第一章:平凡な日常と奇妙な夢(完)
週明けの月曜日。空は鉛色の雲に覆われていた。
雨が降るわけでもなく、かといって晴れる気配もない。けだるい空気が校舎の隅々まで染み込んでいるような午後、屋上の出入り口前──普段は誰も立ち入らない非常階段の踊り場に、8人の生徒たちが集まっていた。
西原創、沢村聡美、飯島朋春、松岡田ゆり菜、庄司紳太郎、橋詰可那子、堀越祐士、石原田輝江。
彼らは、互いの目を見つめる。
最初に口火を切ったのは、創だった。
「この一週間……ずっと同じ夢を見てる。俺だけじゃないって気づいたのは、偶然だったけど……でも、これって、偶然なんかじゃない」
彼の声は低かったが、芯があった。
隣に立つ聡美が、小さくうなずく。
「白い部屋。銀色の髪の女の人……『八徳の徳を以って姫を救え』って声。……全部、一緒だったよね」
沈黙の中で、皆が互いの顔を確認するように視線を交わした。
その表情は驚きと困惑、そして何よりも──“安堵”を帯びていた。
松岡田ゆり菜が、ノートを取り出して広げた。夢の中の姫の姿を描いたスケッチがページに並んでいた。
「私は……夢から覚めた直後に描いてた。忘れないように、怖かったけど。でも、描いてるうちに……だんだん現実かどうか分からなくなって……」
その言葉に、可那子が頷く。
「私も。描かずにいられなかった。夢の中で感じた、あの静けさが、すごく強くて……」
「でも、静かじゃなかっただろ? あれは、何かがおかしい。間違ってる」
庄司が低く呟く。その横で、朋春がぽつりと付け加えた。
「姫が……壊れていってる気がした。昨日の夢では、血が……」
皆が息を呑んだ。
それは誰もが見た、昨夜の“異変”だった。
いつもと同じ夢。だが、姫の額には深く刻まれた裂け目があり、白い空間にうっすらと赤がにじんでいた。何かが進行している。悪い方向に。
「……あれってさ、放っておいていいことじゃないと思うんだ」
堀越が真面目な顔でそう言ったのを見て、他の数人は少し驚いたようだった。だが、その目にはいつもの軽薄さはなく、しっかりとした危機感があった。
「俺、最初はただの変な夢だと思ってた。だけど昨日、夢から目覚めた瞬間、涙が出てた。……訳わかんなくてさ。だけど、怖くて……このままじゃマズいって、初めて思った」
しばらく誰も口を開かなかった。
風が吹き抜ける。屋上から見下ろすグラウンドには、遠くで部活を終えた生徒たちがちらほらと動いている。
その風景が、どこか現実味を帯びていなかった。
やがて、石原田輝江がゆっくりと口を開いた。
「……“八徳”って、きっと本当にあるものだと思う。私は、それを探すために……調べた」
彼女は小さなメモ帳を取り出し、そこに記された八つの文字を見せる。
「仁、義、礼、智、信、忠、孝、悌。……これは、古代中国の思想で、徳の基本。これが……何かの鍵になってる気がする」
誰もがその紙を見つめていた。
「だけど、それって……どうやって“使えばいい”んだ? 言われただけじゃ、何をすればいいのか……」
紳太郎が腕を組み、唸るように言った。
そこへ、創が小さく息を吐いて前に出た。
「俺たちで、試そう。……それぞれが、この“八徳”のひとつを引き受けて、調べて、実践してみる。何かが変わるかもしれない」
聡美が顔を上げる。
「……自分が変わることで、夢も変わるかもってこと?」
「わからない。でも、このままじゃ姫は……きっと、壊れてしまう」
創の言葉に、誰もが口を閉ざした。
その背後で、灰色の空が、わずかに色を変えはじめていた。
──第一章:終