第12話 確認
獣は倒れていた。
重い体が横倒しになり、胸郭が奇妙に上下し――それすらすぐ止まった。
広場の中心に残ったのは、血と骨とその残りだった。
遅れて悲鳴が出た。獣じゃない。人間の声。
そしてようやく「撃つ音」が止まり始めた。
クロスボウの矢がもう一本、遅れて飛ぶ。
獣の毛皮に刺さり、浅く跳ね返ってタイルへ転がった。
撃った男が固まる。腕が中途半端に上がったまま、動かない。
「……あ」
声が漏れた。怒鳴りでも正当化でもない。現実に戻った声だった。
獣が動かない。もう襲ってこない。
理解が回った瞬間、駆除屋たちの視線が次へ流れた。
――人間。
地面に倒れているのは獣だけじゃない。
脇腹を撃たれた男が、まだ呻いている。
背中に矢が刺さったまま動かない人間もいる。
ガラス破片で顔を切った女が泣きながら頬を押さえている。
茂は槍を握ったまま、その光景を見ていた。
胸の奥の熱がまだ残っている。
それが今は、吐き気と混ざって気持ち悪い。
――終わったのに、始まりの顔をしている。
遠くでサイレンが聞こえた。
近づいてくる。だが速くはない。人が多く、道は塞がれている。そういう遅さだ。
数分後、ようやく駅前広場の端に警察官が入ってきた。
数は多くない。フル装備でもない。盾も長物もない。
それでも制服の青は、場の温度を少しだけ下げた。
先頭の警察官が倒れた獣を一瞥して、小さく息を吐く。
「……デカいな」
感想みたいな声。
怒りではなく、驚きでもない。疲れが先に出る声だった。
別の警察官が声を張った。拡声器じゃない、生声だ。
「武器持ってる人、いったん下ろして! 撃つのやめてください!」
駆除屋たちが反射で止まる。
止まれない者も数人いた。
クロスボウの男。
スリングショットの男。
それから、刃物を振り回したまま叫んでいた若い男。
全員目が泳いでいる。獣じゃない。周囲の人間の顔色を見ている。
敵を探す目じゃなく、許される場所を探す目だ。
警察官の一人がクロスボウ男へ近づいた。
急がず脅さない。
距離を詰めながら、手のひらを見せた。
「それ、下ろしてもらえますか。もう終わってます」
男の喉が鳴った。
「――え? でも……俺……」
何を言えばいいか分からない顔。
正しいことをしたと思いたいのに、正しいか分からない。
警察官は声を荒げず、短く確認する。
「撃ちました? 人に当たりました?」
男は震える指でそこを指した。脇腹を押さえて倒れている男。
「……あっ、あれ……でも害獣が……! 俺は駆除で……!」
言葉が崩れていく。泣きそうなのに泣けない。恐怖だけが溜まっている。
警察官が短く頷く。
「分かりました。怪我人が優先です。武器は下して」
男はクロスボウを落とした。
落とすというより、手が力を失って離れた。
鈍い音。
それで現実が来たのか、男の膝が抜けた。座り込んで、何度も瞬きをする。
理解できていない顔。
「俺……これ……捕まんの……?」
男が呟いた。
警察官は答えない。答えられない、の方が近い。
ただ手順の声で言う。
「後で確認します。今は動かないで。身元確認します」
腕を軽く取る。乱暴じゃない。逃げないように触れているだけだ。
「カードありますか。身分証、出せます?」
男はぼんやり頷いて、ポケットを探した。手が震えて上手く出せない。
同時に、別の警察官がスリングショット男へ声をかけていた。
鋼球の袋が腰に揺れている。手袋が外れかけている。
「そちらも、いったん置いてください。怪我人出てます」
「いや、俺、アレを……!」
「分かってます。いったん置いてください。危ないので」
男は口を開きかけ、何も言えずにゴムを緩めた。
鋼球がタイルに落ちる軽い音がした。
さらにもう一人。
恐慌の中で武器を振り回し、店舗ガラスを割った若い男が壁際に寄せられていた。
座っている。座らされているというより、足が力が残っていない。
警官が多いわけじゃない。囲む余裕もない。だからやることは単純だった。
目を切らさない。
距離を取って、逃げ道を塞ぐ位置に立つ。
それだけで現場は精一杯だった。
駅員らしい男が誘導灯を持って走ってきた。
足元の血で滑るのを避け、灯りを揺らしながら声を張る。
「負傷者の方! こちら! 動ける方は駅構内へ!」
救急は来ない。来ても遅い。
だから最初に動くのは、駅と周囲の人間だ。
タオル。上着。ベルト。
誰かが止血を始める。
誰かが携帯のライトで傷口を照らす。
誰かが「触るな」と叫び、誰かが「触らないと死ぬだろ」と怒鳴る。
茂は槍をまだ握っていた。
手が離れない。離したら、胸の奥の熱が嘘になる気がした。
警察官の一人が、茂の方を見た。
武器を見てる目だ。
茂じゃない。槍の方。
刃先の黒とクロスバーの厚み、そして異様な長さ。
「……それ、槍ですね」
聞き返すというより確認の声。
茂は喉が固いまま、頷いた。
「すみません。所持の許可、確認させてください」
丁寧すぎない。だが逃げ道のない声。
茂は槍先を下げた。
刺さるかもしれない角度を反射で消す。
財布を出す。
指が震えてファスナーが引っかかる。
中からマイナンバーカードを抜き、裏に差し込んである紙を引き出した。
三つ折りのA4。
まだインクの匂いが残っている気がする。
警察官は紙を奪わない。
「ありがとうございます。見せてもらうだけで大丈夫です」
茂は紙を開き、許可番号とシリアルの行を見せた。
公的なフォントが、やけに場違いに整っている。
警察官が腰の端末を起動する。画面を数回タップし、茂を見た。
「身分証も、確認させてください」
茂はマイナンバーカードを差し出した。警察官は受け取り、端末で読み取る。
ピッ、という乾いた音。
警察官の目が端末に落ちたまま動かない。
数秒。
その間に、茂の胸の奥の熱がまたぶり返した。
怖い。
止まれ。
落ち着け。
だが体は落ち着かない。
槍を握る手だけが無駄に強い。
警察官が小さく息を吐いた。
「……確認できました。才能茂さん。19歳」
凶器を見る目が消えた。
道具を見る目になる。
それだけで茂の呼吸が、少しだけ戻った。
警察官は倒れた獣の方へ視線を向ける。
血の匂いが残り、誰も踏み込めない円ができている。
「回収業者、こちらで手配します。害獣には近づかないでください」
茂は反射で頷いた。
「怪我はないですか」
質問は短い。声色は丁寧だが、優しさではなく手順の声だ。
茂は首を横に振る。怪我じゃない。内部が変だ。そう言えない。
警察官はカードを返す。
「ありがとうございます。……武器はそのまま下げたままで、お願いします」
茂は槍先を床へ落とす角度にする。自分の手の震えが、少しだけ目立たなくなる。
壁際の三人が視界に入る。
クロスボウ。
スリングショット。
そして器物破損の若い男。
全員、今を理解出来ていない表情だった。
逃げようとしたわけじゃない。止まれなかっただけの顔。被害者にも見える。
茂は一歩だけ後ろへ下がった。
広場の中心から距離ができる。なのに熱は引かない。
胸の奥だけが妙に冷たい。
怖いのに、体の奥だけは異様に静かだった。
茂は自分の手を見た。槍を握っている指。さっきより震えが減っている。
――気のせいだ。
そう思って、思い切れない。
遠くで鳴るサイレンだけが現実に聞こえた。
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