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僕と彼女の猟奇的な日常  作者: nnnkkk


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第0話 異物

規制線のテープは入口を斜めに塞いでいた。


色だけが異様に鮮やかで他はすべて鈍い。

ガラス越しの光も、床に落ちた水も、散乱した展示物だった物も均一に冷えている。

水族館は静かだった。


静かすぎるほどに館内の空気は重い。


湿度ではない。匂いでもない。


音が死んでいる。


床には身体が散らばっていた。


青年。


子供。


老人。


乳児。


衣服は赤く濡れている。

床に広がった赤い水が、ゆっくりと輪郭を歪めていた。


転倒ではない。

重心が抜け落ちた形だった。


歩行が途切れた角度と、抱き上げようとして止まった腕、庇う動作のまま固まった身体。


年齢の差は意味を持たない。


初デートの青年も。

ぬいぐるみを抱えた少女も。

孫と遊びに来ていた老人も。

黄色いワンピースを着た乳児も。


動かない姿勢だけが残っている。


事故の光景には見えなかった、配置されたような違和感が残る。


救急隊員の靴音だけが響く。


ゴム底が水気を帯びた床を踏む乾いた音。

無駄のない移動。

短い指示。


「こちら確認――」


「――心肺停止」


「……搬送対象外」


淡々とした声で感情はない。


少し離れた場所に警察官が立っている。


タブレットにイヤホン。

映像を確認している視線はそこから動かない。



規制線の内側で、

その男だけが異物だった。



血に濡れているわけではない。

傷を負っているわけでもない。


ただそこに立っている。


センターパートの黒髪。

均整の取れた輪郭。

感情の読めない目。


存在そのものが、風景から浮いていた。


館内中央。


大きな水槽の前。


黒い塊が転がっている。

硬質な皮膚と裂けた繊維。

人間の体格を明確に上回る質量を持つそれが、ただ一体。


すでに事切れていた。


一人の警官が顔を上げ男へ一瞬だけ視線を向けると、何も言わず再び端末へ目を落とした。


ざわめき。


規制線の向こう側の生き残った人間達。


「ありえない…」


「見た…」


「見たんだぞ……」


声は低く怒号ではなく、理解を拒否する響きだった。


「なんで………あんな……」


女の声が震えている。


「赤ちゃんを――」

言葉は途中で途切れ、誰も続けず、誰も言い切らないまま。男は振り返らず、反応もせず視線すら動かさなかった。


警察官の端末に映る固定カメラの記録映像には、黄色い小さな影の落下に反応した個体が捕食反射で軌道を変え、その隙に放たれた刺突が、終端へ至る瞬間が記録されていた。


再生が止まり、画面が黒へ戻った。


「…確認しました」


警官の声は極めて平坦で、その瞬間、群衆の空気は今度こそはっきりと拒絶へ変わった。


「人間のやる事じゃない!」


「助けられたからって…」


「だからって……」


論理は崩壊し、言葉だけが溢れていた。


男はようやく口を開いた。

声は低く、温度がない。


「当該状況に対する行動裁量は承認を受けています」


誰も理解しない。


誰も聞いていない。


「規制線内行動権限。証明可能です」


警官はすでに把握しており、端末の表示を一瞥した。


「確認済みです」


それだけ。

ざわめきが歪む。

怒りと混乱が混ざる。


「そんなの関係ないだろ!!」


「赤ちゃんだぞ!!!」


「お前が…………」


男の表情は変わらない。


瞬きすらない。


「対処優先順位は最適だったと考えています」


言葉が空気を凍らせる。


「生存確率の最大化が合理的です」


沈黙。


ほんの数秒。


そして爆発。


「化け物―」


誰かが呟いた。


怒号よりも小さい声。


だが、館内全体へ広がった。


男の中で、何かが僅かに引っかかった。


痛みではない。

後悔でもない。


ノイズ。


一瞬だけ。


胸の奥に残る微細な違和感。


だが、それはすぐに消える。


処理される。


分類される。


「暴言です」

男は警察官へ向けて静かに言った。


その視線が、ゆっくり群衆へ滑る。

「言いたい事はそれだけですか――」


警官は群衆へ視線を向け、「……静粛に」と感情のない声を拡声器で響かせた。

館内は再び静かになった。


水槽のガラスには、槍を持った男が映っていた。


両耳につけたゴールドのリングピアスが、歪んだ光を返す。

立ち姿だけが、異様に完成していた。


この瞬間、その場に理解はなかった。


その視線は、最後まで揺れなかった。


ただ一瞬を除いて。









「僕と彼女の猟奇的な日常」0話をお読みいただき、ありがとうございます。


提示されたのは、彼が辿り着く「ある時点」の光景。

なぜ彼はこの場所に立ち、あのような言葉を交わしたのか――。


次話、第1話より、すべての始まりである「現代」へと物語が動き出します。

この凄惨な未来へ至るまでの道程を見届けたい、彼らに生き延びてほしいと感じていただけましたら、ぜひページ一番下にある【ブックマークに追加】と、【☆☆☆☆☆】からの評価をお願いいたします。


皆様から頂くブックマークや評価ポイントが、この運命を描き切るための最大の原動力になります!


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