第16話 期待値
バックヤードの空気は、店の表とは別の匂いがした。
ガムテープと段ボールと、湿った埃。人がいない時間帯の倉庫の匂いだ。
茂は椅子を引き、古いデスクトップの前に座っていた。
モニターの角に拭き取れない指紋の跡が残っている。キーボードの隙間には紙粉と砂。誰も掃除しない。
電源ボタンを押す。
――ピ。
黒い画面がじわりと光る。
メーカーのロゴが出て、消え、今度は青い読み込み画面に変わる。
遅い。
それでもスマホで小さい文字を読むよりはマシだ。
茂は隣に黒いケースを立てた。
背もたれの横。視界の端に、いつでも入る位置。触らなくても存在感がある。
机の上にはメモ帳。
ページの一番上に、さっき思い出した単語だけを書いてある。
登録駆除従事者
保護/拘束
ボディカメラ
精算
回収業者経由
マウスを動かすとカーソルが一拍遅れて追いかけてきた。
茂は苛つかなかった。遅いのは機械の都合だ。人間みたいに勝手な理由はない。
ブラウザを開く。
検索窓に迷いなく打ち込む。
K市 駆除従事者 登録
エンター。
結果が並ぶ。
役所のページが一番上に来て、その下にPDFの要綱。さらにその下に、よく分からないまとめサイトと、動画投稿のリンク。
茂は役所のページをクリックした。
画面が切り替わる。
白い背景に、黒い文字。余計な装飾はない。読む者を歓迎していないレイアウト。
[K市 特定外来害獣対応制度]
[駆除従事者登録制度]
昨日まで「駅前の獣」だったものが、ここでは「制度」になっている。
人が死んだ話も、破裂音も、血の匂いもない。あるのは、文字だけだ。
スクロール。
まず目に入るのは、でかい注意書きだった。
[※未登録者による駆除行為は違法ではありません]
[ただし、当該行為は危険行為に該当し、行政による保護および補償の対象外です]
[未登録者は駆除証明アプリを使用した直接申請ができません]
[精算は主に指定回収事業者を通じて行われます]
茂は一度だけ鼻で笑った。
要するに、
「勝手にやっていい」
「でも守らない」
「金も直接は渡さない」
昨日までの自分だ。
さらに下へ。
[登録駆除従事者]
[登録条件]
・市内在住または居住実態の確認
・本人確認(個人番号連携)
・講習受講(半日)
・行動規範同意への同意(誓約)
・装備条件(ボディカメラ常時ON)
茂はボディカメラの項目を見て、少しだけ指が止まった。
――拘束。
保護の裏側は拘束だ。
茂はそれを嫌う。だが嫌うだけでは金は増えない。
ページのさらに下には、太字で書かれていた。
[登録者のメリット]
・駆除証明アプリによる直接申請
・精算の迅速化
・回収費用(行政負担)
・現場対応時の警察連携(優先)
迅速化。
行政負担。
優先。
昨日の駅前で見た「扱いの違い」が、ここに文字で書いてある。
茂はメモ帳に「優先」とだけ書いた。
その文字が、妙に生々しかった。
茂はスクロールを止めた。
「優先」の文字が、メモ帳の上で冷えている。
現場で優先される。回収が優先される。精算が優先される。
つまり――揉めた時に強い。
それが欲しいのか、と自分に聞いて、茂は答えなかった。
欲しいかどうかじゃない。使えるかどうかだ。
ページの下に別項目が並んでいた。
[登録者の義務]
[給付について]
[報奨金の取り扱い]
[未登録との違い]
茂は「給付」をクリックした。
文字が増える。
また殴ってくる。
[登録駆除従事者には生活安定給付が支給されます]
[支給額:月額167,000円(基本)]
[※活動実績に応じた調整あり]
十六万。
多くはない。
死体の匂いのない金。
毎月出る金。
茂は目を細めた。
この金は、人を集める。素人でも、腹が減っていれば来る。
次に[報奨金の取り扱い]を開く。
[基準単価は未登録駆除従事者に適用されます]
[登録駆除従事者には登録単価(基準単価に係数0.7を乗じた額)が適用されます]
茂はそこで一度スクロールを止めた。
――二重構造。
首輪付きは安い。
首輪なしは高い。
国は最初から、首輪の有無で値段を変える。
「単価」は高い
でもそのまま手に入る金じゃない。
削られる。遅れる。
帳簿の上で高いだけで、手の中に残るとは限らない。
さらに下へ。
[未登録との違い]の項目。
[未登録者は直接申請ができません]
[未登録案件はセンターへの通報、および現場確認をもって駆除成立処理が行われます]
[複数関与の配分はアジャスターが行います(%)]
[精算は指定回収事業者への引き渡しをもって成立します]
続けて、補足が小さく付いていた。
[※未登録案件は、死体を指定回収事業者へ売却することで精算ルートが成立します]
[※売却時点で死体の所有権は事業者へ移転します]
[※以後の手続き(回収・処理・精算)は事業者が一括して実施します]
指定回収事業者――K市環境回収サービス株式会社。
茂はそこを読んで、息を吐いた。
――売る。
倒した証拠じゃない。
死体そのものを金に換える。
だから現場は、速い。
だから精算は、遅い。
途中は全部、業者のものになる。
[注意:二次被害(誤射・器物破損・負傷者等)が認められる案件は、市街地加算が現場で凍結される場合があります]
[理由:二次被害の整理および因果関係の確認に時間を要するため]
[※未登録案件は寄与証明・関係整理に時間を要する場合があり、凍結期間が長期化することがあります]
茂は小さく舌打ちした。
――凍結。
増えるはずの金が、増えないまま終わる。
しかも「確認に時間がかかる」という便利な言葉で、いくらでも引き延ばされる。
さらに下へ。
[注意:未登録者は証拠資料が不十分な場合、貢献判定において減点されることがあります]
[映像・命中痕等の確認が困難な場合、配分は保守的に算定されます]
茂は笑わなかった。
当然だ。
登録は専用ボディカメラがある。
フリーはない。
証拠が弱い方が削られる。制度はいつもそうだ。
茂はメモ帳の余白に、太く書いた。
フリー=期待値が落ちる
単価が高いだけじゃ足りない。
凍結。減点。回収の手数料。確定の遅れ。
八十万は、八十万じゃない。
昨日の自分の手取りが答えだ。
それでもフリーを選ぶ人間がいる。
理由は簡単だ。
縛られない。
命令されない。
そして――当たりを引けば跳ねる。
茂は画面を閉じずに、椅子の背に体重を預けた。
登録は、首輪だ。
首輪は保護の代わりに、行動を縛る。
縛られるのは、犬だ。
茂は犬になりたくない。
ただ、犬の方が死ににくいことも知っている。
――どっちが得か。
茂はその問いを、感情じゃなく数字に置いた。
まだ答えは出さない。
出すなら、使える形にしてからだ。
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