ハンナ・ウィリアムズ
今日の夕食は、肉と野菜がたっぷり入ったビーフシチューだった。
バターを乗せたバゲットと一緒に頂く。
疲労感でぼーっとしながらスプーンを動かしていると、隣の席に誰かが座った。
「おつかれ、アリーシャ」
「ハンナ。お疲れ様」
ハンナ・ウィリアムズ。
地方の男爵家の出身で、城のお針子として働いている。
寮の部屋が隣だったため、自然と仲良くなった。
「やだもう。ボロボロじゃない」
「うん…色々あって」
「最近寮にも帰ってきてないし、心配してた」
「ごめん…今日は帰ろうと思ってる」
「そう?ならいいけど。酷い顔してるもの。休むことも大切よ」
「うん、ありがとう」
「それじゃ、様子を見に来ただけだから…またね!」
手を振って、ハンナが去っていく。
彼女が置いていったのか、小さな箱が残されていた。
中には素朴なクッキーが詰まっていて、小さなメモが付いている。
『ちゃんと休むこと!』
くすりと笑って、丁寧に箱を鞄に仕舞う。
少し元気が出た気がして、私は残りの夕食を平らげた。
不思議と、さっきよりも食事が美味しく感じられた。
明日はまた手記の解析をしようと思っていたけれど、休みを貰って息抜きをするか、と思いつつ、空の食器を持って立ち上がる。
少しだけ、体が軽くなった気がした。
✶
寮は、城の敷地内にある。
城の灯りが消えることは無いので安心だ。
増強剤の副作用が出始めたせいで重たい体を引き摺りながらゆっくりと帰路を辿っていると、遠くの方に数名の人影が見えた。
その一団の中心には、豪華なドレスに身を包み、豊かな金髪を揺らす女性がいる。
整った顔立ちに、美しさと聡明さを兼ね備えた瞳。
ベルスター王国第二王女、イーシス・ルーナ・ベルスター。
彼女はピンと背筋を伸ばし、外国の客に庭園を案内しているようだった。
万が一にも目につかないよう、少し道を迂回する。
私はそのまま、寮へ帰った。
城の中で生活している以上、これは珍しくもない出来事だ。
部屋にたどり着く頃、私はもう明日何処に出かけるかを考えていた。
✶
私にとって、魔法薬作りはもはや趣味だ。
しかしそれとは別に、私の心を浮き足立たせるものがある。
それが今なんと、私の目の前にある。
それも、大量に。
私は無言のまま、うっとりとそれらを見つめた。
一つ一つ手に取り、光に透かす。
小さな瓶に入れられたそれは、色とりどりのインクだった。
時間が経つと色が変わるもの、鉱石の粉末が入ったキラキラと輝くもの、書くと透明になり、魔力に反応して浮き出るもの。
心躍るまま、気に入ったものを籠に入れていく。
以前ハンナと来た時は、そんなに買って何に使うのだと呆れられたが、そんな彼女の籠には動物を模した小さな人形が大量に入っていたのでどっちもどっちだろう。
インクに合わせてつけペンも購入する。
紙袋を抱えて店を後にすると、近くのベンチに座ったハンナが、串に刺さったフルーツを頬張っていた。
「わぁ!随分と買い込んだわねぇ!」
「久々だったから、テンションが上がっちゃって…」
呆れたように笑ったハンナが、フルーツの串を差し出してくる。
遠慮なく受け取って口にすると、みずみずしい甘さが口いっぱいに広がった。
「はい、これ」
「なあに?」
「昨日のクッキーと、フルーツのお礼」
「いいの?ありがとう!」
ハンナに手渡したのは、一目惚れしたインクとつけペンのセットだった。
綺麗な焦げ茶のインクは、強弱によって薄くなったところがオレンジ色に変化する。
そして微かに、柑橘系の香りがついていた。
最初に見た時に、まるでハンナそのものだと思った。
ハンナの実家は代々王室御用達のオレンジ農園で、彼女自身柔らかな茶髪に瑞々しいオレンジ色の瞳を持っている。
小柄で働き者、良く気がきいていつも明るい彼女は、実は周囲から人気がある。
孤立しがちな私とは大違いだ。
そんな彼女に、私はいつも助けられている。
「ハンナの方の買い物はいいの?」
「うん!無事に予約ができたから、届くのを待つだけなの」
「じゃあお昼を食べに行きましょうか」
フルーツの串を片付け、肩を並べて歩き出す。
