22. 隠しごと
「もう、あいつは塔に迎え入れないようにしましょう」
テーブルの上の欠けたカップを片付けながら、憤慨した様子でカレルは言った。
「なにを言われたのか知りませんが、お嬢さまに嫌な思いをさせるだなんて、言語道断です」
わたしはその文句を、彼の背中を眺めながら、ソファに座ってぼうっと聞いていた。
やっと現れた、わたし自身を見てくれる人。
でもわたしのほうは、彼自身を見ているのだろうか。与えられるだけで、与えてなどいないのではないか。ただ、自分にとって都合のいい人だから、いて欲しいだけなのではないか。
わたしがそんなだから、噓をつかれても仕方ないのかもしれない。
それでもやっぱり、疑惑など抱かず無警戒で、本当の言葉で語り合うことができたなら、と願ってしまう。
話し合おう。今すぐに。わたしもわたしの言葉で語らなければ。
そう決心したのに顔をちゃんと見る勇気は出せなくて、ソファの上で膝を抱えて、頭を足に押し付けて、彼の顔を見ないまま、質問を投げかける。
「カレルは……わたしに噓をついていることはない?」
カチャンとカップが小さな音を立て、彼が身体を揺らしたのがわかった。
やっぱりあるのか。
ゆっくりと顔を上げると、戸惑うように目を泳がせるカレルがそこにいた。
しばらく逡巡したのち、彼は躊躇いを滲ませながら、口を開く。
「些細な噓は……ついています」
「些細なの?」
「噓は……そうですね、きっと些細です」
そして小さく息を吐きだし、そのついでのように明かした。
「でも、黙っていることが、あります」
「そう」
「隠しごとがあるから、取り繕うために、どうしても噓が出てきてしまう」
噓などついていない、と言えばよかったはずなのに、カレルが選んだその返答は、真摯にわたしの質問に答えようとしているものかもしれない。
でもその態度すら、演技の可能性だってあるのだ。
「ヤナが辞めるかもしれない、とわたしに言ったのは、なぜ?」
わたしが最初に噓だと感じたことを尋ねてみる。
やはりカレルは目を逸らした。
その態度が、悲しい。悔しい。苦しい。
どこまで疑えばいいのか、どこまで信じればいいのか、まるでわからない。
いろんな感情がないまぜになって、わたしの目から静かに流れ落ちてくる。
「答えられないのね」
「……すみません」
今彼は、おそらく正直に応じてくれている。
だとすれば、噓をつかないためには、沈黙を貫くしかないということだ。
その事実は、隠しごとがあるということが真実なのだと教えてくれる。
もう、涙を止めることはできない。
「わたしはいったい、なにを信じればいいの? なにも信じられなくなっているの」
「お嬢さま」
カレルはわたしの前に膝を進めて跪く。
「お嬢さまに嫌な気持ちを味わわせてしまっているのは、あいつではなく、僕なんですね。申し訳ありません」
そんなことはないわ、と返すことはできなかった。わたしはただ、膝を抱えたまま、涙を流し続けるだけだ。
カレルは密やかに、わたしに対する答えを舌に乗せた。
「お嬢さまは、ご自分を信じてください」
「自分……」
「そうです。ご自身の感覚を信じてください」
ただただまっすぐな言葉が、わたしに向かって発されている。
「だから、なんなりとお申し付けください。僕はお嬢さまの望む通りに尽くします。僕を信じられないから出ていけというのなら、それに従います」
出ていけ、という言葉に、身体が揺れた。
「僕がなにかを秘密にしていることには、お気付きだったんですね。そのせいで不安を感じているというのなら、なんでも訊いてください。覚悟を決めて、お答えしますから」
「なんでも?」
「はい、なんでもです。その結果、僕を側に置きたくないというのなら、甘んじてその結論を受け入れます」
「本気なの?」
「僕はいつでも本気です」
いつもの明るい笑顔ではなく、少し寂し気に上がった口角に、胸の中にもやもやした不安が広がる。
「その秘密を聞いたら、カレルは去ってしまうの?」
「僕から去ることはしません。お嬢さまが望まない限りは、傍にい続けたいと思っています。これは絶対です」
だが、カレルはそこで目を伏せた。
「ただ……ヤナにはその可能性が、あります」
また薄暗い塔の中で、一人でベッドに潜って泣いている自分が思い浮かんだ。
「……今、訊いても答えるの?」
「今でもいいですが、今じゃなくても、お嬢さまの訊きたいときに、いつでも」
「自分からは言いたくないのね?」
「まあ……そうですね。申し訳ありません」
くしゃっと歪ませた泣きそうな顔で、カレルはそう謝罪を口にする。
「正直なところ、このままなにも起きず、秘密を胸の中に抱えたままで過ごせないかと思っているのです。都合のいい願望ですが。でも、お嬢さまがお訊きになるのであれば、そのときは絶対に答えます。これが今の僕にできる、精一杯の誠意です」
その覚悟は、わたしにはまだない。
訊けない。なにも。
「今はまだ……いいわ」
「そうですか」
カレルはただ、そう短く返してきただけだった。




