第11話 最初の一撃
茂が死角から身を乗り出した瞬間、ヒュッ、と空気を切る音がした。
クロスボウの矢が、タイルに刺さって震えた。外れた。
黒い塊じゃない。人の足元。
「うわっ!」
飛び退いた男が別の誰かにぶつかり、そのまま倒れる。
倒れた肩口に靴底が乗り、悲鳴が潰れた声に変わった。
次に金属音。
鋼球が街灯の支柱に当たり、跳ね返る。
跳弾が群衆の中へ消えた直後「痛っ…!」という短い叫びが上がった。
誰が撃たれたのか分からない。
分からないまま、人がさらに押す。
コンビニの自動ドアが半分閉まり、押し戻された人でまた開く。
ガラスに掌が叩きつけられ、油膜がガラスを飾った。
その滲みの向こうに、倒れている人間が見える。起き上がらない。
広場の中央に、巨大な黒い塊がいた。
黒い毛の塊が首を振り、四足が重い体をうねらせる。
選ばない。ただ密度の濃い場所へ突っ込む。
駆除屋がいた。
構える腕。
震える指。
照準が揺れたまま固まっている。
クロスボウにクロスボウ。スリングショット。
あと刃物――何しに来てる?
数はいるのに、整っていない。連携もない。
全員、同じ方向へ撃っているだけだ。
「撃つな! 人が――!」
声は叫びに飲まれ意味を失う。
クロスボウの男が撃った。
矢は低い軌道で飛び、
黒い塊じゃなく近くの男の脇腹に刺さった。
「ぐっ…!」
背広が裂けて赤がに滲む。男は崩れ、膝が折れた。
――空気が止まる。
止まったのは一瞬。
次の瞬間その矢を撃った男が叫び出した。
「ち、違う! 俺じゃない! 俺、あいつを――!」
言い訳が先に出る。
理屈じゃない。罪と恐怖が口を動かしている。
男は黒い塊を見ていない。
刺さった人間と、こちらを睨む周囲の目だけを見ている。
泣きそうな男がそのまま、矢を番えた。
「おい、やめろ! 撃つなって!」
誰かが腕を掴もうとして――掴めない。
周囲も逃げている。誰も止める側になれない。
男は矢を押し込む。指が震えてレールに乗らない。
それでも無理やり入れた。
「いまは駆除だろ! これ、害獣だろ! 俺は正しいんだよ!」
叫びが、悲鳴と混ざって歪む。
正しいかどうかなんて関係ない。
男は《《許される》》と思い込みたいだけだ。
撃った。
矢が飛ぶ。
塊の肩をかすめ、向こうの人の背中へ吸い込まれる。
「――っあ、あぁぁッ!!」
刺さった本人の声じゃない。矢を撃った男の声だ。
男はさらに矢を番える。止まれない。止まったら終わる。
「当ったれ、当ったれ、当ったれ……!」
別の男のスリングショットも続く。鋼球が塊に当たる音はしない。
当たったのは看板、ガラス、車のボンネット。
跳ね返った球がどこへ行くのか誰も見ていない。
ガラスが割れた。
破片が降る。破片から逃げた人間が、別の人間を突き飛ばす。
突き飛ばされた女が転び、頭を打つ鈍い音がした。
茂は目に映った光景にドン引きした。
――――――――は?
