検証
遠くの方で、姉が怒っている。
私のことを呼んでいる。
私はそれを無視して、兄の背を追ってひたすら草原を走り回っていた。
しばらくすると諦めたのか、姉の声が聞こえなくなる。
振り返ると、姉は木の下で私の母の膝に乗り、一緒に本を読んでいた。
降り注ぐ日差しが、二人の美しい金髪を照らす。
隣に気配を感じて見上げると、兄が立っていた。
艶やかな黒髪がキラキラと光っている。
私を見下ろして、兄がにっと笑みを浮かべた。
お前も行くか?と、そう言われる。
そして───。
昔あった、出来事の夢だ。
目を覚ました時、時計は昼の一時を指していた。
どうやら一時間ほど仮眠していたようだ。
懐かしさに胸が締め付けられ、涙が一雫ぽろりと落ちる。
あの後、どうしたのだろうか。
ずっと小さい頃の出来事だ。
覚えていなくとも無理はないが、どうしようもない寂しさが込み上げてくる。
時計の音が微かに響く静まり返った部屋で、私は毛布を抱きしめて膝に顔を埋めた。
美しかった母は、美しい結晶になった。
冷たく、透き通った、それはそれは美しい、聖霊石の結晶に。
冷たい水で顔を洗い、私は鏡を見つめた。
ボサボサになった黒髪、目の下に浮いた隈。
我ながら酷い有様だ。
化粧は元々していない。
不健康に真っ白な肌は若干かさついている。
ため息を吐き、化粧水を雑に塗りつけて馴染ませた。
分厚いメガネをかけ直す。
そしてまた、机に向かった。
✶
解読し直した計算式を用いて作製した魔法薬。
身体の麻痺を緩和させるこの薬が、聖霊の病にどう影響するのかを確認しなくてはならない。
完成した魔法薬を保存瓶に移し、私は厳重に鍵のかかった引き出しから、ひとつの箱を取り出した。
中はビロード張りになっており、透き通った青緑の結晶の欠片が納められている。
普通の聖霊石に見えるが、これは本物の、聖霊の病で死んだ者の体の一部だ。
全身が結晶化した者は、墓に入る代わりに国の中央大神殿に安置される。
しかし貴族ならともかく、平民はこうもいかない。
心無いものによって砕かれた結晶は、裏のルートで高額で取引される。
不純物が混じることもある天然の聖霊石とは違って、聖霊の病によって生まれた結晶は純度が高く、質が良い傾向にあるからだ。
国はこの結晶が流通することを、若干黙認している節がある。
長い歴史の中で、いくら取り締まっても無くなる事がないからだ。
そのお陰で今、私の手元にこの欠片がある。
結晶を前に、私は静かに祈りを捧げた。
この欠片が、どんな事情で流通ルートに乗り、ここに辿り着いたのか、私は知らない。
この人が生前、どんな人物だったのか、何をしていたのか、何も知らない。
だがこの欠片のお陰で、治療薬の糸口が掴めるかもしれない。
しばらく祈った後、私は顔を上げた。
そっと箱から出した結晶を、静かに机の上の台に置く。
そして新しく解読した計算式を使って作り上げた魔法薬を一滴、結晶に垂らした。
しばらく観察をし、メモを取る。
普通に垂らしただけだと、変化はない。
次に、加熱魔法をかける。
変化なし。
冷却魔法、変化なし。
思いつくかぎりの魔法を、片っ端からかけて反応を見る。
薬を垂らす、魔法をかける、観察をする、メモを取る。
魔力が少なくなる度、増強剤を飲んだ。
✶
数時間後、既に日は落ちかけ、窓の外が茜色に染まっている。
凝り固まった肩をほぐし、伸びをした。
机の上は、空になった増強剤の瓶とメモでぐちゃぐちゃになっている。
今回の検証では、何の成果も得られなかった。
結晶はなんの反応も見せず、美しい輝きを保ったまま沈黙している。
私はゆっくりと立ち上がり、結晶石を元の保管場所に戻した。
メモを整理し、不要なものを炎魔法で処分する。
大量摂取した増強剤の副作用が本格的に出る前に、夕食を取って帰ろう。
私はがっかりした気持ちを押し殺し、重い足取りで食堂へ向かう。
明日はまた、手記の解析から始めなければ。




