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第一章:平凡な日常と奇妙な夢(03)

 ──風が止んでいた。

 いつもなら午後のグラウンドを横切る爽風が、今日はぴたりと息を潜めていた。

 体育館裏に続く細い通路。その壁に寄りかかって、庄司紳太郎は深く息を吐いた。手の中には握りしめたスポーツドリンク。体育の授業後、身体は熱を帯びているのに、心は妙に冷えていた。

(また……同じ夢)

 あの夢を見た夜は、決まって呼吸が浅くなる。目覚めても胸の奥がざわついて、落ち着かない。

 ──八徳の徳をもって、姫を救え。

 その言葉は、まるで呪いのように耳に残る。

 夢で見る姫の姿は、何かに取り憑かれたように美しく、同時に恐ろしくもあった。表情を見せぬその横顔に、彼はなぜか「悲しみ」を感じていた。

 その悲しみが、理由もなく自分に突き刺さってくるのだ。

(誰かを救うなんて……俺にできるのか?)

 庄司は、いつも挑戦してきた。マラソン大会では学年トップ、テストも常に上位、部活動では主将として後輩の面倒を見る。

 「自分の限界を超える」ことに生きがいを見出していた。

 ──だが、その夢は違った。

 何度挑んでも、姫には手が届かない。叫んでも声は届かず、走っても走っても、距離は縮まらない。

 その無力感に、彼の中の「信念」は次第に傷つき始めていた。

「庄司くーん、まだいたの?」

 振り返ると、橋詰可那子が立っていた。手には美術室から持ち出したスケッチブック。制服の袖が絵具で汚れていた。

「……ああ、ちょっとな。サボってるわけじゃないぞ」

「そんなのわかってるって。庄司くんがサボるわけないし。顔、なんか沈んでたからさ」

 言われて、彼はようやく自分の表情が曇っていることに気づいた。

 可那子は壁にもたれて座ると、スケッチブックを開いて庄司に見せた。

 描かれていたのは──夢で見た“姫”。

 銀髪の、静かに眠る女性。眼差しを閉じたその横顔は、まるで息をしていない人形のようだった。

 彼の背筋に、ぞくりと冷たいものが走る。

「これ……」

「……描いたの。夢で見たのよ、毎晩、ずっと。同じ人が、同じ場所で、同じ風に倒れてて。黒い何かが、上から見てて」

 声は淡々としていた。だが、その指先は震えていた。

 恐怖を隠すように、可那子は言葉を続けた。

「私、何か描かなきゃって思って、止まらなかったの。描きながらも、ずっと不安だったけど……でも、誰にも言えなかった。変な子だと思われるの、イヤだったから」

 庄司は、しばらく沈黙したままスケッチを見つめていた。

 確かに、彼が夢で見た“姫”と同じだった。角度も髪の流れも、異様なまでに一致していた。

「……俺も、見てるよ。たぶん、同じ夢」

 可那子は一瞬目を見開き、それから目を伏せた。

「……そっか。私たちだけじゃないんだ」

 その一言に、まるで張り詰めていた糸がゆるむような、そんな柔らかさがあった。

 夢で繋がった見えない糸が、現実の二人をも近づけていく。

 その日の放課後──

 校庭の隅のベンチで、堀越祐士はスマホで株価アプリを眺めていた。

 財布は空っぽ。昼のパンも誰かにもらった。なのに、彼の表情にはまったく焦りがなかった。

(……昨日の銘柄、上がってんじゃん。やっぱ俺、センスあるな)

 自己肯定感の高さは、誰にも負けない自信があった。

 だが、最近──その彼ですら、ほんの少し、自分を疑いはじめていた。

 ──夢のせいだ。

 「八徳」? 「姫を救え」? 最初はファンタジー小説でも読んだ残りカスかと思っていた。けれど、それが毎晩続くと、話は変わってくる。

 あの夢の中、彼はなぜか何もできなかった。

 叫んでも、逃げても、何も変わらなかった。自分の自由な発想も通じず、ひたすらに無力だった。

(……あれが、現実だったら?)

 冗談じゃねぇ、と笑い飛ばそうとしたとき。後ろから声がかかる。

「……あなたも、見てるんでしょ。あの夢」

 振り向くと、石原田輝江が立っていた。

 人間関係を避け、常に一人で図書室にいる“近づきづらい存在”だった彼女が、なぜかまっすぐ祐士を見ていた。

「……へぇ、なるほど。アンタも、か」

 珍しく真剣な声で、祐士はスマホをポケットにしまった。

 そして初めて、自分の“怖さ”を、誰かと共有した気がした。

──つづく


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