これ、何だ。
黒い塊1体じゃない。
武器を持った素人が10人いて、その全員が敵になってる。
矢。球。ガラス。悲鳴。血。
全部が同じ高さで飛び交う。どれが危険なのか選べない。全部危険だ。
茂の歯が勝手に鳴った。
息が浅い。
胸が痛い。
手が震えて、槍の重さが増えたみたいに感じる。
――帰れ。
冷静な方の自分がそう言う。
身体がそれに従わない。
黒い塊が群衆の密度が濃い方向へ突っ込む。
人が割れるが割れきれない。
倒れる、踏まれ、逃げる人々。
《《それ》》を狙い撃つ人。
集団に視線を滑らせたその時、一瞬だけ、塊の側面が晒された。
死角ができる。
茂は反射で動いていた。
考える前に足が出た。
恐怖のまま、槍と恐怖を抱えたまま走る。
槍先が揺れている。揺れているのに、止められない。
――――違う。
違うだろ、そうじゃないだろ――――
焦る思考が止まれと告げる――――
――――それでも、距離だけが縮んでいく。
黒い塊が迫る。
速い。
重いのに速い。
地面を叩くたび、空気が押し返してくる。
茂は逃げたいまま踏み込んだ。
槍先を低く。突進の線に合わせるんじゃない。
ずらす。正面で受けたら弾かれる。
横から入れる。
横から刺す。
横から殺す。
横から《《殺す》》。
視界の端で、クロスボウの矢がまた飛んだ。
塊の背を越え、どこかへ消える。
茂は見ない。
肩が迫る。毛の一本一本が見える距離。
臭いが濃すぎて、息が吸えない。
――――――今。
茂の身体が勝手に動いた。脳が追いつく前に、槍を空間に置く。
切っ先が毛皮を割る。
硬い抵抗。
肉。
骨ではない。
貫く必要はない。
ただ、皮と筋肉の層を抜けて、刃の腹が中に触れればいい。
刺さった瞬間、クロスバーが体に当たった。
ガン、と鈍い衝撃。
骨に当てたみたいな反動が腕に返り、手首が崩れそうになる。
それでもクロスバーが止める。止めてくれる。
突進を、槍の横一文字が受け止めた。
茂の足が滑る。踏ん張った左足の裏が、タイルの血と砂利で逃げた。
靴底がタイルを擦り、小石が跳ねた。
肩が後ろへ持っていかれ、背中が折れそうになる。
――折れる。死ぬ。
茂は歯を食いしばった。歯が鳴ったまま、食いしばる。
手が震えて、握りがほどけそうになる。
塊は止まらない。止まらないまま、茂を押し潰そうとしてくる。
この距離で槍を抜いたら、終わる。
逃げる時間がない。抜いた瞬間に掴まる。
茂の指が、手元のトリガーへ滑った。
――やれ。
思考じゃない。恐怖が命令していた。
茂はトリガを引いた。
カチ――乾いた作動音。
次の瞬間、刃先近くのポートから、V-Gelが高圧で噴き出した。
体内に何かが入る感触が槍越しに伝わる。
遅れて腹が変な形になった。
膨らむんじゃない。内側から押し広げられて、皮が引っ張られる。
――裂ける。
筋が切れる音。血管が破断する圧。肉が、肉のまま壊れていく。
吠えようとして、声にならなかった。
声帯に届く前に、身体の中で圧が暴れている。
次の瞬間、片脚が落ちた。抜けたんじゃない。
支えにしていた筋と関節の中身が、先に壊れていた。
だから、外側だけが形を保ったまま――遅れて崩れた。
重い体が傾き、突進の力が崩れ、横へ倒れ込む。
倒れる途中で、腹の奥から湿った破裂音がした。
茂の槍を押す圧が消える。
茂は反射で後ろへ跳んだ。抜くとか抜かないとかじゃない。
身体が勝手に距離を取った。
倒れた塊はまだ動いていた。だが動きが違う。
噛むための動きじゃない。体が間違った場所を探している動きだ。
内側が壊れている。
だから外側だけが暴れる。
茂は息を吸った。臭いが肺に入って、咳きそうになるのを飲み込んだ。
そのときまた何かが飛んできた。
鋼球。
頭に当たり、鈍い音を立てて跳ねた。駆除屋の誰かがまだ撃っている。
茂は叫びたくなった。撃つな、って。今はもう要らない、って。
でも声が出ない。
塊は1度だけ大きく痙攣し、重い肉の塊として崩れた。
茂の視界の端で血が広がっていく。量が多い。止まらない。体内が壊れている。
茂は槍を構えたままさらに1歩退いた。
まだ終わってない気がする。
終わってると信じるのが怖い。
倒れた眼が、茂を見ていた。
茂は槍を構えたまま、息を吸った。
臭いが肺に刺さる――はずなのに、妙に息が通る。
胸の奥が熱い。
心臓が速いだけじゃない。熱が、血に混ざって広がっていく。
指先の震えが、一瞬だけ止まった。
代わりに腕の奥がじんと張る。筋肉じゃない。神経が立っている。
―――気のせいだ。
そう思おうとして、思えない。
槍の重さが変わったんじゃない。
握っている自分の手が、さっきより落ち着いている。
茂の歯が、また鳴った。
「……俺、いま……」
呟きは自分の耳にすら届かなかった。
次に来たのは、歓声じゃない。
誰かの悲鳴だった。
塊じゃない。
人間の。
誤射は、まだ続いていた。
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