第24話 許されている音
月六万。週三日、五時間勤務。
数字にすると、すぐ終わる。
茂はカウンター裏で伝票の束を揃えた。紙の端を合わせるだけの作業。指先だけが動く。
生活は、足りない分を現場で埋めるしかない。
だから報奨金は「運」じゃなく、構造になる。
市街地補正と証拠、控除、そして確定の遅れ。
勝っても、削られる。
スマホを開く。最近の履歴に残っている名前。
坂口(三和通商)
「V-Gel、Interdiction-04用。5本お願いします。」
送信。
画面を閉じ、再び紙を揃える。
店舗の空調の音だけが、耳元でやけに大きく響く。呼吸が浅い。
返事が来なければ、次の手が減る。手が減れば、現場で死ぬ確率が上がる。
減れば、金も減る。
呼吸だけが浅い。
数分でスマホが震えた。
通知に出た名前で、内容はほぼ分かった。
坂口(三和通商)
文は短い。
「V-Gel 5本、¥246,500 納期一週間くらい。
先払いでお願いします」
振込先:三和通商(株)
K南銀行 中央支店普通 2189473サンワツウショウ(カ
「入荷したら連絡します」
茂は短く返した。
「了解。振り込んでおきます」
送信。
先払い。二十五万。
指を止めず、履歴から回収業者のページを開く。
K市環境回収サービス株式会社フリー精算マイページ
ログイン画面。
入力欄は二つだけだった。
メールアドレス。
パスワード(6桁)。
茂は迷いなく打ち込む。
送信。
画面が切り替わり案件一覧。二件。
上の案件を開く。
19-KSC-0842
ステータス。
暫定成立。回収受領済。
茂はそこを読まない。
数字だけを見る。
精算対象額――¥543,565。
下へ。
ボタンがある。
[早期振込サービス 申請]
茂は押した。
画面が切り替わり上部に表示。
[早期振込サービス ]
その下に、数字が並ぶ。
精算対象額:¥543,565
控除額:▲¥16,959(手数料3.12%)
控除後の振込予定額:¥526,606
注意書きが続く。
最終確定時の差額精算。案件リスクによる控除。返還不能時の精算制限……
小さい文字が、まだ続いている。
茂は読まない。
読むために出ている文章じゃない。
確認。
送信。
――申請を受け付けました。
完了表示は小さい。
だが、金の流れはここから始まる。
茂は画面をそのまま見ていた。
呼吸だけが浅い。
店の奥で、誰かが鍵束を鳴らした。
茂は伝票の束を揃え、カウンターを一度だけ拭く。
「お疲れさまです」
返事は短い。
それでいい。
茂は上着を掴んで店を出た。
階段を下りる。
足元がわずかに鳴った。
一階。
扉を抜けると、夕方前の冷えた空気が顔に当たる。
茂はそのまま、ビルの外へ出た。
線路沿いは、風が抜ける。
踏切の警報が遠くで鳴って、止まって、また鳴った。
茂は歩く。
フェンスの内側を電車が滑っていくたび、地面が微かに震える。足の裏に伝わるその振動が、今の茂にはひどく現実味を帯びて感じられた。
前の方が騒がしい。
笑い声。乾いた金属音。そして――湿った、獣の悲鳴。
茂は足を止めない。止める理由がないからだ。
フェンス脇の空き地に、制服の少年たちが固まっていた。
六人。茂より頭一つは低く、腕も細い。肩幅もなく、安物のポリエステル上着の中身がまだ入っていない。その細い指先には、木刀や金属バットが不釣り合いなほど無骨に握られていた。中学生か、せいぜい高校の一年生といったところだろう。
輪の真ん中には、黒い四つ脚がいた。
大型犬ほどのサイズ。毛は汚れで跳ね、踏み荒らされた土が舞う。牙を剥いてはいるが、その瞳には犬のような意思はなく、ただ逃げ場だけを探している。
木刀が振り下ろされる。
「ほらァ! 立てや!!」
それは武道の打突ではない。ただの棒で、肉を叩き潰すための動作だ。
続いて金属バットが鳴る。
「おい、まだ動いてんぞ」
「マジしぶてぇな」
「いいじゃん。生きてるほうが楽しいだろ」
バットが空を切る。迷いのないフルスイング。
笑い声が上がり、それが合図のように全員に伝播する。
誰かが蹴り、獣の身体が転がる。鳴き声が途切れ、また漏れる。
「お前さ、それ当ててねぇから!」
「は? 当ててるわ」
「腹いけ、腹! ぐちゃらせろよ、何ビビってんの?」
輪の端に一人、殴っていない者がいた。
スマホを顔の前に固定している。画面は縦。
「ほらー、いま線路横。小型発見。ウチらで処理してまーす」
声のトーンが違う。急に明るく、媚びるような響き。
目の前の現場ではなく、画面の向こう側の「何か」と喋っている声だ。
「ちょ、コメントやば。やりすぎって何? 害獣だって。命じゃねーって」
バットを担いだ少年が茂に気づき、一瞬だけ視線が交差した。
少年はニヤついた。口角だけを引き吊り上げる、強がりの混ざった笑い方。
「んだよ? 見てんじゃねーよ」
「通りてーなら通れよ」
茂が足を進めようとした瞬間、輪の端の少年が一歩出た。
パーマをかけたリーゼント。
顔だけ妙に近くに寄せてくる。
「おまえも〝不運〟と踊〟っちまったいのかよ」
空気が、笑いに寄る。
別の少年が吐き捨てる。
「拓ちゃん、そんなやつほっとけって」
拓は舌打ちした。
周囲に失笑が漏れる。茂は表情を変えなかった。
今の彼にとって、この少年たちは自分を脅かす存在ですらない。ただの、騒がしい雑音。
何も言わず、彼らの横を通り過ぎた。
視界の端で、再びバットが振り上がる。
木刀が落ち、獣の身体が跳ね、土が散る。
配信の声だけが、背中に貼りついて離れない。
「見える? こっち向いた。逃げる逃げる、押さえろって」
「腹いけ、腹」
誰かが笑い、誰かが息を切らし、誰かが画面に向かって調子よく喋り続ける。
茂は足を速めない。一定の速度で進む。
踏切の音が近づき、電車が通過する。
鉄の重圧的な振動が、背後で鳴り続ける打撃音をかき消していく。
茂は振り返らなかった。
彼らは特別ではない。制服を着て、群れて、声を上げているだけだ。
彼らを突き動かすのは、暇と、金と、そして「許されている」という空気。
害獣は殴っていい。
行政の通知も、街の貼り紙も、そう断定している。
殴って殺した分が、そのまま子供たちの小遣いに換算される。
金が残るから、次もやる。次があるから、暴力に慣れる。
それだけの話だ。
茂は線路沿いを歩いた。
夕方の冷たい光が、フェンスの金網を白く焼き付けている。
背後の笑い声も、怒鳴り声も、やがて聞こえなくなった。
最後に残るのは、無機質な鉄の軋みと、自分の足音だけ。
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