第10話 組み立て
『警報:K市中央区。大型害獣の目撃情報。駅前周辺。』
歩きながら画面を見てすぐ消した。
通知文の細部は読まない。読むほど現実になる。今は要らない。
駅前の方角へ足を向ける。
頭の中に浮かんでいるのは、逃げる人間の顔じゃなかった。
黒い刃。
四つの細孔。
ロックの感触。
ケースの重み。
昨日あの男から受け取ったばかりの新しい道具を早く使ってみたい。
理由はそれだけだった。
駅へ向かう途中、道が異様に空いていた。
車が寄せられハザードを点けたまま無人になっている。
遠くでサイレンが鳴っている。
近づいてるのか、遠ざかってるのか分からない。
歩道の端を逆方向へ走る女がいた。
片手で子供の手首を掴み、引きずるように走っている。
子供の靴が片方脱げ、アスファルトに転がった。
茂はそれを避けて通った。
拾わない。
拾ったところで、誰の靴か分からない。戻す相手も分からない。
駅前が見えた。
人がいる。
逃げて散る、じゃない。集まっている。
スマホを上げるやつ。動画を撮るやつ。誰かを探して怒鳴るやつ。
パニックの形は一つじゃなく、混じっている。
横をナイロンケースを背負った男が走り抜けた。
銃?
駆除屋?
顔は見えない。
目線が他と違う。焦点が人じゃなく、音の方にある。
逆側からは二人。
片方はクロスボウを抱えている。
弓床を脇に押しつけたまま、矢を一本くわえて走っていた。
もう片方はスリングショット。
厚手の手袋でゴムを掴み、球の入った袋ゆを腰にぶら下げている。
さらに遅れて、若い男が一人。
安い防刃ベストにパーカー。手には短い刀――いや……長いナイフ?
あれで戦えるのか?
目が泳いでいる。雰囲気だけ揃えた感じか。
駆除屋が集まる。
茂は、運よく小型以上の現場に居合わせたことがない。
警報が鳴れば、いつもそこから遠ざかった。
だから、彼らの到着が早いのか遅いのかは分からない。
駅前広場の縁に着いた瞬間、匂いが変わった。
血と獣臭。
脂と糞尿と血の、生温い濃さ。
動物園で嗅いだ匂いに似ているのに何かが違う。
「危ないって!」「戻れ!」
声が飛ぶ。
テナントビルの自動ドア前は押し合い、白い曇りが何度もガラスに咲いていた。
広場のタイルに黒い染みがある。
血だと理解するより先に、足跡がその上を踏み荒らしているのが見えた。
茂は一瞬だけ笑いそうになった――いる。
人が集まる場所に、あれも来る。
使うならここだ。
ケースのストラップを肩で直し、歩幅を変えずに外周へ寄せる。
正面から突っ込むのは馬鹿だ。
見えない場所で組んでから出ればいい。
広告塔の陰。自販機が二台並び、その裏が薄い死角になっている。
そこへ滑り込む。音が一段、遠のいた。
膝をつき、ケースを自分の身体の内側へ引き寄せた。
留め具に指を掛ける。
固い。
昨日もそうだった。硬さの種類まで覚えている。
噛み合いが外れた瞬間、金具が小さく鳴った。一本目。二本目。
その音が、やけに大きく聞こえた。周囲の叫びの中でも、金属音だけが妙に浮く。
喉を鳴らした。
唾が引っかかって動かない。
口を開けても空気が乾きすぎている。
蓋がわずかに浮く。中のスポンジが空気を吸って黒い影が覗いた。
――やめとけ。
頭のどこかがそう言った。
声じゃない。
反射だ。
その反射を無視して手を入れた。
入れてしまった指先が、もう戻せない感じがした。
槍は二つに分かれて収まっている。
上側――刃とクロスバー。
下側――シャフトの主軸。
下側を掴む。
立てる。
膝が勝手に震えた。止められない。
歯が、カチ、カチと鳴った。
「――震えてる。」
昨日は「安い」と思った。欲しいと思った。それだけだったはずだ。
なのに今、駅前で、血の匂いの中で、これを組んでいる。
「……っ」
声が漏れた。
短い息。
笑いじゃない。
泣きでもない。
ただ身体が勝手に出した音だ。
上側を取り出す。刃先はケースの内側に吸い付くように収まっていた。
テフロンが光を拒む。
それが余計に怖い。ちゃんとした道具だから。
接合部に手を添える。チタンの色が冷たい。指先の熱を奪う温度。
差し込む。
回す。
一瞬、噛み合わない。
心臓が跳ね、呼吸が詰まる。指先の震えが止まらない。歯も鳴る。
――やめろ。落ち着け。
誰に言ってるのか分からない。茂は唇を噛んだ。痛みで意識を戻す。
角度を半度ずらして、もう一度。
回る。
締まる。
最後の一段が硬い。
力を入れた瞬間、掌が滑りかけた。
「……っ、くそ」
小さく吐き捨てる。
怒ってるんじゃない。怖いのをごまかしてるだけだ。
震える手首で締め込む、ロックの感触が来た。
カチ、と乾いた音。
一本になった。
全長一九五〇ミリ。長い。思った以上に長い。
こんなものを、人がいる場所で――。
胃がひっくり返るような感覚が来た。
吐き気じゃない。吐けない。身体が固い。
茂は槍を抱えるように支え、ポケットへ手を入れた。
V-Gel。
硬いカートリッジの感触。
一本。
二本。
三本。
数だけ確認して一本取り出す。
キャップを外す。指が震えて上手く回らない。
爪が滑って、樹脂の縁を擦る。
――落とすな。
落としたら終わる。
拾う間に踏まれる。
奪われる。
笑われる。
死ぬ。
茂は息を止めて、今度は両手でゆっくり外した。
刃先のすぐ後ろ。
四つの細孔――インジェクション・ポート。
チャンバーへカートリッジを差し込む。
硬い抵抗。指先が痺れる。
ロックスリーブを押し戻し、右に捻る。
最後に、わずかに噛み合って止まる。
――装填《load》完了。
広場の叫びが一段上がった。
次に、重い衝撃音。何かが倒れる。鉄の塊だ。
茂は死角から覗いた。
大型害獣が駅前広場の中央にいた。
黒い毛の塊。
首を振り、鼻先を地面へ落とし、逃げ遅れた人間へ突っ込む。
踏まれた誰かが動かない。
茂の喉がひくついた。
――無理だ。
一瞬そう思って、すぐ打ち消す。
無理だと思ったままでも、身体は勝手に動く。
ここで逃げたら今日は終わらない。
今夜も終わらない。
槍先が揺れている。視界が少しだけ狭い。
茂は唇を開き、空気を吸った。
歯の鳴りが止まらないまま、槍先を低く落とした。
狙いは獣じゃない。獣が次に向きを変える、その瞬間の「側面」。
刺して、離れる。
刺して、離れる。
――――それだけ。
「……………俺、何やってんだ」
呟きは風に消えた。
それが消える前に獣が頭を振った。
本日もお読みいただきありがとうございます。
少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、
ページ下部の【ブックマークに追加】と、【☆☆☆☆☆】をタップしての評価をお願いいたします!
明日も21時に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします。




