殿様通り
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、これがカイワレ大根の葉か。身を寄せ合って育っていると、ちょっとした野原みたいな感じがするね。たとえコーヒーカップにおさまりそうな面積だとしても。
一人より二人、二人より大勢。
人間社会において、数の重要さはたびたび説かれている。しかし、自然の世界においてはいかほどのものかなあ。ことに、身をほとんど動かせない植物においては。
数を集めるよりもむしろ、極まったひとつになろうという意欲を、感じることはある。
朝顔のつるが支柱に巻いていく様子とかを見ていると、思う。彼らは育つこと、命を張ることに関して、貪欲だ。
種を残すために、使えそうなものがあれば遠慮なく使い、目的を果たそうとする。必要とあらば、自分の図体よりもはるかに頑強なコンクリートさえ持ち上げ、打ち破って育とうとするほどだ。
そうした姿はやがて周囲に畏れられて、不思議に思える空間をかもす光景もあるかもしれない。
僕も小さいころに、ちょっと不思議な体験をしたことがあってね。その時のこと、耳に入れてみないかい?
当時、小さい生き物たちといえば、僕たちの間で捕獲の対象だった。
シンプルな大きさ比べ、種によっては力比べなども視野に入っていたな。
自分自身の腕力や足の速さといった、身体能力によって差別されない、競い合いの場。
ハンデが、よりつきづらい環境で優れた成果を残すことこそ、本当の強者の証みたいな風潮が僕たちの間であった。
そうなれば、虫取りこそが今回は真の王者を決める戦いであり、みんな熱心に打ち込んでいったんだよ。
この時の標的は、バッタだった。
僕の住んでいる地域は、学校とそれに沿う県道沿いこそ建物が多く、開発も相応に進んでいたけれど、そこから数百メートル外れれば、田畑や原っぱが広がる。
遠出するロマンもあるが、灯台下暗しという言葉あり。掘り出し物は、案外身近にあることも多いものだ。
そう信じる僕は、学校から帰ってすぐに虫かごを携えて、近所の用水路近くへ繰り出したんだ。
水に近いところ、緑の気配あり。緑の気配あるところ、虫の気配あり。
幼いながら持つ持論のまま、僕は水路まわりを中心に、茂る草たちを踏みしだきながら、その中にバッタの姿を求めた。
自分より、はるかに図体のでかい人の影と、足の放つ振動におされてか。何匹かは、僕の足下で不意にはねて、逃げていく姿を見せる。
それをぐっとかがみこんで、観察する僕だけれど、そのことごとくを見逃していく。
小さかった。
僕はただバッタが欲しいのではなく、王者としてあがめられるほどのデカブツこそが欲しい。
逃したバッタたちは、これまでに捕まえたもの以下といったものばかり。このようなものじゃ誉れにはならない。
もっと、もっと……と、僕は用水路を延々と下っていき、途中に横切る車道をいくつか越えて、なお水の手を追っていく。
とある工場の裏手も通り過ぎてしまうと、いよいよ人の手入れもなかなか行き届かない地点になってくる。
先ほどよりも背を大いに伸ばした草は、僕の足下から腰にかけてまでをほとんどカバーするほどになった。
どしん、どしんとあえて力を入れて踏み込み、それらの草を揺らす。
いわずもがな、そこに住まう生き物たちを驚かすためだ。泡をくって、飛び出してきたところを押さえてやる算段。
しかし、出てくるのはカエルばかりで、なかなかバッタらしきものには出くわせずにいる。
緑はいよいよひしめいて、足元の土がほとんど見えないほどの密度になってきていた。およそバッタが好みそうにない地形になりつつあったが、僕はなお前へ進む。
無知ゆえの、根拠なき自信といおうか。
自分が心の底から正しいと思って判断したなら、絶対に結果は出る。そう信じていたがために、歩みを緩めることは考えていなかったのだけど。
その一歩が、つるんと滑った。
つまづいたり、つんのめったりというより、なめらか極まる石の頭に、うっかり靴を乗せてしまったというか。
きっとはたからは見事なほどに、僕はすてんとあお向けにすっころんだ。背中をしたたかに打ち付けて、一瞬息が止まっちゃったよ。それくらいの勢いかつ無防備に過ぎた。
でも、そこからのことは僕の記憶に強く刻まれる景色となる。
転ぶ前までは、半端に垂れ下がっていた草たち。
それが僕が倒れるや、急にこちらへ折れ曲がってきてさ。アイマスクもかくやというほど、目の前を覆い隠してしまったんだ。
葉が持つ、本来の緑色はかろうじて確認できる。けれども、そのあまりの肩の寄せ合い方は、ほとんどドームを思わせる覆いよう。
風か? と思う間もなく、僕の腹部へ圧がかかる。
パンチをもろに打ち込まれたかのようだ。鼻と口から声にならない声が漏れる。
草のドームは僕の身体全体を覆っていたが、その一部が大いにへこんで、腹に押し込まれたのだと、かろうじて目線を下にやって判断する。
――いま、この上にかなり重いヤツが乗っかっている……!?
そう思うや、今度は目の前が潰された。
消え去る緑色。顔全体への圧迫。眉から顎にかけての痛み。
腹に乗っかったヤツが、今度は僕の顔面へ降り立ってきたんだ。
重い。いくら力を込めても、顔がわずかにも持ち上がらない。
文字通り、鼻っ柱が折れるかと思う重圧で、もう何秒も続いていたら、顔の皮膚に食い込んでいたかもしれなかった。
幸い、重みはほどなく消える。
頭のほう、やや遠めの地点から、「どしん」と揺れが起こった。
もう身体は動く。僕は草のドームを無理やり破って身を起こしながら、揺れの来たほうを振り返った。
漬物石ほどはあるかと思うが、そいつはまさにトノサマバッタの姿だった。
草を踏みしめながら立ち、小さく一歩を運んだだけで、数十センチ分の地面を置き去りにする。
間違いなく、捕まえてみんなにみせれば、僕こそが「殿様」になれるだろう。捕まえるために持参した虫かごでは、ちょっと及ばないほどの大物だが。
そう、反射的に立ち上がろうとしたところで。
どん、と強く身体を押されて、また倒された。
今度はバッタじゃない。先ほどドームを作っていた無数の草たちだ。
起き上がったときのような、やわっこさはない。一本一本が極太のムチになったように、僕の身体を打ち据えてきたんだ。
不意打ち気味の衝撃だったこともあって、またも僕は倒される。そのおり、頭の遠くの方で遠ざかり、弱まる衝撃がまたひとつ。
あらためて起き上がったとき、あのバッタの巨躯は影も形もなくなっていた。
草たちもまた、あのムチのひと打ちを繰り出した時とは打って変わって、僕の軽いひっぱりにぶちぶちと身を散らすほどの、根性なしぶりを見せつけてくる。
あの時だけ、渾身の力を込めたかのような取り繕いぶり。そのうえこの僕に平伏することを強要してくる力。
それはまるで、大名行列を前にした平民たちのごとき、姿勢の正し方と思ったよ。
あのバッタこそ名実ともに、あそこでの「殿様」だったんだろうな。