表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕と彼女の猟奇的な日常  作者: nnnkkk


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/28

第22話 処理だけが進んでいく

息を吸っても、足りなかった。


胸の奥が固い。

肺が膨らまない。

槍を握った手だけが熱くて、他は冷えていた。


倒れている。

止まっている。

でも茂は、構えを解けない。


生きているかもしれない。起き上がってくるかもしれない。そう思うだけで、指が痺れる。


ゆっくり息を吸おうとして、むせた。喉が焼けている。血の匂いがまだ鼻の奥に残っている。


助かった。


そう思った瞬間、遅れて膝が笑った。

笑っているのに、倒れない。倒れたら終わる気がして、脚が固まっている。


身体の芯が、まだ変だ。さっきから、重心だけが落ち着かない。


茂は瞬きを一つして、視線を落とした。


槍の先が――まだ刺さっている。


近いから匂いが濃い。


鉄と泥。肉。吐き気が喉まで上がってくる。


槍の柄に手を掛けた瞬間、怖さが増えた。抜いたらまた動く気がした。

抜かなくても、死んだとは限らない。


茂は一度手を離した。指先が痺れている。汗で滑る。


倒れた腹の下が、不自然に膨れている。皮膚が内側から押されて、皺が寄っている。裂け目の縁が、ぬるく光っていた。


――生き物の中身だ。


茂は喉を鳴らし、もう一度柄を握った。槍を押し込み、反応を確かめる。反応がない。


それでも――抜くのが怖い。


茂は息を殺して、ゆっくり引いた。すっとは抜けない。刃が、肉の中で引っかかっている。引けば、ずるりと音がする。想像だけで胃が縮む。


死体は倒した者の物。


その現実が、槍より重かった。


茂は槍を抜いた。刃先を外へ向けたまま、半歩退いた。


一歩。二歩。それだけで、少し息が入る。


柄の根元――クロスバーのすぐ後ろ。装填室。


チャンバー。


指が震えて、蓋の爪にうまく掛からない。力を入れると音が出そうで怖い。怖いのに、確認しない方がもっと怖い。


茂は爪を押し、蓋をずらした。


使い終わったカートリッジが残っている。

茂はそれを抜いた。軽い。


予備の一本を、指先で確かめる。残りはこれだけだ。


茂は新しいカートリッジをチャンバーに差し込み、押し込んだ。入るのは一本。途中で止まるまで押し、蓋を戻す。


ロックが噛む。カチ、と鳴る。


二本が一本になった。


一本。


その数字だけが妙に軽かった。


茂は槍を握ったまま、死体から数歩だけ離れて周囲を見回した。


それ以上は動けない。背中を見せるのが怖い。


誰もいない。


正確には――いないように見える。


田んぼの向こうに家がある。窓が閉まっている。カーテンの隙間だけが、細く暗い。外に出ていた物が、最初から何もないみたいに片づいている。


遠くで赤灯が回っている。音は届かない。ここを目的地にしている光じゃない。


警察も、自衛隊も、駆除屋《登録とフリー》も。来ない。


茂は槍を握ったまま、もう一度だけ倒れた害獣を見た。


止まっている。動かない。


それでも近づきたくない。死体は安心じゃない。匂いと熱が残る。


茂は周囲を確かめた。誰もいない。来ない。だからここは、自分の現場になる。


死体は、倒した者の物。


言葉は知っている。でも今は、ただの荷物だった。


運べない。一人じゃ無理だ。軽トラがあっても積めない。免許も無い。


放置した瞬間、面倒が増える。この街なら、そうなる。たぶん。


茂は息を吐いた。倒しただけじゃ終わらない。


スマホを取り出す。通知の履歴を開いた。


[害獣警報 K市北西部 中型 目撃]


