21. 善人だろうと悪人だろうと
ダニエルが塔にやってくると、カレルはすぐさまわたしにハンドベルを持たせた。
「次回も持たせていい、とお言葉をいただいておりましたので」
カレルがそう釘を刺すと、ダニエルは苦笑交じりで答えた。
「前回、確かに言いましたね。もちろん構いませんよ」
そんなやり取りをして、二階の客室に彼を通すと、わたしたちは向かい合って座る。
「いやはや、ずいぶん過保護だ」
どこか楽しそうにダニエルは言った。
「過保護というより、あなたに信用がないのではないの」
「これは手厳しい」
さして不快にも感じなかったようで、軽い口調で返してくる。
くだらない言葉遊びなど時間の無駄でしかないので、わたしは次の話題に入った。
「あれからも、警備の者は配備されていないみたいね。ヘイグ家には指摘しなかったの」
ダニエルが異様だ、と評したから、もしかすると門の前に警備兵でも立つかと思っていたのだが、塔のてっぺんから見ていても、誰かがやってくる様子はまったくなかった。
その疑問にダニエルは肩をすくめる。
「ええ。だってなんて言えばいいんです? 『魔女がいるのだから逃げないように、ちゃんと警備しろ』って? 馬鹿馬鹿しい」
「それもそうね、あなたは魔女の存在を信じていないようだし」
納得して頷くと、ダニエルはなぜかため息で返してきた。
「あの従者がツェツィーリエ嬢の心配をするのもよくわかりますね。過保護にもなるはずだ」
「え?」
「今だけではありません。私の言うことを、素直に信じすぎではないですか」
「噓なの?」
「いいえ、噓などついていません。でも、私のこの言葉だって、信じてもいいんですか? ツェツィーリエ嬢はこの塔から出ないのですから、裏の取りようがない。つまり、噓をつき放題なんです」
そしてこちらを覗き込むようにして続ける。
「ツェツィーリエ嬢がいつかこの塔を出て、貴族社会で生きていくのなら、それでは足を掬われる」
「貴族社会で生きていく……」
確かにわたしは、ヘイグ公爵家の長女だ。もしもこの先、魔女などいない、という見解が完全に浸透すれば、わたしは普通に公爵令嬢として生きていくようになるのだろう。
問題は、そんな日がやってくるとは思えないことだ。
「わかったわ。ご忠告、ありがとう」
適当な返事が気に障ったのか、ダニエルはさらに続けた。
「たとえば、あの兄妹」
説明するための選択肢にカレルとヤナを持ち出してきたことに、わたしは眉を顰める。
「彼らが、どうかした?」
「もし私と裏で繋がっていたとしたら?」
「え? まさか」
突然言われた言葉に、わたしはパチパチと瞬きをしてしまう。
ダニエルはわたしの返答に、片方の口の端を上げた。
「ええ、そうでしょう。まさかと思うでしょう。それはツェツィーリエ嬢の視点だ。だが、我々が三人で口裏を合わせて、皆でツェツィーリエ嬢を騙そうとしていたら? それを確認する術は、ツェツィーリエ嬢にはない」
確かに、彼らは一日中、わたしと一緒にいるわけではない。どこかで密やかにダニエルと共謀していても、わたしにはわからない。
ダニエルでなくとも、たとえばカレルたちがヘイグ公爵家から、なんらかの依頼を受けていたら。わたしにはそれを知る術はない。
……そんなこと、わざわざ言わなくてもいい。
その可能性には、本当は心の奥底では、気付いているのだから。
「貴族社会では、これくらいの計略は当たり前に行われています。それはもう、嫌というほど。もう少し慎重になったほうがいいかと」
「馬鹿なことを言わないで!」
わたしが勢いよく立ち上がったはずみで、紅茶のカップが倒れて、ガシャンと派手な音を立てた。
「どうしてわざわざ亀裂を入れようとするのっ?」
「いえ、そんなつもりは」
ダニエルは、珍しく狼狽したような声音を出している。
「落ち着きましょう、ツェツィーリエ嬢」
「わたしは落ち着いているわ!」
そんなわけはない。けれど反論せずにはいられなかった。
なんにも知らないくせに。わたしの孤独が、お前なんかにわかるものか。
そのとき、ノックもなしに、バタンと客室の扉が勢いよく開いた。
「お嬢さま! いかがなさいましたか!」
「カレル……」
彼はわたしとダニエルを見比べたあと、テーブルの上に視線を移した。
そしてわたしの側まで歩み寄ると、きっぱりとした声でダニエルに言い放つ。
「お引き取りいただけますか?」
「ベルは鳴らされていないけれど?」
鼻で笑って返された返事をひったくるように、カレルは重ねて言った。
「今日のところはお引き取りください」
「まあ、そうさせてもらいましょう。今日のところはね」
ダニエルはソファから立ち上がり、大人しく部屋を出て行こうとした。
しかし、一歩出たところで、振り返って口を開く。
「どうやら誤解させてしまったようです。私としては、ツェツィーリエ嬢のためを思って言ったつもりだったんですが。言い方を間違えましたね、申し訳ありません」
わたしは返事をしなかったが、ダニエルは紳士的に一礼して、今度こそ立ち去っていった。
「お嬢さま、なにがあったんです?」
心配そうに眉を曇らせ、カレルが尋ねてくるが、わたしは首を横に振ることしかできなかった。
よくよく考えてみれば、ダニエルが語ったことは、あくまでも一般論だ。彼が言うように、『誤解』だったのかもしれない。
でもわたしは、せっかく手に入れた宝物を、奪われるような気がしてならなかったのだ。だから威嚇した。
なにも言わずにわたしを見つめるカレルを見上げる。
彼はわたしを騙しているのだろうか。わからない。それ以上に、知りたくない。
なにか彼が噓をついていたとしても、わたしは見ないふりをしてきた。
だって本当は、わたしは無条件にカレルとヤナを信用したわけではない。
単純に、寂しかったからだ。
警戒してしまったら、一人になってしまうからだ。
もしダニエルが先に来ていたら、わたしは彼を信用しきっていただろう。
そして何度でもこの塔に来てもらっていただろう。
もしかしたら最初から、この客室に通したかもしれない。
善人だろうと悪人だろうと構わない。誰かが傍にいてくれれば、それでよかったのだ。
自分の都合がいいように、私は兄妹を受け入れたのだ。




