13. 突然に現れた人間
「お言葉に甘えて、また来てしまいました」
ダニエルはそんなことを言いながら、その日も塔の中に入ってきた。
今日はあの二人の従者は連れていない。たった一人でやってきたようだ。
「忙しいのではなかったの」
皮肉を込めて、そう口にすると、彼はわざとらしく胸に手を当て、滔々と語りだした。
「いかに忙しくとも、お美しいツェツィーリエ嬢に会うためならば、私の身体は無意識のうちに、無理にでも時間を作ってしまうのです。これは、魅力的なあなたが悪い」
いけしゃあしゃあとそんなことを宣う。
わたしの背後では、カレルが殺気立った空気を醸し出していた。
彼が椅子に座ったところで、私は口を開いた。
「なにが目的なの」
「目的?」
率直に投げかけた質問に、ダニエルは首を傾げる。
「ええ。こんなところに来ることによって、あなたになにか利益があるのかと思って」
「いえいえ、そんなこと。先ほども申しましたでしょう。魅惑的なあなたに会いたいがためです」
「そんなおためごかしはけっこうよ」
ピシャリと告げると、彼は軽く肩をすくめた。
「やれやれ、私の誠意は伝わりませんね。しかしまだ二度しか顔を合わせていない。それも致し方ないところです」
人を食ったような物言いに、苛立ちが湧いてくる。
彼が、腹に一物を抱えているのは間違いない……と思う。好き好んで塔にやってくるのは、カレルくらいの変人しかいない。
おそらくは、監視だ。未だに古代ファラクラレ語について書かれた本はやってこない。
あれで王家はわたしに対して、警戒を強めたと見るのが自然だ。
だが誰が本気で、わたしが世界を滅ぼせる魔女なのだと信じているのだろうか。
特に目の前のこの男性は、魔法など信じていないと言っていた。困ったものですね、とも。
それが嘘だというのだろうか。わからない。
だから、不本意ではあるけれど、会話を交わして情報を得たい。
わからないことは、怖いことだ。
「あなた、『黒き魔女』の信奉者なの?」
「え? まさか」
わたしの問いに、彼は小さく鼻で笑って返してきた。
けれどわたしは、その返答を無視して話を進める。
「おあいにくだけど、わたしは魔法なんて使えないのよ。だからあなたの願いは叶えられないわ」
「願いなんて。それにもし私になにか願いがあるとして、そして仮に魔女がこの世に存在するとして、魔女の力など借りません」
「あらそう」
「願いは、自力で叶えてこそ達成感があるものですよ」
「ずいぶん達観しているのね」
「これは、仮に魔女がいるのなら、という話です。実際に目の前にいれば、また違う答えを導き出すのかもしれません。まあ現状では、あるかどうかもわからないものに縋る暇があるのなら、自分の手と足を動かしたほうが早い」
ダニエルは、にこやかにそう答える。
こんなくだらない内容でも、ともかくわたしと会話をする気はあるようだ。
ならば、と少し突っ込んでみる。
「じゃあ警戒しているの?」
「私が? なにを?」
「『黒き魔女』の復活を」
「あれはおとぎ話でしょう。馬鹿馬鹿しい。何度でも言いますが、魔法なんて、くだらない戯れ言です」
「なにを心配しているのか知らないけど、わたしに会いに来たって、なにも得られないわよ」
「なにか誤解なさっているようですが、とにかく私はツェツィーリエ嬢が『黒き魔女の魂のカケラ』を持っているだなんて、信じてはいませんよ」
「ではなんのために、会いに来たの」
まったく話は嚙み合っていない。それでもわたしは問いかけ続ける。もしかしたら、わたしをこの塔に閉じ込めた王家に対する八つ当たりを、王家の名を挙げてやってきたこの人にしているだけかもしれない。
それでも淡々と返事を返してくるダニエルは、ある意味、誠実だ。
「美しいあなたに……いえ、これでは堂々巡りですね。では少し違うことを話しましょうか」
ダニエルはテーブルの上に腕を置くと、わたしを覗き込むように、身を乗り出してきた。
「ツェツィーリエ嬢、私はあなたをこの塔から解放したい」
「え……」
その言葉に一瞬、息が止まる。
「くだらない言い伝えのために犠牲になっている女性がこの世にいる、それを王家が許している、そのことが私には我慢ならないのです」
「王太子に仕えている身で、王家の判断に異を唱えているの?」
「そうなりますね。私は、このファラクラレ王国を良くしたいと思っているので」
そして椅子に座り直すと、にっこりと笑った。
「これでご納得いただけたならいいのですが」
確かに言っていることは、筋が通っている気がする。
王太子相手でも、多少の不敬は恐れず進言する人間らしいし。
これはどう返事をすればいいのかと、目を伏せて考え込んでいると、ふいに声をかけられる。
「しかし警戒しているのは、ツェツィーリエ嬢もでしょう?」
「え?」
顔を上げると、ダニエルは真剣な顔つきでわたしを見つめていた。
「私を警戒していますよね」
「それは……そうね」
「どうして?」
どうして? だってなにもかもが怪しい。
心の中では、わたしのことを恐れているとしか思えない。
「わたしは、魔女だと呼ばれるのは嫌だわ」
「おや、おかしなことを仰いますね。私は魔法は信じていない、と何度もお伝えしたつもりなのですが」
「信じられない」
つまるところ、それだ。
わたしを称賛する言葉も、柔らかな物腰も、演技ではないかと疑っている。
「要は、信頼関係が築けていないのが問題なのでしょう」
もっともなことをダニエルが口にして、人差し指を立てて、上に向けた。
「では、こうしましょう」
なにやら提案があるらしい。私は耳を傾ける。
「これからも、腹の探り合いをしましょう。いくらでも疑ってください。会話をするうち、見えてくることもあるかと思います。ですから、また来ますね」
言うが早いか、彼は椅子から立ち上がる。今日はこれでお開き、ということだ。
「ツェツィーリエ嬢の信用を得るのはなかなか骨が折れそうですが、努力することにします」
「不愉快でしょう。無理しなくともいいんじゃないかしら」
彼を理解したいような、したくないような、そんな複雑な気持ちになってそう声をかけると、ダニエルは口の端を上げた。
「いえいえ、これくらいで不愉快にはなりません。それに」
「それに?」
「突然に現れた人間を簡単には信じないというのは、賢明な判断ですよ、ツェツィーリエ嬢。聡い方であることが知れて良かったです」
そうして彼は一礼すると、背中を向ける。
カレルが素早く玄関に行き扉を開けると、彼は「どうも」と一言声をかけて、出て行った。
どうにも摑みどころのない人だ。
「本当に、また来るんですかね」
カレルが閉まった扉を見つめて、不服そうにそう零す。
ヤナはテーブルの上の紅茶を片付けていた。
突然に現れた人間。
カレルもヤナもそうだ。
言われて初めて、思い至る。
なぜわたしは、彼らを無条件に信用してしまっているのだろう?