中型。……本当にか? 目の前の重さと、文字が噛み合わない。


表示の下にある小さな項目――通報。茂はそこを押した。


呼び出し音が短く鳴って、すぐ切り替わる。


『K市害獣警報センターです』


「害獣を一体倒しました。北西部の通報のだと思います」


『お疲れ様です。位置共有できますか』


茂は送信を押した。


『確認しました。負傷者の有無は』


「わかりません。近くに軽トラが乗り捨ててありました」


『分かりました。未登録の方ですか?』


「はい」


『ありがとうございます。現場照合班と回収業者をこちらで手配いたします。』


電話が切れた。


茂はスマホをポケットに戻し、槍を握り直した。


握り直すほどのことでもないのに、指が勝手にそうする。


待て、と言われても待ち方が分からない。座れば背中が寒い。立てば足が震える。


茂は死体から目を離さず、半歩だけ位置を変えた。草の揺れ。畑の端。田んぼの水面。風の音。


何も起きていないのに、頭だけが勝手に起きる。


遠くで車の音がした。近づいて、また遠ざかる。来ない。


赤灯の光が一度だけ強くなり、また薄くなる。回転しているだけだ。こっちは目的地じゃないらしい。


茂は視線を落とした。死体の腹の裂け目が、暗い色に変わっていく。温度が落ちている。


時間が経つほど、やることが面倒になる。


畑の端で待っている間に、空が少しだけ暗くなった。日が動いたのか、自分が止まっているのか分からない。







やっと車の音が近づいてきた。一台じゃない。


先に見えたのは白い二トントラック。荷台の後ろに折り畳まれた小型クレーン。側面に文字。


K市環境回収サービス株式会社。


少し遅れて、赤灯が視界の端で回った。古い白のADバン。フロントに簡易のバンパーガード。擦れて下地が出ている。警察じゃない。制服も違う。


作業服に反射帯。肩のパッチに、センターの略称。


K市害獣警報センター付属の、現場照合班。


車が畦道の手前で止まり、男が二人降りた。

手袋に長靴、ゴーグル。薄い防護ベスト。


片方の腰に、太いバトン型の大型LEDライト。先端のレンズが光を拾って、冷たく光った。


もう片方の腰には、太いスプレー缶。グリップに安全ピン。


回収業者の男が声を掛けた。


「……通報の人?」


茂は頷くだけで槍を下げない。


照合班が先に、草むらの盛り上がりの方へ向かった。茂が立っていた位置からでも、土の色が濃く見える場所だ。濡れた跡が、草の根元に残っている。


照合班の片方が、スプレーに親指を掛けた。噴射口が外を向く。ライトの光が草の奥を舐めるように揺れ、もう片方は半歩、回収車の陰に寄った。弱い光。


次の瞬間、照合班がスイッチを切り替えた。白い光が草を焼くみたいに刺さった。


中年の男。作業着。片方の靴が脱げている。顔が土に半分埋まり、首の角度が変だった。


反射帯の男が、短く息を吐いた。


「……反応なし」


回収業者の男が端末を操作しながら現場を撮る。死体とあの塊。槍痕。草の倒れた方向と軽トラの位置。ドアの角度。全てを証拠に変えていく手つき。


もう一人が軽トラへ向かった。運転席を覗き、キーの位置を見る。荷台は空。血はない。


「車、動かなかったのかもな」


逃げた。逃げたけど、畑へ入った。畑は隠れられない。


照合班が地面を照らす。引きずり跡。土のえぐれ。重い四つ脚の踏み込み。


回収業者が言った。


「……食われてるな」


端末の男が個体の横にしゃがみ、裂け目の縁をライトで追う。槍傷の位置。内部から破った痕。


「これ、サイズ……たぶん大型になるね」


回収業者の男が荷台へ戻り、クレーンのアームを起こした。油圧シリンダーが小さく唸り、鉄がゆっくり動く音が畑に落ちる。


照合班は端末を見たまま、淡々と言った。


「才能さんですか?」


「……はい」


「承知しました。未登録の方ですね」


茂は頷く。


「では、申請は弊社経由で後日、査定確定後の精算になります」


回収の男は言いながら、現場写真を増やした。裂けた傷口。槍痕。引きずり跡。草の倒れ。軽トラ。撮る角度が機械みたいに正確だ。


照合班が草むらの方へ視線を向けて言った。


「人身が絡んでるんで、警察の身元確認と現場保全が入ります。回収はその後になります」


その言い方で分かった。


前回と同じ流れだ。


ここから先は、別の手順になる。


茂は死体を見た。軽トラの持ち主だろう、と頭が勝手に処理する。でも、処理しても何も軽くならない。


回収業者が続ける。


「人的被害がある場合は、書類が増えるんで少し遅れます。申し訳ありません」


謝る声が事務的で、逆に現実だった。


フックが下り、鎖が鳴る。回収対象が吊られ、重さのまま空へ浮く。


茂は槍を握ったまま、それを見ていた。


勝ったのに、勝った感じがしない。


ただ、処理だけが進んでいく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