構造だ。
どこで、何を、どう落とすか。
それだけで、同じ一体でも値札が変わる。
小型。中型。大型。大型上位。
まずサイズ分類。
特種指定。
あれは別枠。
当たり外れみたいに混ざる。
小型は手軽だが、割に合わない。
中型は数が多いが、取り合いになる。
大型は手応えがある。だが事故が増える。
大型上位から先は、もう現場が違う。
腕だけじゃなく、情報と場所がいる。
水音が続く。
ユイの喉が小さく鳴り、息を整える間が入る。
茂の体は反応しているが、表情は変わらない。
――市街地補正。
同じ400kgでも、畑なら安い。
住宅地は乗る。
駅前は大きい。
だがそこはうまいだけじゃない。
見られる。残る。混ざる。引かれる。面倒が増える。
茂は目線だけを上げ、天井の角を見る。
頭の中に地図が出る。K市。
線路沿い。ロータリー。幹線道路。団地の外周。工場地帯の縁。橋の下。
おいしいのは、駅前じゃない。
あそこは値札が派手なだけだ。
あれは人と面倒が集まる。
配分が割れる。手続きが重くなる。
時間を取られる。帰れなくなる。
――狙うなら。
住宅密度が高いのに、視界が抜ける場所。
人の導線が減っていて、警察の規制線が張りやすい場所。
つまり、中心の外側。
ロータリーから一段外れた交差点。
団地の駐車場。
ショッピングモール跡の広い平面。
ここなら補正は取れるのに、混戦は避けられる。
喉の奥で、ユイが笑ったような息を出した。
それは機嫌じゃない。安心だ。
茂の体温を確かめている。
茂はスマホを取ろうとして、やめた。
今それをやったら、ユイが壊れる。
ユイは今が欲しいだけだ。今日を洗い流したいだけだ。
茂は指を開き、ソファーの背もたれを撫でた。
その指先で、数字を数える。
――ベース。補正。控除。確定遅れ。回収手数料。
市街地補正が入っても、横取りされたら目減り。
回収を呼んだ瞬間、人が寄ってくるかもしれない。
危険区域指定が入ったら、フリーは弾かれる。
入れたら入れたで、証拠が弱いと配分で削られる。
なのに。
人は街の中心に集まる。
値札がでかいから。
派手だから。
危ないから。
――馬鹿。
茂は内心で吐き捨てて、呼吸を落とす。
そして気付く。
いま、自分の体は別の意味で息が上がっている。
ユイが、一度だけ顔を上げた。
視線が合わない位置から、茂を見上げる。
瞳が強い。まだ光っている。
まるで確認みたいに、ユイが小さく頷いた。
「いい」
そう言っているように見えた。
茂は目を閉じる。
今日の計算を、明日の手順に落とし込む。
――狙い目は、中心じゃない。
それの外側。
補正が取れるのに、現場が割れない場所。
水音が、わずかに変わる。
ユイの呼吸が熱を帯び、距離が近づく気配が濃くなる。
茂の身体が反応し、腰がわずかに浮いた。
その瞬間だけ、思考が途切れる。
ユイの指が、茂の腰骨を掴む。
逃がさない、という意味の力。
止まらない。
近くで繰り返される感触が、確かめるように続く。
触れられるたび、腹の奥が勝手に応じた。
茂は目を閉じた。
考えていたはずの数字が、一瞬だけ霧散する。
茂は低く息を吐いた。
声にならない音が漏れる。
それを聞いて、ユイが満足そうに笑った。
――仕事。金。通知。回収。
そんなものは、いまは少しだけ遠い。
茂は、天井を見たまま、黙って寝転んでいた
本日もお読みいただきありがとうございます。
少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、
ページ下部の【ブックマークに追加】と、【☆☆☆☆☆】をタップしての評価をお願いいたします!
明日も21時に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします。




