40. 魔法のような
ダニエルの様子を見てくすくすと笑っていると、彼は少し唇を尖らせて、こちらに視線を寄こす。
その表情の気安さから、とりあえず、今のところ問題はない、と結論付けたらしい。
そこでふと思いつき、訊いてみる。
「そういえば、頼んだ本が届かないの」
「本?」
「ええ。なんでも支給されたのに、その本だけが届かないの。王家の命令?」
「命令といえば命令ですが……。特に本などは、リストアップして、届けないように指定されたものがあるんです。その中の一冊だったんじゃないでしょうか」
「なるほどね」
元々、危険そうな本は届けない、と指示があったのか。では今、警戒しているというわけではないのだろう。
もし堰き止めたのが公爵家だとしたら……それをしたのが誰であれ、あの様子では王家に報告はしないだろう。
そう結論付けて安心するわたしに、ダニエルは問うてくる。
「ちなみに、どんな本だったんですか」
「古代ファラクラレ語の本」
すると、彼は眉根を寄せた。
「それは王家でなくとも、公爵家でも届けないようにするでしょう。直結で魔女を想像するものです」
「無駄だったみたいだけど」
「そのようですね……」
それからダニエルは、すっと立ち上がると、一礼する。
「では、私はこれで。また来ます。ケーキを持って」
「あら、また来るの?」
「いずれにせよ、橋渡し役は必要では?」
その問いに、斜め上を見て考えたあと、ひとつ頷く。
「それもそうね」
「王家に報告するかどうかは、様子見ですがね……」
とりあえず、今のところは黙っておくと決断したらしい。
そうして彼は、力ない足取りで塔を去っていく。
「やっと帰りましたね」
カレルがそう声を掛けてきて、わたしは顔を上げる。
「相変わらず、気に入らないの?」
「……まあ、お嬢さまが信用するというのなら、僕も信用しますが……」
そうブツブツと文句を言っている。
彼の意に沿わないようだけど、仕方ない。
「今のところは信用に値するとは思っているわ。確かに橋渡し役はいたほうがいいだろうし」
「そうですか……」
苦渋の表情を浮かべて、そうつぶやく。なにやら葛藤しているらしい。
わたしはテーブルに頰杖をつくと、ため息交じりに零す。
「それに、ある程度の監視は仕方ないのかしら、という気はしているのよね」
「え? どうしてですか」
「だって、あんまり力が強いから」
日に日に、これはわたし一人で扱えるものではないのでは、という気持ちが湧きあがってきている。
今のところ、ヤナがわたしの防波堤になってくれているが、他にもあったほうがいいのではないか。
「『世界を滅ぼせる力』は、わたしの手に余るわ」
カレルはわたしの話を聞くと、うーん、と考え込んだあと、口を開いた。
「でも、『世界を滅ぼす』のではなく、『世界を滅ぼせる』という話でしょう」
あのおとぎ話に、書かれたことによれば。
「ならば、滅ぼそうと思わなければ、特に害はないんじゃないですか? だってお嬢さまは、滅ぼしたくはないと仰いました」
「まあ、そうなんだけど」
「お嬢さまはお優しいから、大丈夫ですよ。『黒き魔女の魂のカケラ』が宿ったのがお嬢さまで、世界は本当に幸運でした」
そう言って、うんうん、と頷いている。
「世界なんて滅びてしまえ、って人だと大変でしたよ」
それを聞いて、以前、わたしが結界を破ったときに、『滅ぼせますよ、世界』とカレルが言ったことを思い出す。『僕はいつでも本気です』とも付け加えていたっけ。
カレルだって、あのおとぎ話にはいろいろ思うところがあるようだし、苦労もしてきた。命の危険すら感じていたようだし、案外、世界を憎んでいるのかもしれない。
わたしは恐る恐る、尋ねてみる。
「カレルは……世界を滅ぼしたい……とは思わないの?」
「いや、別に」
あっけらかんと返答してきた。どうしてそんなことを訊かれたのかわからない、といった顔だ。
「恨みはないの? 先祖たちが迫害されていたこととかに」
「恨みは……ないですね。なにせ、八百年前の話ですから。ただ、ずっと昔に先祖たちに縁があったことを知りたいと思って」
そして口元に弧を描く。
「それから、家族が脅かされずに過ごせればそれで」
そうだった。彼には守るものがあるのだ。
世界を滅ぼしたいなんて、思うはずがない。
