19. ピクニック
一階で食事をしていると、どうしても玄関の扉が目に入る。
あんなにここに閉じ込められていることを嫌だと思っていたのに、どうして出られると気付いた今、行動を起こせないのだろう。
別に、逃げ出さなくてもいい。ほんの少し、出るだけでいい。
ヘイグ公爵家の屋敷にまで歩いていって、自分からお父さまやお母さまに会えばいい。
それはとても簡単なことのように思える。
でもどうしても、試してみようという気になれない。むしろどうして気付かされてしまったのか、という気分になっている。
やっぱりこの塔を出てからのことを、心配してしまっているのだろうか。
もし、誰かに非難されたら。もし、両親に拒絶されたら。
わたしはもう二度と、立ち直れないのではないだろうか。
ダニエルが先日やってきたときから、わたしはずっとそんなことばかり考えていた。
「食が進みませんね。朝も残しておられましたし。ご気分でも悪いのでは?」
ふいに声をかけられ、わたしは慌てて顔を上げる。
ヤナが心配そうに眉尻を下げて、こちらを見つめていた。
「えっ、いいえ」
でもずっと頰杖をついて、フォークで白身魚のソテーをちょんちょんとつつくだけになっていた。お行儀が悪いにも程がある。
「気分が悪いなんてことはないわ」
なんとか笑顔になるように口元に弧を描くが、ヤナはますます心配そうな表情になってしまった。
「失礼」
彼女はわたしのほうに手を伸ばして、額に手のひらを当てる。
「お熱はないようですが」
「わたし、身体が丈夫みたいなの。寝込んだことなんてないわ」
「それはいいことですね」
うんうん、と頷くと、ヤナは手を離す。
それから斜め上を見てしばらく考え込んだかと思ったら、パッとわたしのほうに上体を傾けて、口を開いた。
「お嬢さま。私以前、塔のてっぺんでピクニックをしましょうと言いましたよね」
「ああ……言っていたわね」
「しましょう」
「ピクニックを?」
なにを突然、突拍子もないことを。
しかしヤナは熱心に言い募る。
「今こそ開催するときです。今日はとても天気がいいですし」
「そうねえ……」
乗り気でなさそうなわたしを見たからなのか、ヤナは重ねて言う。
「気分転換は大事です」
わたしの様子がおかしいから、気を使ったのだろうか。
それなら拒否するのも悪い気がする。
「まあ……いいけど……」
「決まりです」
間髪を入れずにそう断じると、ヤナはテーブルの側を離れ、階段入り口に向かうと大声を上げた。
「兄さーん! 兄さーん!」
二階の掃除をしていたカレルを呼びつけている。返事はすぐに返ってきた。
「なにー?」
「お屋敷に行って、私たちのご飯を取ってきてください!」
「えー?」
「ピクニックです!」
「えー?」
なんのことかわからなかったのか、カレルは掃除道具を持って下りてきた。
「ピクニック?」
「ここの屋上で、お嬢さまとピクニックです」
ヤナのその簡潔な説明を聞いて、カレルはすぐさま理解したらしく、バタバタと掃除道具を片付けて、塔を飛び出していった。
それを呆然と見ていたわたしを他所に、ヤナはテーブルの上の昼食をトレイに乗せ始める。
「……本気?」
わたしがそう尋ねると、ヤナは手を止めてにっこりと笑った。
「兄さんなら、『僕はいつでも本気です』って言いますよ」
「言いそう……」
そうこうしているうちに、あれよあれよと準備は進んでいき、わたしは気が付いたら、塔のてっぺんで敷物の上に座っていた。
「もっと時間があったら、テーブルと椅子を出したんですが……。お嬢さまを地べたに座らせることになるとは……」
目の前で同じように敷物の上に座っているカレルが、口惜しそうに話す。
「別にいいわよ、これで十分」
お尻が痛くならないようにとクッションも何個か持ってきてくれたし、あの短時間でよくも場を整えてくれたと思う。
わたしの食事と、カレルとヤナの食事をごっちゃにして敷物の上に並べているのは、適当に食べろということらしい。
「お嬢さま、こちらのお皿をお使いください」
「僕たちの食事は、お嬢さまが食されているものより数段落ちるはずなので、最初に出されていたものを食べるといいですよ」
とはいえ、二人は甲斐甲斐しくわたしの世話を焼く。
「いいわよ。自分で適当に取るから」
それがピクニックの醍醐味だろうと、わたしはカレルとヤナが食べるはずだったパンに手を伸ばす。
「あっ、そっちは」
「いいの。食べてみたいから」
そしてパンをちぎろうとしたのだが、上手く一口大にできなかった。
「ちょっと固い……」
「僕たち使用人のパンは、ある程度保存が利く代わりに、固いんですよね」
「でも家で食べていたパンより、かなり美味しいです。さすがは公爵家、賄い料理でも高級です」
「焼くとまた美味しくなります。ああっ!」
「な、なに?」
「お嬢さまが火魔法を使えるようになったら、ここでも焼けますよ! やっぱり火魔法を覚えましょう!」
「魔法って、そんなことに使うものなの……?」
「そんなことではありません。パンが美味しくなるんですから」
「確かにそれは大事です」
「ヤナまで……」
そんなくだらないことを会話して、わたしたちは笑いながらピクニックを楽しんだ。
楽しい。記憶は朧気だが、子どもの頃に景色の綺麗な湖畔で、ピクニックをした覚えがある。
お父さまとお母さまとわたしで、笑いあっていたはずなのに、彼らがどんな表情をしていたのかも思い出せない。
そのことを悲しくも思うが、もういいか、という気分にもなった。
だって今は、こうしてカレルとヤナと三人で、笑いあっていられている。
この風景を忘れないようにしよう、目に焼き付けよう、とわたしは眩しく二人を眺めた。