向かった先は、大通りから一本入った所にある小さな食堂だった。
落ち着いた雰囲気で、ゆったりとした音楽と時間が流れている。
揃って入店すると、店主のおじさんが穏やかな顔で席に案内してくれた。
柔らかな日差しが差し込む、中庭に面した奥の方の席だ。
庭には草花が咲き乱れ、小さな池には小魚が泳いでいる。
それを見たハンナが、ランチを注文してからカバンからスケッチブックを取り出した。
おそらく、刺繍の図案を思い付いたのだろう。
ハンナは刺繍が好きなあまり、婚約の話を断って王都に出てお針子になることを選んだ。
長女なのに大丈夫なのかと聞いたところ、ハンナの妹は農業の研究に熱を上げており、むしろ譲ってくれと頼まれたそうだ。
ハンナの妹が品種改良をしたオレンジは栄養価が高く病気にも強くなり、今ではメインで栽培するようになったのだとか。
研究者として、これ以上嬉しいことは無いだろう。
先に運ばれてきた珈琲を飲みながら、ハンナのスケッチを眺める。
ハンナは絵が上手い。
私が書く絵とは大違いだ。
学院にいた頃、後輩に魔法薬に使う薬草の種類を絵に書いて説明したことがあったが、まるで伝わらなかったことを思い出す。
理解できずに申し訳なさそうに引き攣った後輩の顔を思い浮かべ、私は苦笑いを浮かべた。
「できた!ねぇアリーシャ、これどう?」
スケッチブックには草花と小鳥、そして楽しげに泳ぐ小魚のふたつの図案が描かれている。
「この小魚の図案、涼しげでいいね」
「魚がメインの刺繍って中々ないから、目新しくていいと思うの」
「どっちも可愛いけど、これから夏になるしいいと思う。だけどドレスにはちょっと、合わないんじゃない?」
「うーん、そうねぇ。服に使うとしても普段着のワンピースにならいいかしら。裾にぐるっとお魚の刺繍、可愛いと思わない?」
裾にぐるりと一周、小魚が泳ぐワンピース。
動く度に揺れ動いて、それはとても可愛いかもしれない。
話しながら、ハンナはササッとペンを動かす。
あっという間に書き上げられたそれは、想像した通りとても可愛い。
川の流れのようにうねった青いラインの周りを、小魚が楽しげに泳いでいる。
ところどころアクセントのように小さな花が散りばめられており、私は思わず感嘆の声を漏らした。
そうこうしているうちに、ランチが運ばれてくる。
この店のランチは一種類だ。
カリカリのベーコンと卵焼き、レタスの挟まった分厚いサンドイッチに、ミニトマトの乗ったサラダ、優しい味わいの野菜スープに、カットされたオレンジ。
そう、ここはハンナの実家、ウィリアムズ男爵家が運営する店なのだ。
ハンナの親戚でもあるおじさんは、いつもサービスでオレンジを一切れ多くしてくれる。
「おじ様ありがとう!頂きます!」
「いつもありがとうございます。頂きます」
「ごゆっくりどうぞ」
おじさんはにっこりと微笑んで、静かにカウンターに戻っていった。
「ワンピース、完成したらアリーシャにもあげるわね」
「いいの?」
「もちろん。というかアリーシャ、私がいないと私服すらまともに選ばないじゃない」
「う…いつも助かるわ」
「いいのいいの!ハンナ様に任せなさい!」
ハンナはそう言って笑い、サンドイッチにかぶりつく。
私もゆっくりとサラダに手を伸ばした。
ランチの後は古本屋や手芸店を巡り、夕方になってから私達は帰路に着いた。
見知った顔の門番が、にこりと笑って通行証を確認する。
「楽しかったかい?」
「もちろん!」
「ええ、とっても」
軽く手を振って、食堂へ向かった。
今日のメニューは、二枚貝のパスタだった。
じゃがいものポタージュとサラダが添えられている。
「良かったわね!このパスタ、アリーシャの好物じゃない?」
「ええ。今日はラッキーね」
ニンニクとトウガラシがピリリと効いた、二枚貝の出汁が香るパスタは、母も大好きだった。
一度、父が食べているものに手を出したことがある。
辛いものが好きな父用に作られた別皿のパスタは、幼い私には辛すぎた。
大泣きした私を母は困った顔で抱きしめ、父は大笑いしていたのを覚えている。