安心したわたしは、彼に茶化すように話しかける。
「わたしが魔法を使えるようになってよかったわね」
「どういう意味ですか?」
「だって、たとえ王家がカレルたちに危害を加えようとしても、守ってあげられるわ」
「それは助かりますが、別にそのために、お嬢さまに魔法を使ってもらおうと思ったのではないですよ」
魔法で自分たちを守ってもらうことが、彼の目的のひとつだと思っていた。だってあんなに、わたしに魔法の勉強をさせたがっていたから。
「でも、わたしに執拗に魔法を使わせようとしていたじゃない」
「だって見たいじゃないですか」
「それだけ?」
「それだけです。単純に、魔導書を読むのは楽しかったので、実現できるなら見てみたいと思うのは、人情というものでしょう」
心の底から、本当に変人だったのか。
「でも、僕たちは所詮、魔女の弟子の末裔ですから、『黒き魔女の魂のカケラ』をお持ちのお嬢さまのご意向には従います」
そう言って、意思表示のつもりなのか、胸に手を当てて頭を下げる。
「わたしが、世界を滅ぼしたいと言っても、従うの?」
「僕はどちらでも構いませんよ。お嬢さまが思う通りになさいませ」
諫めるという選択肢はないのか。そこまで従順だと、逆に不安になる。
「カレルはいいの? そんなので」
「言ったでしょう。『なんなりとお申し付けくださいませ』」
「……やっぱりやめておくわ。今のままで満足だもの」
「それはよかったです」
最初から、わたしが世界を滅ぼしたいと考えるとは思っていなかった、ということだろうか。彼は落ち着いた様子で頷いた。
そして続ける。
「お嬢さまは、魔法を自身のために使えばいいですよ。たとえば、外に出なくていいんですか。あれからも塔で暮らしておられますが」
「まあ……怖がる人がいるというのもわかるから。実際、『世界を滅ぼせる』力もあるようだし、大人しくしているわ」
わたしの返答に、不満げに唇を尖らせて返してくる。
「せっかく結界を破ったのに」
「そうねえ。たまには街に出てみたい、くらいかしら」
「そうですね、それくらいは自由にしてもいいと思います」
「あと、カレルの家の魔導書を見てみたいわ」
「いいですね、未解読のものを解読してもらえると嬉しいです」
「地下室にすぐに行けるといいのに」
「では、転移魔法はどうですか。未解読のものの中にあるといいですが。お嬢さまが開発されても」
「面白そう」
未来を口にすることが、こんなに楽しいものだとは思っていなかった。
ずっと自分の行く末を呪うばかりだったのに、わたしにこんな日が来るなんて。
その喜びをもたらしてくれたのは、間違いなく、隣にいる人だ。
なにかお礼がしたい、と思いついたわたしは、彼に質問してみる。
「カレルはないの」
「なにがです?」
首を傾げて、続く言葉を待つカレルを、覗き込むようにして、言う。
「望みよ。魔法でできるかどうか、考えてみてあげる」
ダニエルは、願いは自分で叶えたいと言っていたっけ。
カレルはどうかしら、と思って訊いてみたのだが、彼は首を横に振った。
「僕は、一生お嬢さまにお仕えできれば、それで幸せです」
「一生?」
「一生です。『天に昇るまで』」
確かに、『白き魔女』はわたしを『天に昇るまで』閉じ込めたかったようだけど。
カレルもそれに付き合うつもりなのだろうか。
わたしと二人で、生涯をともに歩くと。
「それ、本気で言っているの」
「いやだなあ、お嬢さま」
カレルは眩しそうに目を細め、わたしをまっすぐに見つめる。
「僕はいつでも本気です」
その言葉には幸福感が溢れていて、わたしの両の口の端は、自然に上がった。
「そう。じゃあお願いしようかしら」
「仰せのままに」
それからカレルは胸に手を当て、わたしに向かって腰を折った。
楽しげな声が塔の庭に響いている。賑やかなピクニックは開催中だ。入り口の門は開け放たれて、訪問者を拒みはしない。
そして、いつだって隣には、好きな人がいる。
この日常こそが魔法のようだわ、とわたしは暖かな日差しの中で、幸せな気持ちを抱いて目を閉じる。
そのとき吹いた一陣の風が、わたしの黒い髪を柔らかく、優しく揺らした。
了
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