第18話 首輪の太さ
茂はPDFを閉じなかった。
数字はもう見た。
死者も、負傷者も、武器も、主体も。
ここから先は、世の中の話じゃない。
自分の話だ。
茂はページ内検索を開き文字を打った。
登録者 行動規範
Enter。
黄色いハイライトが点々と飛び、画面が自動でスクロールする。
[登録駆除従事者 行動規範]
[現場対応基準]
茂は目線を細くした。
白い紙に書かれた文字が、妙に攻撃的に見える。
命令が、丁寧語を被っているだけだ。
[現場対応時の基本]
・危険区域の識別およびマーキングを優先すること
・退避誘導を優先すること
・群衆形成を抑止すること
・誤射防止のため、射線管理を徹底すること
茂はその「誤射防止」の四文字で一瞬だけ目を止めた。
駅前で飛んでいた矢。
跳ねていた石。
割れたガラス。
あの混乱で「射線管理」なんて言葉は冗談だった。
ページを少し下げる。
次の見出しが出てきた。
[警察到着前の初動対応(暫定統制)]
茂はそこで指を止めた。
――これだ。
[※害獣事案は事後の通報となるため、警察到着前の初動は登録駆除従事者が暫定統制を行う]
[暫定統制権は「現場安全確保」に限る]
[討伐行為の実行は各従事者の裁量とする]
[警察到着後は指揮権を警察へ移管する]
茂は息を吐いた。
昨日の駅前。
確かに最初に動いていたのは登録の連中だった。
命令されて動いていたんじゃない。
動けるから動いていた。
そして、警察が来た瞬間に空気が変わった。
怒鳴り声。
封鎖線。
立入禁止。
群衆の押し戻し。
あれが「移管」だった。
茂はさらに読む。
[警察到着後の指揮系統]
・警察官(現場統制責任者)は登録者に対し、行動停止・退避・再配置を命ずることができる
・正当な理由なく命令に従わない場合、登録資格は停止または取消の対象となる
目が滑らなかった。
行動停止。
退避。
再配置。
つまりこうだ。
最初は自由。
途中から首輪。
茂はその仕組みを、嫌悪より先に「便利」と感じた。
便利なのは制度じゃない。
権力だ。
最初の混乱で現場を握る。
警察が来たら責任を移す。
最後は書類で勝つ。
ページを少し下へ。
[携行装備]
・活動時ボディカメラ常時ON(義務)
・映像データの改変・削除は刑事罰対象
・現場での視界確保を妨げる装備は禁止
ボディカメラ。
茂は、画面の端に置いた黒いケースを見た。
視界に入るだけで、身体の奥が硬くなる。
映れば、厄介になる。
映らなければ、もっと厄介になる。
矢が刺さっていた。
誰かの石が当たっていた。
その「誰か」を、登録者は映像で切り捨てられる。
フリーは切り捨てられる側だ。
茂は次の項目で目を止めた。
[登録者の責任(事故・二次被害)]
・誤射・過失による第三者負傷が発生した場合、当該登録者は即時活動停止
・調査終了まで復帰不可
・重大過失の場合、登録取消および刑事・民事の処理対象
茂は駅前の誤射を思い出す。
あの場では、誰もが事故を起こせた。
事故は誰でも起こす。
だが登録だと、一発で終わる。
制度が首を折る。
ページを少し下げる。
[未登録者の扱い]
・未登録者は現場統制の対象外とする
・ただし危険行為が確認された場合、警察は排除・拘束を行う
・未登録者が討伐に関与した場合、貢献判定は回収ログおよび現物痕に基づき査定する
対象外。
茂はその言葉を舐めるように読んだ。
――つまり、放置。
守らない。
命令もしない。
勝手に死ね。
その代わり、勝手に動ける。
茂は椅子の背もたれに身体を預けた。
昨日の駅前をもう一度組み直す。
登録なら。
最初は自由に動ける。
むしろ動けと言われる。
だが警察が来た瞬間、首輪が付く。
間違えたらその場で終わる。
フリーなら。
最初から最後まで首輪はない。
守りもない。
死んでも、その場で終わりだ。
どっちが得かじゃない。
どっちが自分か。
茂はメモ帳を開き、短く書いた。
登録=最初自由/途中首輪
フリー=最初から放置
書いてからペンを置いた。
黒いケースがそこにある。
駅前の重さが、まだ中に残っている。
――首輪を付けられて使える道具じゃない。
茂はページを閉じた。
PDFの白が消え、ブラウザのトップに戻る。
その瞬間、妙に現実が戻ってきた。
バイト先のバックヤード。
段ボール。湿った埃。
遠くでレジの音。
調べるのは終わりじゃない。
ただ、方向が決まっただけだ。
――自分はまだ、フリーでいい。
少なくとも、今は。
登録の仕組みは分かった。
最初は自由。途中から首輪。
問題はその首輪の太さだ。
茂はページ内検索をもう一度開き、今度は短く打った。
停止
Enter。
黄色のハイライトが、画面の下の方へ飛ぶ。
スクロールが止まり、項目が出る。
[登録資格の停止/取消]
[違反行為一覧]
茂は目を細くした。
こういうのは長い。
長いのは、逃げ道を潰すためだ。
箇条書きが続く。
[即時停止]
・現場統制責任者の命令違反
・映像ログ(ボディカメラ)の欠落
・許可外の武器携行
・現場での暴行、脅迫、威嚇
・民間人を盾にした行動
・危険区域外への射撃行為
茂は「映像ログ欠落」の行で指を止めた。
欠落。
つまり――電池切れでもアウトだ。
通信不良でもアウトだ。
「たまたま録れてなかった」は通らない。
茂の口の端が、わずかに上がった。
登録は「守られる」制度じゃない。
記録される制度だ。
記録されるから守られる。
だが記録できなければ、守られない。
次の項目。
[取消]
・重大過失による死亡事故
・意図的なログ改変
・虚偽申請
・反社会的勢力との関与
・登録証の貸与/譲渡
茂は昨日の駅前の顔を思い出した。
怒鳴っていた連中。
興奮していた素人。
矢を撃って、外して、笑っていた若い男。
あいつが登録だったら、即死だ。
制度に殺される。
逆に言えば、登録に向く人間は決まっている。
真面目か。
従順か。
壊れない奴だ。
茂はどれでもなかった。
ページを閉じようとして、最後の欄が目に入った。
小さな枠で囲われた注記。
[登録者の秘密保持義務]
・制度運用上の内部情報を外部に漏洩しないこと
・査定担当とのやりとりをSNS等に掲載しないこと
・違反時は停止対象
茂は小さく鼻で笑った。
――都合が悪いから口を塞ぐ。
そういう仕組みは、どこでも同じだ。
茂は画面から目を離し、横に立てた黒いケースを見る。
登録したらこれも記録される。
使い方も。
場所も。
タイミングも。
記録されれば強い。
だが記録されれば縛られる。
茂は椅子から立ち上がり、ケースの持ち手に指をかけた。
重さが手に戻ってくる。
もう迷いはなかった。
登録はいつかのための制度だ。
だが今は違う。
今の自分に必要なのは保護じゃない。
自由でもない。
――勝つこと。
茂はデスクトップの電源を落とした。
モニターが暗くなり、バックヤードの匂いが戻ってくる。
調べ物は終わった。
だが調べて分かったのは制度じゃない。
自分が、どんな人間か――それだけだった。




